騒音紛いの喧騒に、眉をしかめながら人混みを掻き分ける。
恵まれ過ぎた体格と人相のおかげで他の者よりは格段に歩きやすいが、それでも辟易するくらいには視界が人間で埋め尽くされていた。煩わしさにすべてを薙ぎ払いたくなるが、かつてのようにはいかない。
左右の熱は平等だし、人の頭を握りつぶすほどの力もない。
動けば腹が減るし、食わねばただ死ぬだけだ。
人間とはなんと不便なものか。すべてを思い出して前との差異を感じた時、度々思うことだ。
やることもなくだらだら過ごすには時間が有り余っていて、スポーツも格闘技も一通り試したがどれも本気にはなれなかった。
生きがいを求めて彷徨った挙句、所謂裏社会に足を踏み入れかけもしたが早々に退散した。
ほんの少しかじった仕事はリスクは相当なうえ、併せてスリルも上々。前に近い環境に気分は高揚しかけたが、それだけだった。仕事は馴染めたろう。だが、そこに命を懸けるだけの価値を見出だせなかった。
幸いにも数字とヤマカンには強かったので株だの競馬だの、賭け事には向いていたようだ。
食うには困らない。この記憶はイカれたかと思ったが、後見人になった遠縁がかつての産みの親だった。
加えてお仲間も数人。聞けば自分の後輩にあたるようで、全員が前を覚えていた。
めでたく頭がイカれたわけではないとわかったものの、だからといって状況が変わるわけでもない。
気晴らしに少し遠出してみたが、人の多さに苛立ちが増すだけだった。
いい加減帰るかと人混みを避けつつ、踵を返そうとした。
「あ?」
「え?」
視界の端を掠めた銀色に、思わずすれ違う腕を掴んだ。自分の行動に自分で驚く。
慌てて腕を離そうと掴んだ腕の主を見て、合点がいった。同時に呆れもした。どんな嗅覚だ。
訝しげな表情でこちらを見る知った顔に、さてどうしたものかと腕も離せぬまま押し黙る。
面倒になる前にさっさと腕を離して退散すべきだ。なのに離すどころかそのまま路地裏へと引っ張り込んだ。こいつに連れがいなくて本当に良かった。いれば通報モノだ。
「あー・・」
何を言うべきだ。前も仲が良いどころか犬猿ともいうべき間柄だった相手だ。
そのそもこいつが覚えていなければ確実に変質者扱いになる。人違いで通じるだろうか?
あーだのうーだの口ごもっていると、だんだんと相手の視線に剣が滲みだす。
いい加減罵倒の一つでも浴びそうな雰囲気が、はたと消えた。
「・・・・フレイザード?」
「は?」
今世では知るはずのない名を呼ばれて息を飲む。
言った本人が一番驚いているようで、眼を丸くしたままこちらを見上げていた。
「ヒュンケル」
呼べば大袈裟なくらいに肩が跳ねた。
そういえば前はこいつを殺し損ねたんだったなと今更ながら思い出す。
「覚えているのか」
推し測るような眼差しに掴んでいた腕を離す。きっともう逃げないだろう。
「まさかまたお前に会うとはなぁ」
上から下まで眺めて見ると、鍛えてはいそうだがさすがに記憶より一回り二回りは細く見えた。
同じくまじまじとフレイザードを見ていたヒュンケルがふと顔を上げた。
「今は人間、なんだよな?」
「そりゃな。残念だが呪文も使えねぇよ」
ふうん、と細められた眼が何かを企んでいると告げてくる。
上から下まで不躾な程に眺める奴に眼の端がひくりと動いた。
何か言ってやろうかと口を開く前に奴がにんまりと口端を上げる。
「散々見下していた人間になった気分はどうだ?」
意地が悪そうな、愉快そうな顔に、以前のような仄暗さはない。
あの頃には見たことのないような顔で笑う奴に、ただ盛大な舌打ちを返した。