雨あめふれふれ「ただいま」
玄関の引き戸を開けると、いつも通り茶の間から良守が走ってくる足音が聞こえる。
「にいちゃんお帰り!」
腰掛けて靴を脱いでいると、背後に来た気配を感じる。いつもならば背中に体当たりするように抱き着いてくるのに、今日はそのまま立っているようで、不思議に思い振り返った。
「じゃじゃーん」
そこには黄色いカッパを頭からすっぽりと着た良守が手を広げてポーズを取っていた。さすがに耳はついてはいなかったが、まるで某くまのキャラクターのようで可愛い。
「それ、どうしたの?」
「ねえ、似合う?」
質問に質問で返されるのはいつものことだ。会話がかみ合わない。
「うん。似合うよ。で、それどうしたの?」
「えへへ」
似合うと言われたのが嬉しかったのか照れつつクルクルと回りながらポーズをとっているが、相変わらず質問には答えてくれない。
部屋にランドセルを置きに向かうと、無言でついてくる。何を言うわけでもなくニコニコしながら、洗面所・台所・茶の間までずっとついてきた。
茶の間でもそのまま正守の隣に座っておやつを食べ始めた。正守は煎餅を齧りつつ、ちょうどお茶を入れてくれた父に今度は尋ねる。
「もうすぐ梅雨だし、良守にって親戚の人が送ってくれたんだよ。お揃いの長靴もあるんだけど、試しにカッパ着せてみたら良守がえらく気にいったみたいでね。それからずっと着たままなんだ」
そういう父も、良守を見ながら笑顔だ。
「ふーん」
たしかによく似合っている。今までカッパなんてなかったからよほど嬉しかったのだろう。
「兄ちゃんいつ雨降る?」
「当分降らないんじゃないかな?」
「ぶー」
思いっきり口を尖らせて鼻にしわを寄せる。そんなことをされても、自分には天気をどうすることもできない。
どうせ雨が降るころには興味をなくしてしまっているに違いないと思いながら、宿題をするために部屋に戻った。
数日後。
「良守、公園遊びに行くけどどうする?」
玄関で靴を履きながら声をかける。
「行く!ちょっと待ってて」
茶の間にいたらしい良守の声が聞こえたので玄関の外で待っていると、程なくして良守が出てきた。驚いたことに、先日のカッパに長靴まで履いたフル装備だ。
「今日は雨降ってないよ」
「コレ着てお出かけしたい」
「雨降ってないからダメ。着替えてきな。しないなら連れてかないよ」
「…」
不貞腐れてほっぺを膨らませている。そんな顔されたって、晴れてるのにカッパなんて着て行ったら笑いものだし、結局邪魔になって脱いでしまって荷物になるだけだ。その荷物を持たされるのは正守なのだ。
「ほら、早く」
ダメだとわかったのかしぶしぶ着替えに行く。それにしたって、いつも朝の着替えでさえグズグズしてるのに、1人でちゃんとカッパを着てすぐにでてきたあたり執念がすごい。
カッパを脱ぎ普通の靴に履き替えてきた良守の手を引きながら公園に向かう。
「にいちゃん、いつ雨降る?」
「雨降ったらめんどくさいからヤダ。それに外遊びに行けないよ?」
「よしもりはカッパあるもん。カッパ来て遊びに行くんだ!」
「あっそ」
いくら言いきかせたところで聞きやしない。そういう我の強さは誰に似たんだろうか。
結局会話はそこで終わり、ほどなくして公園についた。
さらに数日後、朝からどんよりと重い雲が垂れ込め、今にも降り出しそうな空だ。まだ梅雨には少し早い。
こんな天気の日は気分も上がらない。朝の支度を終え、いってきますと声をかけて玄関に向かう。
靴を履こうと腰掛けると、端っこに黄色い小さな長靴がちょこんと並べられていた。
あれ?良守ってまだこんな小さかったっけ?と置かれた長靴を見ながらふと思う。生意気な口をきくようになったから大きくなったようなつもりでいたが、置かれている長靴はまだまだ小さい。一度も雨の日に使われたことはないから、ピカピカだ。良守が大好きな黄色。これを履けばどんなところにでも行ける魔法のような靴に見えてきた。そんな力なんてあるわけがないのにそっと手に持ってみる。
そんなことをしていると、良守がバタバタと走ってきた。
「にいちゃん!それ、よしもりの!ダメ!!」
正守に履いていかれると思ったのか、慌てて正守から奪い返そうとする。
「取らないよ。小さくて履けないし」
その言葉に安心したのか、ほっとした表情を浮かべると正守から長靴を受け取った。
「そろそろ雨降って履けるかもな」
「うん!」
太陽のような全開の笑顔を向けられる。曇り空で憂鬱だった気持ちに陽が差したように感じた。
「じゃ、いってきます」
重い腰をあげて戸を開ける。
「いってらっしゃーい」
これまた元気な声に見送られて、学校へと向かった。
天気は予報通り、昼前から大粒の雨が降り出した。
足元が濡れるのを不快に思いながら家路に着く。今日はもう家でじっとしてよう。借りてた本もあったはずだしちょうどいいや。そんな予定を立てている時に限って思うようにはいかない。
家に帰ると、父さんが困った様子で台所にいた。
「どうしたの?」
「夕飯の買い物行こうと思ってたんだけど、打ち合わせの電話が長引いちゃって行きそびれちゃったんだよね。とりあえずあるものでと思ったんだけど、作り始めてからどうしても材料足りないのがあってどうしたもんかと悩んでたんだ」
「俺、行ってこようか?」
つい、困ってる父さんを見かけると自分がどうにかしなきゃと思うのは長男気質なのかもしれない。
「そう?でも、雨も強いし」
「別に遊ぶ予定もないしいいよ。おやつ食べたら行ってくる」
「ほんとに?!助かる。そしたら、先におやつ食べてて。買ってきてもらうメモ作るから」
嬉々として冷蔵庫を確認し始めた父さんを横目に、置いてあったおやつを持って茶の間に行く。
そこには、いつものように良守が絵本を広げて遊んでいた。
「にいちゃん雨だよ?」
「そうだね」
弾んだ良守の声に若干イラッとしながら答える。その不機嫌さを察知したのか、それ以上良守からなにか言ってくることはなかった。
おやつを食べ終える頃、父さんがメモを持ってやってきた。
「ごめん。ついでだからちょっと多くなっちゃうんだけどいい?」
「うん。いいよ」
メモをチラッと見たが言うほどでもない。いつも行くお店で用は足りそうだし、さっと行ってくれば大丈夫だろう。
「じゃ、行ってくる」
お金を受け取り立ち上がると、そばにいた良守も立ち上がる。
「にいちゃんおでかけ?」
「買い物行くだけだよ」
「よしもりも行きたい!」
「雨降ってるし、一人で行ってくる」
「よしもりもカッパ着ていく!我儘言わないから行きたい!」
「そういっててもいつもグズるじゃん。今日は傘もさしてるし抱っこって言われてもしてやれないよ?」
「大丈夫だもん。行く」
それだけ言うと、準備するためにさっさと一人で玄関に向かってしまった。
「正守、悪いけど連れてってあげてくれる?余った分でお菓子買っていいから」
お菓子に釣られたわけではないが、父さんにそこまで頼まれてしまったら仕方がない。しかも多めに渡してくれたあたり最初からそれを見越していたのだろう。
「ぐずらなきゃいいな」
そっとため息をつきながら玄関に向かうと、良守はもうすでに準備を終えキラキラした顔で待ち構えていた。たしかにあれだ楽しみに待ちに待った雨の日だ。逆にテンション高くてめんどくさくなりそうだと思いつつ家を出た。
行きは、思ったほど騒がずおとなしく手をつないでついてきた。拍子抜けするほどだ。雨に直接さらされる感覚が慣れなかったのかもしれない。いつもの店では可愛いねといろんな人に褒められて良守も少しずつ笑顔を取り戻していった。
そして無事に買い物を終え、残ったお釣りでお菓子も買った。良守もいい子にしてくれたし、帰ったら一緒に食べよう。そんなことを考えながら来た道を帰る。
だが、行きで雨に打たれることにも慣れたのか、あとは帰るだけになったからなのか良守の様子が一変した。荷物を持っていて手を繋げなかったこともあるのかもしれない。普段は避けて通る水たまりにそのまま突入してピチャピチャと遊びだした。
「良守、危ないからちゃんと兄ちゃんの横歩けよ」
「うん」
返事はするものの全く聞いてやしない。
「にいちゃん、お池ができてるよ」
次から次へと水たまりを渡り歩く。
「いくら長靴だからって、水たまりに入るとびちょびちょになるから大人しくこっちに来い」
「はーい」
もうテンションMAXな良守の耳には届いていない。キャッキャ言いながら水たまりに飛び込む。荷物をもっていなければゲンコツの1つでも落としてやるのにと悔しく思いながらも、両手が塞がっていてはどうすることもできない。
バシャーン
走り回ったあげくに良守が飛び込んだ水たまりは正守のすぐそばで、案の定撥ねた水が大量に正守の足にかかった。
「うわっ冷たい!」
「あっ」
急に現実に戻った良守は、正守からのカミナリの気配を感じ首をすくめる。
「こら!良守!!だから言っただろ!」
「ごめんなさい…」
「いい子にするって約束しただろ。ちゃんとしろ」
「うん」
怒られて力なくしょぼんとして正守の横をとぼとぼと歩く良守に、逆に正守がいけないことをしているような気になり、ちょっと強く言い過ぎたかなと後悔する。
「まったくもう」
さきほどはあんなに嬉しそうにはしゃいでいたのに、なんだか可哀そうに見えてきた。せっかくのお気に入りをやっと試せる時が来たからはしゃいでいたというのに、みずをあびせられたように大人しくなってしまった。
「ちゃんといい子にしてたら、またカッパ着て一緒にでかけてやるから」
「え?」
急に譲歩を見せた正守を不思議そうに見上げる。
「可愛い良守を見れて兄ちゃんも嬉しかったんだからな」
ボソッと言った言葉で褒められたと気づいた良守は、パッと明るい顔になる。
「ほんと?」
「うん。約束な。指切りは今できないけど」
荷物でふさがった手を恨めしく思う。
「あっ虹」
正守の後ろを見ていた良守が虹に気づいて声をあげる。まだ雨は降っていたが、西の空が少しずつ明るくなってきていた。振り返った正守は大きな虹がかかってるのを見あげた。
良守と買い物に行ってなかったら気づいていなかっただろう。こうやって良守は自分だけでは気づけないことを色々と教えてくれる。自分が教えるばかりではないのだ。
「あの虹が消える前に帰ろう。それで荷物置いたら虹の端っこ探しに行くぞ」
「うん!」
それでも、正守の言うことはまだ素直に聞いてくれる。
走り出した正守に置いていかれまいと良守も一生懸命付いてくる。カッパを着て走ってる良守はやはり可愛い。こんな可愛い弟と遊べるなら雨の日も悪くない。改めて弟の良さを実感した。
そして、次の雨の日も待ち遠しくなる正守であった。