署に向かう途中で、恋人を見かけた。
これから勤務の僕とは違い今日は非番のはずのひと。
止められない悪戯心。
それに従って物陰に潜んで、そおっと、後ろから肘を引っ張った。
「オニィさん暇? なら俺と遊ぼうよ」
言い終わる前に向けられた鋭利な視線は、目が合った途端拍子抜けしたように柔らかくなった。
「お前か」
「僕です」
にぱ、と笑った僕にその人も──恋人である先輩──も、やれやれと呆れながらも目を細めてくれた。
「どこ行くの?」
「珈琲屋、お前の部屋にミルを置きたい」
「ああ、言ってたね」
扱い方は難しいが覚えればいつでも美味い珈琲が飲めるから、と楽しそうに語っていたときと同じ目元。
先輩の淹れてくれる珈琲はインスタントですら美味しいのだから、そこからさらに美味しくなるのだろう。
「楽しみにしてる」
期待して、そう言ってから僕は、じゃあね、と手を振って署に向かうために別れようとしたんだけ、ど──
「ちょっと待て」
今度は僕の肘が引っ張られた。
なんだろう、と思って、見つめた目に映るのは──
どこか拗ねたような、むっとしてるような、真っ赤な、可愛らしい顔。
「……俺以外の相手、に、あんなことするなよ?」
……あんなこと、とは──そうか、ナンパのことか。
理解して、もう一度笑いながらむくれているほっぺたを撫ぜた。
「しないよ? さっきのが最初で最後だ」
あなただから、したんだよ。
そう言ったら、眉間に寄っていた皺はすうっと消えた。
「そうか」
ふふ、という小さな声と、子どもみたいに邪気のない笑顔。
僕も笑って返してから別れた道。
──数時間後
期待したとおりの珈琲の香りと、
「おかえり」
という、別れた時よりももっと明るくて柔らかくて愛おしい笑みに迎えられて──
僕は、この人を好きになって、そしてこの人に好きになって貰えて本当に良かったと心底思いながら、その胸に飛び込んだ。