あたしのロブスターヘッド:柄杓腕 突然の轟音と揺れに驚いて寝台から飛び降りると、廊下のほうからもくもくと煙が入ってきた。「ロブスターヘッド!」口を袖で覆いながら廊下に飛び出る。噴煙の中にジンワリと人の形が見える。ロブスターヘッドだ。
「大丈夫ですか!」
人影がうなずく。あたしはその影の形に何か違和感を覚えて目を細めた。
噴煙の中には……ロブスターヘッドが立っている。
あたしのカミさまは、右腕が柄杓の形になっていた。
木っ端の片づけに町中の人がやってきてくれた。何が起きたのか説明を求められたが、あたしにもさっぱりだった。ロブスターヘッドは姿を消し、町の人曰く、書庫のほうに行くのを見ましたよとのこと。かれなりの対処法があるのかもしれないと、そこは放っておいて、あたしは爆発の規模を見た。神殿の廊下で起きた爆発。作りの頑丈な石の神殿そのものには影響はなかったけれど、廊下の壁沿いに備わっていた、木で作られた棚が木っ端みじん。二十年前に町の人が手作りしてくれたものらしい。せっかくの良い棚がねえ。とみんなが残念がるので、あたしはとりあえず新しいのを作ってくださいと木工職人の息子に頼んでおいた。それがすぐにみんなに伝わってみんなは喜んでいた。やれやれ。
木っ端はあらかた片付いて、適当な麻袋に詰めて何かに再利用することになった。大きい木っ端をもう少し細かくすればこのままクッションになるわねえと誰かがいっていたので、たぶんそうなるんだろう。
みんなが爆発について色々話し合っているとき、ロブスターヘッドが帰ってきた。ヘッドの柄杓の右腕を見て、だれかが悲鳴を上げたので、あたしはとりあえず落ち着いてくださいといった。でもあまり意味はなかった。みんながうるさくなってきたので、あたしは神殿からみんなを引きずり出して(大声で、とりあえず出て行ってくださいと言えばみんな従うのだ。これが神官の立場の良いところ)、神殿でヘッドとふたりきりになった。
ロブスターヘッドは左手に本を持っていて、それをあたしに押し付けた。あたしが受け取ると、ようやく自由になった片手で
「サワラが5重跳びやにわに左官」といった。ロブスターヘッドの使う指言葉は、片手でもなんとか扱えるのだ。
あたしは本の題名を見た。『いにしえの呪術――主に爆発を伴うものについて――』
ぺらぺらとめくると、ほとんどのページに絵が書いてあるのでかなり読みやすいことがわかった。めくり続けると柄杓の絵が出てきて、参照すると……
腕が柄杓になる呪いは危険です。放っておくと腕の柄杓がひとびとの魂を奪います。もとの姿に戻るには、呪いを受けた者が無我の境地に達する必要があります。
とのこと。
「無我の境地?」とあたしがつぶやくとロブスターヘッドがうなずいて、窓の外を左手(ふつうの手のほう)で指し示しながら、
「バターナイフわずかに身辺」といった。
「わかりました。みんなを静かにさせます」
神官ならではの以心伝心だ。なにせ神殿の外では町の人たちががやがやとうるさくてしょうがない。
あたしは神殿の外に出て、みんなを静かにさせるために声を張り上げた。
「皆さん。聞いてください。あの腕をもとに戻すにはロブスターヘッドが無我の境地に達する必要があります。ですのでみなさん静かにしてください」
ちょっとの間は静かになった。だがすぐに好奇心の強さで有名な仕立て屋の息子マリが声をあげた。
「ロブスターヘッドはいつもは無我の境地じゃないんですか」
「そうです」あたしは答えた。本当のところを知っているわけではなかったが、神官なら平然とうそっぱちを述べられるものだ。そして一拍置いて、こう付け足した。「別に邪念があるという意味ではありませんけど」
みんなざわざわした。
あたしはいった。「静かにしてください」
「柄杓の腕が直らないとどうなるの。何か悪いことがあるの」といったのは再びマリだった。
「そういうわけじゃありません」あたしはパニックを避けるために嘘をついた。「ただ、指言葉が片手でしか述べられないし、日常生活が不便です。皆さんも嫌でしょう。ロブスターヘッドの腕が柄杓だなんて」
「そうかしら」「そうでもないかも」「そもそも頭がロブスターだし……」
ああもう困った。
「とにかく静かにしてください!」
「静かにしないとどうなるんですか」
これは堂々巡りになるぞとあたしは思った。あたしは腕をまくった。
実際堂々巡りになったし、がやがやうるさいのは何時間も続いた。ばかな人たちではないのだが、まるっきり善良な人たちというわけでもなく、なにせ今日は休日だったものだから、みんな暇していて、ロブスターヘッドの柄杓腕がちょうどよいヒマつぶしになったのだ。おかげであたしはずいぶん長いこと民衆と格闘する羽目になった。そして最終的にはうんざりして、疲れ果てて引き下がることにした。
「いいですか、質問にはもう答えません。とにかく静かにしてください。さもないと困るんですから」
そういって木戸をぴしゃりとやって、あたしは神殿の中に引きこもった。ノックの音を無視して自室に向かい、そういえば朝も昼も何も食べていないことを思い出した。
ロブスターヘッドはどうしているだろう。思うに、すでに無我の境地に達しているのではないか。ということで、かれの部屋を覗いてみることにした。神殿のには玄関と裏口と用を足す場所以外扉が一個もないので、のぞき見なら楽勝だ。
ロブスターヘッドは部屋の中央に座していた。足を組み、空を見詰め、その腕は――まだ柄杓のままだ。
だが、この部屋だと外のざわざわもそう聞こえてこない。ざわめきは集中していれば無視できる程度のかすかな雑音に過ぎない。
無我の境地には達しましたか、と訊こうとも思ったが、ちょうど今がそのときだったりしたら、邪魔してはいけない、と思って、あたしは自室に戻ることにした。ロブスターヘッドのことだから、何もかもうまくやるはずだ。
石にわらとリネンのシーツを敷いただけの、寝心地はたいして良くないベッドに身を投げ、あたしは眠った。
夢は何も見なかった。
目を覚ますと夕暮れ時だった。さすがに寝すぎてしまったとあわてて部屋を出ると、神殿の中央の部屋でロブスターヘッドが優雅にお茶など飲んでいた。
腕は――もとに戻っている!
「ロブスターヘッド! 戻ったんですね」
というとかれはうなずいて、おおげさな身振りで指言葉を述べた。
「さざめきのカンバスはペンの流離なる山」
何をいっているかは相変わらずさっぱりだったが、かれがご機嫌だというのはわかった。
「それじゃあみんなに報告しに行きましょう」
というとこくんとうなずいた。というわけであたしとカミさまは、柄杓腕がすっかり治ったことをみんなに報告するために神殿を出たのだった。(了)