無題 重湯を持って病室を訪ねると、善逸は寝台に座ってぼんやりと前を見ていた。
「おはよう」
返事はない。重湯を寝台のそばにある物入れの上に置いて窓を開けると、静かに吹く風がカーテンを揺らす。彼の隣に腰を下ろすと、寝台といっしょに彼の体もわずかに揺れた。とん。肩が触れあい、善逸はゆっくりと首を巡らせ、俺を見た。昨日はなかった反応だ。
「善逸?」
期待を込めて彼の名を呼ぶが、彼は時折ぱちんと瞬く他には何の動きも見せてくれない。そのまま少し待っていたけれど、風が金の髪を揺らしただけだった。
ため息をこらえ、俺は重湯をかき混ぜた。うっすらと色のついたそれを匙ですくい、唇に軽く当てて温度を確かめる。重湯はぬるいくらいだった。火傷の心配はいらないだろう。
「くち、あけて」
囁くと、善逸の薄い肉色の唇が開き、白い歯の先がちらとのぞいた。
「もっとだよ」
ゆっくりと開いた口に匙を差し入れて傾けると、唇の端から重湯がとろりとこぼれた。――ああ、今日もダメか。
俺は匙を置き、彼の口元を拭ってやる。金の眼が俺を追って動くが、おそらくそこに彼の意思はない。しのぶさんは数日のうちに正気づくと言っていたけれど、それはいつになるんだろう。
俺は善逸の前に立ち、重湯の器に口をつけて中身を含んだ。善逸のおとがいに手をかけてそっと上を向かせる。開いたままの口の奥に舌が見える。湿ったそれの感触を、俺は既に知っていた。
善逸に口づけ、含んだ重湯をゆっくりと流し込む。はじめの数回は大変だった。うまく口の中に流し込めなかったし、量の加減がわからなくて溺れさせてしまいそうになったこともある。咳き込むこともできずに重湯に溺れる善逸に、慌ててうつ伏せにして背を叩き吐き出させた時の恐怖は忘れ難い。
善逸が口の中の重湯を飲み干したのを確かめ、二口目を与える。そうやってお椀の中身を空にして、濡れた口元を拭ってやる。
「善逸」
彼の目が俺を見る。
「明日はきっと、元気になっていてくれ」
でないと、俺は。こんなことが当たり前になってしまったら、困るんだ。
「お願いだ」
ずっとこのままでと思ってしまいそうで、とても困るんだよ。
***
次の朝。
「あ、たんじろ〜!」
重湯を持って病室を訪ねると、善逸が俺を見て俺の名を呼んだ。
「なんかめちゃくちゃお腹空いてるんだけど! それ、俺のごはんだよな!?」
「善逸」
早く早くと手招きする彼にお椀と匙を渡すと、中身を確かめた善逸はあからさまに肩を落とした。
「アオイさんがいいと言ったら、おにぎりを握ってあげるよ」
あっという間に重湯を飲み干した善逸にそう声をかける。
「やったー!」と両手をあげて喜ぶ善逸に断りを入れて、俺はアオイさんを探しに部屋を出た。
廊下を歩きながら胸の内を探る。そこには確かに落胆があり、俺はそれを胸の奥深くに埋めるべくゆっくりと息を吐いた。