車内3 温かいものが触れたのに、すぐ離れてしまった。もっとそれが欲しくて、追いかけようと体がぴくりと動く。
「起きたか?」
優しい声が耳をくすぐる。三井の声だ、と認識した途端に脳が一気に覚醒した。
「あっオレ、寝ちまっ、た!?」
「おー、よく寝てたぜ」
「ごめん!」
「いいっていいって。やっぱ疲れてたんだろ。高速乗ってたから道もわかったし」
運転席から腕が伸びてきて、セットしていない頭をくしゃりとかき混ぜられる。大きな手のひらに撫でられるのは口にはしないものの結構好きで、そのこともわかっている三井はこうして甘やかしてくれる。こんな風に撫でてくれる時の三井は本当に愛おしそうな顔をしているものだから、そんな顔も宮城は大好きなのだ。
「三井、甘やかすなピョン」
せっかくそんな甘い戯れを楽しんでいたというのに、冷え冷えとした声が斜め後方から飛んでくる。
「助手席はナビをする人間が座るべきだピョン。宮城は寝てたんだからナビ失格だピョン」
思わずそちらを見ると、いささかげんなりした様子の深津が恨みがましい視線をこちらに向けていた。
「初手でミスったお前が言うな」
「俺が助手席に座るピョン。宮城、早くそこ代われピョン」
寝起きで頭が半分くらいしか働いていないのもあって「やだよ」と即答してしまう。深津の眼光が鋭くなった。
「そんなこと言わないでずっとここ座っててくださいよお」
宮城が寝落ちする前よりも距離が縮まった沢北が深津の腕にぎゅーと抱きついては押し除けられている。それをバックミラー越しに見た三井がくすくす笑った。
「着くまで深津は後ろな」
そう言う声が優しいので、寝ている間に何かあったのかと視線で尋ねると「あとでな」と口パクが返ってくる。
「三井、恨むピョン……」
じとりとバックミラーを睨む深津は少なくとも不満そうな声を出していた。表情の読めないこの男の映る鏡から目を逸らし、窓の外へ視線を向ける。
キラキラと陽光を反射する海は、懐かしい湘南の海だ。
「海ですよ深津さん!」
「見ればわかるピョン」
後部座席の二人は無視して三井に話しかける。
「今どのへん?」
「さっき小田原のインターで高速降りたから……国府津の辺りか?」
膝の上の地図を指で辿った。もう小田原市に入っているのかもしれない。海に見覚えはあっても、相模湾に接しているのは湘南だけではない。もう少ししたら海ともお別れになるだろう。なにしろ目的地は山のど真ん中だ。
「やっぱ太平洋は違いますね〜!」
「窓開けてもいいぞ」
「やったー!」
三井が言い終わらないうちに沢北が窓を全開にする。海からの風がごうごうと車内に入ってきた。風の音はうるさいが、よく知った潮の香りが充満して頬が緩む。
「日本海が懐かしいピョン」
「あー秋田だと日本海だよな。山王って海近いのか?」
三井の質問に、後部座席の二人が顔を見合わせた。
「……能代市は海沿いにあるピョン」
「っすね」
それきり黙り込んでしまったので、三井と宮城もなんとなく口を閉ざす。山王工業高校は寮だったと聞いている。おそらく自分たちの想像を絶するような厳しい生活を強いられてきたのかもしれない。
そうこうしているうちに海は見えなくなり、走っている道路の両サイドは山ばかりになった。
細くて曲がった道は混んでいて、少し進んでは停まり、をくり返す。抜け道など存在しないのもあって、箱根へ向かう観光客は皆この道を通るようだ。
道の脇には「早めのチェーン装着を!」と大きく書かれた看板が置かれていた。たしかにこの勾配だらけの道では、冬場はタイヤのチェーンが必須なのだろう。やたらめったら注意喚起する看板が目に付く。
「いつチェーンつけるピョン?」
同じくその看板を目にしているであろう深津が後ろから三井に話しかけるが、三井は「あー」と気まずそうな声を上げた。
「トランクには積んであるんだけどよ、俺つけたことないんだよな」
「え、そうなんすか?」
「教習所ではやったけどよ、それきりだわ。雪降ったら車運転しねぇし」
「これだから東京モンは軟弱ピョン」
やれやれと深津がため息をつく。
「雪国の奴と一緒にすんなよな」
あと東京もんじゃねーし、という三井のツッコミもスルーされた。
「路肩に停めれば俺がつけてやるピョン」
おお、頼もしい。宮城は目をみはった。今日初めて深津のことを尊敬できた気がする。
「この渋滞じゃ抜けられねえよ。旅館着いたらでいいか?」
「べつに雪が降らなければそれでいいピョン。気温的にはこのくらいなら路面凍結しないピョン」
「……さすが雪国の人は違うっすね」
神奈川へ引っ越して来るまで雪など見たこともなかった宮城からすれば、これ以上ないくらいに頼りになる存在に見えた。
沢北は深津の腕に抱きついたまま「さすがっす、深津さん!」とメロメロだった。ちなみに沢北は免許の類は持っていない。宮城も原付の免許はあるが、車は運転できない。国際免許を取ろうとは考えているのだが、三井の運転する車の助手席というのも捨てがたいのだ。
「いつかオレのこともドライブデートに連れてってくださいね、深津さん」
「お前はトラクターで十分だピョン」
「じゅーぶんっす!」
沢北は、深津のおざなりな返事にも顔を輝かせたが、その後「トラクターはひとり乗りだピョン」と追い打ちをかけられて撃沈していた。
「じゃあトラクターの横、走るっす……」
このガッツは見習うべきところなのかもしれないな、と宮城は思った。