愛と海の境界線あの日、俺は海の中に水面を明るく照らす陽の光が落ちてきたのだと思った。
オレの誕生日になると親父は全国各地の商人を集めて、誕生日プレゼントを持ってこさせ、オレがその場で一番気に入ったものを買ってくれる。今年はオレが10歳だからか、例年になく豪勢だった。可愛くて珍しい動物に始まり、色とりどりの宝石、見たことも着方も分からない洋服、そして、綺麗な女性たち。
椅子に座ったオレの目の前で商人達はこれはどうだと意気込んで、商品を差し出してくる。オレは膝の上にいる親友のにゃことああでもないこうでもない、これはどうか、あっちの方が好きかと話し合っていた。
にゃこは偉大な海賊が残した宝の地図か、未知の技術が記録されている金属の円盤が良いのではないかと言うが、オレは正直どちらもとても欲しいとまではいかなかった。というよりも、どんなに珍しい物であろうと毎年毎年たくさん見せられると目新しさが無くなって飽きてしまう。現に去年は「これで良いかな」という気持ちでプレゼントをもらった。
「スザク、決まったのか?」
なかなかオレが欲しいと言わないので商人達も焦ってきたのだろう。それを察した親父が暗に早く決めろと急かしてくる。
去年も急かされたが、今年もオレは「これで良い」物を貰うのだろうか。
そう思っていたその時、1人の商人がコホンとわざとらしく咳払いした。オレは思わずそいつを見ると、それを待っていたかのように一番奥から他の商人の隙間を縫って前に出てきた。そして一礼する。
「スザク様!10歳のお誕生日誠におめでとうございます!欲しいものは決まりましたか?」
良く通る声と芝居がかった口調がとても胡散臭いと感じるのはにゃこも同じようだ。
「まだ決まってない」
オレが返事をすると男はわざとらしく驚いた。
「なんと、まだ!?それはいけない。きっとスザク様は毎年色々素敵なものを見ているから目が肥えてしまったのですね!」
そう言う男の後ろでは男の部下が大掛かりな人数で何かを運んでくる。
「お前も持ってきてくれたのか?」
こいつが望んでいる言葉はこれだろう。オレが聞いてやると男は背筋を伸ばしてまた一礼した。
「さすが、スザク様」
その目はオレが男が待っていると思われる台詞を言ってやったことに気付いているようだった。男は先程の芝居がかった大袈裟な話し方をやめて、冷静に続ける。
「今からお出ししますのはスザク様も、ここにいる一流の商人どもも見たことのない至高の一品でございます。必ずや貴方を満足させるでしょう」
その言葉を聞いてオレは俄然興味が出てきた。それを見透かすように男は一歩横にずれる。
「ぜひ目の前でご覧になってください」
オレは親父に良いかと視線で確認し、頷いたのを見て護衛を隣に付け、その商品の目の前に行く。それは黒い大きな箱のようなのだが、近づいてみると何やら中でこぽりこぽりと空気が弾ける音がしている。
「さあ、スザク様!ご覧ください!」
男の声と共に箱が光った。いや、正確には箱はガラスで特殊な加工がされており外からは中が見えないようになっていたのだ。
男がスイッチを押したことで光を通さない加工がとれ、中が見えた。それをオレは光ったと思ったのだ。
「わ…」
その箱の中に思わず目を輝かせた。箱の中は美しい海をそのまま汲んできたような、色彩豊かな魚たちが泳ぎ、空を飛ぶようにペンギンが旋回している。大きなサメも小さな亀も泳いでいる。
「凄い!にゃこ、見てみろ!」
オレは素晴らしい青の宝石箱の中身に夢中で、指を挿してにゃこと何があるかを見つけ合った。
「親父、誕生日プレゼントは」
「スザク様」
これにする。
そう言おうとしたオレの言葉は商人に止められてしまった。プレゼントだと言ったのにくれないとは何事か。オレはそう思ったが、商人は笑みを浮かべたままだ。
「なんだよ」
「これは誕生日プレゼントの一部でございます」
「一部?本当はもっとデカいのか?」
「いいえ、貴方に差し上げたいものは…ああ、やって来ましたよ」
何が来たと言うのか。オレは商人が指差す方を見て息を飲んだ。
1人の青年が箱の奥から泳いで来る。
水に揺らめく美しい黒髪。
すらりとした体をゆったりと動かすと身に纏っている白い衣もあわせてふわりと動く。
物思いに耽る空ような灰色の瞳がオレを映す。
それに誘われるようにふらふらと近づき、ガラスに手を触れると、それはガラス越しにオレの手と手を合わせる。
目が合う。
それだけなのに心臓が早く脈打ち、体が熱くなる。
「綺麗だ…」
小さな声で言ったつもりだったのだが、ガラスの向こうの水の中の彼は優しく微笑んだ。
それでオレの心は決まってしまった。
彼をオレだけのものにしたい。
もう二度と誰にも見られないようにオレの部屋にこの箱を入れて、毎日彼を眺めて、彼にこうして触れるんだ。
「誕生日プレゼントはこれにする」
オレの部屋にはプールが造られ、あの水槽の中身はここに移された。オレはすぐにあの一目惚れした人魚と会おうとプールの縁に行くと、彼はオレを待っていたようにひょこりと水面から顔を出した。
嬉しくて手を伸ばすと彼も近づいて来てオレの手を優しく握った。
「会いたかった」
そう言われて、自分の中の忘れていた記憶が蘇った。
オレが今より子供のとき、貴族の息子だからと誘拐され、そして海に投げ捨てられた。縄で縛られ動けないオレは体も意識も海に飲まれ沈んでいくしかなかった。幼いながらに死を悟ったその時、オレは誰かに優しく抱えられた。そして気がつくと病院のベッドの上だった。そのことを今、思い出し、そしてその手の温かさに覚えがあった。
「お前だったんだな」
息のできないオレのために唇を重ねて酸素をくれた。紛れもない命の恩人で、そして…。
「スザク。会えて嬉しい。俺もお前が欲しかった」
ざばりと水が揺れ、彼が身を乗り出す。
腕が伸びて来てオレはあの時みたいに優しく抱きしめられた。オレが彼の頬に触れると、彼は嬉しそうに手に顔を寄せて来た。
「名前は?」
「ゲンブ」
ゲンブは美しい灰色の瞳で俺を見つめる。優しくて甘やかなその瞳はオレの心をつかんで離さない。そして不思議なことだが、オレは彼が何を求めているのか分かった。
「ゲンブ」
オレは初めてゲンブの名を呼び、初めてではないその唇に自分のを重ねた。