【ゼン蛍】全部きみのせい「ほら、君の番だ」
目の前に差し出されたものにチラリと目を向けて。
「まだ、食べなきゃ駄目?」
「何でも聞くと言ったのは君だったはずだが」
そう言われてはぐうの音も出ない。
二月十四日。世間ではバレンタインと言われる日。例にもれず私もアルハイゼンにチョコをプレゼントしようと彼の家を訪れた。数日前にあった彼の誕生日プレゼントと共に。
本当は誕生日当日にお祝いをしたかったけど急な用事でそれが出来なかった。アルハイゼンは気にしないって言ってくれたけど、私が納得いかなくて言ってしまったのだ。
――今日はアルハイゼンの言うことを何でも聞いてあげる、と。
それを聞いたアルハイゼンは少し考える素振りを見せたあと、私を膝の上に向かい合うように座らせた。一気に距離が縮まって視界いっぱいにアルハイゼンの整った顔が映る。直視できなくて思わず顔を逸らした。
一方アルハイゼンは気にした様子もなくプレゼントしたチョコレートの箱の蓋を開けた。中にはハートの形をしているチョコや生チョコなどがアソート形式で十個並んでいる。
「食べさせてくれ」
「え?」
そんなことを言われると思ってなくて思わず間の抜けた声が出た。
「それとも君から食べるか?」
言うが早いかほら、と一粒摘まんだチョコを私の口元に近づける。アルハイゼンに食べて欲しくて用意したものだ。一緒に食べるにしても先に食べて欲しくて断ると、その一粒は箱に戻された。
けれど問題はこれから。少し恥ずかしいけど食べさせて欲しいというアルハイゼンのお願いを叶えるために気持ちを入れ替える。
「どれがいい?」
「君の好きなもので構わない」
言われると悩んでしまう。それでも葉っぱの形をしたチョコを選んで口元へ運べばさっと口を開いてぱくりと食べた。
「おいしい?」
「あぁ。君も食べるといい」
さっき置いた一粒を手にして私の口元へ。全部食べていいのに、と言うのは野暮だろうか。同じように口を開けばすぐにチョコは口の中へ投げ込まれチョコ特有の甘さが口の中に広がる。うん、おいしい。
口の中のチョコがすっかりなくなってふとアルハイゼンの視線に気付く。視線が合って逸らさずにいたら小さく首を傾けて更にこちらを見てくる。これはもしかしなくても。
「まだ食べさせて欲しいの?」
「あぁ」
まさかのおかわりを要求された。なので次はホワイトチョコソースが斜めにかけられた四角いチョコを選択。口元へ運べば素直に口が開かれ、投げ込むようにして指から離す。
瞬間その唇に指が当たり反射的に手を引いた。落としてはいけないという思いが強すぎて指を近付け過ぎたらしい。
ドキドキと大きくなった拍動を押さえるように胸元に手を添えて何とか落ち着こうとする。けれど気にしているのは私だけみたいで、アルハイゼンは少しも気にした様子もなく口の中でチョコを転がしていた。
少しして食べ終えたアルハイゼンは今度は生チョコを選んで私の口元に運んでくる。そこで冒頭に戻るのだ。
アルハイゼンの為に贈ったものだし、アルハイゼンに食べて欲しい。
そう言ってみたけど却下された。それでもちょっと抵抗して口を閉じたままでいたら軽く唇に押し当てられる。数秒そのままでいると今度はチョコを押し込むように動かされた。
「……もうっ、食べるから!」
根負けして口を開き、さっきと同じようにチョコを迎える。そして舌で転がそうとしたところで人差し指が突っ込まれ、思わず噛みそうになったのを慌てて堪えた。
「っ?!」
「溶けたチョコレートが指についた」
舌を軽く圧され、んっ、と声が漏れる。そのまま舌で拭うように引かれた指に自然と視線が向いた。今も口の中にあるチョコのせいもあってか指にはチョコがついたまま。これでは完全に突っ込まれ損だ。
一度指の状態を確認したアルハイゼンはまた私の唇に触れる。これはもしかして。
「舐めてくれ」
ごくん、と溶け切らないチョコを思わず飲み込んだ。
「指、洗いに」
「こっちの方が早い」
行けばいいよと最後まで言わせてくれなかった。何でこんな恥ずかしいこと。それでも拒み切れないのは惚れた弱み故なのか。
舐めてと言われても舌を這わせるのは恥ずかしくて、目の前の指の先を恐る恐る咥えこむ。ちぅと軽く吸ってなんとか取れないかなとすぐに唇を離すと、有難いことにチョコは上手く取れたようだった。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、アルハイゼンはその指でまたチョコを摘まんだ。それではさっきまでの行動が台無しだ。唖然としているとそのチョコはアルハイゼンの口に放り込まれる。もしかしてもう食べさせなくても良くなった? その考えはある意味間違っていなかったけど。
左手が背中に回り顔が近づくとそのまま口付けられた。驚いて少し口が開いたタイミングを逃さず、舌がチョコと共に侵入する。舌が絡まる度口の中を転がるチョコは少しずつ溶けてついには無くなった。
それでも口が離れることは無く私は甘く声を漏らしながらアルハイゼンの成すがままになっていた。
「ぁ……」
唇が離れて小さく声が漏れる。まるでもっととせがむように漏れたその声に私は手で口を隠した。
「まだ食べるだろう?」
そう言って今度はハート型のチョコを手にしたアルハイゼンを首を振って拒む。また同じようにされたらキスで終われる自信がない。今度こそ「もっと」と自分から強請ってしまいそうで。
「……蛍」
それなのに熱を孕んだ声が私の名前を呼ぶから、私は術に掛けられたかのように手を避けそのチョコを口を開いて待った。投げ込まれ口を閉じたところで親指が唇に触れる。唇に沿うように動いた指を小さく開いた口で咥えた。
チョコレートなんてついてないのに、その手を両手で掴んでまるでその指がチョコそのものかのように舐めて吸って、上目遣いでアルハイゼンを見た。
熱が灯った瞳が私を射抜いている。それだけでぞくりと情欲に駆られた。
口の中にあるチョコが無くなるまでそれを繰り返しゆっくりと唇を離すと指はすっかり濡れていた。
「君は」
手が頬に添えられ、濡れた指がまた唇に触れる。
「何でも言うことを聞く、などと軽率に発言し」
軽く唇に触れる指に力が籠められ私は無意識に口を開いた。
「指を舐めろと言った時も今も、こんなことをされようと拒もうとすらしない」
「ンっ……」
もう一度親指が私の舌を圧し、開いた口を隙間なく塞ぐように口付けられる。
「抵抗は、したよ?」
少し唇が離れたところで訂正してみる。口を閉じてチョコを食べないようにしたり、舐めるかわりに咥えたり。その後舐めただろうと言われたら、それは、うん。
「あの程度では抵抗したなどとは言えない」
「だって、言うこと聞くって言ったし、それに―――」
「何だ?」
至近距離でも聞き取れなかったのか更に耳を寄せてくる彼に囁く。
「もっとされても、良かったから」
恥ずかしいけど本気で嫌なことは無かった。だから小さな抵抗をしてはみたけど、アルハイゼンがして欲しいと願うなら叶えてあげたくて。
瞬間体が浮く感覚に思わずアルハイゼンの首に縋りつく。アルハイゼンが私を抱き締めて立ち上がったのだとすぐに気が付いた。
「あ、アルハイゼン?」
「君はもっと発言に気を付けた方がいい」
「え? え?」
抵抗する間もなくアルハイゼンは真っ直ぐ寝室に向かう。優しくベッドに転がされ顔の横に両手をついて覆い被さるアルハイゼンとぶつかる視線。
「え、と」
「君の何気ない一言がどれだけ人の心を乱すと思っている?」
真っ直ぐ私を見る瞳にはさっき見た熱が強く灯っている。
「……アルハイゼンも、乱されたの?」
「そうだと言ったら君はどうする」
ぶわりと全身が熱くなる。何事にも動かされないと言っても過言ではない彼が、私という存在で揺らぐなんて。
「……うれしい」
嬉しさが溢れ出して止まらない。アルハイゼンの首に腕を回し引き寄せて口付ければ、少しだけ驚いたように開かれる瞳。けれどすぐに両肘をつき舌を絡ませ口付けは深くなる。
「……今日、抱くつもりはなかったんだが」
まだ唇が触れそうな距離でアルハイゼンが言う。
「ここまでしておいて?」
「ここまで君がさせたんだ」
そんなこと知らない。ただ私はアルハイゼンの為に何かしたかっただけで。
「何それ。わかんな、ぁッ」
言葉ごと奪う口付けに思考が散る。
「言っただろう、君はもっと発言に気を付けた方がいいと」
まとまらぬ思考の中でアルハイゼンの言葉を聞く。
「あぁ、君の場合、行動にも気を付けるべきだな」
――こうなったのは全て君のせいだ
翌朝、残されたチョコを見つけて昨日の出来事を思い出す。
「残りも君に食べさせてもらおうか」
「な、何でも聞くのは昨日限定だから!」