のろいのひもうすぐ誕生日ですね、なにか欲しいもの、したいこと、して欲しいことありますか。七海は素直に正直に聞いた。相手は五条だ、思考も行動もなに一つ読めない。彼が欲しいものを素直に聞くのが的確だろうと考えた末だった。恋人としては失格であることは重々承知している。だが、喜ばれないことが一番の災難であることは間違いない、そう思ったのだ。すると恋人は、あと声を上げて、更には、あ〜という声と視線を迷わせた。
「それなんだけど、その日、海外なんだよね」
「は?」
自分でも驚くほど、地を這うような低い声だった。
「断ることは?」
「出来ないっていうか、その」
嘘やでまかせや適当が滑るように出てくるその口が言いよどむ。目隠しをしていなければ、まさしくキョロキョロと視線を彷徨わせているに違いない。
「五条さん」
恋人になって、様々な姿を見るようになったが、こういう姿は初めてだった。
七海は、リビングのソファをローテーブルを回り、五条の隣に腰をおろした。目隠しを外してやると、しおらしい顔が現れる。七海は五条の手を取って、必死でなにかを取り繕おうとするその言葉を待った。やがて、覚悟を決めたとばかり、七海を上目遣いで五条は見てきた。形の良い唇から滑り出たのは、驚くに値する内容。
「僕、誕生日祝われたくない」
「え?」
「ほら!僕も良い年齢っていうか!」
ほらほらほら、アラサーだし!ね。あははと態とらしく笑って見せる。
「私の誕生日はあれだけ祝っておいて?」
「いやそれは、七海は僕の彼氏だし…」
思い返すと今年の誕生日は、五条の手により仕組まれた休みにより南の国に飛んで過ごしたし、当然五条からも盛大に祝われた。あんなケーキよく頼めたなと思い返しても思う。あの休みを組むために五条は本当に朝から晩まで仕事を詰めていた。
「あなたの言う理論なら、私にはあなたを祝う権利があるのでは」
「…………あるだろうけど、でも、七海も忙しいし、無理して欲しくないし。あ!ほら、して欲しいこと、それだよ。お祝いをして欲しくないっていうの、どうよ」
名案とばかりに言うが、どこが良いのか。怒りが沸々とわき、それと同時に時折見せるこういう怯弱な部分はなんなのだろうと思う。
「駄目ですね。納得出来ない」
「そこをさぁ、なんとか!あ、クリスマス!クリスマスは絶対休むよ。クリスマスを盛大に楽しもう!」
ね、それでいいでしょ、するりと五条は逃げようと立ち上がるのを察して、腰を抱きこむ。暖かさが伝わってこない。無下限を張られている。それを憮然とした顔で見下ろして、ただ尋ねた。
「なぜ」
「………それはどっちの?」
「誕生日」
「しつこいよ」
「嫌われてもいい。何故」
首を傾ける。あなたは、好きじゃないですか、こういうの。蒼い瞳を見上げた。五条が、自分のこういう見つめかたを嫌いじゃないのを知っていた。五条はさっとそれから視線を逸らす。
「……僕が生まれて、均衡が崩れた話、知ってる?」
「ええまあ」
この世界に居て、五条という男を身近にして、耳を背けるにしては、大きな声だった。
「昔から、誕生日は呪いの日なんだよ。だから、嫌なの!」
「はい……?」
上手く繋がっていかない内容だった。だからなんだという話だ。
「それで祝わない理由にはならないでしょう」
「……うるさい!唐変木!!!わからず屋!!どうせわかんねーよ!!」
パンと腰に回していた腕が弾かれる。五条は立ち上がって「とにかく祝うのは必要ないんだって!!」と叫ぶ。
「五条さん!」
五条は玄関に向かい、靴を引っ掴み、七海は一本道の廊下を塞ぐ。
「五条さん」
「退いてってば」
瞳は苛立ちを見せている。
「退けよ」
「分かったので、祝わないので、日本に居てください」
「嫌だ」
余りにも理不尽に頑なさに懇願するも聞く耳はないようだった。折れるべきではない、けれど折れなければ、本気で嫌がって、本気で逃げられるだけだ。
「わかりました」
道を譲る。五条は目隠しを上げて、素早く七海の横を通り過ぎた。ベランダへ続く窓を開け、靴を履いて何も言わず、消えた。七海は一人取り残され、冬の風だけが代わりに入ってくる。ソファに無気力で座った。まさかこんなことになるとは、頭を抱えた。
思い返せば、学生時代に彼の誕生日を祝っていただろうか。記憶は遠いが一度だけあるような、ないような。あのころはどうあがいても性格は不一致で、いや、今も一致していると言い難くはあるが、兎も角、良い印象はなかった。逆にいじられる様に祝われた記憶は出てきた。仕方あるまい、あの頃を共有した先輩に聞いてみることにした。
「五条の誕生日?」
家入は首を傾げた。相変わらずクマが凄い。今日は定時に上がれそうということで、食事に誘うと快諾された。乾杯をして、適当に食事をして、それから、切り出した。
「一、二年のときは祝ったな。てか、二年のときはおまえも居たろう」
「記憶が薄くて」
「嫌そうな顔してたもんな」
カラッと笑った。
「三年のときは」
「五条の誕生日仕切ってたのは夏油だったから」
家入はさらっとそう言った。今や彼の名前は禁句のようになっていた。
「おめでとうくらいは言ったかもだけど、流石にな。あのころは、互いに忙しかったし、おまえもそんなこと気にしてる余裕は無かった」
「……ですね」
あの頃を思い返すのは未だに辛くはある。
「ん、で、なに?本題はそれ?」
「まあ、そうですね。五条さんは、誕生日を祝われたくないようで。そのことで少し」
だし巻き卵を口に入れながら、家入は少し考えている。
「……学生のころもそうだったかもな。ただ、夏油は祝いたがったし、馬鹿するのは好きだったから、拒否しなかったってとこ?」
「なにか言ってましたか?」
「思い出すには酒が要るな」
「どうぞ」
メニューを差し出す。良く出来た後輩だと首を竦めて、店員を呼ぶ。日本酒を頼む。
一年のころ、すこし家のこと話してたかもな。誕生日は、親戚が集まって挨拶に来る、それが嫌だったってこと、その場で出たご飯は食べれなかったって話。
追加で頼んだポテトサラダをちまちま口にし運ぶ。
「あ〜そうだ、これは、学生の時じゃないけど、酷い顔してるときはあったな、冬服を着ていたから12月か。ええと、そう、
自己嫌悪に陥るときがある、己の存在によって他人を歪めてしまっている、どうしようもなく抜け出せなくなるときがある
確かこんな感じの内容」
「………なるほど」
「珍しく気弱だったから」
五条は基本的に相手のことを振り回す男だが、機微を感じれない程鈍感ではない。気づくまでは出来るが、配慮をしないだけ。
「…誕生日は呪いの日だと」
「難儀なやつ」
家入はぽつりとそう言葉を落とした。そこで話は終わった。
12月4日から一週間、北欧を周る。日照時間が短くなる冬は暗い感情に塗れていく。そういう暗い感情には呪霊がつきものだ、勿論、日本という特殊な場所に比べれば少ないが。なので、冬が本格的に始まる12月と終わる4月には吹き溜まりを蹴散らすが如く、祓うようにしている。
五条はダウンを羽織って、町中を歩く。すれ違う人々は身長も高く、髪も色とりどりなこともあって、日本より目立っていない、と、思う。鳴らないスマートフォンをポケットの中でもてあそぶ。七海からはずっと連絡が来ていないし、五条も連絡をしていなかった。怒っているのだろう、そりゃそうだと思う。誕生日を祝ってほしくないって逆ギレして、飛び出したわけだ。理不尽、我儘、子どもっぽい、五条は自分で詰る。帰ったら、謝ろう。許してと頼み込めば、七海の気持ちも軟化する筈だ。嫌われたくない、素直に思う。そう、嫌われたくない。もっと言えば好かれたい、愛されたい。幼い頃には言葉に出来なかった言葉がするりと出てくる。幼少期から家の連中はこぞって若き当主のご機嫌伺いで、一歩外に出れば命を狙われる生活だった。呪詛師には、おまえがいなければと叫ばれた。馬鹿言うなよ、あくどいことしてたら、因果応報ってやつだろと返したこともある。でも、ふと我に返るときがあるのだ。五条悟という存在が生まれたことにより、それまでの世界はすっかり崩れてしまった。それから、崩れた世界に順応するように、呪霊は強くなっていく。そうなれば皺寄せは善良なる非術師だし、それを祓う術師だ。そうして死を迎えたものが沢山居る。それは紛れもない事実
としてそこにあった。
そんな思考に囚われてしまって、いやいや、そういうことを考えない為に日本を離れているのだと首を振った。この時期のヨーロッパは好きだ。寒さはともかくとして、クリスマスに沸く町並みは心躍る。クリスマスマーケット、ホットチョコレート、日本ほどのギラつきはないクリスマス。けれど、気持ちは上がりきらないのは、七海を思い出してしまうからだ。彫りの深い顔立ち、金髪、筋肉質の身体、人種的に七海に近いタイプが闊歩している。ほら、あそこにいる男なんて。
目の端に止まった男を見て、五条はぎくりと身体を固まらせた。男は五条に気付いて、スタスタと寄ってくる。
「God dag」
「なん、」
「おや、同郷のひとでしたか」
「……」
「こう見えて、日本人なんです」
「……ああ、そう」
「あなたはどうしてここへ」
「仕事」
「それは大変ですね。知っていますか、あそこのカフェはケーキが有名ですよ。ドリームケーキはこの国の伝統ケーキでして」
そちらに目を向ける。小さなカフェだ。
「どうですか。お茶でもしませんか」
「は?なにそれ、ナンパ?」
「そうですね。そうかもしれません」
問答無用で腕を掴まれ、引っ張られる。もはや抵抗をする気もなくなった五条はのろのろとそれについていった。