セカイが、曇天に包まれていた。
彼等が知っている賑やかで夢の果ての様な遊園地は全て明かりを落とし、中心のテントだけが辛うじて淡く揺らいでいる。
「あそこかな…」
恐る恐る寧々が指して、何時もと雰囲気の違うステージに三人が体を向けた。
「…明かり、全然点いてないね」
「もし怖かったら、ここで待ってても良いんだよ。寧々、えむくん」
肩を優しく叩いて、なるべく安心させる様に囁く。
だが、えむも寧々もセカイの真ん中から目を逸らさず、首を横に振った。
「司と、話ちゃんとしたいから」
「あたし、会いたい。どんな形になっても、司くんの姿が見たいよ」
あぁ、皆同じなんだな。
急に居なくなってしまった座長を心配しているのは仲間三人だけではない。
彼の後輩達だって、御家族だって、勿論。
妹さんだって。
三人はそれぞれ頷いて、横並びに揃ってテントまで辿り着く。
「開いてる」
閉め切られていない入口は、まだ間に合うと示唆している様で、少し緊張した。
「司くん?」
類が呼び掛けるが、当然返事は無い。
それは覚悟していた、だからもっと踏み込まなくてはいけない。
此処は、天馬司の『セカイ』だ。
心が反映される場所なら、あまりにも沈んだ雰囲気を読み取らなければ。
でも、理由も心情も分からないのに、何処まで理解出来る?
足が止まってしまった類の腕を、寧々とえむがそれぞれ両方抱き締めた。
そうだ、一人じゃない。
いつだって子供に過ぎないワンダーランズ×ショウタイムは信念の元に動いて来た。
その旗を掲げていたのは、いつだって君だったじゃないか。
だから、だから大丈夫。
きっと、口を開けば──。
「入るな!!」
聞き慣れた、待ち侘びた声色が拒絶の意思を塗り付けて飛び出した。
堪らず、地面に降ろそうとした足が揺らいで後退る。
聞いた事の無い司の感情に、類の思考が容易く停止した。
テントの電球が僅かに強くなる。
真っ暗だった筈の中身が、緩やかに照らされて人影が見えた。
「司、くん」
胸を抑えて涙を零しながら、地面に座り込んで苦しそうにこちらを見上げる彼の表情からは何も読めない。
ただただ、恐怖と、孤独と、激痛だけが渦巻く司の吐息に、類の方が気圧されてとてもそれ以上近寄れなかった。
「出て行け」
歯を食い縛って憎々しく呻く司はあまりに普段と掛け離れていて、言葉が続かない。
否定するんだ、ちゃんと伝えるんだ。
一人じゃない、三人が寄り添うと。
だから、戻って来て欲しいと。
なのに、なのに。
三人は、彼の名前を口にする事も許されない様な感覚に苛まれて、声が一言も発せない。
「出て行け!!!!」
一際強い拒絶が飛び出す。
でも、類達も引き下がれない。
だから、頑張って言葉を紡いで少しでも司の想いを知らなければ。
「つ…司くん!あたし達、何かしちゃったのかな…?謝りたいから、どうして居なくなっちゃったのか、教えて欲しいよ…!」
えむが懸命に震えながら説得を紡ぐ。
だが、司はただ開いた瞳孔を向けて睨み付けるだけて、何も答えようとしなかった。
どうしてあんなに苦しそうに息をするんだろう。
肌は薄闇でも分かる程に白く青く血を失って、汗すらも絶えず流れている。
体が明らかに正常じゃない、もしかしたら病気なのかもしれない。
「…司くん。とにかく、現実に戻ろう。君は酷く辛そうだ、病院に行かないと」
「黙れ!!」
類の穏やかな提案も食い気味に否定する。
一層警戒を強められて僅かに理解したのは、彼の心身は明らかに限界だと言う事だ。
「司、お願い。戻って来て、あんたが居ないと…私達…」
「要らない」
「え?」
「オレは、要らないだろう」
予想していなかった返答に全員が目を剥く。
あんなに自信過剰で、芯が強くて、だからこそ輝く一等星の様な眩さも、今は枯れ果てて砕けていた。
「オレは…オレは…!げほっ、げほげほっ!」
興奮した反動か、喉を捻じる様な咳で体が這い蹲る。
尋常じゃない様子に、またも類が踏み込もうとした瞬間。
「入らないで」
それは、あまりにも冷たい機械音。
ゆっくり振り向くと、可愛らしく派手な格好をしたままの初音ミクが、姿とは裏腹な冷たい声を零す。
ヴァーチャルシンガーが抑揚を取り消された、そんな、読み上げソフトの様な台詞に三人は寒気を覚えた。
「ミクくん、でも」
「入らないでって。司くんが言ってるでしょ」
あんなに綺麗で溌剌とした双眸だったミクの目には光は全く無くなっていて。
代わりに、司を代弁する様な強い拒絶で圧される。
「でも、あたし達」
「帰って貰えないかな」
テントの中から聞こえた、比較的優しい声に全員が目を向けた。
司を守る様に、カイトが彼に手を寄せながら続ける。
「此処は、『天馬司のセカイ』なんだ。君達は本来、お客さんに過ぎないんだよ」
「カイトさん、でも」
「あのね、類くん」
青の瞳が、闇の中で薄ら寒く光る。
噛み付かれる、と錯覚を覚える鋭さに三人はまた一歩、後退った。
「僕は、彼の味方なんだ。昔から、いつだってね」
昔から?
聞きたい事がどんどん増えていくのに、核の二人が司を守って声を許されない。
「…ミク、緞帳を開けた覚えはない。お帰り頂いて、くれ」
不規則な荒い呼吸を縫って司が呻く。
駄目だ、このまま此処に居たら。
ゆっくりと瞬きを失う電灯の様に。
彼は息絶えてセカイと一緒に散ってしまう。
そんな最悪の予感が離れなくて、仕方なかった。
「ごめんね。皆」
カイトの呟きが全ての様な気がして。
類は声を懸命に上げた。
「司くん!君を待っている人が沢山居るんだ!君は現実に必要だ!だから、だから!」
「類」
司が、喘ぐ。
どうしようもなく痛いと顔に塗り付けながらも、涙で荒れた頬を拭う事もせずに。
「優しいのは、もう、懲り懲りなんだ」
間違えた、と脳裏で警鐘が鳴ると共に。
「さよなら。ワンダーランズ×ショウタイムの皆さん」
伸ばされたミクの掌が視界を覆って。
堕ちた遊園地から、弾き出された。