Strawberry tree 2021/0212 誠一郎は視線の先でちょこまかと動く自分の妻を見つめ、眉間に皺を寄せたまま彼女への贈り物は何がいいのか、と深刻な表情で考えていた。
籍を入れてから二人でいった旅行先で、隙間時間に本を読んでいるというから欲しい本もないのか聞いても、家にある本を読むのが精いっぱいだと言っていたから、最近婦人に人気だという本を贈っても喜ぶだろうか?
それに彼女の誕生日も間近に控えている。やはりいつでも買えるものより、普段欲しがらないものを贈りたい。
そういえば父も母に輸入した煌びやかな装飾品なんかを贈っていただろうか。しかし、それを彼女はあまり望まない気がしていっそ直接聞くべきだろうか。
「あの」
「……」
「誠一郎様?」
「……っ」
呆けていると、目の前にユキのどこか心配そうな表情が広がって思わずのけぞった。が、何事もなかったかのように言葉を続ける。
「……何かありましたか」
「その、こちらを見ているようでしたので、何かあったのかと思いまして」
何かあったといえばそうだが、彼女に本当に欲しい物はないのか、と尋ねたところで恐らく欲しい答えは返ってはこないだろう。
家に帰ったら考えておく、とユキが話をしていた記憶はあるが、あれから結局聞いてはいない。
彼女のことだ。考えてない、ということはないのだと思うが、浮かばなかったのかもしれない、と思い至り誠一郎から追及をしたこともない。
追及するべきかは当然迷ったが、急がせて答えを求めるほどの内容でもない、と思いそのままになっている。
「いえ、何も……」
「本当ですか?」
見透かされているような彼女の視線に思わず唸る。
「……本当です」
どうして言わないのか、と言いたげにじ、と見つめてくるユキの青い瞳から逃れるように視線を彷徨わせる。すると、彼女は呆れたように溜息を小さく吐く。
「わかりました。何かあれば仰ってくださいね」
そうしてユキは再び家事に戻っていき、その様子を誠一郎は無言で見送る。
婦女子は皆、何か煌びやかなものを好むのではないのか。妹もあまり派手なものを好む印象はなかったが、かわいらしいものや、流行りものなど、そういったものには敏感で学友などと色々華のある話をしていたのを覚えている。
華がない、と思っているわけではないし、誠一郎自身派手なものを好む女を苦手としていたため、ユキがそういったものを望まないのはありがたいことだ。が、それはそれとして、このままではいつまでも彼女に贈り物をすることができない。
「ユキさん」
「はい」
家事の手を止め、少し振り返った彼女の顔を少し見て小声でその、と思わず声が漏れる。
「欲しいものを聞きたくて……」
きょとん。そういった表現の合う表情を浮かべてしばらく。ようやくユキは「欲しいもの、ですか?」と返した。やはりまだ浮かんでいないのか、少し難しい顔をしている。
「どんなものでも構いません。アクセサリイだとか、もし家の本に飽きたのであればユキさんの欲しい本を増やしましょう」
「え、えぇと……」
「……僕だけ欲しい物をもらっているのは……嫌なので」
カフェーで一目惚れをした時、家に奉公人として彼女をもらい、そんな人がいる中で他の女と結婚させられるなどごめんだと婚約を済ませた。そんな彼女を残して死ぬなどと思いながら自分が死んだ後に他の男に取られたくない、と籍を入れる時期を前倒しにして無理やり妻にした。
そう思っている誠一郎にユキは共にいてくれることを選んでくれた。のだが、それに対するお礼が何もできていない。何も物である必要はないのだが、どうしても気にしているせいか、こうして悩む時間もある。
彼女が家事の息抜きをできるよう、ほぼ毎日のように仕事漬けだった昔と違って、彼女との時間を作るようにしている。一切行くこともなかった旅行にいくようにもなり、知り合いの夫婦とでかける、なんてことも増えた。
「その、どんなものでも大丈夫ですか?」
「えぇ。ユキさんに遠慮されるような稼ぎでもありませんし、僕自身物欲はないにも等しいので。君への贈り物なら毎日でもしたいくらいです」
「そ、そこまでは……」
困惑する彼女に、遠慮しないでいい、と告げるとさらに困らせたようで遠慮がちに「大丈夫ですから……」と断られた。
「欲しいもの、ですよね」
「まだ、浮かびませんか?」
「いえ、……新しい着物が欲しい、と思っておりまして」
「いくつですか?」
「え、っと。一つでも……」
「なら、僕がいくつか選んでも構いませんか」
普段、和服より洋服を好む上に、女性のものとなると自分で選べるかわからないが、彼女に似合うものをいくつか見繕って、その中から好みのものを選んでもらえばいいだろう、と考えた。
誠一郎の問いに、彼女は驚いたのか、瞬きを繰り返し少し遅れて頷いた。嫌だと言われずに済み思わず息をつく。
「馴染みの店などは?」
「一応ございますが……」
「……母や紗枝子の行く呉服屋に好みの着物があれば、そこで買いましょう」
ユキの表情から、恐らく真雁家に嫁いだことで馴染みだった店も行きにくく感じていたのかもしれない、と思い至る。
「華族だから、と気にしなくていいんですよ。僕は……ユキさんに家のことを気にせず過ごしてほしい、と思っていますから。だから……一緒にいてくれれば、それで」
結婚した当初はそう思っていたし、今も根本的な部分は変わっていない。が、ユキと過ごす時間が長くなってくるにつれて、もっと触れていたいと思うようになっている自覚はある。
触れたい、と思うだけならまだいいのだが、彼女との子供を望んでいる自覚もまた最近になって思うことになる。
彼女は嫌がるだろう、と正直に告げることはない。共に長くいるためなら自分のくだらない欲望など閉じ込めておける。誠一郎の欲しい、と思うものなど彼女以外ない。
「ユキ」
こっちに、と手招きをし彼女の仕事を中断させる。
小さく首を傾げながら誠一郎の側に寄るユキの腕を引いて、自らの腕の中に閉じ込めた。
「あ、あの」
狼狽する彼女を抱きしめたまま、首筋に顔を埋めながら小さく呟く。
「……あ、いしています。君を一目見た時から、何も変わっていない」
こうして言葉で想いを伝えたのは、籍を入れた後に行った旅行以来だろうか。どこか照れ臭ささ、と自分が彼女に愛を伝えることがどこか不釣り合いな気がしてほとんど口にしたことがない。
口にしない代わりに、別のことで大事にしているのだ、とわかるようにしているのだが、それはユキにとってあまり好ましいものではないらしく、度々怒られている。
「これ程、家族以外の人間を大事にしたい、と思ったことはありません。僕は、」
君のためなら国など捨ててもいい、と口にしかけて慌てて口を噤む。帝都の中心部からは随分離れた場所にある家とはいえ、どこで誰が聞いているか分からない状況で、気軽にそんなことを言えば、ユキも巻き込むことになる。
「君以外、必要ありません」
言い方を変え、自分より頭一つ小さい彼女をいっそう強く抱き込んだ。
着物だけでなく、ユキが必要だと思う物、少しでも欲しい様子を見せた物、それらは何でも買い与えたいと思う。結婚してから数年が経ったとはいえ、彼女には変わらず不慣れで、不自由な生活を強いている。
誠一郎と共に暮らす家が、ほんの少しでも暮らしやすいと思ってもらうためならば幾らでも金を出せる。誠一郎自身も物欲などないに等しい上に、もう欲しい、と思った人はこうして傍にいてくれる。
彼女が小声で「家事が……」と申し訳なさそうに呟くまで、誠一郎はユキの体を一握りでも自分の気持ちが伝わればいい、と抱きしめ続けた。