赤 ──それは、あまりにも突然だった。
「「「「ありがとうございました!」」」」
一列に並び礼をすると、拍手の音が降ってくる。
ワンダーステージでは今日も、沢山の観客が笑顔になっている。
ガヤガヤと騒がしいステージの周りで、こちらに手を振ってくれる男の子、友達と感想を言い合う高校生、次はどこへ行こうか相談を始めるカップル。
一人、また一人と観客たちが出ていく。
「さ、僕たちも後片付けにしようか」
残っているのが全体の四分の一程度にまで人が減ったころ、類が口を開いたのを皮切りに、オレたちも観客席から背を向ける。
大道具、小道具、類のドローン、周りに指揮を出しつつ自分も手を動かしていた。
「あの……」
仲間とは違う声が聞こえて、振り返る。
オレのいる下手側とは逆の上手側に一人の男性客が立っていた。
歳は……二十代後半から三十代前半といったところか。
よく言えば無難な、悪く言えば地味な服装に、トートバッグを持っている。
「はーいっ! どうかしましたか?」
一番近くで片付けをしていたえむがぱたぱたと彼に駆け寄る。
「あっ、あの、今日の演目とてもよかったです」
「本当ですか!? ありがとうごさいますっ!」
えむの顔がぱあっと輝くのが数メートル離れたここからでもわかった。
「つかぬことをお聞きするのですが、あなたは鳳えむさん、ですよね?」
「? はい、そうですけど……」
訝しげにえむは首を傾げた。
ステージ裏で作業していた類や寧々も会話に気づいたようで、壇上に戻ってくる。
「そうですかそうですか……」
彼はニコニコ笑いながら彼はトートバッグに片手を伸ばした。
多分光の関係でオレしか気づかなかっただろう。
トートバッグの中で、何かがキラリと光った。
まるで、刃物のような物が。
「えむっ!!」
「えっ?」
状況を伝えるより先に、身体が動く方が早かった。
えむのいる場所に向かって走り出す。
トートバッグから奴が引き抜いたのは、鈍く光る包丁で。
「──死ね」
奴がそう言ったのと、オレがえむを突き飛ばしたのは同時だった。
グッと、脇腹に衝撃。
ほんの一瞬。
コンマ数秒だけは冷たい、と思った。
でもすぐにそれは熱へと変わって、さらに一瞬後には……。
「あぁぁぁあああああぁぁぁ!!」
「司くんっ!!」
今まで体感したことの無い痛みに襲われた。
がくりと膝から力が抜けて、崩れ落ちそうになるが、それはできない。
奴がまだオレに刺さった包丁の柄を握っていたからだ。
「クソッ、お前じゃねぇんだよっ!」
「やっ、やめっ……っ」
荒々しく男がオレの脇腹から包丁を引き抜く。
オレは痛みに声も出せずに、飛び散る赤を見ながらその場に崩れ落ちた。
「いやっ、なんで、どうして……」
「な、なによ……これ……」
「司くん! 大丈夫かい司くん!!」
えむ、寧々の、類の悲鳴のような何かがステージに響く。
「違う……俺は……こいつじゃなくて……鳳を」
「お嬢様っ!!」
ドスッ、と鈍い音がして、オレの血で濡れた包丁をえむに突きつけようとしていた奴が着ぐるみに押さえつけられた。
中身はともかく、着ぐるみそのものはとても重い。
あんなのでのしかかられては一溜りもないだろう。
「遅くなって申し訳ごさいません!」
「遅いよっ!!」
えむが泣きじゃくりながらオレの背中に手を回し、軽く上体を起こす。
「っぐぁ」
ズキリ、と傷口が圧迫されて、思わず呻いてしまった。
「ごめん、ごめんね司くん、痛いよね、ごめんね」
「寧々っ!! 救急車呼んでくれ! 携帯なら舞台袖に僕のがある! 早く!!」
「わかった!!」
オレの顔にぽたぽたと涙をこぼすえむ、
いつになく声を荒らげる類、
青い顔のまま駆け出していく寧々、
痛みで正常な思考が出来ない中で、ぼんやりと彼らの声を聞いていた。
白いステージ衣装はどんどん真紅に染まっていく。
痛い。ひたすらに痛い。痛いのに、意識を手放すことが出来ない。
ドクドクと流れ出る体液の感触はあるが、それをオレが止めることができなかった。
「色が濃くない……本当にマズイな」
「き、救急車呼んだよ!」
「ありがとう、ちょっと司くん頼む」
そういうと類はおもむろに自分の衣装であるコートを脱いだ。
「えむくん、ちょっとごめんね」
そう言うと、オレの背中に、えむの手のある辺りにコートを差し込み、そのままギュッとコートをオレの脇腹に押し付けた。
「っる、い」
「ごめん、痛いだろうけど我慢してね。もう少しで救急車くるから」
脇腹を圧迫する力は緩まない。
けど、オレが言いたいのはそこじゃなくて
「る、い、衣装、よごれて……」
「言ってる場合か!!」
鋭い声が飛んだ。
「僕の衣装なんて後からどうにでもなる!! どうにでもならなかったらあとで瑞希にもう一度頼むことだって出来る! 今はそこじゃないだろう!? 自分の心配をしてくれ!」
類の剣幕に、しん……とステージが静まりかえる。
オレたちがバタバタしている間に着ぐるみと奴はいなくなっていた。
静かになると、途端に自分の状態が気になってくる。
さっきよりは類のおかげで弱まったが、まだドクドクと流れ出る血。
浅くて荒い息。
どんどん下がっていく体温も、オレじゃあどうすることも出来ない。
不意に誰かに手を握られた。
見ると、オレといい勝負なくらい真っ白な顔の寧々がオレの手を握っている。
「ね、ね」
「うるさい、喋んなくていいから。喋んなくていいから……がんばって」
ぽたぽたとオレの顔を濡らす涙も止まらない。
「え、む」
「司くん、司くん、死んじゃだめだよ、絶対にダメだからね」
どれだけそうしていただろう。
きっと実際は十分も経っていないが、オレには酷く長く感じられた。
サイレンの音が近づいてきた時にはもう何も考えられなくなっていて、気づけばストレッチャーの上に乗せられていた。
「付き添いには類が行って。わたしとえむでまず咲希さんに連絡とるから」
「後から着ぐるみさんに車で連れてってもらうから、類くん、司くんお願いね」
「わかった、頼まれたよ」
そんな会話をぼんやり聞きながら、三人を目で追っていた。
追っているだけだ、何も考えられない。
救急車に乗り込んだ類の衣装の白いスラックスにも赤が点々とついている。
これじゃ、えむも寧々も同じ感じだろう。
「司くん、後もうちょっとだからね。もうちょっとだけ頑張ってくれ。頼むよ」
そう言った類に答えようたして、声が出なくて、おかしいなと思ったまま、意識は暗闇に落ちていった。