いいおっぱいの日に乗っかりたかったけど乗れなかった「委員長ー、ねえ、委員長ーー」
帰宅して宿題をこなし、愛鳥がもう休むので籠に大きめな布をかけてやったタイミングで、外からそんな声が聞こえてきた。
誰かなんて聞かなくてもわかるけれど、隣家の窓越しに呼ばれているにしては大分近い声に、まさかとカーテンを開けばガラスのすぐ外に幼なじみの姿があった。
「ちょっと窓から出入りするのやめなさいって前から言ってるじゃない。落ちたらどうすんのよ!」
からりと引き戸を開けてやれば、全然反省していない笑顔がごめーんと言う。
「今日がいいおっぱいの日だって聞いたら、委員長に会わなきゃって思って」
「……?」
一瞬真波がなにを言っているのかわからなくて、宮原は沈黙する。
聞き間違いかもしれない。
そう思って、首をかしげて見せた。
「いいおっぱいの日だから、委員長に会わなきゃって思って」
「なに言ってんのっ」
自分たちは恋人同士である。
それは、そう。
高校三年生の夏を終えた頃、なんやかんや紆余曲折があってお付き合いに至ったけれど、いまだに自分たちは高校生だしそういった身体的接触はほとんどしてないに等しかった。だって真波は自転車自転車だし。繰り返すけどまだ高校生だし。
「あはは、なんてね。最近ちゃんと話せてなかったから話しに来ただけ。入ってもいい?」
靴下の足下を指さした真波が律儀に許可を取るまで入らないのは、自分を尊重してくれてるから。そう思うとくすぐったいような照れくさいような。
「……開けっぱなしだと虫、入っちゃうから、早くこっち来なさいよ」
嬉しい気持ちは間違いなくあるのに口はついつい小言めいた言葉を選んでしまって後悔、そんな宮原に対して真波は気にしたそぶりなく手をつかまえてくると、こっちこっちと誘ってくる。
そのまま床に座り込んだ真波は自分の足の間に宮原を座らせて、後ろからぎゅっと抱え込むように腕を回してきた。
「っ、え、ちょ」
いままでこんなスキンシップなんてしたことがなかったのに、突然のそれに思わず身をこわばらせた。
近いなんてものじゃない。
衣服越しではあるけどぴったりと自分を抱え込むのは間違いようもなく、固くて、力強くて、たくましい、男の人の身体だった。
「心配しないで、さすがに勝手に触ったりとかはしないよ? ……触りたくないわけじゃないけど」
笑みを含んだ声が耳元でささやくけど、というか、その心配はしてなかったので思い出させないで欲しかった。余計に緊張してしまう。
「委員長あったかくて柔らかくていいにおいして抱き心地最高だねー」
「えっ、それって太ってるってこと」
なんてことだ。
確かに最近体重計にはあまり乗ってなかったけど、食べ過ぎたとかそういうのもなかったはずなのに。
「違うよー。別に委員長が委員長なあ太ってようと構わないけど、健康に問題ないならね。そうじゃなくって、落ち着くなーって」
「……さんがく?」
ちょっと、落ち込んでる?
肩口にぐりぐりと押しつけられる額でその表情は見えないけど、覗き込もうと振り返れば腕の力が強まってそれを拒否された。
「どうしたのよ。なにかあった?」
宮原が把握している限り、課題の提出も順調だし、卒業後の進路だってクラスで一番最初に決めたのは真波だったはずだ。
「んー、部屋の片付けをしてたら、委員長からもらったゲームソフト出てきて」
「ああ、そういえばあげたわね?」
ゲームソフトなんて買ったことがなかったので、想像より大分高くて驚いた記憶が出てくる。しかも渡し方もスマートとは言い難かったし、今思うとあんなにも思い詰めていたあの頃の真波にはきっと無用の長物だったに違いない。
「それで、それで――」
黙ってしまった。
「東堂さんから後から聞いたんだ。委員長、オレのことめちゃくちゃ心配してくれたって。あのときはオレ、委員長はなんでそんなに話聞きたがってんだろうなって、不思議だなって、そう思ってたけど、心配をさせてたんだなって」
「それで急に部屋まで来たの?」
妙ちきりんな理由までつけて。
「そうといえばそうだし、違うといえば違う」
「どっちよ」
「委員長のこと好きだから、会いたかったのも話したかったのも本当。……おっぱいに触りたい気持ちがあるのも本当」
「はあっ?」
「男心は複雑なんだよ」
真面目な話かと思えば茶化すし、でも、腕の力は緩まないし顔だって上げてくれないし。
「自転車のことばっかりな人がなに言ってんのよ。私、さんがくのこと心配すればいいのか呆れればいいのかわかんないんだけど?」
ぽんとアホ毛が揺れる頭を後ろ手で撫でてやれば、懐くみたいにぎゅうぎゅうに抱きしめられる。でもそれは苦しくない程度に加減されていて、彼なりに大事にしてくれるのがわかる。
「――好きでいて」
「え?」
「怒っても呆れても心配してくれるのは情けないなって思うけど、それでもいいから。オレのこと、好きでいて。オレもずっと好きだから。委員長のこと」
「っ、す、好きじゃなきゃ、こんな距離許さないしゲームだって買わないし話だって聞かないし、虫がいる山の上のレースだって応援いかないわよっ」
応援するだけでよかった。
気持ちが返されるなんて妄想は出来ても想像できなかったし、いまだってこの距離に真波がいるのは不思議で仕方ないけど。
「好きよ、さんがく。むっ、むむむむねは、まだ、ちょっと触ってもらえる覚悟持てないけど、その、いつかは、そのっ」
「それ以上は言わないで。委員長がしてくれたみたいには無理でも、オレだって大事にしたいから」
心底弱り切った声がそう告げて、じとっとした瞳が宮原を映した気がした。振り返らせてもらえないから想像でしかないけど。
「大事にさせてね」
宮原に言うようで、言い聞かせているようでもあった。
なにがどうしてこうなって、真波がそんなことを言うのかはわからないけど。
そっと真波に背中を預ける形で応えた。
体温みたいに伝わればいいのに。なんて思いながら。
おしまい