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    まなんちょwebオンリー「山頂のすずらん」展示用その3
    イベント向けの完全書き下ろしです。

    #山頂のすずらん
    lilyOfTheValleyTop
    #まなんちょ
    southSideBook

    あるいていこう 先のことを考えるくらいなら、好きなように好きな坂を走った方がずっと楽しい。
     バスの中、車窓から流れる見慣れた景色を横目にしながら真波はそんなことを考える。
     肉体的には苦しいもきついも当然あるが、少しの運動で息切れを起こしてはベッドに縫いつけられていた幼い頃の日々を思えば、気になりもしなかった。それどころか、自分が今ここにいることを強く実感させてくれるから、強い相手と戦えば心が高揚して逸るから、だから真波はいつだって自転車で駆け出してしまう。
     それは高校を出て大学に通うようになってからも変わらなかった。
     だって坂は、山は、いつだって真波を呼んでいる。
     あまりにも自由すぎるから、先輩やチームメイト、果てはコーチに監督などからも苦言をもらうがあまり聞く気のないまま今日まで来ていた。なんだかんだで実力が物を言う世界だから、結果を出せば道理も引っ込む。
     時々風を切る音に紛れて、きーきーと文句を言う高い声が聞こえるような気もしたけれど、大学進学してからはまともに彼女と会うこともなかったから、多分懐かしさが聞かせた幻聴なんだろう。
     そう思うと少しだけおかしくなって笑みがこぼれてしまった。
     宮原すずこ。
     そんな風にフルネームで呼んだことなど過去一度だってないけれど。
     それは、真波の幼なじみの名前だった。
     山みたいな三角眼鏡に大きな瞳が特徴的な、華奢で小さな身体からは想像つかないくらいのパワフルさで真波を追いかけては高校卒業までの面倒をみてくれた、少し不思議なところのあるおさげの女の子。
     虫が嫌いなのに、自転車に興味がないと言っていたのに、試合会場が山にあるインターハイを見に来ていたし、真波の話を聞きたがっていた時期もあったっけ。
     懐かしい景色をひとつみつけてしまえば、次々と記憶がよみがえってくる。
     雨の日のバス停や、晴れた日の昼休み、校舎の外や渡り廊下に教室にと、いろんな場所で話をした。
    「……委員長とも、会えるかなー」
     長い大学の春休み、所属している自転車部が少し長めの休みを申し渡してきたから、真波はいま地元へと帰るバスに揺られている。別に部の活動がなくても勝手に走り回るところではあるのだけれど、さすがに顔くらい見せなさいと親から連絡も来ていたので。
     一番は、久しぶりに地元の山も走りたくなったから。なのだけれど。
     もしかしたら、彼女にも会えるかもしれない。
     そう考えて思い出すのは、懐かしささえ感じる青い制服姿の少女。
     私服だってみたことがあるはずなのに、真波が彼女を想像するとどうしてか高校生の姿で固定されてしまう。
    「……?」
     一瞬、心臓がトクリと、強い相手とまみえたときのようにポンプしたような気がしたけれど、そんなはずはないかと深く考えることもなく、バスの振動に身を預けるように真波は瞼を閉ざした。


     

     バスと電車を乗り継いで、やってきた地元。
     見慣れた景色のはずなのに、少し帰らないだけであちこち微妙に変わっているのが少しだけ面白くて目を細めた。靴屋だったはずの場所が空き地になっていたり、なかったはずのコンビニが建っていたり。
    「そこまで離れてたつもりもないんだけどなあ」
     私物はひととおり実家にあるため、輪行袋に入れた愛車と財布とスマホだけを持った真波は少し考えてそのまま徒歩で家へ向かうことにした。
     せっかくの帰省だし歩くのもいいかなと思ったのだ。
     変わってるもの、変わらないもの、なんとなく確認しながら家までの帰路を進めば、懐かしさを感じるほど離れたわけでもないはずなのに、どこかしらない街を歩くような気持ちで住宅地にたどり着く。
     この角の歯医者はこどもの頃何度か通っていたな、おじいちゃん先生で痛かったら手を上げろって言うくせに、本当にあげたら我慢しろで終わって結局どうにもなからなったんだ。そういえば、あの頃はそれこそ委員長と一緒に通ってたっけ。
     ふたりして待合室で青い顔をしながら、先に治療されている人の音にびくびくしていた記憶がよみがえって、小さかったんだよあなんて笑み漏らしてしまう。
    「……あれ?」
     懐かしい思い出に浸っていたら、見覚えのある小柄で華奢な女性が真っ白い四角い壁の歯医者から出てきた。ピンクベージュの上着を羽織り、ニットワンピース姿のその女性は自身の記憶と髪の長さなど色々差異はあるけれど、真波のよく知っている人物で。
    「…………え、いいんちょう?」
     思わず出た声に、その女性は真波へ視線を向けて大きな瞳を更に見開いた。
    「さんがく?」
     どきりとした。
     自分を呼ぶ声はなにも変わらないのに、眼鏡だってしているのに、私服姿の彼女は二つにくくったお下げをやめていて、長かった髪の毛も肩より少し上の高さに切りそろえられていた。
     別におかしな話じゃない。
     進学して髪の長さどころか色が変わった人もいたし、レースのさなかに坊主にしていた人だっている。大学でも特に女子は外見の変化が顕著だし。
     でも、彼女は、委員長は。
     こどもの頃からずっとずっと変わらないんだと、どこかでそう思い込んでいた。
    「え、やだうそ本物? どうしたのよ、春休みの帰省? 歩いてるなんて珍しいこともあるのね」
     あ、委員長だ。
     外見こそ多少違っていても、声をかけてくる姿は真波のよく知る彼女のままだったことにひっそり安堵した。けれどその安堵の意味までは考えない。考えてはいけないとそんな風に感じてしまう。
    「委員長こそ、虫歯?」
     まだどこか混乱している自分を意識しながら、聞いた。
     そうなの。なんて、少し怒ったような顔で答えられるんだと、そう思いながら。
    「違うわ。四月からカナダへ行くから、いまのうちに虫歯があれば治療しちゃおうと思って検診に来たの。向こうに行くと治療費とかすごくかかっちゃうから」
    「え――」
     カナダ? カナダって、なんだっけ?
    「ていうか、私もう委員長じゃないのにアンタはいつまで経ってもそう呼ぶのね」
     困ったように笑う彼女の耳元に、光るピアスをみつけた。
     よく見ればその顔はうっすら色づいていて、足下だって華奢な靴を履いていて、そうだ身につけているものだって記憶の中の彼女が着ていたものとまるで違う。
     時が経てば変わるものがあるのは当然だって、さっきまでその変化を楽しんですらいたのに。
     ずっと隣の家に住んでいた彼女もそうであるということに、いまのいままで、真波は思い至りもしていなかった。
    「あ、ごめんなさい。まだいかないといけないところがあるから私行くわね。どうせこっち帰ってきても自転車に乗るんだろうけど、まだ寒いんだから風邪とか引かないようにするのよ。じゃあ、さよなら」
     真波がなにも言わないことを特に気にした様子なく、宮原はあっさり踵を返していってしまう。
     その、小さな背中の傍で揺れるお下げはもう存在していないことが、妙に意識に残った。
    「……委員長からいなくなったの、そういや、はじめてかも」
     いつだって彼女は課題をしなさいと言って真波を追いかけてくるか、真波が走っている自転車コースにぽつりと立っていて、会えば世間話を聞いてくれていたけれど、その場から離れるのはいつだって真波の方からだった。
    「カナダって、どこだっけ」
     すっかり見えなくなってしまった背中を思い出しながらぽつりと呟いた声は、なんだか現実感の欠けたふわふわしたもので、誰もいない住宅地にはあまり響かずにほどけるように消えた。
     脳内で世界地図を展開してからアメリカの方だっけ? なんて思ったけれど、詳細地図はモザイクでもかかったように霞がかっている。北なのか南なのかさえ。
     自分たちがどこかで偶然出会ったとき、その場を離れるのはいつだって真波の方だった。
     山が呼んでいるからと言って、自分を呼び止めようとする彼女をその場に残して去ったことさえあったのに。想像したこともなかった、彼女が自ら真波の手の届かない場所へいく可能性なんて。
     直接の知り合いと呼べるほどでもないが、世話になった先輩のライバルがイギリスに行った話は聞いたし、真波自身海外のレースにいつか出るつもりでいる。
     そんな風に、真波が自転車に出会って世界を広げたように、宮原にだってそういう出会いがあるはずなのに、その可能性を考えたことがなかった。
     手の届かない世界へ、呼んでも声が届かない場所へ、彼女が自らの足でいってしまうだなんて。
     レースの終盤、ふと、支障のない範囲で視線を巡らせる癖がついていることを指摘されたのはいつだったか。
     盛り上がる大歓声の中で、必死に張り上げた声が叫ぶ「勝って!」の言葉を耳をそばだてて探してしまうのは。
     だってずっと、変わらなかったんだ。
     そう思ってたんだ。
     でもそれは、真波の思い違いでしかない。
     そんな当たり前の事実に、やっと気がついた。
     


    「ああ、すずこちゃん? そうなのよすごいわよね海外なんて。今度あっちへ旅行するときに案内してもらおうかしらって思ってるのよ」
     帰宅して自分を出迎えてくれた母にことの次第を話せば、あっさりと肯定された。
     なんでも、回覧板を持ってきてくれたときに挨拶をしてくれたらしい。
     さすがは委員長だ。でもそれなら母でも本人でも、自分にもなにか報告があってもいいんじゃないかなんて思ってしまうのはおかしなことではないはずで。
     不貞腐れた気持ちでソファの背もたれに頭を預ければ、思い出されるのは髪をすっかり短くした彼女の姿。
     カナダに行く。だなんて、なんの憂いもない顔をして笑ってた。
     それはそうだろうなと思う。
     彼女の真面目さ勤勉さを真波はよく知っている。
     それこそ自分が無事に進学できたのだって、宮原の尽力が大きかったことだってわかっているのだ。なんの得にもならないのに、自分のために先生に頭を下げて回る根気強さだとか、こうと決めたらとことんまで突き進む彼女の意志の強さを、そう、真波はよくしっている。
     だから、宮原が自分の意思でカナダ行きを決めたのなら、それはもう確定なんだってことくらいわかる。わかっている。ただ。
     「……オレ、なんにも聞いてないんだけど」
     歯医者で出会わなければ、多分教えてすらもらえなかった。
     その事実が妙に頭の中をぐるぐるして落ち着かないのだ。
    「当たり前でしょう。普段からプライベートで連絡取り合ってるならまだしも」
     呆れたような物言いに頭では納得できても感情が理解してくれなくて、ふてくされるようにソファに寝転がった。
     あー、懐かしい。我が家のにおいとソファの感触だ。
    「すずこちゃんには山岳が高校卒業するまでお世話になったし、なにか餞別を渡したいと思ってるのよね。ね、山岳、すずこちゃんの好きなものしらない?」
    「委員長の、好きなもの?」
     そりゃあ。
     言いかけて、止まった。
     ずっとずっと、多分真波の人生で一番身近な女の子は彼女だった。
     幼少期から高校生までの姿はありありと思い出せるし、多分家のアルバムにも彼女の写る写真はいくつか残っている。
     家族ぐるみでキャンプしたこともあるし、プールや海にもいった。
     それは真波が自転車に本格的にのめり込む前までのことだけれど。
     けれど短くはない期間を一緒に過ごしたはずなのに、彼女がなにを好きなのか、嫌いなのか、それさえ知らない自分がいた。過去の記憶をどれだけ探っても、思い出されるのはプリントをやるよう叱ってきたり、授業をサボるなと注意してくる姿だけ。
     叱られてばかりだから気をつけようだなんて、殊勝な気持ちにはもちろんならないけれど。
     いやでも、もっといろんな話をしたはずだ。
     真夏の道端やバス停、校舎内でだって顔を見れば時間をとって他愛のない会話をたくさんした。その記憶に間違いはなかったけれど、話題を振るのはいつだって真波からで、彼女が自らのことを話したことはほとんどなかった。なんならいつだって聞き役だったかもしれない。
     真波が話していたのは、部活動の先輩の失敗談や武勇伝、見かけた変な模様の虫の話、自転車に乗っていて気持ちよかった瞬間。
     そんな他愛のない話を、なぜか彼女は鬼気迫る顔で聞いていて、返事も「はい!」と授業を聞いてるのかと言わんばかりの真面目な口ぶりで。
    でも、そんなエピソードの中には母からの問いの答えはみつからない。
     その沈黙の意味をしっかり受け止めた母は早々に息子に見切りをつけて、やっぱりかさばる物は邪魔になるし無難にふりかけとか向こうで手に入りにくいこっちの食べ物かしらね。なんて言いながら家事を再開させてしまう。
    「……オレ、委員長のことなんにもしらないんだな」
     そんなの、いままで考えたこともなかった。
     例えば高校生の時に不思議だなと感じたいろいろな出来事の理由であったり、どうしてレースを見に来てくれていたのか、真波の話を聞きたがっていたのか、そういうことの理由さえ。
     一番身近な異性だと思っていたけれど、それはもしかしなくても自分の思い違いだったのかもしれない。
     そんな風に思ってしまった。
     
     
     
    「……いない」
     翌朝、早い時間から自転車で駆け出した真波は、ふと高校生時代に宮原とよく話をした木陰のベンチの前で止まった。
     季節のせいかまだ葉は付ききっていないけれど、石造りのベンチも、その上を覆いつくさんと伸びる枝も記憶と変わらないのに、彼女がいつも立っていたスペースだけがぽっかりと空いている。
     あの頃はいつだってここを通れば宮原がいて、他愛のない話ばかりをしていたように思う。真波が思いつきで話す言葉をまるで重要な作戦指示を聞くような真剣さで、一字一句聞き漏らさないとでもいうように宮原は聞いてくれていた。
     真剣になればなるほど眉を吊り上げているのが少しおかしくて、余計に話し込んでしまった日もあったっけ。
     なんとなくその場に自転車をとめて座ってみる。疲れているわけでは決してないけれど、腹の奥がモヤモヤとしていて重たく感じた。
    「……」
     少しの時間ぼんやりしていたら、他の自転車乗りが近くで話しているのがみえた。顔も名前もしらない大分年上の男が二人、覚えはないが自転車はみたことある気がする。
     まあ、どうでもいいことだけれど。
     ぼんやりと周囲を見渡したってやはり彼女は現れない。それはそうだ。
     理性が言うのに感情が納得してくれなくて、でも、もう走ろうかとベンチから腰を上げる。
     と、先ほどの男二人の会話が妙にクリアに耳へと届いた。
    「やっぱりさっきの女の子、そうじゃね?」
    「どの子だよ。オマエ自転車乗りながら女子物色すんのやめとけよ」
    「そーだけどそーじゃねえよ! ほら、何年か前にいただろ? 夏頃から毎日毎日雨の日も風の日もクソ暑いときもここにいたちっさい女の子!」
    「ああ、オマエが毎日のように騒いでたメガネでお下げのあの子な」
    「だからそういうんじゃなくて純粋に心配してたんだよ! まだ中学生くらいだと思ったから、なんかワケアリだと思うじゃねえか」
     思わず、浮かせていた腰を再びベンチへと戻していた。
     お下げでメガネ。
     何年か前の夏に毎日、ここでみた。
     ――誰かを、待っていた?
    「うちの姪っ子があのくらいの背丈だったからさ。でも、あの子思ってたより大分年が上だったのかもな、さっき下のコンビニ近くでみかけたら髪も短くなってたからか、随分大人びてきれいになっててびびったわ。……おい、そのムシケラ見る目ヤメロ。ちげーよ、姪っ子もあっという間にあんな風になるんだなとか感慨深くなっただけだよ、まじだぞ! 大人びてるっつっても十代くらいだしさすがにオレもって、っおい! 無言で先いくんじゃねえよ」
     ふたりの自転車乗りが立ち去っても、真波はじっといま聞いた話を反芻していた。
     高校一年生の夏、所々記憶があやふやな日々の中で思い返せばいつだってそこにいた、いてくれた女の子。真剣に真波の話を聞いていたのがおかしいだなんて考えていたけれど、もしかしたら偶然なんかじゃなかったのかもしれない。
     廊下で、道ばたで、校舎の外で、色んな話をした。
     大半が他愛のないことで正直なにを話したのかさえ覚えてないくらいだったけれど、いつだって真剣な眼差しが真波の言葉を受け止めてくれていた。
     高校一年生のインターハイを越えてしばらく真波は不調が続いていたけれど、少ししてじわじわと自分の気持ちが整理されて立ち直れた。
     それが彼女のおかげだとは言わない。けれど、話をたくさんすることで自分の立ち位置がみえた。考えがまとまった。それはあった。
    「――」
     ふらりと立ち上がった真波は迷いのない動きで自転車にまたがると、先ほどの男たちが来た方向へと走り出す。本当ならば、坂をのぼるのならば、彼らの後を追うのが正解なのだけれど。
     だって、この先に彼女がいるのだと理解した途端、いてもたってもいられなくなってしまったんだ。
     衝動に突き動かされるまま、ペダルを強く踏んで推進力に変えた。
     前へ、ただ前へ。
     その先に彼女がいるのだと信じて。
     ぐんぐんと通り過ぎる景色を横目にしながら、真波の視界は一心に小柄な姿を探している。高校を卒業してからはろくに会っていなかったのに、どうしてか、いますぐ会わないといけない気持ちばかり逸ってどうしようもない。
     昨日会った程度じゃ満足なんて出来ないし、県外ならまだしも海外に行くなんてやはり冗談じゃなかった。面白くないとか、そんな話じゃない。そう思う理由だって明確になってるわけでもないのに。
     高校を出てからロクに連絡だって取ってないし、好きな色や物や食べ物だってしらない。
     でも、彼女はいつだって部屋の窓を開ければベランダに立って、不機嫌そうな顔に心配を隠しながら真波のことを見つめてくれていた。
     周囲を見渡しながら進んでいれば、見覚えのあるピンクベージュが目に飛び込んできた。それは、昨日彼女が着ていたのと同じ色のコートで、真波はペダルにかける足に更に力を込める。
    「委員長!」
     見つけて、呼んで、どうしようなんて展望があったわけでもないのに、衝動のままに大きな声が出た。
     身体の内側でなにか、自分でも消化しきれない感情が渦巻いているようで、それをどうしても彼女に聞いてもらいたかった。
    「さんがく?」
     昨日と同じ少し驚いたような表情で振り返った彼女の出で立ちは、動きやすそうなジーンズ。肩にショルダーバッグを引っかけて華奢なパンプスで危なげなく立つ姿はどこからどうみても少し大人びた女性で。
    「……」
     なにかを伝えたいのに言葉が出なくて、目的地として定めていたはずの宮原の目の前まで自転車で駆けてきた真波は、言葉を探すように沈黙する。焦燥が胸をくすぐっているのはわかるのに、喉元でとどまっているような気持ち悪さ。
    「どうしたのよ。……なにか、私に話したいことでもあった?」
     いつまでたっても言葉を発しない真波に、気遣わしげに眉を下げた宮原の姿が高校生の彼女と重なる。
     箱根学園の青いシャツを身に纏った、お下げで、眼鏡の、女の子。
    「髪の毛、短いね」
    「え? あ、ああ。カナダ行くでしょ? だから切ったの。シャンプーとか出来る限りこっちで用意したの使いたいし、水とかも節約して使わないといけないだろうから。こんなに短くしたの久々でまだ慣れてないんだけどね。というか、私の髪の毛の変化、さんがくに気がつかれるとは思わなかったわ」
     すっかり短くなった毛先を指先で遊ばせながら笑う宮原の言葉に、謎の焦りが増した。
     ぐるぐると頭の中で言葉が回っているのはわかるのに、それを表現する方法がわからない。――わからない、けれど。
    「委員長」
     自転車を支えていた右手を伸ばして、髪の毛に触れていた彼女の指先をすくい取るようにして捕まえた。
     小さな指だった。
     真波はそれを知っていたはずなのに、多分、知らなかった。
     自分を追いかけては課題をやるように怒っていた高校生の彼女も、いまと変わらず小柄で、華奢で、ただ一生懸命に真波の気持ちや言葉を受け止めようとしてくれていただけなのに。
     特別強くも弱くもない、普通の女の子である彼女のことを、多分ずっと自分は見逃していた。
     不思議だなあ、変だなあ、おかしいなあ。
     そんなフィルターで目隠しをしては、深くその疑問の答えを探すことさえしないで来た。
     そのくせ彼女には普遍であることを願って。
     雨の日も、風の日も、真波を待って、話をただ聞いてくれていた。
     少し考えれば答えにたどり着くだろうその理由の意味を、都合よく受け止めたかった。
     手放したくない。
     ここにいて欲しい。
     その感情に名前をつけたいのに、真波の自転車にしかそのリソースを割いてこなかった脳みそでは最適な答えすら導き出してはくれないのだ。
     触れた指先がじわりと熱を持って、身体の内側に滑り込んでくるようだった。
     強い自転車乗りと出会ったときの高揚とはまた違う昂り。
     答えは見つからないけれど、真波の望みはたったひとつきりなんだと心がそう告げている。
    「――オレと、結婚しよ?」
    「はああああ?」
     あ、懐かしい反応。
     顔を真っ赤に染めて髪の毛を逆立てて口をぽかんと開ける姿に、思わず笑みこぼせば馬鹿にされたと思ったのかもしれない、彼女の目つきがちょっとだけ鋭くなって、捕まえていた手が逃げてしまう。
    「……アンタ、私のことからかってるの?」
    「違う違う、懐かしいなと思って。昨日ちょっと話したとき、委員長の態度が前のとちょっとだけ違ってなんか、なんだろうな、違和感? あったから。やっぱ委員長は委員長だなって」
    「そりゃ、私だって多少変化くらいあるはずよ」
     そうだね。
     声には出さずに肯定する。
     さっきの自転車乗りも言っていたけれど、ちょっと見ない間に大人っぽくなったしきれいになった。
     元々彼女は真波からすればずっと可愛かったけれど、かわいいね。なんて気軽に言えない感じに。
     でもそれがなんだか距離を感じて複雑だった。
    「まったくもう、私相手だからいいけど、プロポーズまがいの揶揄いあんまりやるんじゃないわよ。勘違いされたら面倒じゃない」
     最近までそこにあったのだろう、毛先をいじろうとしてからぶる小さな指先を動かしながら言われるお叱りに、自然と真波の眉が寄る。
    「だから違うってば。揶揄いなんかじゃなくて本当に、結婚しようよ」
     繰り返し伝えれば苦虫でもかみつぶしたような顔をされてしまう。
    「さんがく、結婚って勝負しようって意味じゃないんだけど? 決闘と間違えてる?」
     小さなこどもに悪いことをしてはいけませんとでも告げるような口調で、宮原は言う。前々からちょっと思っていたことではあるけど、彼女は自分のことを色々誤解してやしないだろうか。
    「……委員長、オレもう大学二年生なんだけど?」
     なんなら春には三年生だし、成人だってしている。
     「奇遇ね、私もそうよ」
     腰に手を当ててあっさり答える彼女は、真波のプロポーズをまるで意に介してもくれていない。これは由々しき事態であると真波も食い下がる。
    「結婚の意味くらいはさすがのオレだってわかってるよ。家族に、夫婦になるってことでしょ」
    「っ、そ、そ、れは、わ、私に、お嫁さんになって欲しい。って、こと?」
     ぴゃっと肩を跳ねさせて胸の下あたりで指をそわそわさせている宮原が、真波と地面をいったりきたりさせる。柔らかそうなほっぺたなんか赤く色づいていて、忙しなくくるくる動く瞳がたまらなくて、胸の奥を真綿でくすぐられたり締め付けられているような心地がして苦しいような。
    「そういうわけじゃないけど」
     あ、返事をミスった。
     意味が脳みそを通過するより先に出た答えに、宮原の機嫌が一気に急降下したことに気がついたけれど、嘘は吐きたくないから言葉を重ねる。
     さっき離された指先を再び捕まえたのは、逃げられたくなくて。
    「名前はなんだっていいんだよ。お嫁さんとか妻とかそういうんじゃなくって、オレは、委員長が生涯ずっとオレの傍にいてくれる権利が欲しい。なにか変化があったときに真っ先に教えてもらえるようになりたい」
     会わない日がそれこそ年単位であったとしても、真波にとって宮原はいつだって手を伸ばした先にいてくれる人だった。
     変わらぬ距離感で、態度で、ずっと。
    「なんだって急にそんなこと言ってるのよ。さんがくは、自由に自転車に乗って駆けて、強い人と戦えてたらそれでいいはずじゃない。私は、アンタになにもしてあげられないし、なにも出来ないのよ?」
     強い瞳が真波を見据えた。
     怒ってるような彼女の表情はぴんと張り詰めているようにもみえる。
     それが自分のせいだとわかっていても、真波は引きたくなかった。
    「私がいく地域、自転車が盛んだって誰かから聞いたの? 別にそんなまわりくどいことを言わなくたって話くらいならするし案内だって――」
    「違う」
     逃げを打つように引いた身体を自分の方へ寄せて、真波は宮原の目線をつかまえる。
     傍らで自転車が倒れた音がしても、真波は宮原から視線を逸らさなかった。
    「オレは、委員長になにかして欲しくて一緒にいたいと思ったんじゃないよ」
    「……意味がわからないわよ。それでなんで結婚なんて話になるの?」
    「だって、単なるお隣の幼なじみじゃあカナダにいくってことすら教えてもらえなかったから。委員長がなにかを決めないといけないとき、オレは全部終わった後でしらされるんだ。なら、家族になれば一番に教えてもらえるじゃない?」
    「なんで……」
     ぱくぱくと口を開閉させた宮原は、ただただ驚いています。みたいな顔で真波を見上げるばかりだ。
     かわいいな。
     意識せずに言葉が漏れ出そうになる、つい呑み込んじゃったけど出しちゃってもよかったかもしれない。
     だって、触れている指先からはこんなにも愛しさがあふれ出ている。
     そう、愛しい。愛しいんだ。
     胸の奥がぎゅっとして鼓動が跳ねる。
     強い選手と戦うときとはまた別種の高揚は、触れている相手が彼女だから。
    「委員長とそうしたい。そうなりたいって思っちゃったから。それなら出来ることをやるだけだから」
     想像してみる。
     たとえばどこかのアパートやマンション、一軒家でもかまわないけど。
     ただいまって玄関を開けたら、パタパタと軽い足音を立てながら彼女がおかえりなさいと出迎えてくれる。逆でもいいや。真波が帰宅した彼女をおかえりなさいと言って迎える。そういう日々を当たり前に出来たら、多分自分はとても、すごく、嬉しい。
     だから。
    「幼なじみじゃなくて、オレの家族になって。オレ、この先一緒に生きていくなら委員長がいい」
     ぼんと真っ赤に染まった小さな顔に、あ、伝わった。そう思った。
     高校生までの自分も、感情豊かに表情がくるくる変わる彼女をかわいいと、好ましいと、そう思っていたことも思い出す。
     そうだ。でなければ、顔を合わせる度になんの薬にもならないような他愛のない世間話だって、きっと真波はしなかった。自転車を漕ぐ足を止めて、話に耳を傾けたり、自分から話題を提供したり、そんなことだってしなかった。
     大歓声のレース会場で、彼女の声だけを聞き取れたりもしなかった。
    「委員長、いま気がついたんだけど、オレ、委員長のことすげー好きみたい」
    「や、あの、え、あの」
     わたわたと視線をあちこちに投げたり、真波に捕まえられてない方の手を揺らしたり、落ち着きない仕種でいる。間違いなくたたみかけるなら今だと、数々の勝負で培われた勘がそう叫ぶけど、畳みかけたい気持ちをぐっとこらえて真波は宮原の言葉を待つ。
     だって多分、勢いとかそういうのだけで突き進んじゃいけない瞬間なんだって、それだけはわかるから。
    「……でも、やっぱり、まだ親のすねをかじってる学生の身分で結婚はやっぱり承諾できないわ」
     たくさんたくさん色んなことを考えました。と言わんばかりの間の後で告げられた言葉はどう解釈しても真波の言葉を拒否するものではなくて。
    「じゃあ予約! 予約! 確定に限りなく近い予約させて!」
    「調子に乗るんじゃないの! わっ、私だって人並みにプロポーズとかそういうのに、憧れくらい、あるんだから」
     恥ずかしそうに目線を逸らして言った宮原は、それでも拒否の意図はないんだと、受け入れるつもりはあるのだとでも言うように、真波が捕まえている指に力を込めて握り返してくれた。
     ぎゅううと、心臓を握られたような衝撃が走る。
     彼女に連れられて初めてロードに乗ったときに似た、心地のいい刺すような痛み。
    「……自転車に乗る以外でも、生きてる実感ってあるんだなあ」
     思わず飛び出た呟きは、彼女の耳には入らなかったらしい。
     見下ろす目線の先ではまだなにか文句にも似た響きの言葉を口にしているけれど、正直これでこそ。といった気持ちが強い。
     いつだって彼女は、真波の言葉を真正面から受け止めて咀嚼しようとしてくれる。
     意味なんてないような日常の話も、真波自身昇華しきれない勝負の話も、解けない課題の答えの導き方も。
     宮原にかかれば全部同列に大事な真波からの言葉になるらしかった。
     それがとても嬉しい。
    「委員長、オレすげー嬉しい」
     にへらっと笑えば真っ赤なほっぺたを隠せない仏頂面が、真波を睨みあげる。
     照れ隠しかな? それもかわいいな。
    「じゃあ、もうカナダにも行かないよね?」
     だって自分たちは婚約するわけだから、真波を置いて海外になんて行くわけないだろう。そう思って言えば、あっさりと無慈悲に彼女はそれを否定する。
    「え、いくけど」
    「なんでっ?」
    「だってもう手続きだって進めてるし、そもそも私が行きたくて決めたことなんだからやめるわけないでしょう?」
    「じゃあ、オレもカナダ行けばいい? カナダって何歳から結婚出来るのかな」
     どうせどこにいようと自転車には乗るんだから、宮原が行きたいのなら真波もそこへ行けばいいと思考を切り替えれば、にゅっと伸びてきた捕まえていなかったもう片方の指が真波のほっぺたをつまんで引っ張った。
    「いひゃいいひゃいいひゃいよいいんひょー」
    「さんがく。私がカナダに永住するって勘違いしてない? 私がするのは語学留学で、期間は一年だけよ?」
    「いひねん」
     なんだ。冷静に考えたらそっちの方がありえそうだけど、真波はもう彼女が向こうにずっと住むんだとそう思っていた。
     とはいえ。
    「……一年だって十分長いよ」
    「なに言ってるの。そもそも高校卒業してから今日までまともに顔を合わせてなかったんだから、むしろあっという間じゃないかしら。どうせアンタは毎日楽しく自転車に乗ってるんでしょう」
     そっと話された指先の向こう側で笑う宮原の表情は優しくて、ぺしょんとヘルメットの隙間からアホ毛をたれさせた真波は、そうだけどそうじゃないと眉を下げた。
     そんな真波に、宮原は目を丸くした。
    「……さんがく、あなた、本当に私のこと好きだったの?」
     心底意外そうな呟きに、真波の目つきが悪くなったってきっと誰も責めないと思う。
    「オレ、プロポーズしたよね?」
    「されたけど恋愛と言うよりも家族愛に近いなにかかとって、ちょ、人の頭の上で顎押しつけてぐりぐりしないでよ!」
     罰だよ罰ー、オトコの純情をもてあそんだ罰ー。
     言いつつ抵抗する彼女を往来で抱きしめてやれば、なんだか溜飲も下がるから不思議だ。
    「ていうかそろそろ離して欲しいんだけど。今日は向こうに持っていく物を買いに行きたくて出てきたのに」
    「あ、じゃあオレもいくから一回一緒に帰ろうよ」
    「……どういう風の吹き回し?」
    「んー、実地調査? みたいな」
    「意味がわからないんだけど」
    「わかんなくていいよ、オレはわかるから」
    「……相変わらずアンタはマイペースよね。結婚したらその不思議な思考回路とか意味もわかるようになるのかしら」
     しみじみと投げられた言葉に、今度は真波が目を丸くする番だった。
    「え、委員長オレのこと不思議って思ってたの?」
     てっきりそれは、自分だけの感想だと思っていたのに。
    「思ってるわよ。現在進行形で。なんだったらさっきのプロポーズだってなんでこのタイミング? って、思ってるし」
     そもそもそういうのって、普通はお付き合いとかしてからのはずだし。
     もごもご言い募る彼女は真っ赤な顔をうつむけて、倒れていた真波の自転車に気がついたのだろう。そっと起こして大事な自転車なんだからちゃんとしなさい。と、お叱りまでくれた。
     そういうところ。
     真波の大事な物を当たり前と受け止めて、自分も大切にしようとしてくれるところ。
     突拍子もないとよく突っ込まれる自分の言動に、呆れても見放したりは決してしないところ。
     最適解を一生懸命に探してくれるところ。
    「委員長、好きだよ?」
    「っっっっ、だっから、アンタは話に少し脈略を持たせなさいよ!」
     真っ赤になって怒る彼女にはきっとわからないんだろう。
     真波の中ではきっちり順序があることなのに。
     でも、いまはまだそれでいい。ちょっとずつお互いに理解したり、出来なかったりしながら、それでも手をつないで隣を歩き続けられたら。
    「じゃあ帰って準備したらデートだね」
     笑って自転車を押しながら歩き出す真波に、宮原は諦めたように息を吐いてから承諾してくれた。
    「……デートなら、もう少し可愛い格好してくるわ」
    「え? もう十分かわいいのに?」
     これ以上可愛くなられてたら自分はどうなってしまうだろう。なんて思いつつ口にすれば、ぺしりと痛くない平手が腰を打った。
    「っもう! あんまりそういうこと言わないで頂戴」
     恥ずかしいし照れるのよ。
     真っ赤になる彼女はとても可愛いので出来ない相談だなあと思いつつ、表向きははーいと緩く頷いておく。
     さしあたってはまず彼女の好みをしるところから。
     渡加までに好きな色と食べ物くらいは把握しておきたいので。
     彼女についてなにもしらない事実がとてつもなく悔しかった真波は、内心でそうほくそ笑む。だって、プロポーズの本番では戸惑うよりも喜んで欲しいし。
     カナダに彼女が行ってしまう前に、虫除けくらいは用意しておきたい。
     自覚したのはついさっきだったくせに、独占欲だけは一丁前な真波だ。
     
     手をつないでお互いの家までついたついでに、在宅だった宮原の母へオレたち結婚しまーすと報告したせいでまた一悶着在るのだけれど、それはまた、別の話。



     おしまい
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    ktgn_pdl

    DOODLE2017年1月にあったペダル女子プチの記念アンソロさんに寄稿した
    やつです。
    まなんちょ坂綾今幹(女子からの片想い程度や香る程度の)要素があります。

    女の子のプチオンリーが嬉しくて嬉しくて大喜びで女子たくさん書くぞと意気込んだ記憶があります。
    ペダル十年くらい早めにアニメ化してたらアニメオリジナルで女子回とかやってくれそうだなってふと思いました。
     年が明けて間もない冬休みのある日、両親とともに親戚の家へ挨拶にやってきたもののすぐに大人たちはお酒を飲み交わし騒ぐことに夢中になってしまい、手持ち無沙汰にな宮原はなんとはなしに出かけた散歩の途中ぴたりとその足を止めた。
    「サイクルショップ……」
     木製の看板が可愛らしいそのお店は住宅地の中にあってあまり大きくはないけれど、展示されている自転車は彼女の幼なじみが乗っているものとよく似たデザインだったので。
     思わず覗き込めば自転車乗りと思しき人と、店員さんらしき人が談笑しているようで雰囲気も悪くなかった。
    「……」
     ちょっとだけ、入ってみようかしら。
     心の内で呟いてみる。
     べっ、別に他意はないけど? お年玉もらったばっかりで懐暖かいし? 二学期の終業式に先生からこの調子で行けば進学出来るって言われたからお祝いっていうかご褒美っていうか。
    5451

    ktgn_pdl

    DOODLE真波くんは一揉みもしてません!!!!!
    タイムアタックだったので推敲してないので色々だめかもしれない。実質ワンライみたいなものですよろしくお願いします。
    ひっどいタイトルと中身の差がすごいし色々二人の会話を思い出したくて2年時IH決勝のふたりのやり取り読み返してたらどんどん趣旨がそれました!
    高校三年生の付き合ってる時空まなんちょです。
    いいおっぱいの日に乗っかりたかったけど乗れなかった「委員長ー、ねえ、委員長ーー」
     帰宅して宿題をこなし、愛鳥がもう休むので籠に大きめな布をかけてやったタイミングで、外からそんな声が聞こえてきた。
     誰かなんて聞かなくてもわかるけれど、隣家の窓越しに呼ばれているにしては大分近い声に、まさかとカーテンを開けばガラスのすぐ外に幼なじみの姿があった。
    「ちょっと窓から出入りするのやめなさいって前から言ってるじゃない。落ちたらどうすんのよ!」
     からりと引き戸を開けてやれば、全然反省していない笑顔がごめーんと言う。
    「今日がいいおっぱいの日だって聞いたら、委員長に会わなきゃって思って」
    「……?」
     一瞬真波がなにを言っているのかわからなくて、宮原は沈黙する。
     聞き間違いかもしれない。
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