あるいは夢想「元気がないときは、意識的に笑うようにしています。
やっぱり僕も人間なので、落ち込んだりするわけですよ。
例えば……めちゃくちゃ怒られたときとか、優大に馬鹿にされたときとか(笑)
笑うと、脳が『あっこいつ今幸せなんだ』って勘違いしてセロトニンを分泌するらしいんですよね。
だから僕は顔だけでも笑うようにしています。
そうしたら気持ちもついてくる気がして。
無理してるだけって思います?
だけど気持ちだけを明るくするって難しいじゃないですか。
先に身体を動かしちゃったほうが簡単なんです。
人間は心と身体のバランス保って生きているでしょ?
ということは別個に動いてるわけじゃない。
つながってるなら、元気なほうからアプローチする。
そういうのもやり方のひとつかなって。
もちろん、僕たちを見て笑って元気出してくれるのが一番うれしいです。
だって、夢と幸せを届けるのが僕たちアイドルの仕事ですからね。
(条晶久)」
雑誌を放り、これがいつ答えたインタビューだったかを思い出そうとした。今月号だから、三ヶ月くらい前だろうか。その時期はライブツアーの終盤で慌ただしかった。
ついさっきまであんなに騒がしかった部屋に、今は僕の気配しかない。寂しいような苦しいような、やるせない気持ちになってその場で膝を抱えて丸くなった。
こうして優大の部屋を訪れたのは久しぶりだった。「最近忙しかったしみんなで集まって鍋とか食おうよ」と優大が言い出した。いい奴だ。いつも率先してメンバーをまとめてくれる。本間だけ仕事が夜に食い込んだが、食材は優大と匠が帰りにマネージャーまで巻き込んで調達し、夜九時には全員で湯気の立つ鍋を酒と一緒に囲んでいた。
「いっつも顔合わせてるのに、変な感じだ」
匠が甘えた声でくすくす笑った。
「休み、あっても遊んだりしなかったもんね」
優大が言うと、本間が口をもぐもぐさせながら手を挙げた。飲み込むまで待てと言いたいらしい。
「俺優大と遊んだよ! 焼肉行ったじゃん!」
「ああ……観葉植物欲しいって、買いに行った日?」
「そう!」
「そっちがメインイベントだったんじゃないの? はやくん植物なんてちゃんと世話できてる?」
「できてる。なぜなら、世話がいらないやつだから!」
「エアプランツ買ったんだよ。これなら、いくらなんでも枯らさないでしょ」
「どうかなあ、はやくんの能力って並外れてるからなあ」
匠の嫌味に優大が笑い出す。本間は言われた意味を理解していなかった。
「あきが、俺たちのなかじゃ、相変わらず忙しいね」
掛け合いを見守るポジションに徹していた僕を、ふいに優大が巻き込んだ。
「確かに、あんまあきと時間合わないんだよな。合間合間の取材とかインタビューとか……」
「だって人気だもん、あきは」今度は嫌味じゃなく、匠は身を乗り出して真剣な顔で言った。「そうでしょ?」
「まあ……忙しいよね、でもみんな同じだよ。ツアーでばたばたしてたし、その後もなんやかんやでね……だから今日やっと集まれてよかったよ、マジで」
僕がそう言うと、優大も本間も匠もやわらかく微笑んだ。リーダーとしての素質は僕にはないけれど、最年長という立場は彼らの精神的支柱になり得た。素直にうれしいと思う。だがそれ以上に、大きくなってきた不安がある。
僕はこれから先彼らをどこに連れていってやれるんだろう。コンサートホールかテレビの四角い枠のなかでしか生きていけないのに。僕たちは永遠に閉じ込められたままじゃないか。
「あ、そうだ。今日ケーキもらったから持ってきたんだ。切ってくる」
「いいよ、あきくん。俺が」
部屋の主である優大が立ち上がるのを制して、僕はキッチンへ向かった。時間のない生活においても、優大は自炊する。包丁も三種類ほどそろっていた。冷蔵庫から、スタッフさんがくれた高級そうなロールケーキを出してきて、小ぶりな包丁で四等分した。
「ごめん優大、お皿どれ使っていいんだっけ?」
カウンターから呼びかけると、雑誌を広げながら彼らは大笑いしていた。その顔のまま優大は席を立ってやって来た。
「今、早人のインタビュー読んでたの。俺忘れてたんだけど、エアプランツ買いに行く前に通販でエアプランツ買ってて、しかもそれ枯らしたんだよね。だから俺と買いに行ったのは二代目だったんだよ。今年の目標は植物を枯らさないことです〜には笑ったわ」
優大が飾り気のない白い丸皿を用意し、僕はロールケーキをひとつずつのせる。本間と匠はまだげらげら笑っていた。
「あ、うまそう」
「ねえ、優大」
「ん?」
「僕たち、どこまでいけると思う?」
優大は唐突な質問に困惑した表情を浮かべ、
「どこまでも。あきがいるなら。あき、どうしたの? どういう意味?」
さも当然のようにそう言い、僕の心配さえした。よっぽど情けない顔をしていたのかもしれない。
「無理なんだ、僕たちは……どこにも行けない」
「あ、……き……?」
この瞬間以降、僕は僕の行動の意味を説明することができない。
小ぶりの包丁は、優大の薄い腹に埋まった。騒がれたくなくて、とっさに優大の口を押さえた。彼の目から涙があふれてくるのを見て、なぜこんなことをしたのか考えてみた。優大の回答が間違っていたからじゃない。優大が憎かったなんてことも当然ない。僕は優大が大好きだ。床に崩れて苦しそうにもがくから、腿を脚で押さえつけながら空いた手で彼の両手首を床に留めた。怯えた優大の目を初めて見た。僕に向けたことのない表情だった。でもこんなものを見たかったんじゃない。そのためにこんなことをしたんじゃない。
怯えているのは僕のほうだ。大好きなおまえたちを、僕はどこにも連れていってやれない。狭い世界の外に出してやれない。どうすればいい。
優大からは次第に力が抜けていって、キッチンの白い床に血がどんどん広がった。見開かれたままの目はどこでもないところを見ていた。
「はやくんさあ、ゆちゃのことすっごい好きじゃない? なんでぼくは誘ってくんないの」
「おまえガキなんだもん。優大は大人だから。あきはもっと大人だけど」
僕はカウンターの陰から身を起こす。ロールケーキを先に切っていてよかったと思った。包丁は優大に刺さったままだ。シンクの下からもう一本、包丁を抜き出す。血で手が滑るので、引っかけてあったタオルで拭ってから握った。
「あきならぼくだって絶対に誘ってくれるもん! はやくんはほんと、全然やさしくな」
「匠ッ!!」
「あ、……?」
細い首を深々と切った。噴き出した匠の血は、僕ではなく、汁だけが残った鍋と本間の伸ばした腕をしとどに汚した。なんなんだよ、と本間がつぶやくのが聞こえた。広げていた雑誌をどこかに飛ばし、食器と椅子をひっくり返しながら、匠が後ろにたたらを踏んで転がる。それで静かになった。匠はぴくりとも動かなかった。
「あき……これは、なんなんだ」
本間は伸ばした腕もそのままに、僕をにらみつける。
「なんなんだって、訊いてんだろ。答えろ、あき」
冷静に、怯えていた。怯えていても、驚いてはいなかった。本間は誰よりも、個々も大局も見えていたから、遅かれ早かれなにかが変わってしまうことを予期していたのかもしれない。きっとそれは、こんな形ではなかっただろうけど。
「おまえが答えないなら、俺が言ってやる」
匠の血を握りこんだ手は震えていた。
「やっと限界に気付いたんだよな。優大は気付かなかった。匠はなにも見てない。あきは、気付いたんだろ? 俺たちはどこまでいっても夢を見られないって」
その通りだった。
僕たちはファンに夢を見せる。じゃあ僕たちに夢を見せてくれるのは誰なのだろう。どこにもいけない僕たちの夢は、どこにあるのだろう。
「あきは、みんなで夢を見るための、ここから出る方法を探してるんだろ?」
「……うん」
本間はこんな状況でやわらかく微笑んだ。
「俺を殺していいよ。俺はあきが好きだから。みんなもあきが好きだよ」
僕は動けなかった。本間が近づいてきて、僕の包丁を持ったほうの手をやさしくとる。痛いほど力を込めてつかんで引き寄せられたかと思うと、本間がうめき声を漏らした。
「本間、」
「あ、ぐっ……クソ、痛え……っ、クッソ痛えよ……でも、俺は……あき、……あきが、」
「僕が、なに」
この期に及んで僕は慌てた。本間が死んでしまう。
「みんなおまえを愛してる」
かすれた声が耳もとでささやかれる。そのまま本間は僕にしなだれかかり、ずるずると床に這いつくばった。足もとから僕を見上げ、小さな咳を繰り返して血を吐いた。わずかな息づかいだけが、この部屋に残る生き物の音だった。
時計の音は規則正しい。深夜一時。マンションには無数に住人がいるはずなのに、この部屋だけ異空間に隔離されたようだった。
僕は自分のやり方にしたがって、無理やり笑ってみた。本間の死体のそばにしゃがみこんで、彼の髪に触れた。先月まで撮影が続いていたドラマのために、本間は髪を何度もブリーチしてピンクと水色を入れていた。おかげですっかり傷みきり、今のように黒に戻したところで艶がない。
本間のそのまま血の沼に沈んでいきそうな身体を仰向けにした。顔を寄せて口付ければ、血の味がする。向こうでひっくり返っている匠に見咎められているようで申し訳なく思ったのが、我ながらおかしかった。
僕はだいぶ時間をかけて本間から包丁を抜き取ると、部屋を見渡した。明るい照明の下ではすべてがクリアだった。ぐちゃぐちゃの部屋に汚れた壁にいくつもの死体。
血のついた雑誌の表紙では、僕たちがめいめいにきめた顔で並んでいる。加藤優大、本間早人、大迫匠、そして僕……このときの衣装は好きだった。クラシカルな雰囲気がみんな似合うのだ。匠が衣装さんに要望を出していたということは後から聞いた。
振り向くと、カウンターの端から優大の足が見えた。あの奇抜なくま柄の靴下は、去年冠番組のクリスマス企画で優大が早人からもらったものだ。「いや、さすがにない……」などとあのときはぼやいていたが、なんだかんだで履いているらしい。
本間の真っ赤に染まった白シャツは、僕が以前褒めた頃からよく着ているのを見るようになったものだ。
「これも、夢なんじゃないかなあ」
本間のエアプランツはまた枯れる。そうしたらみんなで買いに行こう。今度は僕から、そう言おうと思う。