Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    じょじ

    @mtti89891

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 27

    じょじ

    ☆quiet follow

    はちたい前提みつたいの進捗

     一

     封筒にはさも繊細そうな字で『お兄ちゃんへ』と書かれていた。初めて見る母親の直筆に、八戒は優しく儚げに微笑む顔を思い出してあの人らしいなと思った。細く消えるように書かれた字は、リノリウムの床とクリーム色のカーテンを連想させる。この手紙があの病室で書かれた物だろうと察しを付けた八戒は、何気無く封筒の裏を眺めた。糊付けされている為、中に手紙が入っているのかそれとも他のものが入っているのかさえも分からない。透かしてみようかと思ったが、蛍光灯の光へ翳す前に、向かい側へ座る柚葉がそれを咎めるかのように「八戒」と呼んだ。
    「コレ、大寿にじゃねーの?」
     兄貴と呼ばないのは兄弟の中での確執がまだ残っていることを表していた。
    「……だろうね」
     柚葉はため息を着いた。重たい問題を抱えていると言うように。
     手紙を発見したのは、この家で長く働いている家政婦だった。「久しぶりに押し入れを片付けていた時に出てきた」と説明する彼女は懐かしい物を見るように手紙を皺の入った手で撫でていた。八戒たちが産まれるずっと前から働いている彼女の目には、亡き母親の姿が重なって写っているのかもしれない。
     家政婦の手から柚葉に渡り、最後に八戒に手紙は渡された。この時点で八戒は柚葉がこの手紙をどうするか決め兼ねていることを察していた。
     手紙の宛先は兄である。しかし、年末に出て行った兄とはもう一年も連絡を取って居なかった。
     ――問題は、この手紙をどうするかだ。見なかった事にも出来るし、捨てることだって出来た。しかし、柚葉はそうしたくないらしい。手紙を見詰める目は迷っているように見えた。
     八戒にとって大寿という男は兄であり、憎みを抱いていた男である。母が死んでまだ幼い八戒に拳を奮った相手であり、何度も叱られ殴られた。自分の代わりに殴られる柚葉の後ろで、兄を殺したいと思うようになった。その結果が聖夜の闘いだ。
     兄へ刃を向け、殺そうとしたが仲間のおかげで殺人を犯さずに済んだ。大寿への怒りは、弱い自分に対する怒りでもあったことを仲間へ曝し、あれ程恐怖していた兄と向き合うことが出来たのだ。
     兄に対して恨み辛みが晴れたかと言えばそうではない。しかし兄の方から離れて距離が出来た今、それほど強く憎んでいる訳でもない。複雑な想いを抱えていた。八戒は手紙を見た時、「放っておけば?」と言いかけた。実際喉元まで言葉は上がって来ていたが、柚葉のなんとも言えない表情を見て言葉は飲み込まれることとなった。
     八戒と違い、柚葉は兄に対して更に複雑な気持ちを抱いているようだ。兄と対立してはいたが、その理由の大半は八戒を守るためでもあった。柚葉の方は兄を想う気持ちが八戒よりもあるのだろう。殊更、母が関係して来るのであれば兄へこの手紙を渡したいと思っているに違いない。八戒にはそれが見て取れた。
    「オレが届けて来ようか」
     八戒が口出してそう言ったのは、柚葉の気持ちを汲み取っての事だった。柚葉も大寿へ刃を向け、体を傷付けた。後悔の気持ちは八戒よりも強く、兄に会うのを躊躇っているのだと思ったからだった。
    「良いって、それならアタシが行くよ」
     柚葉が言った。また八戒に何かあったら――……そう考えているのだろう。八戒の頭には自分の前に立ち自分の代わりに殴られる柚葉の姿が思い浮かべられて、柚葉の中で八戒は守るべき存在のままなのだと思うと声を上げずにはいられなかった。
    「オレが行くって。次いでにタカちゃんにも用事あるしさ。ポストにでも投函して来れば良いだろ?」
     柚葉を安心させるように八戒が言うと、一度は納得したようだった。それでも矢張り自分も行くと言い出し兼ねないので、八戒は手紙を手に財布と携帯だけをポケットへ突っ込んで家を出る事にした。

    『ちょっと大寿んちに用事があってさ。その後タカちゃんちに行くよ』
     素早くキーを操作してメールを送る。兄貴分は納得してくれるだろう。家から出た八戒は前に聞いた住所を思い返しながら歩く。実家から少し離れたマンションに大寿は住んでいた。最初に聞いた時、一人暮らしをする資金は何処から出したのだろうと八戒は不思議に思った。今考えてみると、大寿はずっと前から家を出るつもりで準備していたのかもしれない。
     ――大寿が家を出てから、前よりも大寿のことを考えるようになったな。
     家に兄が居た頃は、早く出て行けば良いのにとばかり思っていた。それは柚葉も同じだっただろう。大寿の方も、あの家に居ることは肩身が狭かったのかもしれない。どの道、自分たちにした事を許すつもりは無いが。
     柚葉は兄の気持ちを少し理解しているようだった。八戒にとって怒りと憎む気持ちが強く兄が何を考えどう思っているか等考えた事は無い。だが、距離を置いた今思い出すのは暴力を奮う兄の姿だけではなく、幼い頃怪我をした自分を背負う兄の姿だった。
     刃を向けたこともあるのに、不思議なことに八戒は大寿を嫌いになり切れていないのだ。自覚する度、モヤモヤとした気持ちが胸に過ぎる。
     聖夜決戦。あの夜に自分は兄へ立ち向かい、前に進めたと思った。だけどまだ、何かが胸の内で燻っている。

     マンションの部屋に辿り着くまで迷う事は無かった。表札は出ていなかったが記憶が確かなら八戒が立つ扉の奥には大寿が居るはずだ。
     八戒は扉の前に立っていた。焦げ茶色の扉は何の変哲もない在り来りな物なのに重厚で冷たい物に感じる。
     ――ポストに入れとけば良いだけだろ。何を緊張する事があるんだよ。
     自分を奮い立たせるように、八戒は両頬を叩く。傍から見れば不審にも思われる行動だが、幸いにも頬を打つ音に出てくる者は居なかった。
     意を決してポストへ手を伸ばし、恐る恐る手紙を差し入れた。カタン、と音が立って手紙が落ちる。
     これで良い。サッサと此処から立ち去って慣れ親しんだ兄貴分の所へ行こう。
     簡単な事だが大きな達成感に包まれて、八戒は扉に背を向けた。兄と顔を合わせなかった事が八戒の安心感を絶対的な物にしていた。やっている事はお使いだが、八戒にとっては兄と対峙したような気分だ。誰かに自慢したい。兄貴分へ伝えて褒めて貰おう。きっと呆れたように笑うだろうが、「よく頑張ったじゃん」とでも言って八戒を褒めてくれることだろう。
    「八戒?」
    エレベーターに向かおうとした八戒だったが、その背に声が掛けられた。声は兄の物だと八戒は直ぐに分かった。振り返れば扉を開けてこちらを見る大寿の姿が。
    まる一年ぶりに見る兄の顔が、そこにはあった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator