『星座を為す』あとがき『星座を為す』あとがき
別名 弊カルデアのビリぐだクロニクル
プロローグ「ハッピリィエヴァーアフターの子守唄」
めでたしめでたしを眠らせる宣誓。今までばらばらに書いてきた短編を繋げる背骨のつもりで書いた掌編。本書のあらすじ兼書き下ろしパートです。
2部6章と「骸骨だって〜」を終えたぐだは死後の在り方を決めているので、その終わりに至るまでは生きたいと笑顔で言えるようになりました。文中の遠い未来の匂わせは「さよなら約束」にかかります。
FGO本編はどうなるのか分かりませんが、このカルデアのビリーとぐだは、きっとめでたしめでたしになるのだろうと思います。思いますじゃない、私がハッピーエンドにします。
①「君の瞳を信じてる」
1部開始から5章まで。
新人マスターがビリーの絆Lv5に上げるまでの話でした。身も蓋もない言い方をすると共通ルート。
ビリーと友達になった夜の話になります。ビリーの自認とマスターの期待や信頼はすれ違っているし、それに気づいても口にはしなかった頃。言わなくても良いことを言わなかったのは、それだけ距離が近いという信頼や驕りがあった。
ビリー、ぐだ共に相手を友だと思っています。同じくらい、相手に自分を友だと思ってほしい頃です。
②「地獄で待ってて」
終局特異点の前夜。
初めて書いたビリぐだでした。
感情の動きとしては、友情と敬意と好意と憐憫を包括した感じ。死にゆく者へ手向けるようなとびきりの優しさと怒りとやけっぱちがある。
生きている者が死のみに救いを見出すことに年々身勝手に許さなさが積もります。ただ第1部完結直前のマスターは生きることより死ぬことの方がよっぽど卑近となっていたのでしょう。だから明日の時間割を思うほどの気楽さで地獄を眼差した。多分ね。そんな望みは生きている人間にとって本物ではない、メッキ(鍍金)を被った永遠だよというのがタイトル回収。
この話のぐだは結構意識的にガキっぽく書いています。web版の方がもっとガキっぽいです。内容はほぼ変化はありませんが、細かい表現がかなり古くておののきながら直しました。もう5年くらい昔に書いた小説です。
③「片道切符の覚悟はしない」
1.5部1章直後。
このあたりになると、ビリーは本格的にマスターに好意を抱いていますね。多分カルデアに走って帰ってくるマスターの姿で踏み外しました。「僕ら、〜」の描写はそういうことだったのでしょう。この後書きを書いていて気づいた。
でも本人にその自覚はあまりないです。あんまりないのにキスを強請っている。彼は自分が死者であり使い魔であるという意識が著しく希薄です。この認識は現状に対して非常に甘い考えなので、「恋であるなら〜」において生きている人間と真正面から対峙する際にバッドステータスとして効いてきます。
ただまあこの話においては、ビリーのまるで自分は生きているようだという蒙昧さが、自分の抱く好意は可哀想で可愛い女の子に対してのものであり、彼女という個人に対するものではないと盲信するための原動力となっていました。
そもそもマスターとサーヴァントという関係性であるので、ビリーがぐだに命をかけることと、彼個人が抱いている彼女への好意は一切の相関性がないはずなんですよね。だからこそ、あそこでキスを強請ったことが今ここにいるビリーというサーヴァントの自意識や特異さの表出とも取れるわけです。
ちなみに、ぐだというマスターがビリーというサーヴァントをただの友だと思い込んでいることの愚かささは、2部(正確にはその直前)で自覚されます。そして割り切り方を間違えて「人の殺し方を教えて!」と言い出します。バッドコミュニケーション。
告解です。この話の元ネタは一昔前に「シティーハンター史上1番エンディングの入りが最高」とバズったあの回です。
④「恋であるなら荼毘に付せ」
1.5部3章〜4章の間あたり。
時系列順にしたら連続でトンチキ新宿が舞台になってしまった。
多分うちのぐだはこの話以降は成人済みです。愚かしくもビリーの年齢に追いつけるという余裕が生じています。人間とサーヴァントで年齢の話をしても仕方ないのに。
短編を1冊の同人誌と組み替えるにあたって、ひとつの骨子としてビリーとぐだの恋愛感情の推移を設定しました。そのため特に恋と愛がその時点の彼らにとってどういう意味を持つのか?を再設定、調整しました。あんまり上手くできてないのはね、筆者の力量不足よ。
サーヴァントは座から召喚されるコピーアンドペーストだと解釈していますが、ビリーがそのコピペからはみ出した存在になった、そう自覚したのはここが起点です。一応ビリーはこの後からぐだへ向けたびりびりに破れた好意をひた隠し、私的な接触も抑えめにしていました。そんなことをやっているから最期の挨拶で暴発するんですよね。そもそも常日頃なににつけても諦めよう、諦めようと思っているのって、諦めていることのうちに入らないと思います。
この時点で好感度が相当高くないと現状ではハッピーエンド設定の「骸骨だって〜」にいけないんだな、というのは戯言です。ノーマルエンドが「きみのことなら〜」(web掲載版)だけど強制リセットイベント「僕ら、くたばりぞこない」が入る。「鍍金の永遠」は最高好感度時のトゥルーエンドでボーナストラック。何の話これ。
「ゆるさない」=「離さない」という空の境界構文を援用しています。あと「悪い子になったら叱ってくれますか?」でHeaven's Feelも引いてきています。
そしてこれは「骸骨だって〜」まで尾を引く誓約です。友情からは離れてしまい、恋愛感情を扱いきれず放っておいたふたりが、それでも付かず離れず途切れない関係で異聞帯へ行けたのはこの約束のおかげでした。叱るためには隣にいないといけないので。
許さないということは憶えているということで、その人の心あるいは頭、意識のうちにずっと専用の椅子があることだと思います。だからぐだは嬉しかった。ビリーはずっと、絶対に、自分を忘れないでいてくれると言ってくれたから。アヴェンジャーの忘却補正みたいな認識です。総じて神様でもないのに救済をかたる罰当たりどもの話。
生まれて初めて書いた年齢制限付きでした。まあ今作では全年齢版としてますが。
⑤「ランドエスケープの途絶」
2部開始直前、最後の夜。
これは改稿というか、再会パートがFGO本編にそぐわなくなってしまったのでカットしました。
「恋であるなら〜」で放逐したはずの恋がぐだの中に回帰しました。マスターはここで自らの恋を降伏したわけです。まあここから「僕ら、〜」に至るまでにそういう情緒は異聞帯の攻略で削られてしまったので、ビリーには気づかれないのですが。ぐだの情緒の復帰は失意の庭の踏破後になる、というのは私の解釈です。
愛が普遍なわけないんですが、恋は特化ではあると思うんですよね。人理に召喚されたサーヴァントならカルデアのマスターへ、愛している、なんて嘯くことはもちろん可能です。でもビリーがここで間違えたのは「愛してた」と過去形にしたところ。マスターは人類として、マスターという役割を持つ者として愛されることは、許容できるし嬉しかった。でもそこで過去形で言われたことでビリーの「愛」がいつか変質していたことに気づく。しかも彼自身はそれを分かりやすく目の前で捨てたわけです。
ぐだは怒る、同時にどうして怒ったのかを自問する。彼女はビリーのせいで、世界のための機構であったはずの自己へ感情を問うてしまった。自らに感情があることを認めたら、機構は人間に戻ってしまいます。だからここから恋がリブートされる。
ちなみにこのときビリーはぐだが自身の恋を認めた瞬間に「嫌い」と宣い、なおかつ多分愛してたとかいう曖昧な過去形を言い捨てて消えたので、マスターに芽生えかけの恋心がズッタズタになりました。それを受けて「僕ら、〜」の冒頭のぐだは本人は無自覚だけどいささか不貞腐れているわけです。そしてパッドコミュニケーションと怪我の功名を両得するわけですね。これは拙い。
⑥「僕ら、くたばりぞこない」
2部2章後くらい。
もはや子供ではなくなってしまったマスターと再会するビリー。この娘が地獄になんか落ちてほしくないと気づきました。この時点で「鍍金の永遠」の種は蒔かれていましたが、ビリーが自分の口にした約束を過小評価していたので放置されます。
[きみが世界で一番幸せな子供だったときに、僕が殺してあげれば良かったね。]
多分この瞬間がビリーの諦念の極地になります。おそらくこの会話の間にマスターがほんの少しでも自分から銃口に歩み寄ったら、ビリーは考えるよりも早く撃ち殺していました。可能であるだけのあり得ない話です。
殺してあげるのが最善だったけどマスターは生きてしまっているので、その上で死ねないと言い放ったので、ビリーは自分を召喚して認めてくれた女の子ではなく、ただの生きているリツカが好きなのだと理解します。恋心に全面降伏した瞬間。同時にもう何もかもを諦めた素振りも、やけっぱちで無茶をすることも、ひたすら自らの自由のために振る舞うこともできなくなります。ビリーの自我にマスターの存在が組み込まれたためです。少年悪漢王としては弱体化ですけど、ぐだのサーヴァントとしては強化です。
[この少年悪漢王が知っていることは、若くして殺される方法くらいだぜ。そんなものを君に、今生きている君に、教えられるわけがないだろう!]
今回の追記でいちばん気に入っている独白です。
⑦「骸骨だって返してあげない」
2部6章と、その1週間後。
大人になったマスターと、二度と大人になれないビリーの決着。
冒頭の2部6章のなんちゃって獣の厄災パートは、本作中でも飛び抜けてグロテスクな描写を含みます。正直なところサーヴァントの肉体がここまで人体構造に寄っているか?については微妙ですが、公式コミカライズのトゥルス・レアルタでは結構血飛沫ばりばり一部欠損ありなのでそういうことにしました。1部5章の暗殺チーム壊滅戦でまっぷたつになるビリザキさんを見つつ。
本書における彼らの恋の過程は、目を奪われる、思考を持っていかれる、自我の一端が食い潰される、ように書いています。元々サーヴァントやマスターとしての意識が肥大化するために削られている自我を、更に他者のために分け与えている。それってサーヴァントから人間に捧げられる最も大きな献身ではないでしょうか。
最後の問答まわりはかなりweb版から加筆、変更しました。正直なところ、あのオチは自分の中では納得いっていなかったので。今回時系列順に考え直していったときに「恋であるなら〜」の約束がラストシーンに反映できることに気づき、あとは元々の文章と新規で追加した彼らの恋愛観といくつかの約束をテトリスしました。許さない、はなさない、が、無意識に伸ばしていた手と接続できるのには驚きました。伏線は後から耕すもの。
でも本当は、事ここに至って彼らの関係に言うべきことはありません。
⑧「鍍金の永遠」
⑦の直後。
手を繋いだふたりの瞬きの空隙と紛い物の永遠を担保する約束の話です。
web版のタイトルコールに書いた通り、このお話は存在自体がボーナストラックです。あってもなくても良い話。ひとつの物語の結末には影響を与えない面影。
それでもぐだにとっては、おそらくビリーにとっても、永遠にしたい景色であったのではないかと思います。お互いにお互いへ願うことは異なりますが、それを知った上で隣にあり続けたいと祈っているふたりです。今ここが地獄で良い。だから今ここが、ハッピーエンドの1秒前です。
⑨「さよなら約束」
時系列の外。
現代転生風味のビリぐだです。
晴れた日の下ですれ違ったふたりがおんなじ速度のまま別れる話。でもこの星は丸いので、ふたりがこのまま歩み続ければ、いつか必ずまたぶつかるはずです。
ハッピーエンドの後にある物語で、わたしは呑気に人生を語ります。自分もまた何かの物語の中にあることを知らないまま。
開拓するべき土地を失って久しいアウトローは、既に他者から語られるべき物語を遺失しています。だからもう栄光も破滅も彼のものではありません。
名残の小指も解けて、ふたりはひとりとして生きていきます。サーヴァントであったビリーとマスターであったぐだのお話は、めでたくここに終幕となりました。
というわけでこのお話だけ世界が異なるのでタイトルの枠組みが違いました。棺の形です。
作中の教会のモデルは御茶ノ水のニコライ堂です。もちろん喫煙所はフィクションの存在です。
終わりに
生きているビリーの速度にマスターではない女の子は着いていけません。現状ぎりぎり隣り合わせでいられるのは、ビリーがもうとっくの昔に死んでいるからです。
生まれて初めて2次創作同人誌を作りました。二度とできない気がします。世の中って奇跡で溢れてる。こうして私のような者が本を出すことができたのは、ひとえにフォロワーさんの励ましと、ひどく幸運なことに読者の方からいくつもの感想をいただけたためです。それらを勝手に支えとして、どうにかものを書き、書いたものを削り、ひとつの物語として仕立て直しました。身勝手ではありますが、本当にありがとうございます。本当に、助けられていたのです。
嘘みたいに長くてきしょいですわねこの後書き。
というわけで、最後に FGOどころかFateシリーズをまっっったく知らないのに約60,000字の校閲を快諾してくれたうえに、話ごとの最強セトリまで考えてくれた天才こと友人にSpecial thanksを捧げておしまいとします。
それでは今これを読んでいる、あなた、に最大級の感謝を!
2022秋 ビリぐだイメソン
『マリアージュ』/文藝天国
『海馬』/RADWIMPS
『Hitman』/King Gnu
『blind summer fish』/坂本真綾
『荒野より』/中島みゆき
『Lost』(instrument)/ReoNa
『GET WILD 』/T.M.Revolution
『アウフヘーベン』/Mrs.Green Apple
『downtown boy』/松任谷由美
『埠頭を渡る風』/松任谷由美
→これらは正確には喧嘩別れする現パロビリぐだですが…せっかくなので……。
『リトル・エスケープ』/スペクタクルP
→「さよなら約束」のふたりです。
あなたのおすすめのイメソンはなんですか?良かったら、こっそり教えてくださいね。
延長戦
『burst』
絶対絶対絶対現パロビリぐだは別れるんだよ!!!!!!!!!の一念だけで書きました。私は別れ話とdowntown boyが大大大大大大大大大好き!
真面目な話をすると、ビリーが生来生粋のアウトローであるならば、ありふれた人間で人類の中央値であるぐだとは一緒にはいられません。
でもここまですれ違いの喧嘩別れになったのは、ひとえに恐ろしくタイミングが悪かったからです。以下からは完全に本編のどこにも書いていない話になります。
冒頭のビリーは学ランを着込んでいますが、これは母親の通夜の後だったからです。彼はこのまま、何も言わずにぐだをバイクに乗せて当てもなく連れ去るつもりでした。反対にぐだはこのとき高2の2月で、そろそろ受験勉強に本腰を入れることを彼に伝えるつもりでした。見ているものが違いすぎましたね。でもタイミングが悪かっただけで、この時空の彼らももっと自然に別れることが可能でした。
ハッピーエンド時空こと『さよなら約束』の方のふたりとの差は、ビリーと母との死別の時期です。どちらの時空でも彼の母親は日本人との間にビリーを設けるも別れ、在日米人と再婚するが病弱であるため早くに亡くなると設定しています。再婚直後のビリーがごく幼い頃に亡くなったのがハッピーエンド時空、ビリーが高校生くらいに亡くなったのがバッドエンド時空です。
そのためハッピーエンド時空では、ビリーはアメリカに帰国した義父に連れられ日本を離れます。ハイスクール、カレッジに通い、長期休みに日本へ里帰りしたときにぐだとすれ違うわけです。
現パロ時空において伝承におけるビリー・ザ・キッドのように悪く振る舞うほど、彼の命運はいつかのアウトローのものに引きずられていく、という設定でした。まあでもそんなことは小説のどこにも書いていません。
タイトルがブラックジャックにおけるburst、ポイピクのパスワード「22」(享年を超えている)から、これはバッドエンドではなくデッドエンドですよ〜の雰囲気を出してみたつもりでした。なんと嫌な予感に気がついていただけた方がいらしたので、私はとっても満足です。