最初に送られてきたのは、ぼんちネコのアップの写真だった。
正確にはぼんちネコのぬいぐるみの顔部分のアップ写真だ。
その写真がSNSの同級生五人がメンバーのグループに迅から送られて来たところまでは、まだいい。なにしろこのぼんちネコは迅が愛してやまないぼんち揚のキャラクターだ。
問題は次に送られてきたメッセージである。
『あggggあ aたggg?』
……なんの暗号だろうか?
嵐山も他の三人もその後の続きがあるのかと思い、しばらくスマホの画面を見守っていたが……それ以降迅からのメッセージはなにもない。沈黙である。
……このぼんちネコの写真と謎の暗号を解けということだろうか?
しかし考えてみたがこの暗号を解くことはできなかった。ヒントを求めようかと嵐山が思った頃、痺れを切らした生駒からの『なんやこれ!』というメッセージが届く。続けてそんな生駒に同意する柿崎と弓場からのメッセージが届いている。なんとなくこの波に乗らなきゃいけない気がして、嵐山も慌ててみんなに同意するスタンプを送った。
だが、迅からの返事はない。
いよいよ心配になり電話すべきだろうかと思い始めた頃、やっと迅からの反応があった。……残念ながら、そこには暗号の答えではなくぼんちネコの写真だったのだが……。
今度はぼんちネコぬいぐるみの全身の写真だった。
場所は見覚えのある迅の部屋だ。迅の部屋のベットに寄りかかるようにして写されたぼんちネコのぬいぐるみ……ただ、全身が写され迅の部屋のベットが写っていることで気付いたのだが……大きい。
『なんかでかくねぇか?』
同じ部分に気付いた弓場からのメッセージに今度はぼんちネコぬいぐるみがベットに横になり、大きさを比較するためなのか、そのぬいぐるみの横にぼんち揚を並べている写真が送られてきた。
その写真を見て、嵐山は全てを理解する。
『当たったのか!』
嵐山の送ったメッセージに迅から同意と喜ぶスタンプ(これもぼんちネコのスタンプである)が連打されてきた。
『あ、もしかして特大ぬいぐるみが当たったのか?』
『ああ、あの迅が必死で申し込んどったやつか!』
『良かったじゃねえか』
迅がぼんち揚のキャンペーンで当たるぼんちネコ特大ぬいぐるみが欲しいがために大量に、いつも以上の勢いで消費して申し込んでいたことを知っている友人たちは、おめでとうとメッセージを送ってくれる。
迅も喜びとお礼のスタンプを引き続き連打していた。
きっと、特大ぬいぐるみが当たって(七夕に短冊に書いて必死で願うくらいだ)よほど嬉しいのと、早く知らせたかったのだろう。それであの最初のアップ写真と……たぶん当たったと打ちたかったのにカナと英語入力がごちゃごちゃになった上に焦ってそのままメッセージを送ったのだろうなと嵐山は想像して、そっと笑う。
いつもの飄々と余裕ぶった実力派エリートとは思えない様子だ。きっと玉狛でも玉狛第二の後輩がいる手前、カッコつけて嬉しさをぶつけることができなかったのだろう。同い年の自分たちの前では迅は実力派エリートや先輩でいる必要はない、ただ素直に子どもっぽくても素を晒してくれることが嵐山は嬉しかった。
気付くと、迅がぼんちネコぬいぐるみとのツーショット写真が何枚か送られてきている。完全に浮かれて自撮りし始めたカップルみたいな構図の写真だ。
『嬉しいのはわかったから、もういいって』
『もう迅の写真はええわ』
『おい、キメ顔でギャルピはやめろぉ』
『弓場ちゃんがギャルピ言っとるで!』
「……よし」
迅とぼんちネコのツーショット写真を素早く保存しつつ、嵐山は部屋の隅でのんびりしていた愛犬を呼んだ。
『嵐山まで参戦すんな』
迅に対抗して、愛犬とのツーショット写真を送ってみる。すでに迅とぼんちネコぬいぐるみのツーショットに見飽きてきたのだろう、一気に迅の写真への興味を失い話題は嵐山家の愛犬コロがメインになってしまった。それに迅が「もっとおれの喜びを聞いてよ!」と訴えてきたが、軽くスルーされてしまっている。
そんなやり取りを楽しみつつも、嵐山はそっと自分のベットの方を見た。
ベットの向こうに置かれている大きな袋。
手にしていたスマホを置いて、嵐山は腕を組み考え込む。
さて、どうしようか……。
考え込む嵐山を心配そうにコロがのぞき込んできたことに気付き、大丈夫だぞと言いながらコロをなでる。
なでながらも、視線はベットの向こうの大きな袋だ。
迅がどうしても欲しいと言って必死でキャンペーン用にぼんち揚を食べて応募するために集めていたのを見ていて、なんとなく……本当になんとなく自分も申し込んでみたのだ。
迅から送られたぼんち揚が隊室にも自宅にもある。隊室では食べ盛りの隊員がいるし、家では妹や弟のおやつとして、母や祖母のお茶菓子として、父の晩酌のつまみとして、家族が多いので消費する機会はあった。(それを迅に言うとさらに段ボールで持ってきそうなので絶対言わないが)
なので申し込み一回分くらいは溜まっていたので、嵐山も申し込んでみたのだ。きっと外れるだろうと思っていたし、当たればラッキーくらいの気持ちで迅に言うことなく一口分のみだけ、迅の特大ぼんちネコぬいぐるみが当たる確率が少しでも上がればいいなと思いながらポストに入れた。
正直、申し込んだことを忘れていたのだが……今日、自宅へこの大きな荷物が届き思い出したくらいだ。……まさか、たった一口分しか申し込んでいないのにそれが当たるだなんて思いもしなかった。
当たったことに驚きつつ、迅に伝えなきゃなと思ったタイミングでの迅のあのぼんちネコぬいぐるみアップ写真が届いたのだ。
迅が当たって本当に良かった。あんなに欲しがっていたのだ、心の底からそう思う。と、同時に自分が当たってしまったこちらのぼんちネコぬいぐるみはどうしようかとも思う……すでに迅の元にはぼんちネコぬいぐるみが届いている。このぬいぐるみは不要だろう。
「どうしようかな……」
***
あの後、結局嵐山は自分が当たったぼんちネコぬいぐるみをどうするかの結論を出すことができなかった。
とりあえず迅に伝えるのは無しだなとは思うが、だからと言って妹や他の誰かに渡すのもどうかと思い、そのまま嵐山の部屋の住人と化している。時々、大きさがちょうど良かったため迅に会えない日が続くと嵐山の抱き枕状態になったりしていて、だんだん愛着すら湧いてきた気がしていた。このまま自分の部屋に置いておくのもありなんじゃないかと思い始めた頃だった、その日の夕方に迅が嵐山の自宅を訪ねて来たのだ。
「じゅーん、迅くんが来たわよー」
玄関からそう声を掛ける母の声に嵐山は驚いた。
迅が来るなんて連絡も来ていないし聞いていない。一体どうしたのだろうかと思うよりも、このぼんちネコぬいぐるみをどうしようかという思いが嵐山の脳内に浮かんだ。
迅に知られないようになくてはと思って、とっさにベットの下に隠す。万古不易、隠しものはベットの下なのだろう。
ベットの下からのぞくぼんちネコのぬいぐるみの表情がどこか窮屈そうだったが、心の中ですまないと謝りながら部屋から出て嵐山は玄関へ向かった。
「迅!」
「よー、嵐山」
「どうしたんだ? 連絡もらってなかったよな?」
「あー、うん。突然悪いな。帰ろうとしたときに貰ってさ……今日、玉狛でおれとボスしかいなし食べきれないなと思って嵐山家にお裾分け」
そう言って迅は手にしていたビニール袋をかざして見せた。
メロンの匂い、熟したメロンの匂いだ。
熟しているし早めに食べたほうが良いと思ったのだろう。迅と林籐の二人でメロンを向かい合って半玉ずつ食べるよりも、嵐山家の家族みんなで食べてもらうほうが良いと迅は判断したのだ。
あら、いいの? ありがとう! と、嬉しそうに嵐山の母がそのメロンを受け取る。
「いつもお邪魔したときに夕飯とかご馳走になってますから」
「今日時間あるんでしょ? 夕飯食べていってね」
「はーい、ごちそうさまですー」
嵐山を前に迅と母はニコニコしながら話を進めていき、今日の夕飯は迅も一緒にということになったようだ。もしかすると迅も玉狛で林籐と二人きりで夕飯を作るのが面倒になり、カップラーメンを食べるよりも嵐山家の夕飯をご馳走になるほうが良いという下心があったのかもしれない。それはそれで林籐には申し訳ないが嵐山は迅と夕飯を一緒にできるので嬉しいのだが……。
夕飯の準備ができるまで迅は嵐山の部屋で過ごすことにした。
迅が部屋に入った後に嵐山はお茶を取ってくるなと言ってキッチンへ向かう。冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出すときに、キッチンから煮物の良い匂いがしてくる。食後にはきっと貰ったメロンがでてくるのだろうなと思いながらコップを持ち部屋に戻る頃には嵐山はすっかり忘れていたのだ。
部屋に戻ったときに忘れていた事実に衝撃を受けることになる。
迅が、嵐山のベットの下をのぞき込んでいた。
「っ! じ、迅……なにやって……」
「……古今東西ベットの下には見られたくない物を隠すって言うのはセオリーだと思うけど……これは予想外すぎて……」
「じ、迅……これは……」
「ぼんちネコちゃん……」
そう言いながら迅はベットの下からズルズルとぼんちネコぬいぐるみを引っ張り出した。そしてそのぬいぐるみを抱える。
「しかも特大……」
「こ、これはその……」
「……あー……これ、ああー……うあー……」
嵐山が言い訳をしようとしたが、そんな嵐山にお構いなしに迅はよくわからない呻きのような声をあげて抱えていたぼんちネコぬいぐるみに顔を埋める。
迅の反応についていけず、嵐山は目を丸くしたまま迅を見ているしかできなかった。そのままゆっくりと迅の前に座り、持っていたお茶のペットボトルとコップを置いてから迅に声を掛ける。
「えっと、迅? 大丈夫か?」
「……嵐山の匂いがする」
「えっ……、あ、ああ……何回か抱き枕にしたからかな」
「ううう……」
「……なんか恥ずかしいから、それ返してくれ」
自分の匂いがするというぼんちネコぬいぐるみをいつまでも抱えて顔を埋めていられるのが恥ずかしくなり、嵐山は取り返そうとするが迅はなかなか離そうとはしなかった。
「迅!」
「嵐山がさ……特大ぼんちネコぬいぐるみを抱き締めて寝ているのが視えたんだけど、てっきりそのうちおれの部屋に来たときの未来かなーって思ってた」
嵐山の部屋にあるなんて知らなかったから、てっきり自分の部屋にある自分のぼんちネコぬいぐるみを抱き締めているだと思っていたのだ。はっきり視えていたから確定した未来のはずなのに、なかなかそんな日が来ないのでおかしいと思っていたのだと迅は言った。
「……俺も当たったけど、迅も当たって持っていたし……なんか言い出せなくて」
少し気まずそうに言う嵐山をチラリと迅は見る。
「今更だけど、迅……このぼんちネコぬいぐるみ、いるか?」
元々は当たったら迅に渡そうと思っていたのだ。もしいると言ってもらえるのなら迅に渡したいと思ったので、嵐山はそう聞いた。さすがに二つもいらないと言われるかもしれないことは覚悟はしている。
なにか考え込むように迅は腕の中のぼんちネコのぬいぐるみを見つめ、その後にもう一度嵐山をチラリと見上げた。
二人の視線が合う。
「……こっちのぼんちネコちゃんさ、あっちの部屋に置いてもいい?」
「え……」
「嵐山の部屋にいてもいいと思うけど、そのうちコロのおもちゃになっちゃう未来が視えたし」
「あー……ああ、うん」
確かに……未来視のサイドエフェクトがない嵐山でもなんとなくそんな未来は予想できた。コロに悪気はなくても、元気いっぱいに遊ぶうちにクタクタになってしまいそうだ……。
「うん、迅がもらってくれるなら……どっちにしろ当たったら迅に渡そうと思っていたから、それで構わないぞ」
「へへ、やった」
ぎゅっとぼんちネコぬいぐるみを抱き締めて迅が嬉しそうに笑った。いつもよりゆるい笑顔だったので、嵐山もつい一緒になって笑う。
その後、夕飯の用意ができたと声が掛かるまで迅はずっとそのぼんちネコ特大ぬいぐるみをずっと抱えていたのだった。
結局、今夜も明日以降も迅がセーフハウスとして借りている部屋に行く予定がなかったため、もうしばらく嵐山の当てたぼんちネコ特大ぬいぐるみは嵐山の部屋にいることになった。
近々、迅のセーフハウスとして借りているあの部屋に引っ越す予定だと思うとほんの少しだけ寂しくなるなと思いながら、ベットの上で抱き枕のようにぬいぐるみを嵐山が抱き締める。
「あ……」
迅の匂いがする。嵐山の好きな匂いだ。
この部屋に迅がいるときずっと腕の中にいたからだろう。
「……」
ぽふっと嵐山はぬいぐるみに顔を埋めてその匂いを堪能する。
……嵐山は迅の匂いが好きだ。それを迅は知っていた……普段はやめて、匂い嗅がないでと嫌がる迅だが、今回はあえて自分の匂いが好きだという事実を利用して嵐山がこうやって自分の匂いがするぬいぐるみを抱き締めるだろうと思って、ずっとこのぼんちネコぬいぐるみを迅が腕の中に収めていたことを嵐山は知らない。
きっとこのぼんちネコぬいぐるみが迅のあの部屋に来るまで、嵐山はこうやって何度も抱き締めるのだろう。そうすることで嵐山の匂いがこのぼんちネコぬいぐるみに移ることを企んで、それが見事成功し迅がご満悦になることを嵐山が知るのはずっとずっと先のことである。
「え? いつから企んでいたって? えーとね……嵐山がこのぼんちネコちゃんをいるかって聞いてきたあたりかな。いや、なんか……一人であの部屋にいる時に嵐山の匂いがするぼんちネコちゃんいたらいいなーって……いやいや、そんな変な人を見るような目はやめてよ。嵐山だって似たような物でしょ! なんでおれが言うとそんな目で見るのさ……イケメンだから許されるって訳? ひどい! イケメン贔屓だ! ……ん? なんで嵐山がおれの匂いが好きだって知ってたか? ええ? 気付かれていないと思っていたの? あんだけおれに抱きつきてスンスンしていたら……いだだだだ! 首折れるから! 恥ずかしいからっておれの顔を全力で押すな!」