独白かつてより、その姿は余りに目にする機会が多かったものだから──天神像ですら"其れ"を模すものとなっている。石錠を眺め、諦めることなく解析を試みようとするあの方の肖像。”忘れていいのだと言われたのだがな”と、あの方は昔呟くと、自嘲の様に笑ったことを覚えている。
私の記憶の始まりでは、まだその姿を見ることはなく……あの方は敵だらけの大陸で弱く脆い人々の守護者として、恐るべき力を震い続けた。それこそがあの時代に求められた神の強さだったけれど、山岳の奥で静かに暮らしていた幼い私は畏怖を抱いてしまい、訪れる彼に自ら声を掛けることなど、しばらく出来なかった。
留雲真君の足もとに隠れ、震えている私を困った顔で見下ろすあの方の姿を忘れられない。──今のように、何気ない言葉を口に微笑み頭を撫でてくれるような所作はあの頃には身に付けておられなかった。勿論、終わりの見えない戦いに身を投じ槍を握るあの時期に、穏やかさを得る余裕などなかったはず。
でも、その頃のあの方のことも私は好きでした。──ええ、きっと好きでした。ひと薙ぎで山河を割るようなあの方が、泣いていた私に気の利いた言葉を見つけられず、無言で差しだした白い花を忘れられない。その味を口にすれば息遣いまでも思い出せる、触れようとして戸惑い引っ込めてしまったあの無骨な指先も。
あの時代の事は私が忘れてしまったことも多く、それは悲しみも苦しみも含んでいて──きっと、何千年も感じ続けては耐えられないものだったのでしょう。けれど、あの方は過去の出来事を一つも忘れることができない。
私は思う、人々の願いを叶え続けた神様の願いは──いったい誰が叶えてくれるのだろう、と。
あの方は今日も石錠を見つめ続ける。凡人の中にお隠れになってなおその習慣は続いている様子だった。いつか、解けるといい。……それとも、お役目を離れたあの方は石錠まで解いてしまったら──本当に思い残すことがなくなってしまうのだろうか。それは、何だか怖い。
私はあの方のために何を願うべきなのだろう。
どうか、際限を知らず重ねられ続ける記憶のなかに──幸せな時間が少しでも多くありますように。私は祈る。あの方以外の誰かに祈ることがあるなどと、考えたことはなかったけれど……願わくば、失われ続けるものへの傷が癒えるほどの喜びが、どうかそこにありますように。