IT社長の藍湛×優秀秘書の魏嬰「‥‥!」
魏嬰は目を覚まし、勢いよく起き上がる。全力で駆け抜けたようにハァハァと息が上がる。隣で眠っていた藍湛が不自然な呼吸音に気づき、体を起こした。魏嬰の様子がおかしい。落ち着かせるように優しく魏嬰を抱き寄せた。
「どうした?」
「は‥‥っは‥‥あれ、ここは‥‥?」
「ここは私と君の寝室だ。何か…悲しい夢でも見たのか?」
「俺のせいで…大切な人が…江家の人たちがたくさん亡くなったんだ…それで、俺は色んな奴から恨まれるようになって…」
魏嬰の涙を指で拭ってやり、抱き寄せた背中をさする。
「なぁ、今はいつだ?みんなは生きてるのか?」
「2021年10月31日。君の誕生日だ」
「…そっか、…そうだった‥‥」
「誰にも恨まれていない。江家は君を大切にしている。そして今日は私達の家族、友人を招いて祝うと決めた。これは覚えている?」
「うん、うん…‥そうだったな。そうだ。二人でそう決めたんだ。覚えてる」
魏嬰は涙が止まらなかった。
「みんな、生きてるんだな……良かった」
藍湛はベッドの隣下にある小さなクーラーボックスからミネラルウォーターを取り、ふたをあける。
「水を飲んで落ち着きなさい」
「ん‥‥‥‥」
水を受け取り、コクリ、コクリとゆっくり流し込む。
藍湛は袖で魏嬰の涙を拭い、飲みかけのペットボトルを脇に置いた。
「魏嬰、どんな夢を見た?」
まだ悲しい顔をしている彼の頭を胸に抱き寄せ、肩や背中をさすってやる。
「変な夢だった。俺が‥‥2回死ぬ夢」
藍湛は眉を寄せる。
「一回目は悲惨な死に方だったけど、二回目は‥‥お前に見守られながら死ぬ夢だった。幸せだったけど、すごく胸が痛かった」
藍湛は黙って魏嬰を抱きしめる。
「いたい、いたい、藍湛」
藍湛は力を緩め、優しいキスをした。
「魏嬰」
「ん、なに」
「愛してる」
「うん、俺もだよ‥‥‥‥ずっと俺の事見てて」
夢の中の藍湛は髪が長く、少し年老いていた。その彼と重なり、魏嬰は自然と言葉が出ていた。
『ずっと見ていて。俺の事。だから、ちゃんと最後まで生きるんだぞ』
死ぬ前、藍湛の瞳を見上げながらそう言ったのを思い出した。
* * *
「魏嬰、起きて」
「う、うぅん、いい子の藍湛、よしよし、いい子だからもうちょっと寝かせて」
「今日は8時に起きる約束。もう江家のあの人達が来てる。」
約束、江家のあの人達が来てる、と聞いて魏嬰はパチリと目を覚ました。
「阿羨!27歳のお誕生日おめでとう!」
「ありがとう、師姉」
江家は代々長く続く武術を教える家系だ。魏嬰の親が南米地域で身寄りのない子供たちの支援をする活動をしている間、魏嬰は家族のように扱われ、江家で暮らしていた。
「ふん、江家を手伝うと言ってたやつがわけのわからんゲーム作りにハマりやがって」
「阿江、そんな言い方しないの!」
姉に咎められ、江澄は黙る。江澄は未だに魏嬰が自分の下で仕事を手伝ってくれることを望んでいた。魏嬰は江澄の本当の気持ちを把握していた。その言い草に腹を立てることなくやりすごす。
「阿羨、あなたの好きな料理をたくさん作って持ってきたの」
料理研究家として名を上げている江厭離の料理は最高だ。
「ありがとう!師姉、最高の誕生日プレゼントだよ」
「ウフフ料理だけじゃ無いの実はね、阿江」
弟を促し、江澄は片手で1枚のチケットを魏嬰に渡した。
「3名分の南米行きの旅行券?」
「私と、阿澄と、貴方の3人で旅行に行きましょう?もうね、貴方のご両親には連絡してあるの」
両手でそのチケットを受け取り、嬉しそうに顔を上げた。同時に、藍湛を見る。
藍湛は南米に魏嬰の両親がいる事を知っていた。微笑み、魏嬰の頬を撫でる。
「仕事は大丈夫だ。私に任せて、安心して行ってきなさい」
「‥‥うん!!」
魏嬰は江厭離の手を握り、感謝を込めて言った。
「嬉しいよ、本当に。母さんと父さんに会うのは久しぶりだ」
インターホンの音が鳴り、魏嬰は玄関のドアを開けに行った。ディスプレイに映る子どもたちについ顔を綻ばせる。
ドアを開けると同時に、予想どおり、ぱぁーん!と大きな音が鳴った。既にディスプレイで藍景儀がクラッカーを構えているのが見えていたので、魏嬰は片耳を小指で塞ぎながらドアを開けていた。
プレゼントを抱えた藍思追と藍景儀が満面の笑顔で魏嬰を祝う。
「「魏先輩!お誕生日、おめでとうございます!!」」
そして二人は左右に移動し、後ろに隠していた人間の背中をばん、と押した。江澄の甥の金凌だ。恥ずかしそうに横を向きながら花束を渡してきた。
「………………おめでとう」
魏嬰はぷるぷると震えて、まとめて三人を抱きしめた。
子どもたちを江厭離に任せ、次の訪問者を対応する。
「久しぶりね」
「魏さん……お久しぶりです」
医学学会の会長をしている温情と、弟の温寧だ。
「来てくれてありがとう、本当に久しぶりだな。温寧、医師国家試験には受かったのか?」
「また、落ちました…………」
魏嬰は笑い、二人を中へ招き入れた。
「魏嬰、もう中でパーティが始まってしまった」
「ははは!みんな勝手過ぎるだろ!」
藍湛は両手で魏嬰の頬を包んだ。
「みんな、生きてる」
藍湛のその言葉に、魏嬰はピクリと肩を揺らした。
「君が生きている事を、皆が喜んでる」
「うん…………」
魏嬰は藍湛に抱き着いた。
藍湛は気にしてていたのだ。魏嬰が取り乱した数時間前の事を。この静かな夫は本当に言葉が少ない。しかし魏嬰にはしっかり伝わった。生きる事を歓迎されていると。
「藍湛、藍湛、大好きだよ、愛してるよ」
「私も君を愛してる」
口づけをしようとしたその瞬間、「ん”ん”!!」というわざとらしい咳が聞こえた。
聶明玦だ。腕を組み、ジロリと見下ろされる。隣には困った顔をしている兄の藍曦臣と、その友人の金光瑤がプレゼントの包みを持って立っている。
「忘機、いくら新婚と言えど、慎みは大事だよ」
「せめて玄関は閉めておきましょう」
藍曦臣と金光瑤に注意され、藍・魏はソっと離れた。
魏嬰を祝うために続々と人が訪れ、いつのまにか比較的広いはずの一軒家の中には人が密集して大変な状態になっていた。魏嬰は天子笑を片手に、来てくれてありがとうと個々に感謝を述べていった。途中色々(酒を口に含んでいた魏嬰にキスをし、酔った藍湛が魏嬰をどこかに連れ去ろうとした)あったが、パーティの最後は藍湛の琴と魏嬰の笛で合唱を披露し、大いに盛り上がった。
* * *
――――4日後。
「社長、最後の資料です」
スラリとした細身の青年が資料を渡した。
藍湛は黙って魏嬰から資料を受け取り、一読する。パサリと置いて、魏嬰の腕をつかみ、自分の膝へ座らせる。
「疲れましたか?」
魏嬰が振り返り、藍湛を見上げる。
「うん。君は?旅行先ではしゃいで来たんだろう。疲れていないのか」
海外から帰ってきたのは午前10時。すぐに魏嬰はココナッツ柄の服を脱ぎ、スーツに着替えて出勤したのだ。
「ぜんぜん。この仕事、おもしろいですから」
魏嬰は社会人となってから、仕事中は徹底して敬語で話すようになった。そう藍湛が希望したからだ。
魏嬰の性格は魅力的過ぎた。少し話せば誰もが魏嬰の虜になってしまう。敬語を使わせると多少の壁を相手に持たせる事に藍湛は気づき、魏嬰に敬語を普段から使うように願ったというのが本来の理由である。実のところ、魏嬰はなぜ仕事中に敬語を強要されているのか、良く知らない。社会人としての経験が無いまま、在学中に藍湛の会社で働くことになった。誰に対しても、敬語を使うのが当然だと藍湛に教えられ、そのようにしているまでだ。
「どうして社長はこの仕事を選んだんですか?」
初めのうちは同い年である藍湛に敬語を使うのをためらっていたが、もう今では慣れてしまい、こうしてくっついている時でも敬語が出る。
「君が楽しそうにしているところを見たかったから」
「ふふ、俺のため?」
「うん」
まだ二人が大学生だった頃、魏嬰が呟いたのだ。おもしろい仕事に就きたい、と。藍湛は考えた。魏嬰の興味が持続し、楽しく継続して続けられる仕事とは何なのか。
しかし彼のコミュニケーション力、新しいものを生み出す大胆な発想力、高い好奇心、それぞれを生かせるようなマッチした仕事は思いつかなかった。なら、自分が生み出せばいいと考えたのだ。計画を練り、会社を立ち上げ、大学2年生だった魏嬰を誘って実行してみた。
仕事をひとくくりにするのは難しかった為、魏嬰を自分の秘書という役職に付け、通訳・企画・開発、全て任せてみる事にした。金銭さえ支払えば優秀なプログラマーは簡単に手に入る。あとはデザインを外注任せにし、魏嬰と共に営業をかければ簡単に仕事と莫大な報酬を手に入れる事ができた。社長という役職についているものの、現在の藍湛が主にしていることは魏嬰の出してくる提案の調整、スケジュール管理、そして魏嬰につく虫の排除ぐらいだ。
藍湛の手が怪しくうごめくのに気づき、魏嬰は彼の手をソッと止める。藍湛が後ろから魏嬰の胸や太ももを触り始めたのだ。
「社長、いけません。このあと会食があります」
「また明日回せばいい。そもそも、温氏とはあまり関わりたくない」
社長と呼ばれた男は秘書を机に組み敷き、目をギラギラとさせた。
「いいんですか?大きな取引相手ですよ」
「君の方が大事だ」
魏嬰は誕生日が終わった翌日、すぐに姉と弟の三人で旅行に行っていた。仕事のスケジュール上、そうせざるを得なかったのだ。
魏嬰の肌に触れるのは3日ぶりとなる。
「せめて家に帰ってからでも‥‥」
「だめだ」
「‥‥‥もう、知らないぞ?」
会食の相手は温氏の子息だ。あとで厄介な事にならなければいいが、と魏嬰は諦め、藍湛の頬にキスをした。
「スマホもうまく使いこなせなかったお前が、まさかゲームアプリの社長になっちゃうなんてな。しかも今やゲームだけでなく、世界中の大手会社からサイトコンテンツ企画の依頼を任されちゃう大手に成長させるとは、大したもんだよ」
「君が側にいてくれたおかげだ」
「謙遜しちゃって。俺の白菜ちゃんは可愛いやつだな」
魏嬰がもう一度頬にキスをした。藍湛の頭に自分の頭をぐりぐりあてる。
藍湛は小動物のように可愛い夫のうなじと背中に手を添え、撫でた。
「社長室でヤるの、初めてだな」
「うん」
「いいのか?ここで仕事するたび、俺の事思い出しちゃうかもしれないぞ」
「普段から君のことばかり考えている」
ひゅ、と魏嬰は息をのむ。
「‥‥‥口説く時は前もって心の準備をさせろ」
「今から口説く」
魏嬰はくすくす笑って自分から服を脱ぎ始めた。
「もう遅いよ。3日会えない間、俺もお前の事ばっか考えてた。さみしかったよ」
魏嬰は裸になり、机に座って右手で藍湛の顎をくすぐる。
「藍湛、藍湛、藍のお兄ちゃん、早く俺を縛って」
パチンと片目を瞬かせる魏嬰の魅力に藍湛はくらりとした。やはり敬語を普段から使うようにさせて良かったと、自らの判断の正しさを再認識する。
藍湛はネクタイをしゅるりと解いた。
~fin~