蹂躙された街にて「来るなッ!これ以上こっちに来れば撃つ」
街の広場にポップの声が響きが渡る。ポップは引き絞った状態の極大消滅呪文を聖母竜に向ける。ポップの背後ではダイが石畳の上に静かに伏している。静かに伏しているが無残な有様だ。その体にいったい何本の剣や矢が突き刺さっているのか。ポップは自分たちを遠巻きに眺める人々に今すぐ事情を問いただしたくなる。しかしこの場を動くわけにはいかないことだけは分かりきっていた。
ポップはそれ以外の何も理解できていない。街への帰路にて聖母竜の姿を見かけ、移動呪文を唱えて此処に飛んできたのがまさに今しがた。
聖母竜の前には痛ましい姿のダイがいた。
聖母竜は命が尽きた竜の騎士の迎えに来る存在だ。ポップが見かけたのはこれで二度目。以前のダイは還ってきた。が、今度もそうなるとはポップは思うことができない。事情はわからないが、聖母竜にダイを渡してしまえばきっともうどうすることもできない予感がある。だが今ならダイに蘇生呪文をほどこせば間に合うかもしれない。
だからポップは聖母竜とダイの間に割って入り、己の最強呪文を聖母竜に向けている。
―その子の体を、渡してください。もう間に合いません―
聖母竜の思念がポップの頭に流れ込んでくる。ポップは首をわずかに振る。事情も道理も是非もわからない。だって3日前のダイはいたって元気だったのだ。
3日前のダイは「おれもそろそろ街で1人で過ごすことができるか試したいから」と少しはにかみながら言っていた。地上に戻ってきてから一般常識を学んでいた島育ちのダイ。その成果を試したい様子で、それがとても微笑ましいとポップには思えて。だからポップはダイと別行動をとり、1人でこの近くの神域に調査に出向いたのに。
ポップの頭に「じゃあ3日後に街で」と笑顔で見送ってくれたダイが何度も浮かんでは消える。早くダイに蘇生呪文をかけなければと気がはやる。呪文をかけたいのに、聖母竜が邪魔だ。
「ったく」
これからメドローアを撃ち、もし跳ね返されたら即座に相殺する。その後、相殺の光に乗じて聖母竜の背後にまわり込んでもう一発叩き込む。神様だろうがその使いだろうが関係ない。
ポップは一瞬で算段し、更に魔法力を高める。
―仕方がありません。また後ほど―
ポップの気持ちを汲んだ聖母竜は、悲しげな目をしながら身を返す。ポップは聖母竜が去っていくのを確認しながら極大消滅呪文を消す。魔法力を回復させる銀の羽を懐から取り出して自身に刺す。自身の魔法力を回復しながらポップはダイの体を抱き起こす。ダイの体の随所に刺さる剣や矢を抜いては捨てる。手も足も本来ではありえない方向に曲がってしまっている。叫びだしたいが、ぐっと唇をかみしめて堪える。遠巻きに自分たちを見ていた人々が何かを叫んでいる。しかしポップはそれらの声をうまく聞き取ることができない。目の前のダイにしか意識がまわらない。
「なんでこんなことになった?」
そもそも戦闘時は竜闘気に覆われるダイの体に普通の武器で傷つけることはできない。だがどんな生物も、大魔王ですらも気を抜けばナイフでも傷ついてしまう。例えば眠り込んでしまっていれば同様であろう。
ポップはかつてダイたちが魔香気で深く眠ったことを思い出す。自分の声でダイが目覚めたことも思い出す。つまり誰かの声で目覚めることもできるが、竜の騎士とて寝込みの襲撃を防ぐことはできない。
「眠らされたか、毒でも盛られたか?」
ポップはいかなるときも思考を止めない自分の習癖を嫌悪しながら、回復のための魔法力を高める。遠巻きに自分たちを取り囲む人々の声はもう耳に入らない。そして蘇生呪文を発動させてダイに叩き込む。ダイの全身をまばゆいばかりの回復の光が包む。完全蘇生呪文に必要とされる量の回復の力を叩き込み……その手ごたえから蘇生はできないだろうとポップは実感してしまう。そもそもそうでなければ聖母竜が迎えになど来ない。損傷の激しいダイの体が復元していくがそこまでだ。ダイの魂が戻る気配は無い。
「ちくしょう、頼むから」
繰り返し蘇生呪文を唱えつ続け、ポップの魔法力が尽きていく。ダイを包む回復の光が消えていく。ポップは再び銀の羽をとりだして自身の魔法力を回復させる。きっとダイはもう戻らない。けれど無駄だとわかっていても止めることができない。
「ダイ、かえってこいダイ」
小さく呟きながらもう一度魔法力を高めると、ポップの頭上を影が覆う。どうやら遠巻きにして見ていたうちの一人がポップに近づいてきたらしい。敵意も殺意も感じられないために近づくのを放置していたのだが、こんな近くまでやって来られると流石に邪魔だとポップは思う。
「キミ、あの……あの竜を追い払ってくれたんだよね?」
躊躇いがちな声がポップにかけられる。ポップはダイを抱えながら顔を上げて声の主の顔を見る。声の主は身なりのいい温和そうな青年だった。ポップと年が変わらないように見える。その青年は勇気を振り絞ってポップに近づいたようだった。呪文の発動を邪魔されたポップは苛立ちつつも返事をしてしまう。今の状況を変えてくれる情報を求めてしまう。
「なんか用か?」
「いや、あの、キミは何をしているんだ」
「見てわかんねぇか?」
「あの竜を追い払った?」
「そうだ」
「そうか、追い払ってくれてありがとう!昔、この街を攻めてきた魔王軍のやつらも竜に乗って攻めてきたんだ。さっきの竜はそいつを助けに来た手下だろうね」
ポップは薄々と事情を察し始める。しかし核心となる言葉が青年から出てくるまでしばらく待つことにした。待つといえば聞こえがよいが、魔法力を高める気力が消えつつあるのが実情だった。
「そいつはこの街の人間じゃない。侵略者の息子なんだ。だからみんなで退治した。薬で眠らせて毒で弱らせてさ。そういうわけだから、そいつを治そうとしなくてもいいんだよ」
優しい声で青年は事情をポップに教えてくれた。
つまりこの街はかつて超竜軍団に蹂躙された街で、どういうわけかダイがバランの息子であるという事情を知るものがこの街にいたのだろう。秘匿している情報とはいえ高位の関係者から漏れてしまったことも考えられる。ダイがこの世界を救った勇者でもあるという情報も伝わっているのか否か。いや、たとえ知っていたとしても、自分たちの街を襲った存在の身内となれば恐怖や憎しみが勝ったということは考えられる。かつてベンガーナで竜の軍団から人々を守った時も、守られたことよりも力への恐怖が勝る視線がダイを苦しめていた。
「そっか、この街の連中でこいつを退治したのか」
「そうだよ!」
「退治か」
ポップは青年の言葉を繰り返す。
もしダイに命の危険が及べば、ダイは自分を呼ぶとポップは考えていた。呼んで通じる理屈は明確ではないが、魂か魔法力の共鳴か、そのあたりの理由でダイの声はポップには届く。この地上にいる限り。だからポップは安心してダイと離れたのだ。ではなぜその声が届かなかったのか。
ポップはダイをみる。ダイは自身の剣を佩いたままだ。宝玉に光はもう無い。そっとダイの腰のあたりにも手を回す。パプニカのナイフも小さな鞘に収まったままだった。ダイは眠ったまま殺されて蹂躙されたのか、途中で目覚めてしまったものの上手く抵抗できなかったのか。後者だろうとポップはなんとなく考えた。ダイが全力で抗えばなんとかなったのかもしれない。しかし自分の父の為したことを思えば、目の前の人々を傷つけてまで逃げることを躊躇ったのだろう。ましてやダイのためなら手段を択ばないポップに助けを求めることは。
「キミ、顔が青いけど大丈夫かい」
青年は心の底からポップを心配をしながら声をかける。
「キミも昔、魔王軍に酷い目にあったんだね。ほら、これで気を晴らしなよ」
青年は足元に落ちている剣を拾ってポップに差し出す。ポップの中で何かがカララと崩れ落ちていく。もうきっとダイは還ってこないとも実感する。
「あんた、良いやつなんだろうな」
「そうかい」
「でもダイはさ、ずっと親切で良いやつなんだ。オレと違って」
ポップは収束した閃熱呪文を青年の額に打ち込む。青年は優しい表情を浮かべたまま声もなく倒れる。どしんと不自然な音が響く。青年の撃ち抜かれた額と後頭部からは血が流れ出していく。周囲の人が怒号とともにポップたちに近づいてくる。ポップはダイを抱きかかえ、ふわりと高く浮き上がる。
「おまえ、本当によく頑張ったな」
ポップはダイの頭を何度も撫でる。そのたびにポップの指にダイの乾いた血がひっかかる。
「痛かっただろ、怖かっただろ。ごめんな、おまえを1人にするんじゃなかった」
ダイの顔は安らかで、いつものように目をさまし「今日の朝ごはんは?」とすら発しそうだ。
ポップが足元に目を向けると、意味をなさない叫びを繰り返す人々が目に入る。あるものは武器を構え、あるものは呪文を発動しようとしている。その誰もが恐怖と怒りに顔を歪めている。ポップはため息をつく。
「心配しなくてもダイは目覚めねぇよ」
その声が聞こえたのか、ポップに向かって様々な呪文や多くの矢が飛んでくる。ポップは自らの魔法力でそれらを全て叩き落とす。幾つも幾つも叩き落す。叩き落された呪文や矢に巻き込まれて負傷する人々も目に入るが、そんなことはポップの知ったことではない。ダイと違ってポップは良いやつではないのだから。
しかしポップへの攻撃は一向に止む気配がないどころか増していく。無理もない。彼らにとっては退治したはずの侵略者の息子に味方が現れたのだ。脅威でしかない。脅威を討たねばこの街は守れないと考えるのはいたって自然だ。
「ったく、めんどくせぇ」
よわっちぃ人間が恐怖を抱えながらそれでも勇気を振り絞って強大な力に挑むとき。その時にどれほどの力を発揮するか。ポップはその身で知り尽くしている。適当にあしらって此処をやり過ごしても、必ず後で報復が来る。それに勇者ダイが侵略者の息子であることがこの街で広まってしまっている可能性も捨てきれない。かつての仲間やその身内にも危害が及ぶことをポップは危惧する。その危惧は眼下の人々がダイやポップにぶつける感情に近い。街の人々にすればダイとポップは脅威だろうが、ポップにとってはこの街の人々が脅威だ。
「まぁ理屈はどうだっていい。オレが守りたいのはてめぇらじゃねぇってことさ」
ポップはダイをつれて更に上空へと移動し、魔法力を用いてダイを浮かせたまま、そっと横たえる。それから両手で弓を引くような形を作り、眼下に向かって極大消滅呪文を落とす。閃光が街を覆い、飲み込んでいく。覚えたてのころですら小さな崖を消滅させたのだ。今のポップの魔法力ならば、この街ごと消し去ることはさほど難しいことではなかった。
「ダイ、ごめんな。おまえ、こうなるのが嫌だったんだろう」
ポップはダイに向かって心から謝罪する。
「でもオレ、この街を消すことには後悔がないんだ。それもごめんな」
いずれにせよひとまずダイをつれて島に戻らねばならないとポップは思い至る。しかしどうやってこのことを仲間たちに伝えればいいのかわからない。ポップは何もかもが億劫になる。いっそ、街を喰らい続ける消滅の光にダイと共に身を投げて、消えてしまいたいとすら思う。
「国を消したとき、おまえの親父さんてどんな気持ちだったのかな」
ポップはダイをそっと抱きしめるが、やはり何も返ってこない。冷たく力の籠らない体がどうしようもなく寂しい。
「そっか、おまえはオレが死んだとき、こんな気持ちだったのか」
閃光が去り、足元には半球に抉れた大地が広がる。その光景にはポップは怒りも哀しみも覚えることができなかった。