荼毘に付す ポップが顔を上げると羽ばたきが聞こえてくる。あのとき「また来ます」と言って去った聖母竜がデルムリン島までやってくる。それは夜空から穏やかな流れ星がゆっくりと降りてくるかのような光景だ。
数日待つことも覚悟していたが意外に早く来てくれたことにポップは安堵しつつ、島全体に眠りへといざなう呪文をかける。余計な騒動が起こるのを防ぐために。ポップの隣には掘り起こして運び出した棺がある。ポップが今いるのはデルムリン島で最も高い山の頂上近くだが、彼は誰にも何も言わずに見つからないように魔法を駆使しながらここに棺を運びこんだ。聖母竜に棺を引き渡すにしろ、どうなるにしろ、ポップはこれ以上はブラスの心を乱したくなかった。
この棺の中には聖母竜の目的であろうダイの亡骸がある。本来はもっと早く迎えに来るはずなのだろうが、ダイの葬儀を終えるまで待ってくれたようだ。葬儀は島でしめやかに、世界を救った勇者という割には密やかに執り行われた。盛大な葬儀を行い、この世界から偉大な勇者がいなくなった旨を大々的に知らせることは不安を招くと判断されたからだ。というのは表向きの話で、ダイの葬儀は国や王ではなくブラスの手の内で執り行わせたかったというのがポップの本音の1つである。
ダイの死因についてポップは「旅の途中で急に。オレが目を離している間に。眠るような姿なのにさ。オレがもう少し早く戻っていれば」と、言葉少なく偽り無く説明した。沈痛な面持ちのポップを責めるものは誰もいなかった。身内のブラスですら事前にダイが1人で街で過ごすことを楽しみにしていたのを聞いていたために、ポップを責めるようなことはしなかった。ただただダイの冷たい亡骸にすがって泣いていた。ダイの顔が穏やかだったのがブラスにとっては救いだった。ブラスを含めた多くのものは、損傷らしきものが見当たらない綺麗なダイの遺体を見て、これは心臓か何かの病による急死であろうと考えた。たとえ堅強な肉体であろうとも急な病というのはありえるものだから。ただ、幾人かはその綺麗でケチの付けようが無い遺体に疑念を持ったし、リンガイア地方の街が消えたことを知るものは何かに思い至ることとなった。しかし「ポップ君、街が1つ消えたんだけど何か知ってる?」という問いに「オレはそんな街なんかに興味ねぇな」と、薄い笑いと共に答えられてしまえばそこまでだった。
その後、ポップが興味のないその街は、黒の核晶によって消えたのだろうと噂されるようになる。その噂のもとがどこなのか、推測できるものはごく僅かだった。
「よ、待たせたな」
目の前に降り立った聖母竜にポップは気安く声をかける。気安いがどことなく空虚さも漂う。ここ数日、ろくに眠らず食事も最低限でしかないのだろう。回復呪文を用いて表面的な体調は維持しているだろうが、数日前よりもポップの体の線は明らかに細い。
「よく考えたらあんた、ダイのばあさんみたいな感じなんだろ。でも、こっちのじいさんにダイの葬式をさせてあげられたから。その、この前は乱暴なことをして悪かった」
最期を迎えた竜の騎士を聖母竜が迎えに来るのは、紋章を受け継ぐためだけでない。戦いに明け暮れた孤独な竜の騎士を労わるためと、その特別な血や体が悪用されないようにするためだ。長い歴史の中で混血児とはいえ竜の騎士がこれほどまでに人々に悼まれることとなったのは初めてだ。だからこれでよかったのだろうと聖母竜は思う。
「ダイの体をとりにきたんだろう、渡さなきゃダメかな?竜の騎士ってもうダイの親父さんやダイで終わりにするつもりなんだろ?あいつの魂ってあの世に行ったのかな?」
ポップの質問に聖母竜は一つずつ丁寧に答える。ポップの頭に直接響く、思念というには鮮明で温かい声音で。
今日は体を取りに来たわけではないこと。以前にダイに伝えたように今は竜の騎士の歴史を終えるつもりであること。そもそも新しい竜の騎士を産む力もまだ無いが、念のためにダイの魂からバランの紋章を聖母竜に既に移してあること。
「ダイの魂から移したってことはダイの魂はやっぱりあっちにあるんだな。って親父さんからの紋章だけ?ダイのは?」
聖母竜は棺を指さす。ポップが棺の蓋をあけると聖母竜の力に呼応してダイの額の紋章が光りはじめる。ポップはダイの額の紋章の周りをそっと触れる。朽ちないように氷系呪文で包まれた体は手ぶくろ越しでも冷たくて、それが少し心地よかった。
「なぁんでコレは遺したのかねぇ、あいつは」
聖母竜が引き継ぐべき紋章はバランのそれであり、ダイが独自にもっていた紋章はその対象ではない。そういうことの兼ね合いなのだろうと考えられるのだが、ポップの問いは答えを求めていない問いに思えたので聖母竜は別のことを伝えることにした。
「貴方に伝言があります」
途端にポップに狼狽の色が浮かぶ。あの街で苛烈な意思を見せた人間とは同一人物とは思えないくらいに頼りなく、万全でない聖母竜の羽ばたき一つでも消し飛びそうだった。
「伝言、伝言だけなのか。あいつ怒ってだろ?おれに言いたいことは3つや4つじゃ済まねぇだろ?」
「いいえ。ただただ、謝罪と感謝を述べていました。それから地上を頼むということと、できれば体は貴方の手で燃やしてほしいと」
「は?燃やせってなんだよ!それになんであいつが謝るんだよ。悪いのはあいつを1人にしちまったオレじゃねぇか、それにオレが何をやったか知らねぇわけじゃねぇだろ!だいたいなんだよ伝言って、なんで直接こっちに来ねぇんだよ!魂で来るとか、竜の騎士ならそういう特例はアリだろ?!今からでもいいから呼んでくれよ。最後に話をさせてくれよ、頼むよ!」
「……」
「なんだよ」
「あの子はこうも言っていました。魂だけでも戻ると貴方がまた自分を生き返らせようと無茶をする、と」
「……さすが相棒、よくわかってらぁ」
ポップは項垂れる。聖母竜がダイの魂を連れてきたら、無理やり捕まえて体に戻そうと考えていたのだ。生き返りたいだの生き返りたくないだのも、無事に生き返らせてから聞くつもりであった。手の届くところにやって来たのなら二度と離すつもりはなかった。
「本当にそのつもりだったのですか?葬儀を済ませた上で生き返ればさすがに皆が恐れるでしょうに」
「うちの連中はダイが竜の騎士で特例だってのを知ってるから今更なにがあっても驚きゃしねぇよ。それ以外の連中には、ダイは神様の使いだから殺しても死なねぇって話を流せばいいだろ。そしたら生き返ったあいつの安全度があがるだろうし。あいつの死を大々的には公表させなかった理由の1つもそのへんなんだ。みんなに妙な希望を持たせたくないから言ってねぇけど」
ポップの淡々とした物言いに聖母竜は呆れつつ、同時に空恐ろしさを感じて身じろぐ。おそらくポップの中には生死に対する畏敬や天への敬意といったものが無い。いや有るのだろうが、己の目的のためには畏れをなくす。そうでなければあの時、ただの人間が聖母竜を滅ぼそうとは考えないだろう。だいたい今も聖母竜をダイの身内とみなして気さくに話をしているのだ。
「じゃあさ、オレが大暴れしたら直近で死んだ竜の騎士を生き返らせてオレを討たせるってのとかできる?」
こけた頬と共に満面の笑顔を浮かべてポップは提案する。しかしその提案を聖母竜は聞き流す。代わりに聖母竜はこの強情を張る人間に根気よく説明することにした。戦うことが定めの竜の騎士は死は安息であり、生き返らせることは天の摂理で許されていないこと。そしてダイ自身も摂理を曲げる反動を恐れて生き返ることを望んでいないこと。混血児である自身が摂理から少しずれた存在であるゆえに、生まれる反動は皆を巻き込みそうでなるべく避けたいと。
ポップはその説明を飲み込みたくなかったが、とうとう意を決して諦めながら棺の蓋を閉める。
「あいつがそれがいいってんなら仕方ねぇか。オレは納得してねぇけど。全然納得してねぇけど。あ、オレからあいつに会いに行くのもありか?」
聖母竜はもう一度ダイからの伝言を繰り返す。この地上を頼む、と言っていたと。
「そう言われてもなぁ……オレはそんな立派な人間じゃねぇし、もう既に色々とやっちゃってるし。これっぽちも後悔できねぇけど普通はダメだろ。そもそもダイのいねぇオレってかなり酷い奴になりそうだと思うけど。だいたい体を燃やせって、なんだそれ。燃やしたくねぇよ。どうしたらいいと思う?」
ポップの問いかけに聖母竜は答えない。この頑なな人間にかけるべき言葉が見つからない。ポップの手で体を燃やしてほしいというダイからの要望とは異なるが、いっそ無視を決め込んで棺の中身を取り出して戻ろうかとも考える。しかしポップが腑に落ちない状態で去ることはなるべく避けた方がいいこともわかっている。攻撃呪文を背後から撃たれるようなことは避けたい。それにダイが「ポップならちゃんとわかってくれるよ」と言っていたのだ。今のところわかってくれる予感はないが、基本的には聡明と評してよい類の人間であることはこれまでの会話から伺い知れるので大人しく待つことにした。
「……ダイの体、燃やして本当に大丈夫なんだな?」
何をどう結論付けたのかはわからないが、意外に短時間での納得に聖母竜は戸惑う。生き返らせることを諦めたとはいえ、自らの手で荼毘に付すことに了承するとは。
しかしひとまず聖母竜はポップに問題ない旨を告げる。代々受け継がれてきたバランの紋章の力はすでに聖母竜が取り込み済みだ。荼毘に付すなら竜の騎士の体を悪用される心配もない。ただし、今ここでそれを実行してほしいという条件も聖母竜は付け加える。
「今ここで?オレって信用ねぇのな。まぁいいか。ちゃんと見て、それからダイに伝言してくれ」
ポップは魔法力を高めて火炎呪文を放つ準備をする。そういえばダイに見せた最初の呪文がこれだったと思い出す。思わず笑みが浮かぶ。そしてポップはあの頃よりも強い炎を生み出すつもりだった。それがきっとダイの望みだと信じて。強く、強く魔法力を込める。炎の色が赤から黄へと変化する。それではまだ足りないと更に魔法力を込める。目がくらみそうになるがぐっと堪える。炎の色は白へと変わり、とうとう蒼い炎へと変わる。その色はダイの魂と同じ色の蒼。
「メラゾーマッ」
言霊と共に炎が放たれ、棺を覆う。ポップの指先から青い炎が生まれ続ける。やがてその炎は棺とその中身を燃やしながら生き物のように蠢き始め、何かの姿に象られていく。まるで大魔王による最強の火炎呪文のように。しかしポップが放つ炎が象る姿は不死鳥ではなく竜。棺の中の体がもつ紋章を思わせるよう竜だ。蒼い炎の竜は棺とその中身を食らうように燃やし尽くす。この炎ならきっと後には灰しか残らない。
「やっぱりな!だから紋章をこっちに1つ遺したんだろ、わっかりにくいことしやがって!ダイ、おまえダイだろ?!」
ポップの歓喜に応えるかのように蒼い炎の竜は棺の中身を食らいつくし取り込み、ポップのほうを振りかえる。頬の位置には十字の傷のような模様もある。蒼い炎の竜はポップの周りを嬉しそうにたゆたう。只人であれば焼き尽くされる熱がポップの周りに生まれるが、己を氷の魔法力で守るポップは些かも傷つかない。ポップが楽しそうに手をぎゅっと握ると蒼い炎の竜は消え、再び手を開くと蒼い炎の竜がまた現れる。
「おまえがいるならなんとかやっていけるかなぁ、いけるといいなぁ。オレがやらかさないように見ててくれよ」
聖母竜はその幼子同士の戯れのような様子をじっと見守っていた。ダイが言っていた「わかってくれる」とは目の前で起きている事象のことなのかは判らない。そもそもあの炎は彼の言うとおりに“ダイ”なのか。肯定する材料も否定する材料も聖母竜は持ちえない。ただ、この人間は神の使いを撃つことも厭わない気性の持ち主で、今も大魔王の火炎呪文を超える炎を生み出している。この世界の脅威となりつつある。しかし今はもう脅威を制する竜の騎士がいない。今すぐ産み出すことができたとしても成長するには時間がかかる。ここで産み出された蒼い竜が、竜の騎士を喰らった炎がその代わりになることを聖母竜は願うことしかできなかった。