アルロー教官が夜食のシチューを作るだけの話「提督がまた書類を溜めていることが発覚しました。今夜は私とルーチカとで監視しながら提督に書類を仕上げていただくので、士気を保つために教官には夜食づくりをお願いいたします」
「なんでだよ」
夕方の騎士団指揮所。やや疲れた顔をしたフィオレーネの無茶振りに、騎士たちの教官であるアルローは率直なツッコミを返した。
「提督のやる気を引き出すには教官の手料理が一番なのです。やはり目の前に褒美があるほうが、人間もガルクもよく働きますので」
「理屈と気持ちはわかるが、上司をガルク扱いはやめとけ……ったく、しょうがねぇなぁ」
指揮所の中に設置された大きな卓の上には、確かに様々な書類やら手紙やらが山と積まれ、そこかしこに何やら仰々しい紋章が入っている。これは期日に間に合わせないといろいろとヤバいやつだ、国家的に。それくらいはアルローでもわかる。
その書類の山に向かう騎士たちの長にして幼い頃からの腐れ縁のガレアスは、眉間に皺を寄せて心底不本意そうな顔をしている。その横ではいつになく険しい顔のルーチカが書類をチェックしてくれているが、きっとガレアスに隙があればすかさず釘を刺してくるのだろう。
やれやれ、手のかかるジジイだぜ。アルローは肩を竦めて幼馴染に歩み寄った。
「おいガレアス。夜食はサンドイッチでいいか?」
「……シチューがいい」
「なんでだよサンドイッチのほうが食べやすいだろ」
「シチューがいい」
「まーたこいつ、手間のかかる料理を......! しょーがねぇなぁ! 作ってやるから今夜中に終わらせろよな!?」
ガレアスは返事をしなかったが、無言は諾であると経験上理解している。アルローは書類仕事ではあまり戦力にならなさそうなジェイを捕まえ、宿舎の厨房へと踏み込んだ。
「あの提督サマがシチューが食いたいって言ったら、そりゃ田舎風シチューってこった。手順はたいして難しくはないが、量が必要だからな。ジェイ、お前にも手伝ってもらうぞ」
「はい! 俺も教官のシチュー好きです! 頑張りますよ!」
張り切って腕まくりしているジェイに包丁を握らせ、かごいっぱいの玉ねぎをひたすら切ってもらう。同時にアルローは塩漬け肉の塊を切り分け始めた。
「教官! 目が痛くて前が見えません!」
「我慢しろ。それか顔洗ってこい」
結局ジェイは厨房と水場を何往復かしつつ、玉ねぎを切りきった。
その間にもアルローは手際よく芋やにんにく、干したきのこや香草等を用意する。
「よし、まずは肉と玉ねぎをひたすら炒めるぞ」
木べらを構えたジェイがやる気満々ではい! と応える。
大鍋を引っ張り出して炉に置き、バターは惜しまずたっぷり入れる。そのバターが溶けたところで肉と玉ねぎ、にんにくなどを入れ、塩を振り、焦げ付かないようよくかき混ぜながら炒めていく。根気のいる作業だが、こういう仕事はむしろジェイが得意なので問題ない。
肉と玉ねぎに火が通り、いい焼き色になったところでビールを入れ、しばらく煮立たせて酒精が飛んだところで水をたっぷり入れる。
「ルーは使うんですか?」
「いいや、芋入れるからとろみは勝手につく」
干しきのこと香草を入れ、煮詰まるまであとは見守るのみ。炉端に椅子を置き、アルローとジェイの師弟二人で芋の皮をむいていく。皮をむいたら、適当に四つ割りか六つ割りにして鍋に投げ込んでいく。
「ったくよぉ。あいつももうお偉いさんなんだから、わざわざこんな貧乏くさいモン食わなくてもいいだろうに……」
「提督はきっと、故郷の味が恋しいんですよ」
「そうなのかねぇ」
芋の芽をとりながら愚痴るアルローを、ジェイが宥める。
「……エルガドにはいろんな土地のいろんな食いもんが来るが、あの町は鉱山くらいしか産業がねぇ辺鄙な土地だったからな。食いもんも船便頼りだったが、安く手に入るのは日持ちのする根菜とか、干し野菜とか、塩漬け肉とか、そんなもんばっかだった。その中でも上等なモンは鉱山で働く男たちや、町のお偉いさんたちが食うもんだったから、女子供が食えるのはだいたい余りもんでな。こんなシチューも、昔はご馳走だったのさ」
「そうなんですね……」
アルローが故郷の話をすることはあまりない。話に聞き入っていたジェイの手はすっかり止まっていた。
「あ、そういえばこのきのことか香草って、市場ではあんまり見かけないんですけどどこで手に入れているんですか?」
「これはあの土地の数少ない特産品でな。クセが強いから香りづけくらいにしか使えねぇんだが、これがないと味が決まらねぇのよ」
「もしかして、教官がご自分で採ってきたんですか?」
「おうよ。クエストのついでにな」
「わー、気付きませんでした! 俺も今度探してみます!」
「よく似た毒きのことか食えねぇ草も多いから、手当たり次第に食うと危ねぇぞ。見分け方は今度教えてやるから、今はまずこの芋を全部切ってくれや」
「はい!」
元気よく返事をして、ジェイは再び手を動かし始めた。
この料理は元々、暖炉の傍で奥さんが家事をしながら気長に煮込むような料理なのだ、とアルローは言う。とろ火で具材を煮詰め、味を調整して完成という頃には、すっかり夜も更けていた。
「教官、どうにか終わりましたよ……」
先程よりもさらに疲れが見えるフィオレーネが厨房にやってきた。げっそりした顔をしているが、厨房内に漂うシチューの香りを嗅ぐと、すぐに顔色が良くなる。
「おう。お前らにゃ苦労を掛けるな……料理もできてるから、すぐに持っていく」
「手伝いますよ。食器を持っていきますね」
「頼むわ。おいジェイ、起きろ」
待ちくたびれたジェイは、調理台に突っ伏して居眠りをしていた。その肩を揺すると、むにゃむにゃ言いながら起き上がる。
アルローは堅焼きのパンとチーズを大皿に載せ、起きたジェイに持たせた。シチューにはこのパンとチーズが欠かせない。ガレアスは特にこのチーズをシチューにたっぷりかけて食べるのが好きなのだ。その表情を思い浮かべ、アルローは鍋掴みを手にはめ、大鍋を持ち上げる。
「たくさん作りましたね」
シチューの鍋を見てフィオレーネが微笑む。
「こういうのはちょっとだけ作ったって美味くねぇのよ。これくらい一気に作るから味が安定するのさ。ルーチカもおかわりするだろうしな。そうだ、どうせバハリの奴も起きてんだろうから呼んで来いよ」
「いいのですか?」
「研究の息抜きにゃちょうどいいだろ」
「奴のことです。シチューのレシピについて質問攻めにされますよ」
「そう来るか」
ははは、と笑い、そのままシチューを指揮所へと運んでいく。作るのに時間はかかるがそう難しい料理でもないのだ。あの天才研究員に質問されたとて、なんとかなるだろう。
今や地図にも載っていない、名前も忘れ去られつつある町の、もうアルローしか作り方を知らないシチュー。