日差しの下--
この灼熱の陽光がバカンスの地、アウギュステのものであれば、それも醍醐味だと笑えたのかもしれない。
ショウはぎらつく太陽を睨みつけた。
騎空団は依頼を受け、とある島を訪れていた。よくある魔物退治の依頼だったが、島は日差しの厳しい時期であり、なかなか受けてくれる騎空団がいなかったらしい。アウギュステもバルツも慣れたもののこの騎空団は、依頼を二つ返事で受けたのだった――例え慣れていなくても、この騎空団なら引き受けただろうとショウは思う。
騎空艇の留守を預かる団員を港町に残し、数人で目的地を目指すことになった。荒野を走る交易路は魔物が出るため、人の往来が途絶えている。ろくなしるべもない荒れた土地を進むなか、木陰を見つけ、休憩しようという話になった。複数の木が寄り添うように立ち並ぶ木陰に、二、三人ずつに分かれ、息をついたところだった。乾いた大地は地平線がゆらゆらと揺れて見える。
「こんなところに木陰があるとはLuckyだったな」
ショウが呟くと、隣で地面に寝そべっているエルモートが視線を上げた。彼はショウの元担任教師であるためか、騎空団においてもショウを気に掛けているようだった。
「道を見失わないよう目印に植えたのかもなァ。ちょいと前に焚火のあとがあった。……地図にあった井戸もこのへんかもしれねェなァ」
「焚火のあとなんかあったか?」
初めて訪れた土地なので周りを見渡しながら歩いてきたつもりだったが、ショウはそんなものを見た記憶がなかった。
「あァ、火の気配が残ってたからな……」
応えるエルモートの声にはどこか覇気がない。集中力を欠いているような、そぞろな気配があった。
疲れているのかもしれないとショウは思った。この暑さでは仕方あるまい。他の団員も倦んだような顔をしている。団長の頭上で伸びているトカゲを見て、ショウは苦笑を零した。
そしてエルモートに視線を戻す。風はないが、はるか上空の雲の流れによって彼に降り注ぐ木陰がその形を変えていく。晒された肌のうえを濃く淡く光と影が流れていく様子に、ショウは思わず目を見張った。陽光に照らされた白い肌は汗ばんでいて、しっとりと吸いつくような感触を想像させた。それをすぐに影が覆い、焦らされているような気分に陥る。
恩人にこんな不埒な視線を向けてはいけない――と頭では考えるが、視線を逸らすことが出来ない。エルモートの首元に浮かんだ汗の玉がついと流れる。ごくりと自分の喉が鳴った瞬間、ショウはばっと顔を背けた。
頭を抱えて息をつく。ちらりと視線を向けるが、エルモートは気にした様子もなく空を眺めているようだった。
(危なかったぜ……)
ひっそりと安堵していると、エルモートが不意に起き上がった。ショウはぎょっとして肩を跳ねさせる。
「ど、どうかしたか?」
エルモートは視線を上空に向けたまま答える。
「……目印のこと、団長サンに話してくる」
やはりどこかぼんやりした声でそう言って、エルモートは杖を掴んだ。
「あ、ああ、そうか……」
頷く。しかし、エルモートの後ろ姿に違和感を覚えた。
ショウは思考を巡らせた。井戸の話をする理由は分かる。この道のりには水の補給が必要だ。
(そうだ、どうして杖を……)
エルモートの声、視線――目印。街道を行く人々が道標として作ったであろう木陰。今回の自分達のように休憩したり、野宿をしたりする場所として使われているのかもしれない。裏を返せばつまり目印とは――。
ショウが閃くが早いか、エルモートの声が響いた。
「団長サン!」
続けざまに風を切る羽ばたきの音が耳を打つ。
ショウが振り返ったときには、グランはすでに剣を抜いていた。その視線の先、猛禽類の姿をした魔物が団員に迫ろうとしている。白刃が一閃し、魔物の血飛沫が宙に散った。とどめを刺すべくエルモートの炎が唸りを上げる。
魔物は一体ではなかった。次々に降り立つ敵に、ショウも他の団員もすぐさま応戦する。戦力に問題はなく、戦いは長引かずに終わった。
息をつくエルモートに、剣をしまいながらグランが笑いかける。
「助かったよ。よく気づいたね」
赤い耳が気まずそうに後ろを向く。エルモートは溜息を零した。
「たまたまだ……ショウと話をしてる途中で気付いたンだ。ここがもし休憩場所なら、魔物も狙うンじゃねェかって。ンなすぐ来るとは思わなかったが」
木陰は人間が集まる場所として、魔物にとっても目印になっていたということだ。
「なるほど」
グランは頷く。エルモートは決まりが悪そうに頭を掻きながら続けた。
「だから、たぶん井戸もこの辺にある」
街道の途中に設けられた井戸だ。その目印として植えられた木が、水も得られる休憩所として利用されるようになったのではないだろうか。グランは察して手を打った。
「あ、そういうことか。分かった。先に進むのは水を補給してからだね」
襲ってきた魔物は倒したが、依頼の目的地はここではない。予定通りまだ進む必要がある。
グランは礼を告げると、他の団員達のもとへ向かった。
ふたりの会話を聞いていたショウはエルモートに近づいた。
「あんた、すげェな」
「だから、たまたまだって。手柄にするみてェで気持ちわりィぜ……」
エルモートは不機嫌そうに呟くと、その場に座り込んだ。
「休むなら木陰に戻ったほうが――」
「おまえ、反応早かったよな?」
ショウの言葉を遮ってエルモートが問う。魔物への対応のことだろう。
「団長サンより遅かったぜ」
「ありゃァ規格外だろォ……そうじゃなくッて、おまえも気づいたんじゃねェか? 魔物のこと」
ショウは首の後ろを掻いた。
「いや、あんたが杖を持って行ったから、なにかあるんじゃねェかって考えて」
エルモートが先に気づいたから自分も気づいたのだ。たまたま――なるほど、彼の気まずい気持ちが分かるような気がした。
エルモートはにやりと笑って、生徒を見上げた。
「やるじゃねェか」
その言葉にどきりとしてショウは自身の胸元を掴んだ。
「いや、まあ……」
どぎまぎと視線を泳がせる。褒められて嬉しい気持ちが隠せない。笑顔を浮かべそうになる表情筋をなんとかなだめる。
視界の端でエルモートが微笑んでいる気配があった。どうにも落ち着かなくて、いったん逃げようかと足を踏み出すと、エルモートがショウの服の裾を掴んだ。
「ん!?」
「動くなよ」
ショウは混乱して目を白黒させる。しかし、エルモートの言葉を頭の中で繰り返し、彼が日差しを避けるべくショウの立つ陰に隠れていたのだとようやく気づいた。
「あんたなァ……」
「暑くてもう動きたくねェんだよ……」
ぺしょりと垂れた耳を見下ろしながらショウは溜息をつく。
「俺だって暑いンだが……」
実際はまだ平気だったが、そう答える。おそらく分かっているのだろうエルモートは、からかうように双眸を細めて笑った。
「ショウくん、いい日陰になれるぜ」
「伸び盛りだからな」
「まだ伸びるのかよ」
エルモートが呆れる。ショウは眉を下げて苦笑した。
「だから、あんた一人くらい抱えるのはワケねぇ」
そう告げるなり、ショウはエルモートの腕を掴んだ。驚く相手の身体を抱き上げる。
「げっ」
エルモートが下ろせと身を捩る。ショウは首を逸らして暴れる腕を避けた。
「歩けないくらいしんどいのならそう言えよ」
指摘すると、エルモートがぐっと押し黙る。図星だったようだ。
思い起こせば木陰では体を横にして休んでいたのだ。だいぶ堪えていたのだろう。
「俺がガキで頼りにならねェってんなら仕方ないが、でも、あまり無理しないでくれよな」
エルモートは視線を下げた。団員の目を気にしてか、ショウの腕の中で身を縮こまらせる。
ショウは木陰に向けて歩き始めた。その足音に紛れるようにエルモートの声が響く。彼の顔はフードで隠れていて見えなかった。
「このザマで頼りにならねェなんて言えねェよ」
その声には少し照れ臭そうな、それでいてショウのことを褒めるような響きがあった。
「あんがとな」
ショウは嬉しさに唇を歪ませながら、なんとか「どういたしまして」と答える。
そして、胸の高鳴りが相手に伝わって格好悪いことになっていないことを祈った。
終わり