焼き鮭◎、オムレツ× ちょうど空腹のタイミングと食べたいものが被ったオズとフィガロは、揃って食堂のテーブルについていた。
ふたりして魚の気分だったのだ。オズは珍しく肉ではなく魚の気分で、フィガロもまた珍しく火の通った魚が食べたい気分だった。
つまり、ふたりとも焼き鮭が食べたかったのである。魚の切り身を焼いただけの洒落っ気も何もない至極シンプルなあれがとにかく無性に食べたかった。
賢者は何故だか、魚を焼くのがやたらと上手い。他の料理は魔法の調理器具に頼りきりだが、焼き魚となるとネロがいつも使っているオーブンを使いこなし、見事な焼き加減の魚を提供してくれる。
しっかりと中まで火が通っていながら、身の水分は失われていない。素晴らしかった。サーモンというとカルパッチョやムニエルだと思っていたが、口にした瞬間それが覆った。
以来、ふたりは焼き鮭を愛している。
「おまえと同じもの食べるの、すごく久しぶりな気がするな。いつぶり?」
「……? 今朝では」
「そういえばそうかも? ……いや、そうじゃなくてさ」
鮭を焼けるのを待っている間、フィガロはふと思いオズに話を振った。
魔法舎では国ごとに集まって食事をとることが多いのでテーブルは離れるし、任務や依頼で行動を共にすることがあってもいつもというわけではない。そのうえ互いに生徒たちがいるので、そちらの面倒や様子をみるのが優先される。こんな風に諸々のタイミングが合致することはきわめて稀なのだ。
フィガロが思い起こしているのは、今朝や昨夜といった直近の出来事ではない。もっとずっと気が遠くなりそうなほど過去の、食事にタイミングも何もない、食事だと言われたら席につくだけのことだったころのことである。
「今朝、スノウ様が起こしにきて朝ごはんがオムレツだなんて言ったものだから思い出しちゃって。あのひとたちの手料理のこと」
フィガロが言ったのを聞き、オズは心なしか憂鬱そうにした。互いの脳裏に思い描いたものはおおよそ同じ姿形をしている。オズの表情からそう確信を得たフィガロは、渇いた困り笑いを浮かべて続けた。
「ふわとろっていうかどろぐちゃだったよな。俺本当にあれ嫌いでさ」
「知っている」
「嘘ぉ、顔に出さないようにしてたのに。だからほら、スノウ様なんか今朝俺があれ嫌いって言うまで知らなかったみたいで、ショック受けてたな。そういうことは言ってー! って言われた」
スノウは、ホワイトとふたりで作ったオムレツをフィガロもオズも文句ひとつ言わずに食べていたからてっきり好きなのだと思い込んでいたらしいのだ。
実際のところは、これは嫌いだなどと言おうものなら面倒なことになるのが目に見えていたのでなにも言えなかっただけなのだが、双子はふたりして都合よく解釈していたのだろう。
「幸せな勘違いをさせたままにしておいてあげればよかったかな」
「無意味なことだ」
「だよねぇ。やっと正直になれて今日すごく気持ちいいよ。素直っていいよね!」
「……」
「なんだよその顔」
憂鬱そうな目に呆れの色が混ざり、言葉は少なでもオズの表情が豊か―複雑さを増したところで賢者が「お待たせしました!」と食堂に姿を現した。
「焼けましたよ!」
「ありがとう、賢者様」
「……礼を言う」
賢者はきれいに焼き目のついた鮭と炊いた米をテーブルに置き、まだ汁物があるのでと言ってすぐに行ってしまったが、入れ替わりになるようにスノウとホワイトがキッチンから出てきた。ふたりとも、掃除の時くらいしかまともにつけないエプロンをつけてそれぞれ手に皿を持っている。
その皿に乗っているのが何やら黄色いものであると見るや、フィガロは顔をしかめた。もしかして、あれだろうか。冗談ではない。せっかくの鮭が。
しかし、いらないと言うと角が立つし面倒だ。賢者にどうにかしてもらうか、オズに断らせようか……決める前にスノウとホワイトはテーブルまでやって来て、とびきりいい笑顔を浮かべてフィガロとオズの前に持っていた皿を置いた。
「ふたりとも、お待たせー!」
「待ってはいないが」
「オムレツだと思った?」
「違うんですか? ……ああ、オムレツにしてはちょっと趣が違うような感じはしますけど」
「これは賢者に習って焼いてきた卵焼きじゃ」
オムレツとは似て非なるものらしい。オズとフィガロは一度顔を見合わせてから、まだ湯気の立つ卵焼きに目をやった。よく見なくても、記憶の奥の方にあるオムレツの姿とはまったく違うので身構える必要はなかったのだと思いたいが、これは初見である。それに、形が違うからといって油断はできない。中身がどろぐちゃかもしれないのだから。
「スノウ様、今朝のこと根にもってるんですか」
「ううん、全然」
「ちょっとそこを通りがかったら、賢者がそなたらに魚を焼くと言うからお手伝い?」
「というか便乗?」
双子がきゃっきゃとしている傍らでは、オズが心底どちらでもいいと言いたげにしていた。しかし、無視するともっとうるさくなるのを知っているので、しかたなしにふたりの話に耳を傾けている。小言や説教とは違い、賢者が戻ってくればおそらく終わると思っているからかもしれない。
そうして実際、賢者が片手で持てるくらいの大きさのボウルに入ったスープを持ってきたことでスノウとホワイトの自由な話は彼ら自身の手によって打ち切られた。―しかし、
「何でおふたりまで?」
そのままテーブルに居座るなんて聞いていない。微苦笑をはりつけたまま鮭の骨をとっているフィガロの横にはスノウが、黙々と鮭と米を口に運ぶオズの横にはホワイトが座って一緒になって賢者が持ってきたスープ―味噌汁を飲んでいた。
「あったまるからお二人もどうぞって。賢者は優しいのう」
「賢者が言うことには、焼き鮭に白米と卵焼きと、このスープは賢者が暮らしておった国では朝のフルコースなんじゃと」
「はあ……五臓六腑に染み渡るぅ」
幽霊の五臓六腑って……などとは言ってはいけないのだろう。聞かなかったことにして、フィガロとオズは今回も神がかった焼き加減の鮭を味わう。先程はスノウとホワイトが作ったというだけで不審に思えた卵焼きも、賢者の国のフルコースの中の一品と知れば興味の対象だった。少し口に運んでみれば、あの記憶の中のどろぐちゃとは違いふっくらと焼けた卵はほのかに甘く、不思議な旨味があった。
「あ、これ好きかも?」
「賢者が、そなたらが好きそうな気がすると言っておったのじゃ」
「我ら、まだまだ料理くらいお手のものじゃ! ふふーん!」
「やっぱり根に持ってたんじゃないですか……。面倒くさいんだから」
「オズはどうじゃ?」
「……。悪くない」
「「やったー!!」」
はからずも四人の食卓になってしまったが、すべてがあのころとは違う。姿も関係も心持ちも、そして卵の焼き方も。いまのオズの答え方は何となく気分に合う。好きとか嫌いではなく、悪くないというのはうまい答え方だ。あのころならそう簡単に出てこなかっただろうに。そう思うフィガロの微苦笑は、とっくにほどけていた。
<おわり>