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    shimotukeno

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    shimotukeno

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    フーイル小説進捗というか実際にはこれより9600字くらい書いてるんだけどまだふわふわなのでとりあえずここまで

    フーイル小説ボス・ディアボロが倒されておよそ半年。ぶどうはたわわに実った房を重たげに垂れ、緑色の宝玉のようなオリーブは日々少しずつ色を変えながら収穫の時を待っている。
     パンナコッタ・フーゴはアンティークの椅子に腰掛け、キーボードを叩く。集中は切らさず、しかし集中しすぎてもいけない。音楽をかけながら、傍らの気配に意識を向ける。
     都会の喧噪は遠く、建物に切り取られることのない空は驚くほど広い。田舎風の大きな屋敷に広い庭、聞こえるのは風と鳥のうたばかりだ。都会で消耗する中年の憧れそうな隠居暮らしだが、これでもフーゴは任務まっただ中である。この屋敷は組織の持ち物で、任務のために住み込んでいる。
     この屋敷の主寝室がフーゴの仕事部屋だが、ベッドにはつねに主が眠っている。身長一九〇センチ近く、深いブルネットの豊かな髪の持ち主、半年前、ポンペイで対峙した男。暗殺チームのメンバー、鏡のイルーゾォだ。
     パープル・ヘイズの攻撃によってほとんど溶けかかりながらもまだわずかに命があった彼に、ジョルノがゴールド・エクスペリエンスを使い血清を打ち込んだ。血清が効いたところで手遅れだろうと思われていたが、奇跡的に命が繋がったらしい。ミスタもそうだし、亀のポルナレフの話を聞いてもそうだが、スタンド使いというのは常人より生命力が強く、しぶといのかもしれない。
     すべての戦いが終わると、ジョルノは病院の集中治療室――状態が状態のため、スピードワゴン財団系列の大病院に収容されたらしい――でどうにか命をつながれているイルーゾォの体を修復したが、すべてを元通りにすることは叶わなかったらしい。ウイルスの後遺症なのかはわからないが、上半身の右半分に火傷の痕のようなものが残ってしまった。それよりもなぜジョルノが財団病院の奥深くに入り込めたのかがフーゴにはよくわからないのだが。
     あれからイルーゾォは一度も目覚めない。自分の命がまだあることに気付いていないかのように。
     この隠れ家でイルーゾォの面倒を見ることが当面のフーゴの任務であった。
    「イルーゾォさん。ご飯の支度をしてきますね」
     周囲の木々の影が濃く、長く長く伸びているのに気付いたフーゴは、イルーゾォにそう呼びかけてから音楽を止め、部屋を後にする。三十分後に戻って音楽をかけなおしても、イルーゾォは眠ったまま、何も変わったところはない。
     フーゴはずっと思い続けている。ただ眠り、呼吸をし続けるのは「生きている」と呼んでもいいのだろうかと。彼の場合は「生きながらえさせられている」と言った方がいい。何のために彼は生きながらえさせられているのだろう? 「僕ら」としては暗殺チームの話を彼の口から直接聞きたいからだ。でも、彼自身は? 彼は何のために、ただ一人生きながらえることになるのだろう?
     ジョルノは時々見舞いに来ては、近いうちに目覚めるだろうと言っていた。だが、眠った状態のまま死なせてやった方が温情なのではないかと思う。二番目に倒された彼は他のメンバーの死を知らない。目覚めたらまず仲間は自分を残して全員死に、自身もボロボロの体となっているのを知ることになる。自慢のスタンドだって、以前のように出せるかどうかわからない。
     残酷な現実に引きずり出すくらいなら、自分が生きていることにも気付かないうちに死なせた方が彼のためだ――そう思って、首に手をかけたことがある。しかし手に力が入らなかった。次こそはと何度も手をかけた。手にかけることはできなかった。首から伝わるぬくもりが、鼓動が、まだ生きたいと訴えかけてくるようだったからだ。
     ――いや、違う。それは自分の願望を投影しているに過ぎない。実際のところは、自分が、彼に、生きてほしいと願っているのだ。
    「ポルチーニ茸のリゾット、結構うまく出来たんですよ。今年は豊作なんで、また作らなくては」
     独り言が虚しく空気に溶けていく。詮無きことだ。二ヶ月昏睡状態の人が目覚めたものの、四倍の期間、食事は管を通して行われたという話も聞いている。仮に今目覚めたとしても、彼が自由に食事できるのは当分先だ。
     ――でも、ひょっとしたら。ジョルノの力で命をつながれた彼なら。近いうちに一緒に食事を楽しめるかもしれない。そうも思うのだ。
     いいや。やはり無理だ。よりによって、自分の体をボロボロにしたやつと楽しく食事なんて出来るはずはない。そうでなくとも、自分のチームを始末したやつらの一味なのだから。
     わかっているけれど、甘美で虚しい夢想はつきることがなかった。徒花とわかっていても、はじめから終わっていると気付いていても、想いはつのるばかりだ。変わりばえのしないイルーゾォの寝顔を見て、フーゴは深いため息をついた。
     かけていたCDが終わっていたことに気づき、次にかけるCDを選ぶ。イルーゾォのそばにいる間はつねに音楽をかけ続けることにしている。昏睡状態の人が好きな曲や思い出の曲を聴いて突然目を覚ます話はいくつか聞いたことがあった。正直なところ、音楽の好みどころか人となりもよく知らないが、ポップス、ジャズ、R&B、プログレッシブ・ロック、クラシック、賛美歌、メタル――目についたものを片っ端からかける。やらないよりはマシだろう。
     フーゴは映画音楽のCDをケースにしまうと、往年の名テノールのアリア集を取り出した。オペラに興味のない人間でも、有名アリアというものは案外知らず知らずのうちに耳にしているものだ。世界的な有名歌手のものならなおさらである。
     一曲目が終わり、二曲目、三曲目、……ついに一人目の作曲家の曲が終わり、二人目にさしかかったところで、フーゴはイルーゾォの手の爪が伸びてきていることに気付いた。温タオルを持ってくるとイルーゾォの指先を清め、やすりをかける。痩せた指を痛めないように、焦らず丁寧に。つま先がなめらかになったのを確かめてから保湿クリームを塗り込めれば、爪は桜貝のように輝いた。爪など爪切りで切ってしまえばいいのだが、フーゴはイルーゾォの指先に触れるこの時間が好きだった。
     だが、「その時」は突然だった。
     死を前にした男が、恋人を思い生を惜しむうたがクライマックスに達したとき。指先がぴくりと反応したかと思うと、たしかに力を込めて手を握り返してきた。
    「え……」
     イルーゾォの顔を見る。ぼんやりと目が開かれている。不思議そうに視線を巡らせたあと、柘榴石と紫水晶の視線がかちあった。
    「わかりますか……イルーゾォさん」
    「ど……ど、こだ?」
     消え入りそうなかすれ声だったが、イルーゾォは間違いなく喋った。
    「ネアポリス郊外の、組織が持つ屋敷です」
    「なに、どう、なって……? おまえ、ふーご? なん……なんで?」
     意識も記憶もはっきりしているようだ。あの時敵だった相手が自分を看病している状況の異常さにいち早く気付いている。
    「ジョルノがあなたの命を繋いだんです。左腕も、体も作り直して」
    「ジョルノ……新入り……あいつ、なんで、生きて」
    「あなたの位置を特定した蛇は、ウイルスに汚染された場所からジョルノが生み出したものだったんです。抗体をもつその蛇から血清を取り出し、ジョルノ自身とあなたに打ち込んだんですよ。……それでも、あなたが生き延びたのは、本当に奇跡的なことです」
    「あれから……どれくらいだ……?」
    「半年になります。ボス・ディアボロはジョルノに倒され、今は彼がボスを務めています」
     イルーゾォは二、三度瞬きをすると、「わけがわかんねえ」とつぶやいて目を閉じた。真っ当な反応である。フィン物語群のオシーンとか、日本の浦島太郎にでもなった気分だろう。
    「……ほかのみんなはどうしたんだ」
     目を閉じたままイルーゾォはぽつりと尋ねた。ほかのみんな。聞き返すまでもなく、暗殺チームの残りのメンバーのことだろう。
    「あ、ああ……そのことなんですが……」
     嘘をつくことはできない。かといって今真実をありのままに話したら、そのままイルーゾォも死んでしまうような気がして、フーゴは返答に窮した。
    「……しんじまったんだな。みんな。リーダーも」
     フーゴの沈黙を、最悪の答えと受け取ったらしい。さらなる沈黙はその肯定にしかならなかった。静寂は時としてなによりも雄弁に真実を語る。
    「生き残ったのは……あなた、だけです……」
     フーゴは顔をゆがめ、苦しげに言葉を紡ぐ。イルーゾォはうん、と言うとそれっきり口を閉ざした。
    「イルーゾォさん……?」
     顔をのぞき込むと、両目からはらはらと涙が下っていた。プライドの高そうな彼が、涙を隠そうとも拭おうともせず、ただ流れるに任せている。唇をかみしめるでもなく、顔を歪ませるでもなく、彫刻作品のように固まった頬辺を涙が濡らしていった。彼はそのまま眠ってしまったようだった。

     ソファで眠っていたフーゴはけたたましい音で飛び起きた。外を見れば地平線にオレンジ色の光がすうっと伸び、星は徐々に白み始める空に最後の輝きを添えている。まだ夜明け前だ。フーゴは部屋の灯りを付け、イルーゾォのベッドに駆け寄ると、彼の上半身はベッドから落ちそうになっていた。点滴台は倒れ、ベッドサイドにあった洗面器が床に転がっている。
    「大丈夫ですか、イルーゾォさん!?」
     フーゴは顔色を変え、ゆっくりとイルーゾォを助け起こす。イルーゾォは痕の残る顔の右半分を撫でながら皮肉っぽい冷たい笑みを浮かべていた。
     洗面器に映る自分の顔を見たに違いなかった。
    「イルーゾォ(幻影)じゃあなくって、ファンタズマ(幽霊)にでも改名するか」
    「時期が来たら、その痕も治療しましょう」
     ついさっきまでくつくつと自嘲的に笑っていたイルーゾォだったが、急速に表情を曇らせた。
    「不要だ。いいんだ……いい……」
     イルーゾォはすっかり意気消沈した様子で、フーゴに背を向け、大きな体を小さく丸めていた。眠る子供に語りかけるような、穏やかで静かな声音が無性に悲しかった。
     仲間もいない。体はボロボロ。美しかった顔は半分、痕になっている。「いい」というのは、「どうでもいい」ということなのだろう。治したところで、彼にとって意味はないのだ。何もかもどうでもいいのだ。
    「なんで、生きてんだ、おれは……なんのために……たったひとり……」
     イルーゾォは弱々しい声でぼそりと呟いた。それは当然の疑問だろう。フーゴはありのまま、彼を生かしたジョルノの目的を告げる。
    「それは、あなたの、あなた達の話を聞きたかったから」
    「晒して、おれやおれの仲間を笑って、成り代わった正当性を主張するためにな」
     憔悴した声に、嘲りの色が加わった。
    「そんなことするものか!」フーゴは叫んだ。「ただ、知りたいんだ。僕らは互いのことを何も知らないまま、殺し合っただけだったから……!」
    「知ったところでなんになるって言うんだ? それに話すつもりはない。話しても理解できないだろうな。お前らにとっちゃ俺にはもう一リラほどの価値もない。生かしておくだけ無駄だぜ。時間と金と人手のな」
     背を向けたまま、イルーゾォは挑発的に言う。彼は殺されようと言っているのだ。それがわかっているから、安易に挑発に乗るわけには行かない。
    「今の俺を縊り殺すなんて難しいことじゃあねえだろ。そうしろ、そうしたらみんなせいせいする。俺も、お前も」
     イルーゾォは続ける。聞いてはいけない。
    「名前だけじゃあなくって、性根まで甘ちゃんになっちまったのか? 今更殺しはいけませんとか抜かすつもりはねえだろうな」
     イルーゾォは顔を少しこちらに向けて続ける。聞いてはいけない。でも。
    「――臆病者が!」
     でも、他ならぬ彼がそれを望んでいるなら。決して叶うはずのない想いなのだ。彼にしてやれることが、それしかないのだとしたら。
     フーゴは自らを奮い立たせるように声を上げた。
    「そんなに、そんなに死にてえんなら――!」
     フーゴは乱暴にイルーゾォの肩をつかみ、仰向けにさせると馬乗りに跨がった。痩せた首に手をかけても、イルーゾォは眉一つ動かさない。あの時は、片腕を切り離しても生き延びようとしたくせに。
     でも、やっぱりだめだった。手に力が入らない。イルーゾォがそんなにも死にたがっているなら、――彼の願いを叶えてやれたらと思う。でも。どうしても。心の一番深いところでは、彼に生きてほしがっている。生きてほしいと思うことに、大層な理由は要らない。
     やがて何も起こらないのを不審に思ってフーゴの顔を見上げたイルーゾォはぎょっとした顔になる。見開かれた目の近くに、大粒の涙がぼたぼたと落ちていった。
    「お、お前……」
    「できません……! 僕はあなたを殺せない……!」
     フーゴはついに手を引っ込め、強く握りしめる。イルーゾォは顔を歪ませた。
    「今更何言ってやがる……ふざけてんじゃあねえぞ。何を怖じ気づいてる!?」
    「あなたに死んでほしくない……あなたの望みを叶えたいけど、叶えたくないんだ」フーゴは消え入りそうな声で言った。「どうしても、生きていてほしいんだ」
     フーゴはイルーゾォの襟ぐりに顔を押しつけると、わあっと幼子のように泣き出した。イルーゾォは自分に覆い被さるようにして泣いているフーゴを押しのけることもなく、ただ困惑した顔で固まっていた。


     ◆  


     リゾットに声をかけられたような気がして、イルーゾォは目を覚ました。覚えているのはポンペイ遺跡でフーゴのスタンドに殺されたところまでだ。だが、あの殺人ウイルスに体を溶かされたのに目が覚めたということは、ひょっとしてすべて夢だったのだろうか? 苦痛はない。失ったはずの腕もある。清潔なシーツと、心地よいベッドの上で、よい香りに包まれている。しかし、ラスチコと木の典型的な田舎風の天井には見覚えがない。眠っているとしたらアジトの部屋のはずだ。――ここはどこだ?
     イルーゾォが視線を巡らせると、点滴台やよくわからないモニターが見え、パンナコッタ・フーゴと目が合った。彼も驚いたように、目を見開いている。
    「わかりますか……イルーゾォさん」
     フーゴ。パープル・ヘイズのフーゴだ。だが彼に敵意はなさそうだ。色々とわからないことがあるが、最初にこぼれ出た疑問を口にする。
    「ど……ど、こだ?」
     発語も一苦労だ。よほど長い間喉を震わせていなかったらしい。
    「ネアポリス郊外の、組織が持つ屋敷です」
     イルーゾォの問いかけに、穏やかな声色でフーゴが答えた。彼によるとここは組織の屋敷の一室であるらしい。どういう経緯で、自分は組織の屋敷で看病されている? それに、彼は本当にフーゴなのだろうか? あれは、夢ではなかったのか。彼は敵ではなかったのか。ますますわけがわからない。
    「なに、どう、なって……? おまえ、ふーご? なん……なんで?」
     問いかけると、フーゴは少し安堵したように表情を緩めた。
    「ジョルノがあなたの命を繋いだんです。左腕も、体も作り直して」
    「ジョルノ……新入り……」ジョルノ。資料になかった、ブチャラティチームの新入り。殺人ウイルスに感染して鏡の中に入ってきた真正のイカれ野郎だ。「あいつ、なんで、生きて」
     新入りのジョルノの存在を知っている――ということは、やはりポンペイでの出来事は夢ではなかったのだ。だとすると、よりいっそうわけがわからない。
    「あなたの位置を特定した蛇は、ウイルスに汚染された場所からジョルノが生み出したものだったんです。抗体をもつその蛇から血清を取り出し、ジョルノ自身とあなたに打ち込んだんですよ。……それでも、あなたが生き延びたのは、本当に奇跡的なことです」
     ――まじにわけがわからないが、あの新入りの小僧は鏡の外で、すべて計算して鏡の中に入ってきたことはわかった。そしてあの時の蛇はあのジョルノが生み出したもの、ということは生き物を生み出す能力を持っているらしい。色々な意味でキているやつのようだ。
     それにしても、あれから一体どれほど時間がたったのだろう。数日と言うことはないだろうが。
    「あれから……どれくらいだ……?」
    「半年になります。ボス・ディアボロはジョルノに倒され、今は彼がボスを務めています」
    「わけがわかんねえ」
     ――わけわからん。だが気になるのは仲間の安否だ。ホルマジオのやつは死んだとして、他のみんなは――
    「……ほかのみんなはどうしたんだ」
     ぽつりと口に出してみる。
    「あ、ああ……そのことなんですが……」
     フーゴは明らかに答えにくそうにしていた。トリッシュを護衛していたやつらがどういうわけかボスを倒し成り代わっているわけのわからない事態だ。やつらが生きている、ということは、仲間は皆倒されたということだ。ホルマジオが死んだ時点で和解することもないだろう。フーゴの様子からすると、考え得る限り最悪の結末をたどったとみて間違いない。
    「……しんじまったんだな。みんな。リーダーも」
     フーゴは否定しなかった。誰かが生きていればそう言うはずだ。しばらくの沈黙の後、フーゴは重々しく口を開く。
    「生き残ったのは……あなた、だけです……」
     わかっていても、言葉でつきつけられるのはやはり堪えた。心臓に茨が巻き付いたようだ。
     俺一人生き残っても仕方なかった。復讐するはずのボスも倒されてしまった。皆で顔を合わせていたのはつい昨日のように感じるのに、実際には半年も経っている。眠っている間に何もかもが変わってしまった。何もかも終わってしまった。
     大きすぎる喪失感は、復讐する気力を削いでいった。ただ過ぎ去った日々が涙となって流れていくだけだった。

     
     日が昇るにはまだ少し時間があるようだった。イルーゾォは上半身を起こし、マン・イン・ザ・ミラーに窓を開けさせる。東の空にほの明るい光が現れようとしていた。
    「どうしたんだ……お前……」
     部屋の暗さに目が慣れたイルーゾォは、ふと視界に入ったマン・イン・ザ・ミラーの姿に違和感を覚える。顔の右半分に火傷でもしたかのような痕があるのだ。そういえば、リゾットが言っていた。スタンドの負傷が本体に反映されるように、本人の欠損もスタンドに反映されることがあるという。つまり。
     手の届く範囲に鏡はないが、ベッドサイドにステンレス製の洗面器があった。顔を映す。暗がりでもわかった。鏡像の左半分、実際には右半分に火傷痕があるのが。
    「ああ……!」
     驚いて洗面器を払いのけると、その勢いで点滴台も倒れ、自身もバランスを崩してベッドから落ちかける。
    「大丈夫ですか、イルーゾォさん!?」
     慌てて駆けつけてきたフーゴに助け起こされる。よく見ると、右手や腕にも同じような痕があった。まるで、映画に登場する怪人の特殊メイクだ。もう笑うしかなかった。
    「イルーゾォ(幻影)じゃあなくって、ファンタズマ(幽霊)にでも改名するか」
     皮肉をこぼすと、フーゴは優しく語りかけてくる。
    「時期が来たら、その痕も治療しましょう」
     だが治療したところで、一体なんになるのだ? 
    「不要だ。いいんだ……いい……」
     希望も、気力も、目的も消え失せているのに? 生きていく気がないのに、傷跡の治療など意味はない。あのまま死なせてくれた方がよほど優しかった。眠っているときに首をへし折ってくれていれば。ポンペイで捨て置いてくれていれば。その方がずっと楽だったのに。自分も、こいつらも。もっとも、生き延びさせること自体が裏切り者への「ケジメ」なのかもしれないが。なぜ、なんのためにと問う。どうして自分だけ、生き残ってしまったんだろう?
    「それは、あなたの、あなた達の話を聞きたかったから」
     だが、返ってきたのは生っちょろい答えだった。そんなことのために。殺しなおすならともかく、お話し合いなど付き合う気にはならなかった。やはりガキはガキだ。話し合いとか、相互理解とか、そんなことに夢を見たがる。本当は理解する気もないくせに。
     この場にいるのがキレやすいフーゴなのは、都合がいい、とイルーゾォは思った。煽れば激高して縊り殺してくれそうである。証人を殺したら面倒なことにはなるだろうが、どうせ理解はできまい。結果はかわらない。
    「そんなに、そんなに死にてえんなら――!」
    フーゴを焚きつけるのは思った以上に簡単だった。すぐに怒りに身を任せ、首を絞めてくる、と思っていた。首に手をかけたまま、力を入れる様子がない。
     何があったのかと、フーゴの顔を見上げる。フーゴは泣いていた。温かい涙が、ぱたぱたと葉末の露のように落ちてくる。
    「お、お前……」
    「できません……! 僕はあなたを殺せない……!」
     振り絞るように言ったかと思うと、フーゴはついに手を引っ込め、強く握りしめる。イルーゾォは怒りで顔が熱くなるのを覚えた。
    「今更何言ってやがる……ふざけてんじゃあねえぞ。何を怖じ気づいてる!?」
    「あなたに死んでほしくない……あなたの望みを叶えたいけど、叶えたくないんだ。どうしても、生きていてほしいんだ」
     突然わけのわからないことを言ったと思うと、首のあたりに顔を押しつけてわっと泣き出す。明らかに様子がおかしい。――いや、よく考えてみれば、今に始まったことではない。(どういうわけかブチャラティではなく)ジョルノがボスになったのなら、仲間のフーゴは幹部となっていて当然である。それがどういうわけで、こんな郊外の田舎で、死に損ないの、裏切り者で敗者の自分の看病をしているのだろう。
    「フーゴ、お前、どうして……」
     どうしておれの看病なんてしているんだ。どうして組織の本部にいない? どうしてこんな田舎にいるんだ。どうしてお前が泣いているんだ?
     フーゴはゆっくり顔を上げる。綺麗な顔が、涙でぐしゃぐしゃになり、頬に髪の毛が張り付いている。
    「好きです、イルーゾォさん。ぼくはあなたが好きだから、あなたの望みを叶えられないんだ」
    「なるほど」
     いや、なるほどではない。様子がおかしいとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。頭をハンマーで殴られたようにクラクラする。
     そういえば、ナイチンゲール効果というものを昔映画で見た気がする。確か看病しているうちに相手を好きになってしまう現象のことだ。――ネタ元であるクリミアの天使はそんな覚えはないと言いたいところであろうが、――それはともかく、きっとそういう類いだ。
     イルーゾォはさらに納得するため、これまでの疑問点を整理することにした。
     なぜフーゴはこんな田舎で看病というつまらないことをしているのか? それはきっと何か事情があって、フーゴは組織中枢にいられなくなって、こんなところに追いやられたのだ。そこにはつきっきりで看病を必要とする者がいる。自分が世話しなければ死んでしまう人間だ。そいつが死んでしまえば、フーゴを必要とする人間がいなくなる。そのことへの恐れを好意と錯覚しているのではなかろうか?
     ――そうだ。そういうことだろう。そうに違いない。
     頭のどこかでは早急すぎる結論だとの声もあったが、そういうことにしないと頭がどうにかなってしまいそうだった。
    「フーゴ、もう泣くなよ。悪かったな……お前の気も知らねえで……もう、言わねえから」
     ナイチンゲール効果というものは、患者が回復したり看護を必要としなくなると徐々に薄れていくらしい。自分が回復すれば、フーゴの錯覚も治るはずだ。
     別に、フーゴがどれほど悲しもうが知ったことではないと言えばそれまでだが、今の状態で死ぬのはどうも後味が悪い。あの泣き顔を見ると気がとがめる。
     今まで、どんな美女が泣き崩れて命乞いをしようと(命乞いされる間もなかったが……)せいぜいもったいないなと思う程度だったのに。
    「泣くなって。な? 悪かったよ」
     フーゴは子供のようにふるふると頭を振った。
    「ぼくこそ、取り乱してしまって、ごめんなさい。顔を洗ってきます」
     フーゴは涙を拭いつつ部屋を出て行く。イルーゾォは再び状態を起こし、その背を見送った。普通なら、起き上がることもまだできないと思うが、出来てしまうのはきっとジョルノの能力で体を補われたからだろう。
     ぐうっと腹が鳴る。夕飯を食べずに寝て、翌昼頃起きたときのような、当然のような顔をして訪れた空きっ腹だ。本来ならこれもあり得まい。
     自分の気も知らず、体が生きようとしているのがなんだか情けなく、ポンペイからずっとジョルノの手のひらの上で踊らされているようで滑稽だった。
     しかし裏を返せば、それだけ回復も早いということだ。心置きなく仲間のところに行ける日もそう遠くないだろう。
     フーゴを待っている間、自分の指先が目について、イルーゾォは目に近づけてよく見てみる。とても綺麗に整えられている。自分でやるよりずっと大切にされている。眠っている間、指の先までとても丁寧に扱われていたことに気付いて、少し胸が痛んだ。

     ◆


     往診してきた医者が、のこのこ歩き回るイルーゾォの様子を見てあきれ果てて帰って行ったのを見送ると、もう昼食の時間になっていた。
     二人暮らしには大きすぎるキッチンからはいい匂いが漂ってくる。診察した医者は頭を抱えながらも、術後食のような食事を摂ることを許可してくれたので、空きっ腹を抱えていたイルーゾォはほっとしたのだった。
    「今はうすいブイヨンスープ(ブロード)で我慢してください。そのうち、なんでも食べられるようになりますよ」
     うすいスープを差し出しながら、フーゴはやけに嬉しそうに微笑んだ。飲んでみれば、塩気もほとんどない薄いスープだが、体中に染み渡っていくように美味しく感じられる。
    「……美味いな……料理できんだ、お前」
    「近くにリストランテもありませんし、あなたを置いて遠くに出かけるわけにもいきませんし。食材を買いだめて自分で作るしかありませんでしたから。大変でしたよ、最初は全然うまくいかなくて。生煮えだし、焦がすし、切れてないし」
     フーゴが肩をすくめる。彼は今でこそギャングの一員だが、もとは裕福な家の子息だ。生家でも、ギャングになってからも料理する機会はなかったのだろう。
     先ほどテキパキと料理してみせたフーゴが、最初はキッチンで右往左往していたのかと思うと面白くて、イルーゾォはうっかり口元を緩ませた。
     二十分後、食事を終えたイルーゾォはフーゴと共に自室に戻る。自室といっても傍らでフーゴが仕事をしていた部屋でもあるのでフーゴの仕事部屋でもある。
    「これからは隣の部屋で仕事してますから……何かあれば呼んでください」
     フーゴは机の上の荷物をまとめると、すぐ近くの寝室に運んでいった。
     イルーゾォは改めて部屋を見回す。屋敷自体はかなり古い。家具はどれも高そうなアンティークで、前の持ち主のものがそのまま残されているようだ。恐らく、もとはこの辺の領主の屋敷か、貴族が使用人を引き連れて訪れる別荘だったのだろう。田舎とはいえ、決して安い買い物ではなかったはずだ。汚い金を洗浄するのに不動産を購入するのは常套手段とはいえ、暗殺任務への報酬をケチってこんな屋敷を買っていたのかと思うと舌打ちもしたくなる。この屋敷現物報酬でもチームはそこそこ満足したかもしれない。
     部屋の一角にある、最新式のオーディオ機器に目がとまる。そばにはCDが山のように積み重なっているが、ジャンルはまるでまとまりがなく、雑多そのものである。そういえば、と目が覚めたとき音楽がかかっていたのをイルーゾォは思い出していた。
    「ああ、すみません、すぐ片付けますから」
     CDの山を物色しているところに、フーゴが残りの荷物を取りに戻ってきた。
    「このCD、お前の趣味か?」
    「いえ……あなたの目を覚ます助けにならないかとかけていたんです。思い入れのある音楽で目を覚ます例はいくつかありますから」フーゴは腰を下ろし、昨晩かけていたCDのケースをイルーゾォに手渡した。「そういえばこのCD、何か思い入れでも? あなたが目を覚ました時にかけていたものですが」
     イルーゾォは首をかしげながらケースの両面を確認するが、歌手にも曲名にもこれといって心当たりはなかった。
    「さあ。どっかで聴いただけじゃねえかな。どれがかかってたかもよくわかんねえし」
    「聴いてみますか?」
     フーゴは選曲し、再生ボタンを押す。印象的なクラリネットのメロディが流れても、イルーゾォはぴんとこない様子だったが、曲が盛り上がるにつれて、柘榴石の目に光が満ちていった。
    「リーダー、だ……」
    「リゾット・ネエロに関係が?」
    「俺はリーダーに拾われたんだ。スラムの生まれ育ちだったが……マン・イン・ザ・ミラーのおかげであまり苦労しなかった。でも、侵入した家で仕事を終えたリーダーと鉢合わせたんだ。音楽好きの家主で、オーディオルームから爆音でクラシックが流れてたんで気配に気づけなくって――」
    「それは大変」
     突然熱っぽく語り始めたイルーゾォに、フーゴはとりあえず相づちを打った。
    「能力を使って逃げようと思ったが、敵わなかった。でも、能力を見込まれて、ここで死ぬか、暗殺者として一緒に来るか選べって……その時流れてた曲だ!」
     イルーゾォは目を輝かせて語った。ポンペイで戦ったときの高慢な顔からは想像がつかないが、彼は心の底からリゾットを慕っていたらしい。彼だけではない。きっとチーム全員が、リゾットを中心として結束していたのだ。フーゴはそう思った。
    「ああ、でも……」イルーゾォの瞳から、光が一つまた一つ消えて行く。夢から覚めていくように。「暗殺者として生きるのは、今ここで死ぬより辛いかもしれない、とも言われたな……リーダーの言うとおりになっちまった……」
     イルーゾォは瘢痕を撫で、力なく笑った。
    「後悔、してるんですか。暗殺者となったことを」
    「まさかだろ」フーゴの問いかけに、イルーゾォはむっとして答える。「無敵だと思っていた俺をこてんぱんに負かした人に認められ、誘われる。男としてこんな光栄があるか? そりゃ、目的を果たす前にみんな死んじまったのは悔やまれるよ。悔しいさ! だがチームで立ち上がったこと自体を後悔しちゃいねえし、ましてリーダーについていったことを悔やむはずはねえ!」
     拳を振るって熱弁していたイルーゾォははっと我に返って口を押さえる。
    「喋りすぎた……か?」
    「ふふ、そうかもしれません。あなた方が、リーダー・リゾットを心底信頼していたことは伝わりました。……だからあなた方は、最後の一人になろうとも、戦いを挑み続けた」フーゴは急にしんみりとした、もの悲しげな顔になる。「……うらやましいな」
    「まるで、お前らはそうならなかったみたいな口ぶりだな」
     イルーゾォが口を挟む。フーゴは自らをさげすむように、冷たい声で言った。
    「僕が、です。ブチャラティがボスを裏切ったとき、僕は彼らについていかなかった。戦いに背を向けて、チームを離れたんですよ。僕一人だけがね」
    「それでか」イルーゾォは得心がいったように声を上げた。
    「妙だと思ってたんだ。なんでお前みたいな優秀なやつが、俺なんかの看病のためにこんな田舎に住み込んでるのかってな。だいたい、生かし続けるなら病院にぶち込んどきゃいい話だ。よほどの事情でもなきゃあ、お前みたいなのをこんな田舎に遣るなんてただのバカかマヌケだろ」
    「え、あ、そ……そうですか……」
     突然褒められたような形になって、フーゴは頬をほんのり赤く染めた。
    「ほんの数日でした。ほんの数日、街をさまよっている間にすべて終わったんです。ジョルノの勝利でね。彼らも無傷とは行かず、アバッキオ、ナランチャ、そしてブチャラティを失いましたが。……そして僕は卑怯者で、臆病者で、薄情者になっただけでした」
     フーゴはブチャラティらの死という重大な情報をさらりとこぼしていったが、イルーゾォは口を挟まず、黙って頷いた。
    「ネアポリスを出て、どこか遠い街でひっそり生きていこうと思ったんですけど、出発する時にジョルノ達に見つかって、戻ってこないかと誘われたんですよ」
    「なんだよ」イルーゾォは脱力した声で言った。「ボス直々のお出迎えじゃあねーか」
    「でも、僕なんかがノコノコみんなの輪に入っていったら、今度はジョルノの評判が下がります。今は地固めをしなくちゃあいけないのに。だからしばらく遠くにいさせてほしいと頼んだんです。それならばと与えられたのがこの任務。あなたを看病し、証言を得ることだったんです」
     フーゴは窓の傍まで歩いて行き、外を眺める。周囲は野原や農園が広がっていて、人家はおろか道路も遠い。舗装されていない道が伸びているだけである。
    「この田舎なら、人も少ないし見晴らしがいい。太陽の光が燦々と降り注ぐいい環境です。万が一、あなたの存在が知れて、親ディアボロ派の構成員とスタンドを使っての戦闘になっても、周辺住民に危害が及ぶことはないでしょうから」
     イルーゾォはフーゴの寂しげな背を眺めながら、この屋敷が選ばれたのはそれ以外の理由もありそうな気がしてきた。
    「そうか……。俺の方が根掘り葉掘……」イルーゾォは一瞬言いよどむ。「いや深掘りしちまったようだな」
     フーゴはイルーゾォの方に振り返って首を振る。
    「いえ。僕からも話していかないと、フェアじゃあないでしょう?」
     イルーゾォはフーゴを見つめる。自らの瞳に、フーゴだけを映し込もうとするかのようにじっと見つめた。
     一分ほどしてから、イルーゾォは絞り出すように口を開く。
    「なあ、フーゴ」
    「はい」
    「みんながどう戦い、死んでいったか……教えちゃくれねえか」
    「ええ、もちろんです」

     
     二時を過ぎる頃、フーゴは食材を買いに出かけていった。イルーゾォはすっかり手持ち無沙汰なので、屋敷内を掃除し始めた。フーゴは自分がやるから、と言うが、体を動かせるのに一方的に面倒を見てもらうだけ(しかも年下に)というのは精神衛生上あまりよくない。
     掃除機をかけていると、ごうごうとした運転音に混じってフーゴのものとは違う車のエンジン音が近づいてくるのに気がついた。イルーゾォはとっさに体を壁にぴったりくっつけて窓の隙間から外の様子をうかがう。いかにも高級そうな車で、業者とか営業ではなさそうである。よく見れば運転席と後部座席に一人。それなりに立場のある人間らしい。
     車から二人の男が降りてきた。後部座席から下りてきた金髪の男には見覚えがある。相対した時間は短いが、決して忘れることの出来ない姿だ。
    「ジョルノ・ジョバァーナか……」
     もう一人の帽子の男は、資料にあった拳銃使いのグイード・ミスタであろう。
     それにしても間が悪い。フーゴが出かけてから十分も経っていない。戻ってくるのは当分先だ。ジョルノらに気を利かせてやる義理もないので居留守でも決め込もうかと思った矢先のことだった。
    「チャオ! 久しぶりですね、イルーゾォ。少し、お話ししませんか?」
     ジョルノはイルーゾォが見ている窓に向かって呼びかけた。初めからそこにいるのがわかっているかのように。まるで親しい友人にするように呼びかけられ、イルーゾォは面食らった。そっちは久しぶりでも、こっちは昨日か一昨日ぶりくらいの感覚だがなと毒づきながら、部屋着から外出着に着替えて階下へ下りる。
     ジョルノ達はひとかけらの遠慮もなく屋敷に上がり込んできた。改めて見るジョルノは、あの戦いからせいぜい半年しか経っていないというのに、まるでずっと組織の頂点に君臨していたかのような風格を醸していた。天与のカリスマ性とでもいうのだろうか。彼はボスになるべくしてなり、自分たち暗殺チームは彼の栄達の道、その途上の敵――RPGの中ボスか何かであったような、初めから勝利と栄光をつかむのは彼で、その道の途中で打ち倒されるべき存在と定められていたかのような印象を受ける。――だからこそ気に入らない。
     二人を客間に通し、茶を出しながら用件を聞く。
    「フーゴは出かけたばかりだ」
    「ええ。わかってます。経過観察を兼ねてあなたと話でもしようかと。体調はどうでしょう? もう食べられるんですか?」
    「おかげで体調はいい。気分は最悪だがな」
     イルーゾォは吐き捨てるように答えた。別に仲間達を始末したことに対してとやかく言うつもりはないが、友好的に接する気もさらさらない。そもそも、死に損なう羽目になった張本人である。
    「元気ってことですね」
     反抗的な態度を隠そうともしないイルーゾォにピリつくミスタをよそに、ジョルノは微笑んだ。
    「ところで、これを見てください」
     ジョルノは黒っぽい塊を取り出し、床に置いた。
     亀。生きた亀である。
    「亀? 変な模様……いや、この形、」
     亀の甲羅には奇妙な模様がある。だが、よく見ると単なる模様ではなく、実際にくぼんでいて鍵がはめ込まれている。その鍵がポンペイで奪い合った鍵だと気付いたときには、見知らぬ部屋に瞬間移動していた。
    「えっ……」
     ソファやローテーブル、クローゼットや小型冷蔵庫、テレビまである。ドアはない。天井は温室のドームのようになっている。幻覚の類いではなさそうだ。天井からは、元いた部屋の天井が見える。すると、天井いっぱいに巨大化したジョルノの顔がぬうっと現れた。否、自分が小さくなっているのだ。この手の悪戯は食らったことがある。
    「驚いたでしょう。あの鍵は、このスタンド使いの亀に使うものだったんですよ」
     そう言うと、ジョルノも部屋の中に入ってきた。
    「ちょっとここで話をさせてもらいますが、いいですよね、ポルナレフさん?」
     ジョルノがクローゼットに向かって呼びかけると、クローゼットからは男性の声で「構わないぜ」と返事があった。
    「亀も喋るのか……」
    「いえ。彼はポルナレフさんです。ディアボロに倒されてしまったんですが、幽霊として亀の中に住んでいるんです。ディアボロとの戦いの時はサポートしていただきましたし、現在は相談相手になってもらっているんです。今は気を遣って、クローゼットの中にいるようですが。彼もスゴ腕のスタンド使いで、武勇伝もすごいんですよ。今度直接聞いてみてください」
     クローゼットからは「よしてくれよ」と照れの混じった声がした。
    「亀に幽霊……なんでもありかよ」
     イルーゾォはあきれ顔でソファにもたれた。ジョルノも腰掛け、前のめりになって口を開く。
    「さて、あなたに頼みたいことが」
    「いやだね」
    「最後まで聞いてからにしませんか。別に、暗殺を頼もうってわけじゃあないですよ。フーゴのことです。彼のことを見ていてほしいんです」
    「スパイってことか? 人選ミスだな」
    「何度も同じことを言わせないでほしいんですけどね……」さすがのジョルノも眉をひそめた。「当分の間、フーゴのもとに留まっていてほしいんです。二人で何しようがどんな話をしようが、報告は必要ありません。……彼の話はもう聞きましたか?」
     話、というのはフーゴがチームを離れたことについてだろう。
    「正直すぎるぐらいに話してくれたぜ」
    「ええ。誰より一番、彼自身が彼のことを許していないんです。その燻りは、きっと同じチームだった僕らでは消すことが出来ない。でも僕らは、フーゴと一緒に組織を作りたいんです。心置きなく、戻ってきてほしい」
    「それはもっともだな」イルーゾォは頷く。
     イルーゾォはフーゴの、自分自身をさげすむような態度を思い出していた。なまじ頭がいい上に真面目だと、色々と考えすぎてしまうのだろう。イルーゾォとしても、フーゴは中枢にいるべきだと考えている。類い希な知性の持ち主である彼が、いつまでも燻っているのはもったいない。能力は使ってこそ輝く。頼られているのなら、なおさら応えるべきなのだ。
     ただ、ジョルノの言い分は理解できるとしても、解決策が有効なのかはよくわからなかった。
    「……だが俺にどうにかできると思ってんのか? 居るだけで?」
    「ええ。現在の境遇が似ていますし、フーゴはあなたのことが好きですし」
     ジョルノの翠玉の瞳がまっすぐイルーゾォをとらえる。冗談でも冷やかしでもなく、至極真面目なまなざしでとんちきな台詞を吐くのでイルーゾォは一瞬あっけにとられる。
    「そ……それは……あれだよ。ナイチンゲール効果ってのにハマってんだよ。俺が完全に回復して、面倒見なくて済むようになったら消えるやつ。そのうち治っちまうぜ?」
    「本当にそう思ってますか?」
     清流のように澄みきった目で尋ねられる。天の御使いか何かが、下界の人間を見定めようとするような目つきに思えて、居心地の悪さを覚えた。フーゴのあれは錯覚だ、と確かにイルーゾォは考えているのだが、頭の片隅では錯覚だと思い込みたいだけじゃあないのか、と主張する自分もいるのだ。ジョルノの目は、片隅の小さい冷静な自分に語りかけているようであった。
    「ぎ……逆にそう思い込まなきゃやってられねえだろ。死に損ないの看病なんかよォ」
     目をそらしながら言うと、ジョルノは一瞬困ったように微笑んだ。
    「ま……その点に関してはともかく、どうでしょう? お願いできますか?」
    「フーゴのそれが治るまでは、死ぬつもりはなければ、他に行くアテもねえしな……だが、お前は一体何がしたいんだ? そこまで読んで俺を生かしたってわけじゃないよな? なんだって俺だけ死に損なう羽目になったんだ……」
    「僕は初めから組織を乗っ取るつもりで入ったので。暗殺チームのあなたの命が繋がっていれば、後々何かボスに対する布石になるかもしれないと思ったのです。ただ、あなたたちチームの動きが速すぎたし、翌日に裏切ることになりましたし、ボスを倒したのもあなた方と戦った数日後のことで、とても接触する余裕はなかったんですが」
    「イカれた小僧だ」イルーゾォは嘆息する。ここまでくると感心しきりである。
    「よく言われます。それに今は組織のボスとして、あなたの話を聞きたい。あなた方がチームぐるみで裏切りに至った道筋を知ろうとするのは当然のことでしょう。あなたたちのスタンド能力はボスにも知られていなかった。他の構成員ならなおさらです。今もってあなた方のことは謎に包まれている……」
    「……アジトは? 当然調べてんだろ」
    「もちろんいきましたよ。しかし痕跡が抹消されていました。チームリーダー・リゾットはサルディニアに発つ前に一切を灰にしたようです」
    「そう、か……」
     イルーゾォは唇の裏を噛む。リゾットがチームの痕跡を消したことについて驚きはない。きっとそうするだろうとは思っていた。一抹の寂しさが過っただけで。
     イルーゾォの様子を身慎重に伺っていたジョルノは重々しく口を開く。
    「僕たちも大切な仲間を喪いました。人は死んだら語ることは出来ません。生者が覚えている言葉と行動、人となり以外では。それだって愛憎で歪んでしまうことさえある。あなたと、あなたの中に残る彼らの話を聞かせてはもらえませんか。たったそれだけのためにと言われればそうかもしれません。でも、死んでしまえば永久に喪われてしまうのは確かです」
     重々しくも優しい声色にのせられて、ついその気になってしまう。人心掌握的な面からいえば、ディアボロよりもジョルノの方がよほど『悪魔的』と言える。
     優しい言葉にも、その裏に欺瞞や悪意があれば、鼻の利くやつや人の悪意に晒されてギャングに落ちたようなやつはすぐに感じ取って警戒するだろう。ジョルノに対するわだかまりを差し引いて見てみれば、彼にはさっぱりとしていて信じるに足るものがある。言葉にしたことは、必ず果たしてくれそうな誇り高さがある。彼にはあの若さにして裏社会の大人達を従わせるある種の才能のようなものがあるのだろう。それを一般的にカリスマ性と呼ぶのだろうが。
     恐怖で支配するよりある意味とてもタチが悪い気がする、とイルーゾォは思った。
     素直にジョルノの頼みを聞くのはシャクだし、聞いてやる義理などこれっぽっちもないのだが、かといって何も語らずにしばらく生きて死ぬだけというのも心残りだ。ひとり生き延びてしまったからには、自分たちが何を変えようとしたのかを知らしめよう。何も残らず、何も残せはしなかったが、勝者達の記憶に、仲間の声を刻みつけよう。
    「フーゴに話すんで、構わないか」
     イルーゾォはぼそりと言った。
    「ええ。それでいい。いえ、それがいい。フーゴはあなた以外と直接戦っていません。フラットに聞けるでしょうから」
    「それは初耳だな」
    「そうでしたか。フーゴらしい」ジョルノは目を細めた。「話は以上です。さ、出ましょうか」
     ジョルノは天井に吸い込まれるように消えていった。イルーゾォも天井に向かって手を伸ばす。一瞬浮遊感を味わった後、もとの客間に戻っていた。
     ジョルノはテーブルに革のドキュメントケースを置いていくと、「時々顔を出すから」と言って足早に帰って行った。イルーゾォも何事もなかったかのように掃除を再開する。人気のない広い屋敷では、一人であることが身に染みた。秋風に揺れる木々のざわめきが、妙に大きく聞こえた。
     アジトに戻ってももう誰もいない。それどころかアジトすらない。入念なリゾットのことである。メンバー個人の隠れ家も処分しているだろう。帰る場所は形も残っていなかった。
     リーダーは、復讐を遂げたらどうするつもりだったのだろう? 帰るべき場所も、仲間の痕跡もすべて失って、彼はどこへ往くつもりだったのだろう? 記憶に残るリゾットに語りかけても、何も答えてはくれなかった。
     
     ◆

    「ジョルノが?」
     はち切れそうなほど詰まった買い物袋を両手に抱え、フーゴが街から帰ってきた。イルーゾォは車内に残った買い物袋をおろしながら、ジョルノの来訪について語った。
    「ああ。書類置いていったぜ。あとしばらくの間はここにいて、チームのことを話してくれってさ」
    「……いいんですか? 話が聞きたいと言っておいてなんですけど、無理強いはしたくありません」
     フーゴは心配そうに聞いた。イルーゾォは無言で首を振る。束ねていない豊かな髪が複雑に揺れた。
    「理由を直接聞いて、妙な下心はないってわかったからな。それに、もう、知っているのは俺だけだ。みんな善い人じゃあなかったが、好い奴らだったってことは」
    「ええ」
    「だが、ジョルノに話すつもりはない。フーゴ、お前だけが聞き役だ。頼まれてくれるか」
     イルーゾォからの指名に、フーゴは目を丸くするがすぐに表情を改めた。
    「はい。責任を持って、務めます」
     食料や生活雑貨を納めるべきところに納めると、フーゴは客間のテーブルに置いてあるドキュメントケースを手に取った。かなりの枚数があるが、中身が何であるかはおおよそ見当がついた。
     暗殺チームの資料。ジョルノに頼んでいたものだ。
     フーゴはイルーゾォを呼ぶ。イルーゾォも、フーゴの表情を見てケースの中身を察したようだった。
    「ご覧になりますか。その……チームの皆さんの、遺体の写真もありますが」
     イルーゾォはフーゴの手から奪い取るようにして封筒を取った。引き締まった表情で、双眸に真剣な光を宿してフーゴを見据える。
    「みんな必死で戦って死んだ。生きながら輪切りにされて、美術品みてえに額に入れられて弄ばれたりしたわけじゃねえだろ。俺だって、覚悟は出来てんだ」
    「輪切り……?」フーゴは表情を曇らせる。「二年前に亡くなった、ソルベという黒髪の男性ですか。彼もチームの一員だったんですね……」
     ディアボロの親衛隊の一人、チョコラータの家宅を捜索した際、大量のビデオテープが発見された。その中に、「ソルベ」と題された、生きながらにして輪切りにされる男の凄惨な映像があったのはフーゴも確認済みだった。保管されていたテープはどれも直視できたものではなかったが、この残酷な処刑を目の前で見せつけられていたもう一人の犠牲者が、猿ぐつわを飲み込んで窒息死してしまったので印象に残っていた。
    「なんだ、ソルベのことも知ってたのか」
    「ジョルノ達が倒した男の遺品に、そのように殺害された男性のビデオテープがありました」
    「……そうか。そいつも死んだのか」
     イルーゾォは素っ気なく言いながらも、どこか安堵したように目を細めた。
     トリッシュの護衛任務を下されたとき、裏切り者のチームはボスを倒し、麻薬ルートを抑えようとしていると伝えられていた。だが、それだけではなかった。組織によって仲間を見せしめとして惨殺され、遺体を弄ばれたことへの燃えたぎるような復讐心。これこそ、彼らの結束力をより強固にしたのだろう。
     イルーゾォはリビングのソファに座り、ケースの中身を取り出し、ローテーブルに広げた。資料にはどれも霊安室のような場所に安置された遺体の写真が添付されている。血や泥、煤はみな綺麗に拭われていたが、離れた場所で毒蛇に噛まれたメローネを除いて、皆その戦いの激しさを無言で語っていた。
    「ソルベとジェラート……はやっぱりないな。俺たちのチームはもともと九人だった。暗殺という仕事の割に、報酬はしょぼかったし、縄張りもなかった。スタンド能力があるからといって雑に突っ込むワケにはいかねえ。調査や工作も必要だ。対象や護衛がスタンド使いのこともある。危険な汚れ仕事の割に、扱いが不当じゃあねえかって、皆内心不満だったんだ……」
     イルーゾォは語り出す。初めは雪が融けてゆくように。次第にさらさらとよどみない小川のように。時々、寄り道しながら。静かに、淡々と。フーゴはそれを書き留める。間違いのないように。
    「二人が消えたとき」イルーゾォは深く息をついた。「俺はそれほど深刻だと考えていなかった。ペッシがあんまりびびってるんで、それをからかいさえした。だが今思えばびびっていたのは俺の方で、まじに消されているとは思いたくなかったんだろうな」
     待遇に不満を抱き、ボスの正体を探ろうとした二人が消された。それもかなり残忍な方法で。恐怖によって怒りと屈辱を飲み込まされた七人は、腹の底で煮えたぎらせながら復讐の時を伺っていた。麻薬ルートを押さえるというのも、利益の追求というよりかはそれ自体がボスへの復讐に思えてくる。命も、権威も、権力も、すべて奪い尽くす復讐であり、同胞への供物であったのだろう。
     二年前の話が一通り終わったところで、フーゴは内容をまとめてイルーゾォに見せる。イルーゾォは穏やかに微笑んだ。
    「さすが、よくまとまってるじゃねえか」
     彼が自嘲を含んだ笑みでなく、純粋に笑うのを、フーゴはこの時初めて見た。
    「あ……ありがとうございます」フーゴも頬を赤らめて笑顔になった。
     日はとうに沈み、星々は一つ、また一つ出番の時を得て舞台に現れ始めた。手早く食事を済ますと、二人はまたもとのソファに座る。イルーゾォはホルマジオの資料を手に取った。体にはひどい火傷と、無数の銃創がある。
    「彼はあなたの前に戦った……」
    「ああ。俺はホルマジオがやられたって事実しか確認していなかったから、戦いについて詳しいことは何も知らねえ。ただ、まさかあいつがやられるなんて思っていなかったな……スタンド能力はくだらなかったが、頭のキレと腕は確かだった」
     イルーゾォは静かに資料を読み込む。資料には、戦いの現場写真も添付されていた。自動車が何台も爆破され、かなり烈しい戦いだったようだ。ホルマジオのスタンド能力も正確に記されており、いつも飄々としていた彼が全力で、加減せずにぶつかっていったことがうかがえる。
     ホルマジオは優れた洞察力の持ち主だったというのは、よく突っかかっていたイルーゾォも認めるところだった。だからこそ彼はいち早くブチャラティを疑い、ナランチャを捕捉することが出来た。思えば、ジェラートの死体を見つけたのも彼だった。
    「他のメンバーを待ってれば、……いや、言わない約束だな」
     うつむくイルーゾォの横顔を、フーゴは思案顔で見つめていた。
    「……彼は、重傷を負いながらも退却してチームに情報を伝えるつもりだったようです」
    「だろうよ。ああ見えて冷静に状況を見ている。だから敵に回すとこえーんだ、あいつは」
     飼っている猫にまったく懐かれずにいつもひっかき傷を作っていたこと、付き合っている女がよく変わっていたこと、ムードメーカー的な存在であったことなど、イルーゾォが語ったのは「くだらない」ことばかりであったが、資料に書かれているだけの人物像がより立体的になってくる。
     一方、過去については語らなかった。あまり詮索しない約束であったし、過去を明かさなくとも互いに強固な信頼を築けていたからだ。
     ホルマジオについてまとめ上げていると、もういい時間になっていた。話し疲れたのか、待ち疲れたのか、イルーゾォは腕を組んでうたた寝をしている。フーゴは一旦切り上げ、イルーゾォの膝にブランケットをそっとかけた。息を潜めて寝顔を見ながら、勢いで告白したことを、彼はどう思っているのだろうかと考えた。
     イルーゾォからすれば、仲間の仇の一味だし、ウイルスで半殺し――というか九割九分殺した張本人だ。だが、拒絶する様子はない。避けるそぶりもない。それどころか、ごく普通に接してくれる。告白を聞かなかったことにしたのだろうか。それとも覚えていないのだろうか? そもそも、はじめ彼は死にたがっていた。「もう言わない」とは言ったが、自分をなだめるための言葉だ。その心が劇的に変わったとは思えない。ただ、彼の心を直接確かめてしまったら、何かが終わってしまうような気がして、フーゴは口をつぐむしかなかった。
     フーゴは再びパソコンに向かい、キーボードを打ち始める。イルーゾォが気まずそうにこっそり目を開けたのには気付いていなかった。


     翌朝、軽い朝食を済ませてから、イルーゾォは封筒を手に取り、ホルマジオの次の資料に目を通す。プロシュートとペッシは二人で戦ったという。プロシュートは高速で走る列車から転落し、片腕や片目を失っている。ペッシはブチャラティのスティッキィ・フィンガーズでバラバラにされた上に川に落下したらしく、継ぎ接ぎの体には足りないパーツがいくつかあった。イルーゾォは目頭を押さえてうつむく。
    「大丈夫ですか? 少し、休みましょうか――」
    「いや、いい、大丈夫だ」
     気丈に顔を上げるイルーゾォだったが、顔色は白くなっている。
    「少し、堪えただけだ。昨日軽く見たのにな……。ペッシは、俺の知るペッシは殺しの現場で腰抜かすようなやつだったから――」
     ペッシは唯一、殺しをしたことのないメンバーだった。素朴で、気弱なところや臆病なところがあったが、時折鋭い勘働きや観察力を見せることがあった。見どころも愛嬌もあり、可愛がられていた。そのペッシが。
    「……ブチャラティが話していました。釣り糸の……ペッシはほんのわずかな間に急成長していたと。それこそ、十年も修羅場をくぐり抜けてきたような目をしていたと」
    「……みたいだな」
     イルーゾォは資料に視線を落とす。皆にマンモーニと呼ばれ可愛がられていたペッシからは考えられない戦いぶりだったようだ。プロシュートも列車から突き落とされ瀕死の重傷を負いながらも、今際の際までスタンド能力を解除しなかった。何かと口うるさい男だったが、決して口だけではなかった。経験と実力に裏打ちされていたからこそ、彼の言葉には説得力があった。そしてホルマジオとは別方向に面倒見がよく、根っからの兄貴肌だった。
    「老化しても、ミスタとブチャラティが動けたのか……」
     独り言をつぶやくと、フーゴは気まずそうに口を挟んだ。
    「二人は偶然、冷たいモノを口にしていたので体が冷えていたんです。この戦いの間、ジョルノとナランチャはダウンしていて、僕とアバッキオにいたっては終始眠っていて、何かが起こっていたことにも気付いていませんでしたから」
    「お前ら二人は俺と戦った後だろ。まあ……無理もないさ。俺が言うのもあれだが、負傷していたわけだからな……」イルーゾォも複雑な表情で眉尻を下げた。「そうやって眠りに落ちていれば、恐怖も感じずに眠っている間に老衰死できる……案外優しいんだよな、『兄貴』はさ」

     昼食を終えると、イルーゾォはメローネの資料を手にした。メローネのスタンドは自動追跡遠隔操作だ。だから、全滅と聞いて「まさか」と思ったのがメローネの死だった。資料によれば、ジョルノが倒したベイビィ・フェイスの残骸を毒蛇に変えてメローネを襲わせたらしい。本当に末恐ろしいガキだ、とイルーゾォは思った。
     メローネには外傷がなく、眠っているようにさえ見える。フーゴのウイルスで溶かされかけた自分が生き延びて、蛇に噛まれただけのメローネが助からなかったというのも奇妙な話だ。だが、生死というのは怪我の深さだけで決まるものではない。運や偶然というのもバカに出来ない。ほんの数センチ頭を傾けていたから助かった者もいれば、その逆もあろう。――理解はしていても、なかなか納得のいくことではないのだが。
    「メローネはこれだけか」
     今まで見た三人の資料と比べて、メローネの資料は記述が少なかった。当然と言えば当然である。
    「ええ。彼とは直接対面がなかったので……資料もかなり簡素になっています」
    「充実してる方がこええよ……」
     イルーゾォは思わず苦笑する。
     遠隔地からメローネのスタンドの全容を把握していたらそれはもはや神の御技であろう。
    「彼はどんな方だったのでしょう。その……個性的な方と見受けましたが」
    「個性的ねー……」かなり言葉を選んだ様子のあるフーゴの問いかけに、イルーゾォはポンペイで見た彼の穴だらけスーツを思い出しながらのろのろと答えた。
    「チームの誰に聞いても『変態』って答えられるような奴だよ。ホルマジオとかプロシュートが引くことさえあった。何せ皮膚の味で血液型を判別できるんだぜ」イルーゾォが舌を出してニヤッと笑った。「言動も能力もキていたが、それだけ頼りにはなったな。変態だったんだが……」
    「そ――そうですか……」引きつった表情でフーゴが相づちを打った。
    「それに、色々詳しくてさ」イルーゾォは慌てた様子で付け加える。「妙にマニアックな知識が豊富で、ふとしたときに解説してくれたりした。ああ見えてノリもいいし、占いとかもチェックしてるし……」
     その後イルーゾォは「実は愉快な奴で」「飽きが来ないというか」などと何故か擁護に終始していたが、フーゴの脳内には「でも変態なんだよな」という印象がこびりついて離れなかったのだった。

     
     資料をまとめ上げ、遅めの夕食を取る。イルーゾォも徐々に固形物がとれるようになり、パスティーナ入りのブロードを平らげていた。といっても、これは異様な回復速度である。イルーゾォが眠っている間、ジョルノが見舞いにきては彼のスタンドで何か行っていたのでその効果だろう。――ヴェネツィアでブチャラティと別れたとき。その時既にブチャラティの肉体は死んでいたのだという。そのような特異なことを起こせる力なのだから、今更驚いたりはしない。
     洗い物を済ませると、イルーゾォは再び資料を手にしていた。ギアッチョの資料だった。氷のスタンド能力を持ち、執念深く、どこまでもしぶとかった。正確面では、脈絡もなく突然キレ始める癇癪持ちかと思われたが、その実かなり機転の利く、厄介な相手だった。――そう聞いている。
    「ギアッチョはなにかっつうとこだわりが強くてな。『石の上にも三年』にキレたり、『七転び八起き』にキレたり――納得いかねえとすぐそれを感情に出す。声もデケエんだよなー……」イルーゾォは遠い目をしていたが、声の大きさではいい勝負ではなかろうかとフーゴは思った。
    「あのメローネと仲良かったんだ。トシが近いのもあるんだろうが、妙に波長が合うんだか、凸凹なのが逆にぴったり合わさってたんだか……普段から騒がしくて、アジトのモノぶっ壊すし、しょっちゅうリーダーにも怒られてたな。この前のナターレの時なんかよぉ……」
     非キリスト教国のクリスマス慣習にいらついたギアッチョがテーブルの脚を折っただの、それに大笑いしたメローネがプロシュートのシャツにワインをひっかけて喧嘩になっただの、揃ってリゾットに怒られただの、彼らのアジトの喧噪が蘇るようであった。
    「……だがある意味ではさっぱりというのか、純粋というのか、仲間の実力は認めてたし、誇りにしてた。チームの待遇も、『俺たちの実力に見合わない』って散々キレ散らかしていたしな。リーダーとか、ホルマジオとか、プロシュートとか、待遇に関して感情的にキレるタイプじゃあなかったから、……意図的か無意識かは知らねえが、代わりにキレてたような気もするぜ……」
     フーゴは、ナランチャのことを思い出していた。ギャングは例え心に思っていても口にできないことは多い。個人的な感情、好悪、不平不満、そういったことは、腹の底に隠しておくものだ。ナランチャは思ったことを素直に口に出しては、ブチャラティにたしなめられていた。子供っぽいと言えばそうなのかもしれない。だが彼の感情に素直で、まっすぐなところが好かれていたし、ある意味うらやましくもあった。
     そして彼の感情的にまっすぐな面が、アバッキオのメッセージに気付かせたことも聞いていた。
    「フーゴ? どうした?」
    「あ……すみません。考え事をしていました」
     イルーゾォの声に、フーゴははっと我に返る。
    「集中切らすなんて珍しいな。ちょっと休むか。俺も喉が渇いたし。何飲む?」
     イルーゾォが腰を上げたので、フーゴは慌てて呼び止めた。
    「僕が持ってきますから、あなたこそ、何飲むんです?」
    「疲れてんだろー? いいから座って休んどけよ」
    「はあ……。ではお言葉に甘えて。僕はなんでも構いませんよ」
    「おー、言ったな?」イルーゾォはニッと不敵に笑った。ポンペイで会ったときの、勝ち誇ったような笑顔ととてもよく似ていた。
     イルーゾォの背を見送ると、フーゴはソファに深く沈み込み、目を閉じる。イルーゾォは、明るくなってきた。自分を殺させようとしていたときの陰鬱な表情はすっかり晴れている。やはり彼の心も少しずつ変わり始めているのだろうか? ――僕のように。
     ジョルノが新しいボスになると聞いたとき。フーゴは街を出て、それはそれは遠いところへ往こうとした。パープル・ヘイズのウイルスが陽光のもとでは数十秒と生きられないのなら、その本体である自分も、『太陽』のもとでは生きてゆけまい。そう思った。自分は組織の大きな笠の下でしか生きられなかった、日陰者なのだから。
     街を出る前に、ポンペイへ自然と足が向かっていた。何故かはわからないが、ここで自分が殺した(血清を打たれたとはいえ助からないと思っていた)彼に最初で最後のあいさつでもしようと思ったのかもしれない。当然彼は居らず、ジョルノとミスタが待っていた。「どこに行くんだよ?」ミスタの問いかけに「関係ないでしょう」と冷たく返した。ジョルノは「関係あります。君はこれから再び僕たちの仲間になるんだから。一緒に来てくれますよね、フーゴ?」と太陽のようにほほえみ、手を差し伸べるのだった。もう「どうでもよかった」ので、みそぎとして与えられた任務の途中で死んでもそれはそれでいいと思ってついて行ったのだった。
     ――聞かされたのは「証人の看病・保護任務」で、数日後に連れてこられたのは田舎の大きな屋敷だった。どう考えても一人で住むには広すぎる。掃除だけでも大変だ。スタンド能力の特性上、人家や道路から離れた家というのはわかるが、ここまで広い屋敷でなくともいいだろう。フーゴは、変な気を起こさせないためかと勘ぐった。あんまり暇だと、人間は余計なことを考えてしまうから。だがその勘ぐりも、ベッドに横たわる「証人」を見て吹き飛んでしまった。――イルーゾォではないか!
     すべて計算済みでウイルスに感染したジョルノを除いては、イルーゾォはまともにウイルス攻撃を食らって生き延びた唯一の人間ということになる。触れたら最後、肉体を破壊し、命を奪うしか出来ないと思っていた自分のスタンド攻撃から、偶然と奇跡の上でかろうじて生き延びたのだ。それだけで特別だった。特別な人になった。
     彼を看病するうち、どうしようもなく惹かれてしまっていることに気付いた。性格も、好みも何も知らないのに。任務の関係上、全身くまなく触れてはいるが、任務とは関係なく彼に触れたい自分にも気付く。――彼の手に触れたい。頬に触れたい。唇に触れたい。手で、頬で、唇で、触れたい。
     頭がおかしくなったんじゃあないかと思う。何か錯覚しているのかとも。だが欲を解消してもますます募るだけだった。誰にも言えないような夢を見ることもあった。彼の存在が、生きる理由になっていた。どうしようもなく終わった恋だとわかっていても。
    「寝ちまったのかあ……?」
    「ね、寝てませんよ!?」
     頭上から声が降ってきて、フーゴはぱっと目を開けた。気がつけば、あたり一体にチョコレートの甘い匂いが漂っている。イルーゾォは黒っぽいどろっとした液体が入ったマグカップをフーゴに渡す。チョコラータカルダ……いわゆるホットチョコレートだ。
    「やっぱり疲れてやがるな。甘いモンでも飲みなよ」
    「あ、ありがとう……ございます」
    「買い物袋に入ってたからさ、ひそかに狙ってたんだよ」イルーゾォは上機嫌な顔でチョコラータカルダを口にする。フーゴも飲む。濃厚だが、ほどよい甘さが口いっぱいに広がり、心身に染み渡っていく。素直な感想が、口からこぼれ出た。
    「美味しいです……!」
    「だろぉ~? 何しろリーダー直伝だからな」
     イルーゾォは得意げに顎を上げた。
    「徹夜明けとか、任務から戻ってきた夜中とか、落ち込んでるときとか、よく作ってくれたぜ。でもそうすると他の連中も匂い嗅ぎつけて、自分にも作ってくれって沸いてくるんだよなあ」
     イルーゾォは苦笑した。フーゴは彼の語るその様を思い浮かべ、覚えず、涙をこぼした。眠気を装って、あくびをしながらそれを拭う。
    「明日、……もっとたくさん聞かせてください。あなたのリーダーのお話を」
     


     暗殺チームのリーダー、リゾット・ネエロはブチャラティチームとは戦わず、組織の何者か――否、ボス・ディアボロ、あるいは別人格のドッピオ、もしくはその両方と戦ったとみてまず間違いない。リゾットの体にはエアロスミスによる機銃掃射の痕が無数に残っているが、これはナランチャのレーダーがディアボロに利用されたためである。
     イルーゾォは長いこと黙ったまま、資料を見つめている。メローネと同じように、彼とは直接相対していないので記述はかなり少なかった、というより、ほとんどなかった。情報収集チームの者などは役割上彼と面識はあったようだが、彼らからすれば「無口で何を考えているかわからない」「無愛想な男」「怒らせてはいけない」「頭のキレる冷徹な男」だったようだ。だが、これまでのイルーゾォの話からすると、仲間に対してはかなり情が厚い男に思える。むしろ、一癖も二癖もあるメンバーを一つにまとめ上げていたのだから、人望は相当のものだ。ブチャラティ達とは戦っていないので、彼の能力、実力は直接確認はできなかったが、実力者揃いのチームリーダーとして相応しいものを持っていたことは確かだ。
    「……なんで戦ったのがボスってわかったんだ」
     長いこと黙っていたイルーゾォはようやく口を開いた。
    「その戦いのすぐあと、アバッキオがボスに殺されました。付近には他にボスの親衛隊もいませんでした。むしろ下手に部下を派遣すれば自分の姿を見られる可能性があります。神経質で猜疑心の強いボスがそのリスクをおかすとは思えませんから」
    「なるほどね……」イルーゾォは頷く。
    「相当激しい戦いだったようです。ボスの方もかなり負傷していたみたいですから」
    「じゃあ、きっとリーダーはボスの正体に迫ったよな?」
     イルーゾォはフーゴの方に振り向く。その目はすがるようであった。
    「……いや……」イルーゾォは目を伏せる。「そんなのわかんないよな……本当のところは。そうであってほしいって俺の願望だよな」
     真実はリゾットしか知らない。だが、はじめからディアボロが相手なら、時間を消し飛ばすという無敵の能力でかなり一方的な戦いであっただろう。それに、用心深いディアボロが、素の姿で生まれ故郷をうろつくとは考えにくい。リゾットに邂逅したのはドッピオの方だろう。ドッピオが深手を負い、見かねたディアボロが現れたと考えても不思議ではない。一瞬、ちらりとでも、正体を垣間見た可能性は十分にある。
    「……お互い、死力を尽くした戦いのようでしたから。断定は出来ませんが、でも、恐らく――きっと」
     イルーゾォはフーゴの顔を穴が開くほど見つめ、「頭のいいお前がそういうなら」と言って目を細める。フーゴは頬のあたりがかーっと熱くなるのを覚えた。
     フーゴは話題の転換を図って話を振る。
    「そうだ、差し支えなければ、リゾット・ネエロのスタンド能力について教えていただけませんか?」
    「んー……」イルーゾォは右頬を撫でながらしばし逡巡する。故人とはいえ、仲間の能力を開示するのはやはりはばかられるのだろうか。
    「俺がリーダーと戦ったときの話なんだけどな……」イルーゾォはもごもごと話し始めた。「入り込んだ家のオーディオルームから爆音で音楽が流れていたから、気配を感じなかったといったろ? 近くにいたのに姿も見えなかったんだよ」
     イルーゾォは、直接明かす代わりに、自分の話から能力を推測しろと言いたいらしい。映画でよくある「これは独り言だが……」といってから重要情報を話す場面のようなものだろう。
    「突然手から裁縫針が生えてきて、驚いて鏡の中に逃げ込んだんだ。何者かがいるが、鏡の中にいさえすれば安全に逃げられる。でも鏡の中には死体なら入り込めるだろ? 体内から無数に刺された肉塊に出くわして、腰を抜かして能力解除しちまったんだ。傷口から流れる血は黄色っぽく変色してたし、どう見ても普通じゃあなかった。他殺体なんて初めてではなかったが、さすがにあんなのは見たことなかったからな、ただのスラムのガキだったし」
     ここまでの話からすると、リゾット・ネエロは姿を消す能力、対象の体内から攻撃する能力を持っているらしい。血が黄色っぽく変色していたということは、赤血球の回復が間に合わなかったのだ。頻繁に売血を繰り返した人間のように。
    「……その死体の血は、すべて黄色かったのですか?」
    「いや。壁や天井に飛び散ってたのは赤かったな」
    「そうですか……」
     となると、もともとは健康的な血液であったが、急速に赤血球だけを失ったことになる。イルーゾォが「手から裁縫針が生えてきた」と言ったことから、体内で赤血球を使って武器を生成したのだろうか?
    「……『スタンド使いか?』って後ろから声がして、また鏡の中に逃げて撒こうとしたんだが、どこに逃げてもぴったりとついてくる。メスはピュンピュン飛んでくるし、ランドリールームのキャビネットに身を隠したんだが……」
    「……ん? キャビネットに?」
     引っかかりを覚えて、フーゴはちらっとイルーゾォを見る。今は痩せてはいるが、長身の彼がキャビネットに収まるイメージが浮かばない。
    「小柄だったんだよ、その頃は! よく女に間違えられたし! でもそれも見つかって。扉を開けられた瞬間に能力を解除して、思いっきり体当たりしたんだ。リーダーが立ち上がったとき、上半身が鏡に映ったんで、とっさに上半身だけ許可して猛ダッシュで逃げようとしたんだが」
    「駄目だったんですね」
    「うん。それまで他人を入れたことなかったしほんの数秒しか持たなかった。あとは足から釘が生えてきたり、壁に掛けてある額縁が飛んできたりで、オーディオルームでとうとう捕まったけど、チームに誘われて、たくさん食わせてもらって俺も大きくなったってワケだ」
     相当食費を圧迫しちまったが、とイルーゾォは苦笑した。キャビネットに収まる小柄な少年がこれほど育てば食べさせ甲斐もあったろうとフーゴはぼんやり思った。
    「……いくつか、その時の状況を聞いても?」
     イルーゾォは頷く。リゾットの能力について大まかなところは見えてきたが、いくらか疑問点があった。
    「彼は何故、鏡の中のあなたを追うことができたのでしょう?」
    「血だ。俺の手から落ちた血や、死体の血を踏んだ時のゲソ痕とか。そういう、俺がつけた痕跡は鏡の外に出ちまってたんだ。鍛えられる前の話だけどな」
    「なるほど」ナランチャのような索敵能力で居場所を探り当てたわけではないらしい。「飛んできた額縁は金属製でしたか?」
    「そうだ」
    「針や釘で負傷した手や足は、別の手足より、リゾットに近い位置にありましたか?」
     イルーゾォは顎に手を当てて、しばし考え込んだ。
    「そうだなあ。少なくとも足は、後ろに伸びていた方だったかな」
    「……体内の鉄分や鉄を、操作する能力――磁力か何かで……」
     イルーゾォはニーッと笑って「なんだ、ばれちまったか」とわざとらしく呟いた。どうやら合っていたらしい。姿を消す能力も、鉄分を操作して周囲の風景と同化させていたのだろう。
    「では、暗殺術はリーダーに教わったんですか」
    「基礎的なところは。他にもリストランテの入り方とか、潜入や張り込みに必要なことも色々な。料理も、体作りも。……家族に縁のないスラムのガキからしたら、リーダーは心地よい木陰だった。暗殺なんて日陰者の仕事でもな――いや、なおさらか」
     イルーゾォは目を閉じ、懐かしむように語る。彼の心はまだ死んだ仲間と共にあるとフーゴは思った。死人にはどうあがいても勝つことはできない。死者はその人の心の中で年を経るほど美しくなるものだ。生者とは反対に。
     何も彼らに勝とうとは思っていないけれど、魂まで引っ張られてほしくない。固い冬芽が少しずつほころんで、やわらかな花弁を開き始めているというのに、また冬に戻ってしまうのか? それだけは嫌だ。フーゴは物憂げな目で窓の外を眺めた。秋風が庭の大きな鈴懸の木を揺らすと、木は笑いさざめきながら黄色い葉をはらはらと舞わせる。紫色の小さな鐘を無数に連ねたエリカは、喜びつつ木の葉を戴いた。
    「なあ、資料まとめるとき、俺も隣で見ていていいか? 邪魔ならいいんだが」
     ふいにイルーゾォは遠慮がちに口を開いた。
    「いえ……むしろ助かります」フーゴはイルーゾォに笑いかける。
     イルーゾォの心は仲間のところにあるが、日ごとに明るくなっているのも確かだ。故人を思い出すときは、故人と逢瀬をしているのと同じだと何かで読んだ気がする。イルーゾォは、仲間と会うことで元気になっている――と考えることも出来る。仲間について話すイルーゾォはいつも誇らしげだった。「くだらない能力」だの「変態」だの「口うるさい」「めんどくさい」「困った奴」といいながらも、彼は心を許していたし、彼なりに愛していたのだろう。そしてイルーゾォ自身もきっと、「面倒」だの「うるさい」だの思われながら可愛がられていたのだ。最初に「善い人ではなかったが、好い奴らだった」と言っていたのがすべてだった。
    「……僕にこんなことを言う資格はないですが」フーゴは言った。「イルーゾォさんの話を聞いていて、とてもいいチームだと思いました」
     トリッシュを狙う非情な敵でしかなかった彼らに血が通っていった。彼らは善人ではない。だが、同じギャングである自分にそれをどうこう言う権利はない。彼らは好い奴らだった。ナターレを共に過ごし、チョコラータカルダをせがむような普通の青年だった。それを思うと、殺し合いしかできなかったのが残念でならない。そうなる運命だとしても。
     イルーゾォはしばらくぼんやりとした顔をしていたが、フーゴの言葉を咀嚼するようにゆっくり瞬きを繰り返し、唇を細かに震わせて言った。
    「ありがとう」
     低く優しい響きの声に、平生の調子のいい響きはなかった。安堵したような、落ち着いた声色だった。
    「気が向いたらで構わないんだが……お前らのことも教えてくれ。くだらねえことでいいんだ」
     フーゴは目を見開いてイルーゾォを見て、彼はこんな優しい顔も出来たのだと知った。

     傾き始めた太陽は空の果てをオパール色に染め、地上に金色の彩りを添える。床に窓枠がくっきり映し出されているのを見て、フーゴは席を立ってカーテンを閉めた。パソコンの前に座るイルーゾォは、フーゴの作った資料をじっと見つめている。
    「なにか、変なところでもありますか?」
    「いや……よく出来てるぜ? そのせいかな……」
    「どうかしましたか?」
    「読んでるとつい考えちまうんだよ、もし、リーダーがサルディニアでボスを倒していたらどうしただろうって。きっと俺ら全員分の復讐心を背負って行ったはずだ。その荷が一気に下りたとき……」
     ああ見えて人一倍家族愛の強いリゾットが、自らその居場所に火を放ち、帰る場所も、仲間がいた証もすべて灰にして、復讐心から解放された時、彼の心には何が残るのだろう? リゾットもその後を考えなかったわけではないだろうが、わからない。組織の頂点に立つつもりだったのだろうか? それとも――
     答えはリゾットの心の中、いまとなっては確かめようがない。
    「ずっと考えてんだ……考えたところでどうしようもねえ、答えが出るもんじゃねえってわかってるけど……」
     フーゴは黙ってイルーゾォを見ていた。彼もまた似たような問いを抱え続けている。少し思案して、彼は口を開いた。
    「答えが出るかはわかりませんが……今度皆さんのお墓と、アジトの跡地に行ってみませんか? 僕らでは何も見つけられませんでしたが、あなたになら何かわかるものがあるかもしれませんし……」
    「あるのか……? 墓も、アジトも……」
    「ええ。あの戦いで亡くなった構成員は、敵味方の区別なく、ジョルノが弔いました。焼け跡ですがアジトもそのまま残してあります。こんなこともあろうかと、ね」
     イルーゾォはほうと息をついた。資料についていた写真の中の遺体は、みな綺麗に整えられていたので、少なくともきちんと埋葬まではしてもらえたと思っていたが、墓参りもできるとは思っていなかった。アジトにしても、焼け跡をいつまでもそのままにしておいても仕方がないのに残してあるとは。あいつも結構わかるやつなのかもしれない。
     それにもうじき死者の日、墓を訪れるのにはちょうどいい機会だ。何か見つかるなどとは思っていないが、訪れる価値はあろう。
    「……行くよ。行ってもいいんだろう?」
    「是非、そうしましょう。でも、今のところあなたの生存は機密事項でして。組織でもごく一部しか知りません。人目につかないよう、鏡の中からでも構いませんか……?」
     フーゴは申し訳なさそうに聞く。イルーゾォは小さく首を振った。
    「鏡の中でも、みんなはいるからな……」
     
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