憑いているのは……?里を出て二十数年になるが、外界の技術の進歩は目覚ましいものがある。
出奔した先で便利な道具に触れるたび、モクマは目を瞠ったものだ。
そして今もその便利な道具に助けられ、大切な仲間と定期的に連絡を取り合えている。
『……で、ですね、署内の人間の間で噂になっているんですけど、遅くまで残業していると必ずどこかから呻き声が聞こえてくるんです……僕もこないだ残業してたときに聞いてしまって……』
分割されたPC画面の向こう側でルーク・ウィリアムズが落とし気味の声で囁く。
モクマは神妙な面持ちのルークにどう返したものか、といつものへらりとした笑みを崩さぬまま考える。
『……なんだそれ。寝ぼけてんのか』
と、モクマが返答する前に、分割されたもう一方の画面に表示されたアーロンが呆れた様子を隠しもせず言い放つ。
『なんだよ、アーロン! 僕は真剣に──』
『どうせなんとかの正体見たり、ってやつだろ。幽霊なんているわけねえ』
『そんなこと、わからないじゃないか!』
世の中にはまだまだ科学の分野では解明出来ないような不思議なことが──!
力説するルークと鬱陶しげにあしらうアーロン二人の会話を聞きながら、モクマはどうしてこんな話題になったんだっけ? と、一人追想する。
たまに開催されるオンライン越しの会合の話題は、大抵それぞれの近況報告から始まって、次第に雑談へと移り変わる。
今日もその流れで近況報告を終えた後に、ルークから徐に近頃職場内で話題に上っている怪談の話になった。
折しも季節は盛夏。各々定住地はバラバラでモクマに至っては決まった定住地を持たず各地を転々としているが、怪談というものは国の境なく今くらいの時期に伝播するものらしい。
「あーでもアーロン、おじさんもルークが聞いたような話経験したことあるから、一概にないとは言いきれないかもよ?」
幽霊はいる、いないで言い争う二人の仲裁がてら口を開いたモクマの言に、アーロンがげんなりした顔で吐き捨てる。
『はあ? おっさんまで寝ぼけてんのかよ』
「まあまあそう言わんと──そう、あれは少し前に滞在した、古いお城を改装したホテルでの出来事だったかな……」
モクマはなんとなく先程のルークに習い、声を落として語り始めた。
古城を改装したホテルは古めかしくはあったが中は綺麗に整えられており、積み重なった年月に相応しい品のある佇まいであった。
ただ、やはりそういった建物というのはその重厚ある雰囲気と合わせて何かしら「出そう」というイメージも付きやすい。
明るいうちはそこまで気にならないが夜ともなれば──立派にホラー映画の舞台となり得そうな雰囲気を醸し出す。
そんないかにもな場所で、モクマは実際に深夜不可解な存在を「視て」しまった。
「夜中にちょっと目が覚めちゃってね、水でも飲もうかと思って起きようとしたら部屋の窓あたりに長〜い髪の人影がふら〜っと……」
『ひええええ……! ほら、やっぱり! 聞いたかアーロン! 幽霊はいるんだよ!』
あからさまに背筋を震わせ顔を青くするルークとは対象的に、何かしら察したアーロンが眉間に皺を寄せてこちらを睨む。
が、モクマは素知らぬ顔で話を続ける。
「あとは……そうだねえ。そのお城でシャワー浴びてたら、排水口に長〜い髪の毛が落ちてたり……』
『そ、それは……もしかしなくても夜中に見たっていう幽霊の……!?』
「そうかもしれんねえ」
あっけらかんと答えるモクマに、ルークがいかにも恐る恐るといった口調で更に尋ねる。
『その、幽霊は……今も、モクマさんに、憑いて……?』
「──だったら、どうする?」
あくまでも穏やかにいつもと同じ笑みを浮かべ答えれば、ルークの顔面が目に見えて蒼白になりぶるぶると震え出す。
『ルーク、顔色悪りいぞ』
「ありゃ、ほんとだ。体冷えちゃったかね?」
『そうかも……しれません……。ちょっと温かい飲み物でも淹れてきますね……』
見兼ねたのか指摘するアーロンとモクマの言葉に頷いたルークは、暫しの退席を申し出る。
やがて分割画面の片方が暗くなると、残された二人の間になんとも微妙な空気が流れ、そして──
『……おい、おっさん』
「ん〜?」
鋭い眼差しに射られるも、ものともせずのんびりと返事をするモクマにアーロンはチッと舌打ちし、
『幽霊話にかこつけてさりげなく惚気てんじゃねえぞ』
と、釘を刺してくる。
「あはは、アーロンにはわかっちゃうか」
さすがに聡いなあ、と関心していたら、嬉しくねえ! と画面越しに吠えられた。
『幽霊だのなんだので誤魔化されんのはお人好しのルークぐらいだろ』
──だいたいな、おっさんの話よく聞いてりゃ、憑いてんのが幽霊なんかじゃなくて、あのクソ詐欺師だってわかんだろうが。
いかにも嫌そうに指摘するアーロンに、モクマは大正解〜! と手を叩き喜ぶがすぐにやめろと怒鳴られシュンとする。
「いやでもねえ、ルークの食いつきがあまりにも良くて……つい揶揄いたくなっちゃった」
それにモクマが先程語ったことはすべてが虚実というわけでもない。
ただ、相手が幽霊ではなく生きた人間である、という事実を隠していただけだ。
窓辺に佇む長い髪の人影も、シャワーの排水口に絡んだ長い髪の主も、どちらもモクマのパートナーであるチェズレイ・ニコルズのことである。
元来、観察力の鋭いルークなら、よくよく考えればすぐ気づくかと思ったのだが──
「ルークはほんとに幽霊を信じてるんだねえ。夢壊すのもなんだし、ルークが自分で気がつくまで黙っててね? アーロン」
『クソ詐欺師絡みとか、わざわざ言ったりするかよ気持ちわりい……。そういや今日あいつ見当たらねえな』
「ああ、ちょっとね……少し、この暑さに参ってるみたいで」
普段蛇蝎のごとく嫌っているチェズレイの不在を口にするアーロンに、モクマは当たり障りのない理由で臥せっていると告げた──本当は昨夜閨で無理させたのが祟ったのと暑気あたりが重なったから、なのだが。
『……フーーーーン、あっそ』
モクマの歯切れの悪さにまたしても察したのか、アーロンは適当に質問を切り上げてとにかくあまりルークで遊ぶな、と牙を剥いた。
「わかった、わかった、ごめんて。じゃあルークが戻ってきたら話題変えようか」
モクマの提案にようやくアーロンが大人しく頷き、思わぬ怪談話は打ち切られることになったのだが──この後戻ってきたルークのそういえば今日チェズレイは? という素朴な疑問によって、結局話を蒸し返されることになるのだった。