今日が特別な日だと知ったのは、まったくの偶然だった。
『ねえねえ、こはくっち、知ってた?』
今日って三毛縞先輩とこはくっちの真ん中バースデーなんだよォ!
たまたま空き時間にシナモンでばったり顔を合わせた藍良から、無邪気にそんなことを言われこはくは首を傾げた。
こはくにはそもそも『真ん中バースデー』なる単語すら初耳である。
『バースデー』という単語が含まれることから誕生日に関係する何か、という推察はさすがに出来たのだが──
『わしの誕生日はとっくに過ぎたし、斑はんの誕生日はもうちょい先やけど……?』
『うん、だからねェ、二人の誕生日のちょうど中間の日が真ん中バースデーなんだよォ!』
ファンの子がSNSで取り上げているのを見たのだ、と藍良は実際にスマホの画面を見せて力説する。
確かに画面上にはこはくと斑のブロマイドやらグッズがびっしりと並んだ所謂祭壇と呼ばれるものと一緒に、派手な色合いの蝋燭が立ったケーキが映し出されていた。
たまに藍良経由で知り得るファンの行動はなかなかに未知の世界だった。
『だから俺も今日はケーキ食べに来たんだァ! せっかく推しユニの真ん中バースデーだもんね!』
『は、はあ……』
そういうもんなんやろか……。
こはくが戸惑い気味に溢すと、そういうもんなんです、と藍良が深々頷いた。
『だからね、こはくっち。今日は絶対に良いことがあるよ!』
天真爛漫な友人は笑顔でそう断言すると、改めておめでとうと言って、注文していたチョコレートケーキの最初の一口をこはくにくれたのだった。
だからまあ、その後の自分の行動もそんなやり取りがあったせいなのだ。
──他意はない、決して。
たまたま藍良からその話を聞いていたら、自分でもケーキが食べたくなって。
お気に入りの和洋菓子店に足を運んだら、抹茶に桜のチョコレート飾りを施した新作の創作ケーキが売っていて。
たまたま残り最後の二個だったから、二個とも買ってしまったというだけの話。
別にどこかの喧しい人攫い男と一緒に食べようと思ったわけじゃない。
ただ、もし──今日寮に帰ってきているのなら──一つ分けてやらないこともない。なにせ今日は自分たちの真ん中バースデーらしいので。
──とまあそういう心づもりで帰宅してから寮の共有スペースでケーキ片手に座り込んでいたのだが、待てど暮らせど斑は現れなかった。
そりゃあそうだ、そもそも三毛縞斑は寮での遭遇率が極端に低い男である。連絡もなしにそう簡単に捕まるわけがない。
こはくはだんだんと自分の行動が滑稽に思えてきた。
いい加減夕飯時になり、共有スペースも人が増え始める頃合いだ。
一旦自室に引き上げて、もう一つのケーキは夕食後にでも同室のジュンと食べてしまおう。
そう考えこはくが立ち上がったときだった。
「おやあ? こはくさんじゃないかあ!」
今まさに出掛け先から帰ってきたのだろう。ジャケット姿のままの斑が上機嫌で共有スペースに入ってくる。
劇的なタイミングで現れた斑に、こはくは何とも言い難い複雑な感情を抱いた。
うれしいような、タイミング良すぎて腹が立つような──
「いやはやちょうどよかった! 渡したいものがあってなあ」
こはくの渋い顔をまったく気にも留めず、斑はこはくの傍に寄ると自然な動作でこはくの手を取ってその上にそっと何かを乗せた。
「なんやこれ……?」
それは手のひらにちょうど納まるくらいの小さな巾着袋だった。鶯色の地布に施された桜花の細かな刺繍を見るに、かなり上等な小布で出来ている。
何も言わずににこにこ笑っている斑がいかにも開けてほしいという顔をしていたので、こはくはケーキの入った袋を一旦テーブルに置きソファに身を沈めてから袋の口を解いた。
中から出てきたのはこれまた手のひら大の黒漆塗りに桜の螺鈿細工が施された丸型のケースだった。
重さ的に何かが入っているな、と感じたこはくは、恐る恐るその蓋を開けた。
「わ、なんやこれ……花びら……?」
こはくがケースの縁いっぱいに詰まっている白い花弁を見て困惑していると、いつの間にかするり隣に納まった斑が徐に中から花弁をひとひら摘み、こはくの口元に持っていく。
「──こはくさん、口開けて」
「? ん、あ……!」
言われるがままあーんと開いたこはくの口内に、斑は手にした花弁を放り込んだ。
瞬間、花びらが口の中で文字通り溶けて失くなる。
後に残るのはうっすら上品な砂糖の甘さのみ。
「これ、もしかして干菓子、か……?」
「大正解! 桜の花弁を模しているんだ」
斑はこはくの解答に悪戯を成功させた子どものような笑みを浮かべる。
「次のサークル活動日に持っていくお茶請けを見繕いたくて、よく行く和菓子屋に寄ったらたまたま見つけてなあ。今日は『桜の日』らしいからそれにちなんだ期間限定商品らしい。『桜の日』って売り文句を眺めていたら、自然とこはくさんの顔が浮かんできてしまって……だからつい、買ってきてしまった」
今日中に渡せてよかった、と急に照れ臭そうにはにかむ斑の言葉を、こはくは半ば呆然と聞いていた。言葉の意味が染み入ると同時に、じわりじわりと頬に熱が宿っていく。
──どないしよ、こんな……顔、直視出来んわ……。
唐突に寄越された好意100%の土産に喜色が抑えられない。
渡すだけ渡して満足したのか、じゃあ部屋に戻るなあ! とか抜かして立ち去ろうとする斑の上着の裾を寸でのところで掴み、渾身の力で引き留める。
「あんな、斑はんっ……!」
先程まで諦めかけてしまっていた目的を思い出し、意を決して机上に置いたままだったケーキを手に誘う。
予想外に引き留められて面食らっていた斑が、再び破顔一笑するまでさほど時間はかからなかった。
ちなみに後日、斑から贈られた干菓子がとんでもなく貴重な高級品だったと判明したりもするのだが、それはまた別のお話。