ランチタイム・スクランブル退屈な四時間目を終え、待ちに待った昼休み。
白井愛理は友人たちと連れ立って、意気揚々と中庭へと繰り出した。
桜もすっかり散り、新緑の木漏れ日が眩しい季節。外でのランチタイムにはぴったりの陽光だった。
「……はぁ~平和だなぁ~。新学期のバタバタが嘘みたい!」
ちょうどよく空いていたベンチに陣取って、お弁当箱を膝に広げながら愛理がしみじみ溢すと、右隣に座っていた恋野はじめがおっとりと笑みを浮かべる。
「愛理ったら、大袈裟。でも確かにようやく新しいクラスにも慣れたし、落ち着いてきたかも」
「もぉ~、はじめったら余裕~! やっぱり彼氏が出来ると違うな~! あっ、でも~一番変わったのは琥珀だよね!」
初めて会ったとき、あんなに感じ悪かったのが嘘みたい!
そう言って左隣に座ってお弁当箱の蓋を開けようとしていた桜川琥珀に急に水を向けると、
「ちょっ、愛理はんッ……! もうその話は堪忍してやぁ……」
琥珀は顔を真っ赤にして愛理のほうを見た。
彼女、桜川琥珀は新学期の半ばに急遽愛理たちのクラスに編入してきた。
『桜川琥珀言いますぅ。よろしゅうお頼申しますぅ』
背中まで伸びた桜色の長い髪に小柄で華奢な体。はんなりした喋り方に相反して意志の強そうな紫の瞳が印象的な美少女の登場に、教室は俄にざわついたものだ。
ところが何故か琥珀は初対面のはじめに対して、やたらと当たりがきつかった。
体育の授業で一緒に走ろうと張り合ってきたり、難しい問題をはじめより先に解いたと得意気に自慢してきたり──やがてある日の放課後、業を煮やした愛理が大人しいはじめの代わりにキレた。
『ちょっとォ! あんたなんではじめにそんな突っかかるの!? ネチネチ絡んでないで理由あるならはっきり言いなさいよォ!』
人気のない校舎裏にちょっと顔貸して、と琥珀を呼び出した愛理は、鬼のような形相で単刀直入に切り出した。
当事者のはじめも着いてきていたが、最初から喧嘩越しの愛理の様子に慌てて口を挟む。
『ちょっと愛理、そんな言い方……! 私は別に気にしてないから……!』
『はじめは黙ってて! こういうことは白黒はっきりさせとかないと気持ち悪いでしょ!』
端から見たらまだ学校生活に慣れていない編入生を、複数で囲っていじめているように見えただろう。
しかし詰められているこはくは愛理の剣幕にも一切怯まず、むしろ冷ややかに紫眼を細めると口を開いた。
『別にあんたはんには関係あらへんのやけど……そないに聞きたいなら教えたるわ。その女はな、大人しい顔してうちの男はんを盗ったんや』
──この、泥棒猫!
愛理に負けず劣らずの剣幕ではじめを睨みつけ、叫ぶ琥珀を愛理とはじめはぽかんとした顔で見つめた。
しばらくの沈黙の後、恐る恐る、といった体ではじめが尋ねる。
『あの……桜川さんの言う男はんっていうのは、誰の、こと……?』
『……はぁ? 今更恍けはるん? よくよく面の皮が厚い女やね。そんなん遊馬マヒロはんに決まってるやろ!』
『『えっ!?』』
揃って声を上げた愛理とはじめは、ここにきてようやく琥珀が何か盛大な勘違いをしていることに気づく。
遊馬マヒロは愛理たちの一学年上の先輩で、学園一のモテ男として名を馳せている。
確かにマヒロは一時期はじめに興味を抱いて接触してきたことがあったが、結局はじめは別の相手の手を取った。
よって、琥珀の言はまったくの言いがかり、事実無根なのである。
『あのね、すっごく言いにくいんだけど……はじめの彼氏は遊馬先輩じゃないよ?』
『はぁ!? 二股かけとるいうことか!? ますます許せへんわ! この阿婆擦れ!』
『ちょっとちょっと! だから違うってば!』
可愛らしい顔をしてとんでもない罵り言葉をポンポン投げつけてくる琥珀に頭を抱えていると、
『あれ? はじめ? こんなところにいたんだ?』
何してるの? と無邪気に声をかけてきた生粋の王子様オーラを纏った男子生徒、中王子英輝の登場に愛理がしめた! と顔を輝かせる。
『中王子くん、ちょうどいいとこに! 今ね、編入生の桜川さんに校内を案内してたとこなんだけど、なんとなく流れではじめの彼氏の話になって! ね、はじめ!』
『う、うん……!』
『そうなんだ? 初めまして、桜川さん。はじめと付き合っている中王子英輝です。最初のうちは慣れないことも多いだろうけど、はじめも白井さんもすごく頼りになるから、困ったことがあったら相談してみるといいよ』
じゃあはじめ、また後でね。
愛理の言葉を真に受けさらっとした自己紹介をした英輝は、甘やかな笑みをはじめに向けると去っていった。
一連の出来事を見て、今度は琥珀がぽかんとした顔をする番だった。
『今のが、私の、彼氏、です……!』
恥ずかしそうに主張するはじめに、よく言った! とうんうん頷いた愛理は改めて琥珀に向き直ると、胸を張り言い放つ。
『ね? これでわかったでしょ? はじめと付き合ってるのは中王子くんで、遊馬先輩とはそういう関係じゃないの!』
『……えぇーーーーッ!?』
その言葉でようやく納得したのか、琥珀の驚愕の叫びがその場に木霊するのだった。
結局その後、我に返った琥珀はひたすら恐縮しきり、はじめと愛理に平謝りを繰り返した。
その様子から根は悪い子ではないと悟った二人は、宥めつつそれとなく事情を聞いてみることにした。
『うちとマヒロはんな、親が決めた許嫁っちやつやねん……でも時代が時代やし、口約束やから……マヒロはんはもうだいぶ前から本気にしとらんくて……でも、うちは……初めて会ったときから、マヒロはんのことが……』
この学校に編入してきたのは、風の噂で浮き名を流してばかりだったマヒロに本命の相手が出来たと聞いて、居ても立ってもいられなくなったからだという。
顔を真っ赤にしながら涙目で語ってくれた琥珀は、愛理やはじめと同じく普通の恋する女の子だった。
それからはすっかり意気投合し、何かと一緒に行動する仲になっている。
たまにあのときのことを持ち出すと、琥珀は今でも恐縮しきってただでさえ小さい体がもっと小さくなってしまう。
そこが可愛らしくてつい揶揄ってしまうのだが、だいたいいつもはじめがやりすぎる前に止めてくれるので事なきを得ている。
「はいはい、じゃれ合いはそのへんにして! ご飯食べないと、お昼休み終わっちゃうよ?」
案の定、はじめの仲裁が入り、はーい、と返事をした愛理と琥珀は膝上に広げたお弁当箱に思い思い手を伸ばし始めた。
ちなみに愛理のお弁当はたっぷりの具が詰まったサンドイッチ、はじめはおにぎりと定番のおかずが詰め合わさったポビュラーなものだ。
琥珀の弁当箱は漆塗りに螺鈿細工が散りばめられた豪勢なもので、中身もまるで花見弁当のような豪華さを誇っていた。
お互いに好みのおかずを交換し合ったりして和気藹々と昼休みを満喫していると、唐突に背後からにゅっと手が伸びてきて、
「もーらいっ!」
と、琥珀のお弁当箱からシソ巻き唐揚げを掠め取った。
誰何の声を上げるまでもなく、琥珀がその声だけで手の持ち主を察して固まる。
「やっほー! 三人で仲良くお昼なんていいね? 俺も混ぜてよ」
愛理とはじめが同時に振り向くと、ベンチのすぐ後ろに笑顔の遊馬マヒロが立っていた。手には購買の紙袋を持っているから、お昼は購買のパンなのだろう。
「あ、遊馬先輩っ!?」
「びっくりしたぁ……」
不意打ちの登場に驚きの声を上げる二人とは異なり、琥珀は完全に石像のように動かなくなってしまっていた。
どうにもこの友人は、意中の相手本人を目の前にするといつもの調子が出ないらしい。
このままではせっかくのチャンスが台無しになってしまう。
咄嗟に考えを巡らせた愛理は、まだ半分残っていたお弁当箱の蓋を素早く閉めると、はじめに軽く目配せしベンチから立ち上がる。
「……あーッ! いっけない、私今日日直だった! 次の授業の準備しないと! はじめ、手伝って!」
「う、うん! 遊馬先輩、すみませんけどお先に失礼します! 琥珀ちゃんは気にせずゆっくり食べてね!」
はじめも察したのか同様に弁当箱を仕舞い、愛理の後を追うように立つとマヒロと琥珀に向かって丁寧に頭を下げた。
「あっ、うん……?」
「……へっ? えっ、ちょお待ってや! はじめはん、愛理はんっ!?」
ここでようやく我に返ったのか琥珀が縋るように二人の名前を呼んだが、愛理とはじめはそれぞれに『がんばってね!』と身振りで伝えると一目散に校舎へと入っていってしまった。
「……行っちゃったね?」
「…………」
ごく自然に琥珀の隣に滑り込んできたマヒロが、二人の背中を見送りながら苦笑を溢す。
途端に何を話したらいいかわからず黙り込む琥珀を柔らかい眼差しで見つめたマヒロは、手にしていた紙袋から焼きそばパンとコーヒー牛乳を取り出すと穏やかに尋ねる。
「ねえ、一緒に食べていいかな?」
「……ん」
かろうじて頷いた琥珀を見て満足気に微笑んだマヒロは、そのまま琥珀の隣で焼きそばパンを口に運び始めた。
そんなマヒロをこっそり横目で見ながら、琥珀は震える手で再び箸を進めた。
残念ながら、味はほとんどしなかった。