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    りつかさ/ラストレポート

    #りつかさ

    生き死にの話「じゃあ、ス~ちゃん。最後の実験を始めます」
    「はい。お願いします、凛月先輩」
    「痛かったり苦しかったら、言って……もらったほうがいいのかなぁ? 意味ないか」
    「どうですか?」
    「んーと。ほんとにやめての時は、たぶん勝手に防衛本能? がはたらくと思うから」
    「では大丈夫ですね」
    「うん、ただそうなったら俺がやられちゃうかもなので、伸びてたら見捨てないでちゃんとあとで介抱してね」
     俺が笑いながら言うと、ベッドに横たわったス~ちゃんも笑った。なごやかなたわむれの延長のまま、俺たちは『最後の実験』を開始した。
     ス~ちゃんのほっそりしたくびに、俺は手をかける。とくとくと規則正しく脈打つ血潮をゆびさきに感じる。ス~ちゃんはきれいに揃ったまつげをそっと伏せて、紫のひとみを隠してしまう。それがいつものキス待ち顔そのままだったから、思わず潤んだくちびるに俺のを押しつけたくなって、吐息がふれるくらいまで顔を近づけたところで、あんまりふざけちゃ怒られるなって気を取り直して。
     両手を重ね、ぐっ、と体重をかけた。硬いのどぼとけの感触がてのひらに刺さる。ホースの先を押しつぶした時みたいに、頸動脈の血流が逸る。はく、とス~ちゃんがくちびるをひらくと、細く狭められたス~ちゃんの喉を空気が押し通り、かすかに呻きのような音を立てた。
    「すきだよ、ス~ちゃん。だから俺の手でしてあげる」
     ス~ちゃんの手が俺にすがる。手の甲に爪を立てられながら、俺は力いっぱいス~ちゃんの頸を押さえる。ス~ちゃんの舌が幾度か歯の付け根を叩いているのが見えて、うまく声にはならないけれど、きっと俺の名前を呼ぼうとしてくれているのだと分かる。ひゅうひゅうと喉をこする呼吸の音もじきに止む。ス~ちゃんの頬を彩っていたあったかい朱色は、いつの間にか、ほの暗く褪せた赤へと移っている。
     やがて、ス~ちゃんは動かなくなった。

     つい先日から、ス~ちゃんは、もとのス~ちゃんではなくなった。新しい体の具合を調べるため、俺はス~ちゃん自身の協力のもと、いくつもの実験を行った。体調の変化。体質の変化。食べ物の好みの変化。そしてこの最後の実験で、俺たちが確かめたかったこと。
     殺しても、ちゃんと死なないかどうか。
     痣みたく赤黒い斑の浮かんだ顔から、たちまち血の気が失せ、ス~ちゃんの顔はひとたび人形のようになる。その真っ白い寝顔をしばらく見つめていると、またじわじわと血色の蘇る兆しが見えてきて、それから、ス~ちゃんのまぶたがゆっくりと持ち上がった。
    「おはよう、ス~ちゃん。苦しいことしてごめんね」
     ぼんやりと揺らぐアメジストにふたたび命のひかりが宿る。俺の手の甲に残された三日月型の痕をいとしく思いながら、ス~ちゃんの頬をそっと撫でると、ス~ちゃんは俺を見てほうっと息を吐いた。
    「……おはようございます、凛月先輩。とても苦しかったです」
     声がまだ少しつっかえるみたいに掠れていたので、ス~ちゃんは苦笑し小さく咳払いした。
    「そりゃそうだよねぇ。ごめん」
    「でも、あれはきっともっと、苦しかったような気がします。ですから今はむしろすがすがしい心持ちです。まるで生まれ変わったかのような」
    「まるでじゃなくて、そうだよ」
    「確かに。そうですね。今の私は」
    「うん。俺とおんなじ。ちゃんと全部おんなじだって、さっきのでわかった」
     頬に添えた俺の手を、ス~ちゃんが握る。ス~ちゃんの手は、確かに血の通ったあったかい手で、俺の肩から力が抜けた。

     ひどい事故だった。
     俺の見ている目の前で、ス~ちゃんの命の火は消える寸前までいった。病院ではもう手の施しようがなくなったス~ちゃんを、どうにか生かすために、俺は俺の血を使った。死なない、吸血鬼の血。死ねない吸血鬼の血。時間がなかった。もちろんス~ちゃんの意思を確かめることなんて、できないまま。俺はこの子をどうしても失いたくなかった。みんなの理から外れた存在に無理やり変えてしまってでも。永すぎる寿命を無理やりに与えてでも。
     皮肉なことに、そうして俺は、俺と同じ時間を生きてくれるひとを、とうとう手に入れた。
    「私は、凛月先輩と同じ……なのですね」
    「俺を恨む?」
    「助けてくださらなければ、死んでおりました」
    「うん。それが最後のチャンスだったかもね」
    「何が、よかったのかなど今の私にはまだわかりませんが」
     ス~ちゃんは目を細め、わずかに顎を持ち上げる。ス~ちゃんの本能がおぼえている、キスをねだる仕草だと分かったから、俺はそれに応えてあげた。
    「これで、凛月先輩をひとりにすることはありません。そのことだけは心から、よかったと。思います」
     そのことばに嘘がないと分かるのは、今までス~ちゃんが俺に、いつわらない気持ちばかりをずっと注いできてくれたからだ。いつだってまっすぐに俺を見つめて、俺と日向で生きつづけたいと望んでくれたひと。その望みを叶えてあげることは、もしかしたらもう、できなくなってしまったのかもしれないけれど。
     俺には冷たかったかみさまが、初めて俺にくれた贈り物。ただ終わらずにいただけの俺の命を、命だと、初めて胸を張って呼べる証。
    「一緒に生きてね。俺が死ぬまで」
     祝福でも呪いでもかまわないから、からっぽになったス~ちゃんに意味をあげたい。いつか、ス~ちゃんが俺にそうしてくれたみたいに。
     光の届かない部屋の底に、ほほえみにも満たないほどの、ス~ちゃんのちいさな吐息がやわらかく落ちていった。
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