星呑み小話1『出かけるぞ』
楓星が旅――旋葎の未練を断ち切りに行った――から帰って来た翌日のことだった。
殆ど眠らせてもらえなかった旋葎の頭は、返事も文句も即座に返せない。今までならば、この間に楓星は苛立っただろう。しかし今日は、大人しく旋葎の返事を待ち続けている。最も、旋葎の頭が働かない原因の癖に、起き上がるための手も貸さないのは、相変わらずであるが。
「……。……どこに。なにしに」
ようやく身体を起こした旋葎が、半分目を閉じたままそう返した。
『別にどこでもいい。とにかく行くぞ』
「なんだそれ……。だめだ、むり。おまえが……」
かくん、と傾いた旋葎の身体を楓星が受け止める。
旋葎の揺蕩う意識が、そこで一気に覚醒する。
『起きたか』
「お前……」
『なんだ、その顔は。あの占い師見るような面だぞ』
そうもなる、と言いたいのを飲み込む。
旋葎の身体を受け止めた腕も、その力加減も、向けてくる表情も、随分と「人間らしい」のだから、驚きもする。
昨晩、お互いの想いを確かにしただけでこうも変わるというのか。
「……いい、どこに連れて行く気か知らんが、一緒に行ってやる」
――楓星と旋葎の住まいは、入り口は一箇所しかない。楓星の領地で一番大きな人里にある社の本殿だ。
その中には見た目と釣り合わない広大な土地が広がっている。その空間から出る時はどうなるかと言うと、塀の向こうに行けば人里の端に、空へ舞い上がれば人里の真上に出るようになっている。土地の主たる楓星だけは出る時だけでなく入る時も自由だが、他の人ではないものですらこの決まりを反することはできない。
……というのを、旋葎は勿論知っているが、あまり意識したことはない。そもそも殆ど住まいから出ないからだ。
何故、と問われても旋葎に明確な答えはない。
『姿を変える、いいな?』
「ん」
旋葎が返事をすると、楓星の姿が溶け大きな鳥に変わる。それでも、本来の半分以下だが。
『乗れ』
「……は?」
楓星が身体を低くして旋葎を促す。
突然の、初めての申し出に困惑を隠すことができない。
「お前、どうしたんだ?」
一度、旋葎は楓星に飛んでみたいと言ったことがある。その時の楓星は心底嫌そうな顔で『そんな式のような真似は死んでもしない』と返してきた。それからは一度も同じことを言ったことはない。
『……お前にだけは、俺のものを見せても良い』
そう、昨晩と同じ真剣な声色で楓星は言った。
「なら、見せてもらおうか。お前の空を」
その背に乗る。首に腕を回すと、翼を羽ばたかせて空へと舞い上がった。
「ああ、楓星、綺麗だな」
――それから、旋葎は出かけることが増えた。
伊呂波のように無条件とはいかないが、二人でなら何処へでも行けるようになったからだ。