甘やかしていいよ甘やかしていいよ
空閑遊真には、最近気になっていることがある。
それは、修がヒュースを構いすぎじゃないかということだ。
“捕虜”から“自分のチームの隊員”に関係が変わったのだから、隊長として気にかけるのは当然だ。しかし、それがどうにも気になっている。
そのことを周囲の人間にこぼしてもみたのだが、どうやら気にしているのは遊真だけのようなのだ。というのも、先日、師匠である小南と戦闘訓練で2人きりになったとき、休憩中にドリンクを飲みながらふと思いついてその話題を振ってみた。
「修が? べつに、ヒュースは誰といてもあんなだから、ぜんぜん気にならなかったわ。みんなと同じようなもんじゃないの?」
小南からは迷う余地もなく即答された。さらに、「一番構ってるのは陽太郎だし、なんならあんたの方がよっぽど絡みにいってる感じ、あるわよ」とばっさり切られたので、「そう言われればたしかにそのとおりか」と神妙に頷かざるを得なかった。
遊真にとって見ればヒュースとは遠征までの協力関係ではあるが、チームのためにも、修のためにもしっかりフォローしようと思っていた。何より個人的にもやれることが増えてわくわくする気持ちの方が大きかった。それに、いざチームメイトとして付き合ってみれば、態度がでかいのはそのとおりだがなんだかんだ真面目なやつだし、なかなか負けず嫌いなところもあって、ついつい構いたくなることはその身を以て実感している。
そう、面倒見の鬼の修だけではなく、みんな構っている。
それなのに、修が構っているところがとりわけ目について、胸にもやもやとした何かが燻ぶっているのはなぜなのか。
そんな気持ちを抱えたまま数日が経ったある日、遊真の姿は本部のラウンジにあった。予定していた時間きっかりで対戦を終えたので、一緒に立ち話に興じていた緑川から振られた話題に怪訝な顔をしていた。
「やっぱりさ、玉狛第二の大黒柱はゆうま先輩だよね!」
「ん? ダイコクバシラ?…て、なんだそれ」
「えぇ……あー、まあ、俺が言いたいのはチームの中心で支えてる人が遊真先輩だよねってことだよ」
「ふむ、中心で支える…ね。おれからしたら、うちの中心ってオサムのことだと思うけどな」
遊真は首をひねる。
「え~、それ遊真先輩基準の話でしょ? それに三雲先輩じゃ、柱!って感じしなくない?」
「むう、ダイコクバシラは柱っぽくないとだめなのか? というかしゅんの言い分だとおれは柱っぽいということになるぞ……。日本語はむずかしいな」
遊真の返しのどこかがツボにはまったのか、緑川はけたけたと無邪気に笑いながら話を続ける。
「だってエースでめちゃくちゃ強いし、周りのフォローも完璧だし、何より遊真先輩がいなきゃ点取れないでしょ? そーゆーとこで大黒柱だよねって言いたかったんだけど! ……まあ、遊真先輩が三雲先輩中心なのはもうしょうがないか」
緑川がやれやれと肩を竦めたところで、タイミングよく待ち人が到着した。
「空閑、ごめん! けっこう待っただろ」
呼ばれた方にぱっと振り向いた遊真が、目を細めて微笑んだ。
「おう、オサム。そんな待ってないよ」
「お、噂をすれば。お迎えが来たんなら、俺はこれで! 三雲先輩、あとよろしくねー」
「うん?」ときょとんとする修を置いて、緑川は何やら遊真にこそっと耳打ちしてから、「じゃあね!」と手を振ってそそくさと立ち去った。
「……空閑、緑川に何かしたのか?」
「いーや、よくわからん。ただ話してただけなんだけどな。まあ、いいから早く帰ろうぜ」
遊真は早く早く、と修をせっついて支部への帰路についた。今晩の献立は小南のカレーなのだ。
夕食の後、修は自室でランク戦のログを見るのに夢中になっていた。
「オサムいる? 時間いいか?」
すっかり没頭していた修は、外からの声がけにはっとして返事をすると、開いたドアの向こうから遊真が顔を出し、「ちゃんとノックはしてたんだぞ? しかも何回か」と言いながらするりと部屋に入った。
自然な動作で軽く断りを入れてから、オサムのベッドの端にぽすんと腰掛ける。
「う、悪い……なんかあったか?」
「ううん。とくに用はないんだけど、なんとなく。ちょっとオサムと話がしたい気分で」
「そうか? じゃあ、折角だからちょっとおまえの意見を聞かせてくれ」
別に、用事がなければ部屋を訪ねないというような仲ではないので、しばらくは何のログを見ていたとか、ログを参考にした上で考えられるいくつかの戦略や予想される展開とか、ざっくばらんに意見を交わしていた。
ある程度会話が落ち着いたところで、満足気な表情をしていた修がはっとして遠慮がちに切り出した。
「あの、結局ぼくの話しかしてないけど……」
「え? いいよ、用がないのに押し掛けたのはおれじゃんか」
「うーん。ぼくの話したいことは済んだからなあ……なんか空閑の話したいことはないのか? 学校のこととか、最近気になったこととか、なんでも」
気にするなと言われても気にするのが性分で、自分だけ満足したことが忍びなくなった修が尚も言い募る。話を振られた遊真は、「うーん」と少し迷ってから「じゃあ、オサム、こっち」と自分の隣をぽふぽふと叩いた。
修は首を傾げたが、深く考えることでもないのでさっさとデスクチェアから立ち上がって、指定されたところへ腰掛けた。
「あのな、おれはチームのダイコクバシラらしいんだ」
「……大黒柱?」
「しゅんから言われたんだ」
遊真はにこにこしながら答えたが、修は唐突な話にいまいちピンと来ていない様子だ。
さらに説明を求めると、緑川が言うことには、エースとしての戦闘の強さはもちろん、チームの戦略とチームメイトを支える大黒柱、とのことらしい。
「それはたしかに、そうだなあ。空閑にはいつも助けられてるよ。ありがとう」
ストレートに礼を言われた遊真は、嬉しそうに笑みを深めながら続ける。
「さて、そういうわけだから、おれには甘やかされる権利がある!」
「んん?」
「ダイコクバシラとしてすごーくがんばってる分、おれには甘やかされる権利があるって、緑川が言ってたぞ」
今日の別れ際に耳打ちされたことを包み隠さず伝える。
「ふっ、なんだそれ」
「実はおれもよくわからん。けど、使える権利は使おうと思って」
「そういうものか?」
遊真がうんうんと力強く頷くと、修がまた軽く笑った。
「でも、甘やかすって何すればいいんだ? よくわかんないけど……」
「まあ、そこはオサムにお任せということで……思うように、存分にやってくれ。たぶん、何されてもうれしいからさ。な?」
「うっ……そういうの、一番困るんだからな」
修はそう言いながらも、ちょっと顎に手を当てて視線をさまよわせてから、迷う素振りを見せつつ自分の太ももをぽんぽんと叩いた。
「ど、どうぞ?」
目をまるく見開いたのは一瞬のこと。類まれなる反射神経で太ももに突っ込んだ遊真は、おでこをぺち、とやさしく叩かれた。でも、修がぎこちない手つきで、しかしやさしく頭を撫で始めたので、満足気に目を細める。
(オサムに心配されて世話を焼かれるのもいいんだけど、今のおれにはこういうのがいいかもなあ)
結局もやもやとした気持ちの原因はわからなかったけれど、もう遊真の心はおだやかだった。
◇◇◇◇◇
――オサム、オサムってば。甘さを含んだやさしい声が修の鼓膜を震わせる。
「う…ん」
「おう、やっと起きたか? 最近立て込んでるみたいだなあ、お疲れ」
煌々と明るい部屋で修に影を落とすのは、床に膝をついて覗き込んでいる、恐らく帰宅したばかりと見える恋人だった。
長時間右側を向いていたせいで変に凝り固まった首をさすったり、やんわりと伸ばしたりしているうちに意識がはっきりとしてきた。修は、自分がこたつの天板にタブレットやら書類やらを広げたまま突っ伏して寝落ちてしまったのだと、ぼんやり思い出した。
修は遠征で目的を果たして、高校を卒業してからというもの、三雲隊としての活動よりも本部やら大学やらで興味があることに首を突っ込むことが多くなった。最近は特に運営側として本部での事務仕事に関わることが格段に増えたし、ボーダーとは別に大学の研究室にも所属しているのだから恐れ入る。それは修自身が興味を持ち、望んでやっていることだから、遊真は口を出さない。それはそれとして、心配しないわけがないのであって。
大学の研究室には所謂“ブラック”なところもあるそうだが、信頼できる第三者から仕入れた情報によると、修が師事する教授は優秀なのは勿論のこと、温厚で柔軟な思考の持ち主と聞き及んでいる。その点においては、安心できる。
「うー…まあ、それなりに、なあ。……っていうか、あれ? お前、今日は本部に行くことになってたんじゃ……」
一拍置いて、遊真はそれは深いため息を吐いた。
「はあ。まったく、なに言ってるんだ。もうすーっかり夜中だぞ?」
「うっ、そだろ……」
「いつから寝てたんだ? よっぽど無茶してたな」
壁掛け時計の針は、間もなくてっぺんを刺そうというところだった。
遊真は思ったよりちゃんとショックを受けている修を宥めるように、その大きな手でぽんぽんと肩を叩く。
「まあとりあえず、寝るならベッドでちゃんと寝ないと疲れが取れない、だろ? それか、腹が空いてるならなんか、軽く食べられるもんでも作るか?」
これまで修が散々遊真に言ってきた言葉を折に触れて、しかもそれとなく会話に差し込んでくるので、「お前が言ったことだぞ」と突きつけられているようで落ち着かない。でも、まったく嫌な気はしない。
まだふわふわと浮ついている意識の中で、そう言えば一緒に暮らしているというのに最近はすれ違うことが多くて、遊真とろくに触れ合えていなかったとのん気に思い浮かべた。それなのに、遊真はなんだかご機嫌なようにも見える。修は、自分に会えなくても遊真はきっとほかの人たちととうまく、楽しくやれるんだよなと、改めて思った。そして、そのさびしさを自覚した。すると、自分は今にも触れ合いたい衝動に駆られたのに、目の前の男には恋人を甘やかす大人の余裕のようなものを見せつけられているようで、少しばかり悔しさがさびしさに勝った。
「空閑は、」と思考がまとまらないまま声に出してみれば、自分で思ったより甘ったれた子どものような声が出た。
「空閑は……もっと、ぼくを構えばいいんだ」
「えっ」
遊真は驚きのあまり、やわらかく細めていた目を丸くした。
「ていうか……オサムが言うの? そんなの、おれのセリフだよ。お前はいつもひっぱりだこだからさ、最近はとくに!」
「えっと……何言ってるんだ?」
「あーもう、これだからオサムは!」
「だって、ぼくは誰かに求められてるわけじゃなくて自分から、しかも必要があって顔出しに行ってるだけで、みんなそれに付き合ってくれてるんだ。そんなこと言ったらお前の方がよっぽどひっぱりだこ、だろ。今日だってこんな時間に帰ってくるし……」
遊真は遊真で本部に顔を出せば先輩方にかわいがられたり、食事に誘われたり、ときに後輩の面倒を見たりで帰宅予定を大幅に超過することがしばしばあるのはたしかだった。
遊真としては修のぼやきにいくつか訂正が必要な箇所はあれど、どちらかというと大分淡白な恋人がめずらしく子どものように拗ねて見せるなど、衝撃的なサプライズだ。頬がむにゃむにゃとゆるむ。修の背中をとんとんと軽く叩くと、ゆるりと不思議そうに見上げるので、とすっと胸の真ん中あたりにひとさし指を突き立てた。
「なあ、ここ、なんかもやもやしてるんだろ?」
「は、え」
ぽかんとする表情が幼く見える。相手は同い年の成人男性なのに、誑かす悪いオトナの気分とはこんな感じかな、などと思わされる。
「それを解消する秘訣はな、思いっきり甘やかされることだぞ。そんで、ちょうどよく目の前には恋人がいる。さて、オサムはどうしたい?」
両腕を広げて見せて、修の様子を伺うようにからだを近づける。わざとらしく小首を傾げるのも忘れずに。僅かな逡巡ののち、正面から向き合うようにからだをずらした修の腕が腰に回り、引き寄せられた。やんわりと、しかし遠慮なく体重をかけられて、隣で膝立ちしていたのを正座の体勢になるまで引きずり降ろされる。
「お、さむ?」
想定外に動揺しつつも「その体勢は居づらくないか」と聞きたそうな遊真を他所に、修はぐりぐりと顔を遊真のお腹のあたりに押し付けながら位置を調整しているようだった。いつになく遠慮のないスキンシップに、遊真はちょっとドキドキした。それにしても、今は厚手のトレーナーを着ているからまだいいものの、それなりに引き締まった腹は顔を埋めるには硬いだろうに。やがて、修はもぞもぞと動くのをやめて、くぐもった声を漏らした。
「はあ、くがのにおいがする……」
「お前なあ……」
修のささやかな独り言はしっかり拾われた。
「……あのさ、おれは修が帰って来いって言えばいつでも帰ってくるし、行くなって言えばどこにも行かないんだよ」
修には決して押し付けないそれを、修になら押し付けられてもいい。
言った本人が、言葉にしてみるとちょっと重いかもしれないと苦笑していると、「うーん、そこまでしなくていい」ときっぱり即答された。
抱き枕のように抱き寄せられた遊真のほっそりとした指が、あやすように修の頭を絶えず撫で続ける。
「ときどきこうやってくっついていられれば、いい。ふたりっきりになれたときだけ、ぼくだけの空閑でいてくれるなら後はなんでもいい……だって、お前は必ずぼくのとこに帰ってきて、こうやって甘やかしてくれるんだろ?」
その熱の籠った声に、遊真ははっと息を呑んだ。
「ほんっと、そういうところよくない……よくないぞ、オサム……」
やきもちを焼いてくれたかと喜んで自分を差し出そうとすれば、さらりと躱して全幅の信頼のようなものを盾に、繋ぎとめてはくれない。本人は無自覚なんだろうが、翻弄するのが上手くなっていくことに、遊真は心を掻き乱される。
たぶん、一緒に生きようとする限り翻弄される宿命から逃れられないのは望むところだ。
しかし、目下の問題が、眼前に晒された耳がかわいらしく色づいているのにキスのひとつもできないことだなんて、随分幸せな悩みだとも思うのだった。