ひとやすみ「モラクス様!」
『魈か』
魔神戦争の真っ只中、引きずったような血の跡を辿っていくと、そこにはモラクスが体躯を丸め、寝そべっていた。人の形を取っていない、魈の何倍も大きさのある龍の姿だ。遺跡の影に隠れるようにしてじっとしているが、大きすぎて隠れられているかは怪しいところだった。
『柄にもなく油断したが、休めば直に治る』
「しかし……出血している傷を見ます」
魈はモラクスに近付き、身体の中心に足を踏み入れ地面に膝をつく。血に染まっている鱗部分に魈はそっと手を触れた。傷を癒やすならば他の仙人の方が適任だ。しかし、自分が今ここを離れるという選択肢はなかった。
「出血量の割には傷はそこまで深くないようです。確かに直に治るかと。毒などは盛られていませんか?」
『おそらく、大丈夫だ』
魈はほっと息を吐いた。一体誰かモラクスに傷を追わせられるというのだろう。
「我の力ではあなたに到底及びませんが、少しでも早く回復できるよう力をお貸しします」
魈は当てていた手をそのままに、仙力をモラクスに送ろうとした。
『いや、いい。お前も連日戦闘で疲れているだろう』
しかし、拒否されてしまい魈は困惑した。例えば今モラクスを襲撃されたなら、護りながら戦闘ができるのは魈だけだ。だが、今全ての力をモラクスに分け与えたとて、主君の前であれば命を懸けて護り通す覚悟はいつでもできている。
「しかし、我は……」
『命を些末に捨てるようなことはするな。そこにいるだけでいい』
「はっ」
モラクスの前で跪き返事をしたが、そこにいるだけとは、何をすれば良いのだろう。
「……誠心誠意、命を懸けてモラクス様の警護に当たります」
『いや、違う。そうだな。俺の腹にでももたれて、目を瞑れ』
「……そ、そのようなことは……」
『共に休もう。それだけで良い』
「な、あの」
『言ったはずだ。直に治ると』
「……承知しました。しかし……」
傷に触れるのは致し方ないとしても、腹にもたれるなど恐れ多い。それならばここに直立していた方がましだと思った。
『休息を取り、常に万全を期すのも契約の内だ』
「……承知しました」
モラクスの尻尾がここに座れというように地面を叩く。仕方なく示された場所へ座り、膝を立てた。
「ぅ、わ」
きゅ、っとモラクスの尻尾が魈の体躯に巻き付いた。これではどちらかというと魈が護られているようだった。
『さぁ、起きたらまた戦だ。しっかり備えよ』
「はい……モラクス様」
思えばモラクスは魈が来てから一度も瞼を開けていない。ずっと目を瞑ったまま口を開くこともなく魈の脳内に話しかけていた。もしかすると休息を取っていた所を魈が邪魔をしてしまっていたかもしれない。
魈は軽く目を瞑った。柔らかなモラクスのふわふわな尻尾に包まれる。あたたかく、ここちよい。今身体の力を抜いてしまったら、間違いなくモラクスにもたれかかってしまうだろう。
そうはいかないと気を張っていたのだが、いつの間にか眠りこけてしまっていた。目が覚めた時にはしっかりとモラクスに身体を預けるようにして休んでしまっていたので、慌てて魈は飛び起きた。
「なっ、ぁ、モラクス様!? 申し訳ございません」
そればかりか、なんと起きた時にはモラクスは人の姿に戻っており、更にはその腕に抱かれていたのである。
「やはりお前も最近ゆっくり休んでいなかったのだな。多少は回復できただろうか」
「は、はい! 前線へ戻ります! モラクス様はごゆっくりお休みください!」
「魈」
モラクスに呼びかけられるのも無視して慌ててその場を去った。モラクスの顔が近すぎる。しっかりと石珀色の瞳と目があったのは何年ぶりだろうか。それに、触れられるなど恐れ多くて、心臓が破裂しそうな程うるさく鼓動していたのを気づかれたくなかったのだ。
首を振り、先程モラクスに触れられていた熱を下げようと槍を手に翳す。今はそんなことを考えている場合ではない。
今日もまたモラクスとの契約を果たす為に、魈は槍を振るう道具としてただ戦う。それだけだ。