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    パン祭り参加したかったやつ

    台紙が埋められたその後に むやみやたらと高級品で埋め尽くされている部屋。
     それがこの男の家に初めて足を踏み入れた時の印象だった。まだ出会ってそんなに経っていない頃の話だ。告白もまだだった頃。好きな男の家に初めて足を踏み入れるという事実で自分らしくないくらいに頭が真っ白だった。

     高級マンションの十五階。
     白と黒で統一された部屋はモデルルームのように完璧で、生活感がまるでなかった。キッチンなんか使った形跡すらない。家にあがりこんだ悠仁をもてなそうと片手鍋にお湯を沸かし始めた脹相に、この男は生活能力が皆無なんだなと呆れて笑ってしまったのを覚えている。
     ウェッジウッドの繊細なティーカップに注がれたべらぼうに濃いインスタントコーヒーの味は安っぽくて、緊張感など霧散してしまった悠仁はなんてアンバランスな男なのだろうともう一度笑ってしまった。高級品に囲まれた男。だが高級嗜好でないのが好印象だった。





    『コンビニでパン買ってきてくれ。種類はなんでもいい。できれば甘くないもので頼む』


     脹相からメールが入るのは、決まって悠仁のバイトが終わる夜の七時頃だ。
     おそらくあの男はまだ会社で忙しく働いているのだろう。かつての日本三大財閥とも言われたひとつ、加茂家の跡取り息子である彼は多忙だ。だがその合間にこうして毎日何かしらメッセージを送ってくる。
     その内容はといえば今日は和食にしてくれだとか、魚が食べたいだとか大抵は夕飯のリクエストだが、たまに悠仁にも簡単に叶えられそうなこんな雑用を頼んでくることもある。

     悠仁は都心の大学に通うごく普通の大学生だ。そして脹相は本人は大層不本意であるようだが、あの加茂家の長男であり、九相図グループの次期社長とも言われるまさに雲の上の人物。悠仁のアルバイト先のレストランが彼の行きつけの店でなかったら出会うどころか一生すれ違うこともなかったような立場の二人が、今はどういうわけか恋人なんてものになっていたりする。


     コンビニのパン、といえば、彼の住むマンションの近くのチェーン店のものだろう。シールを集めると皿がもらえるからと台紙をマグネットで冷蔵庫にとめていたはずだ。
     皿なんて、見るからに高そうなものが繊細な作りの食器棚の中にズラリと並んでいるというのに、わざわざ無料のものを欲しがるのかは簡単だ。あの男の最近の嗜好には必ず悠仁の存在が介在する。

     数日前のことだ。
     いつものように夕飯を一緒に食べて「作ってくれたのだから皿洗いくらいやる」という脹相を押し留めて食器を洗ったあと。水仕事で濡れた手をタオルで拭きつつテレビで流れていたCMをなんと無しに見ていた時だった。
     大手のパンメーカーがやっているパン祭りと称したCMを流れているのを見ていた時に「あの皿、結構重宝するんだよな〜。シンプルで使い勝手良いし、かなり丈夫でさー」と悠仁が呟いたのだ。特に何か意図があって言ったわけではないただの世間話。
     だがその翌日から高級感を漂わせて艶めく冷蔵庫にシール台紙が貼り付けられていた。


     実家から持たされたとかいう食器類はどれも高級で華やかだ。けれどもきっと脹相が好きなものではないのだろうな、と付き合いが長くなるにつれて理解が及ぶ。彼は本来、物に頓着せずシンプルなものが好きだ。家具が白と黒で統一されているのだって、それがシンプルだからであろう。
     ウエッジウッドのカップセットだって、おそらく全然好みではない。実家を倦厭している脹相は、持たされたものに文句を言うと話が長くなるからという理由で持っていたにすぎないのだろう。
     ロイヤルコペンハーゲンとか、ああいうのなら、脹相も好きかもしれない。たぶん、興味はないだろうけど。本来なら、100円ショップのマグカップだっていいんだと思う。あの男はそういう男だった。


     今夜の彼の帰宅時間は、おそらく夜の九時過ぎだ。冷蔵庫の中身を思い出しながら、悠仁は足を早める。言われたとおりにコンビニに寄って、少しでもカロリーが高そうな、ハムとチーズが挟まっている惣菜パンを手にとって、そういえばと足を止める。

     (――確か、ゴムがもうねぇな)

     コンビニで手に取るには敷居が高いそれを探して陳列棚に目を走らせる。時間がかからないうちに目的のものは日用品に埋もれるように棚の片隅に並べられているのを発見した。今日は平日の木曜日だしおそらくそういうことはしないだろう。けれど、絶対にないとは言い切れない。
     脹相にはそういうところがある。どんなに疲れていても、どんなに明日の朝がはやくても、気分が乗ってしまったらそのまま躊躇いなく誘ってくるようなところが。そして残念なことに、悠仁はそんな男の誘いにいつも乗ってしまうのだ。
     迷った末、一番派手で安っぽい箱を手にとってレジに持っていく。他人になど興味がないという顔をした店員が、その箱を目にしたときだけ一瞬驚いたように目をみはるのがやけに滑稽に見えた。


     脹相の家は、むやみやたらと高級品が並んでいる。
     そこに安っぽいものや庶民的なものを持ち込むのは、いつだって悠仁だった。
     今も思い出す。初めてあのモデルルームのようなきれいな部屋に訪れていた間、そのテーブルの上に置かれていたのは百円で買えるコンビニのスナック菓子だった。悠仁が買ってきたそれを無造作に口に放り込んだ脹相は「初めて食べたが、うまいな」と柔らかな顔で笑っていた。
     高級マンションでモデルルームのような部屋。高そうな調度品が溢れる室内で、悠仁が買ってきた数百円のインスタントコーヒーや安っぽいスナック菓子に嬉しそうに笑う男。笑ってしまうほどアンバランスな、そんな男が好きだと思う。
     
     それから今に至るまで、悠仁は自分の好きな安っぽいものを、たくさんあの家に持ち込んだ。未使用の輝く台所で料理を振る舞い、空っぽだった冷蔵庫に納豆や卵を詰め込んで、読みもせず平積みにされていた朝刊からチラシを抜き取り、広げて、安売りのトイレットペーパーや特価品の果物を買い込んだ。
     フライパンなんて千円ちょっとの安物だし、菜箸やフライ返しは百円ショップで揃えたけれど、脹相は本当に料理を作ってくれるのかと嬉しそうにするだけで、一度も文句は言わなかった。そうして一食千円もしないような普通の家庭料理に、おいしい悠仁は天才だと笑う。


     実家に押し付けられたとイタリアブランドのスーツを着こなし、オーダーメイドの革靴を履く男が。特価の鶏肉を使ったスープを気に入って、また作ってくれ、なんて言う。カレーをワイシャツにこぼして、シミになる!なんて悠仁に怒られて、納豆は極小粒が食べやすくて好きだ、とこっそり教えてくれる。

     悠仁はあの男のそういうところが、かわいくて、二人で過ごす時間が楽しくて仕方がない。





     コンビニを出て、もう慣れ切ってしまった高級マンションのエントランスに入り込む。ここの住人が見たらギョッとするような安物のパーカーとジーンズ姿だけれど、悠仁は気にしない。合鍵についたセンサーをかざせば、自動ドアは開いていつだって悠仁を文句一つなく招き入れてくれる。

     今夜はとんかつにするつもりだ。昨日の内に安っぽい肉は丹念に叩かれ、筋切りをしておいた。人工的に作られた柔らかさと大きくされたトンカツを見て、悠仁がつくる飯はうまいな、と笑うのだろう。
     きちんと同棲をしているわけではない。だがその場の雰囲気で泊まっていくことができるくらいには、家の中には悠仁の安っぽくカラフルな私物で彩られていた。

     自分たちがこの後どうなっていくのかは分からない。なにせ身分違いも甚だしい上に同性だ。周囲に知れたら反対どころかもう二度と会わせてもらえないかもしれない。
     
     だが悠仁は悲観していなかった。
     近い将来にきっと、あの男は安っぽいパッケージのコンドームをまじまじと見て「こんなベタなものが売られているんだな」とくつくつ笑うだろう。使ってみるか、と言われたら悠仁は仕方ないなと笑ってパッケージを開けるのだ。それから夜を二人で越えて。

     朝ご飯の代わりにハムとチーズの入った惣菜パンを食べながら、パッケージについているシールを嬉しそうに台紙へ貼る男を眺めるのだ。「悠仁はこの皿が好きだったな?」なんて聞かれるかもしれない。

     シールさえ集めれば誰でも貰える皿。シンプルで少しばかり頑丈なだけのただの白い皿を貰うために必要なシールの枚数は三十枚。
     一人で集めるにはいささか骨が折れるそれに対して、脹相は「皿が二枚必要だから、必要枚数は六十枚だ」などと平然な顔で言うだろう。それに馬鹿みたいに笑って、悠仁も協力して集めるのだ。期間いっぱいいっぱいまで安っぽいパンを食べまくって、応募期限ギリギリになってなんとか集め切ったなと蕩けるような顔で笑う男の顔が今から思い浮かぶ。


     その嬉しそうな顔を見て、悠仁はきっと何度目かの恋に落ちるのだ。もしかしたらその衝動のままに、ずっと心の中に仕舞い込んでいた提案を伝えてしまうかもしれない。それを聞いたら、男はどんな顔をするだろうか。

     でもそうしたら、少しは分かってくれるだろうか。脹相が思う以上に悠仁がこの関係を続けたがっているということが。悠仁だって同じくらい脹相を想っているということが。


    『色んなこと抜きにしてさ、ずっと一緒にいたいからそろそろ一緒に暮らそうぜ』


     そう伝えたら。
     今まで以上に共にいられるだろうか。
     そうだな、ならその時期は。

    「――台紙いっぱいにシールがたまってから、だな」

     悪戯っ子の笑みを浮かべて、合鍵を翳して高そうなマンションのドアから玄関に滑り込んだ。さて、まずは夕飯の支度だ。とんかつを揚げて、サラダを作って……。そう考えながら古びたスニーカーを揃えて脱ぐ。


     そんな悠仁を応援するかのように、レジ袋の中で二つのパンがガサガサと賑やかな音を立てていた。




    【終】
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