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    kusha0x0

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    無自覚でお互いに好き合っているのを書きたかった

    渇いたサボテン 潤いが足りない。何がって人生に。

     冷蔵庫の中に賞味期限が三年前になるドレッシングの死体があった。
     サラダなんて食べなくなって久しい。だが捨てよう捨てようと思いながら、中身を捨ててビンを洗ってといった仕分けがどうにも面倒で見えない振りをしていたものだ。
     電気代を食うだけ食って全く意味をなしていない冷蔵庫はいっそのことコンセントを抜いておくべきだろうなと冷静に考える。でも抜くと後々中身が補充された際に電源を入れ忘れ悲惨なことになる人間が俺なのだと、自分のことは何よりも理解している。俺は、九相図脹相はそういう男だ。

     自炊なんてここ数年袋麺をお湯を沸かした鍋に入れることしかしていない。弟たちが自立し、就職や、やりたい事で家を出てから生活はこの有様だ。壊相、そして血塗が出ていき、最後に悠仁が一人暮らしをするときに「心配しなくても自炊くらいできる」と豪語した癖に、兄としてどうなんだと思う。これを自炊と呼ぶと本当に自炊している末の弟に叱られること請け合いだから心の中に留めておこう。そして、その袋麺も、昨日尽きてしまった。
     つまり目下、食べるものがない。

    「ハァ、面倒臭い……」

     腹は減っている。けれど連勤明けで疲れ果てた社畜の身体に買いに行く気力なんて微塵も残っていない。昨晩帰宅途中にコンビニにでも寄っておくべきだった。
     どうして人間は食べないと生命活動を維持できないんだろうか。口に入れ、咀嚼し、嚥下する。なんて面倒臭いルーチン。食事とは。生きるとは。そうやってつらつらと哲学してみるも答えなんて俺が知る由もない。ソクラテスにでも聞いてくれ。

     今日は喜ばしくも久方ぶりに貰えた休日だ。とはいっても先程まで死んだように眠っていたばかりなのでもう昼前ではある。スーパーに行って、食材を買い込んで。部屋の掃除をして。ああ、洗濯もしないと休み明け会社に着ていくシャツがない。
     体を休めるための休日の筈なのに、休みの日ですらやらなければならない事に追われている。

    「はぁ……」

     非常に、面倒臭い。ああ、面倒臭い。
     弟たちと住んでいた時は、毎朝眠いながらも必死に起きて朝食を作り、連勤がいくら続いていても休日に弟たちと過ごせる楽しみで頑張ってこられた。だが、その弟たちがいなくなってしまったいま、楽しみなど何もない。
     壊相は海外のファッション業界で修行中。メールもくれるし、時折りメッセージカードを送ってくれたりもするが多忙らしくこちらから連絡は出来ない。
     血塗はゲームクリエイターとして都心の大手企業で働いている。こちらも忙しいらしく、泊まり込みも多々あるほどの社畜っぷりだが俺とは違って充実しているらしい。たまに会うたびに楽しそうに仕事の話をする血塗の姿には口元が緩んでしまう。

     そして悠仁は高校生であったときはこの家から通っていたものの、卒業と同時に「俺、兄ちゃんが許してくれるなら日本各地を旅してみたい」と言われてしまった。決して兄弟仲が悪いわけではない。むしろ良好だ。
     二日に一回は悠仁からは「いまこの県にいる! この人が今日の宿を提供してくれたお婆ちゃん!」といったように写真付きのメールが来る。日本を歩いて旅をしながら、その日暮らしでバイトをして、宿を見つけているというなんとも兄としては心配な旅であったが、悠仁が生き生きとしている姿を見ればそれも苦笑で済ませてしまうのは悠仁のキャラクターゆえだろう。
     悠仁が家を出て行ってから二年。その間に悠仁の生活はキラキラ生き生きとし、俺の生活はその逆になってしまった。くすんでくたびれた生活。萎れかかったサボテンがこの俺だ。

    「……ハァ、どうするか」

     このまま十時間くらい寝て起きたら全部誰かやっていてはくれないだろうか。
     こんな時結婚していたら何か変わっていたのかもしれない。俺が独身なばっかりに冷蔵庫はもぬけの殻だしドレッシングは死んでしまった。食べる物がないのも、部屋が汚いのも、弟たちが皆帰ってこないのも全部俺が三十路を過ぎても独身干物男なせいである。

     気が付けば職場の同期達は薬指に指輪を嵌めている奴らばかりだ。同僚達はこの社畜生活の中で一体いつどうやって彼女なんて生き物をゲットできるんだろうか。全くもって同じ人類とは思えない。
     かといって羨ましいかと問われれば、それも違うような気がする。彼女が欲しいか、結婚したいかと言われれば首を傾げる。俺は自分のパーソナルスペースに他人を入れるのが極端に苦手な部類の人間だ。弟たちと再び暮らせるのならば拍手喝采のスタンディングオベーションを披露してみせるが、どこの誰とも知れない女と暮らすと思うと不快感が胃のあたりをムカムカとしてくる。
     こんな調子なので人生は相変わらず灰色だが、変わり映えのない毎日への辟易もそれはそれでよしとしている。停滞した日々は乾いた安心を与えてくれる。ただし、潤いは足りていない。

     俺はベランダで忘れ去られた灰色のサボテンだ。生きてはいるがただそれだけ。
     このままベルトコンベアのようにずるずると流されて年を食って、行き着く先は火葬場の焼却炉である。お先真っ暗。孤独死真っしぐら。惰弱な辞世の韻が踏めてしまう。

     ぐう。
     何もない部屋の中で腹の虫が侘しく鳴く。空きっ腹に空虚が沁みる。

     全くもって動きたくはないが何かを食べないことにはどうにもならない。どうにもならないので、怠い身体に鞭を打って久しぶりにスーパーにでも行くかと溜息を吐いて立ち上がろうとした矢先、薄っぺらい玄関の向こうで呑気な声が聞こえてきた。
     そのままガチャリと鍵が開いて扉の向こうから見慣れた桜色の髪がひょこりと現れる。

    「おっ、いるいる! やっほー、兄ちゃん!」

     ヒラヒラと手を振る最愛の末弟の姿にギョッと目を剥く。なんで、いや、ちょっと待ってくれ。

    「ゆ、悠仁……ッ!?」
    「ん? ああ、ただいま!!」
    「おかえり! ――いや、そうではなくてな……!」
    「? どったの、兄ちゃん。アッ、俺もしかして帰ってくるのマズかった? 別の日の方が良かったか?」
    「は、ハァ!? 弟が帰ってくるのがマズい日など俺の人生には存在しないがッッ!?」

     あはははっ、変わってねぇなぁ。んじゃ、あがるねーただーいまっと! などと言いながら悠仁は家にするりと上がる。

    「そ、それよりも悠仁はどうしたんだ? 帰ってくるなら言っておいてくれれば……」
    「有給使って部屋掃除しとく、とかだろ? 別にいいって。そんなことのためにまた残業詰め込むかもしんないじゃん。だから言ってなかったんだよ」
    「……」

     ぐうの音も出ない。確かに事前に帰ると伝えられていたならば俺は有給を繋げて家の状態を完璧にしておくだろう。そしてそのために事前に残業続きで仕事を終わらせておくはずだ。悠仁の考えは大当たりだ。

    「……何日くらい、いるんだ?」
    「んー、まだ決めてない」
    「そうか……」

     純粋に嬉しい。だが同時にまた旅立ってしまうんだな、と思うと物悲しかった。俺はいつまで経っても弟離れが出来ない。

    「……んな顔すんなよ。あっ、そうだ。 今日はお疲れの兄ちゃんにいいものを持ってきたんだよ」
    「ん?」

     訝しむ俺を見てむふむふと笑いながら悠仁が後ろ手に隠していた紙袋を差し出す。中にはいくつかのタッパーが敷き詰められている。

    「じゃじゃーんっ!悠仁特製肉じゃが!」
    「……!」
    「兄ちゃんのことだから自炊くらいできるとか言っておいて、どーせ冷蔵庫とかすっからかんだろ。他にも色々入れたし俺からの愛情てんこ盛りなこれ食べて元気だしてな、オニーチャン」
    「おおお……!!」

     天使か? もしくは神か。いや、弟とは神よりも尊い存在だ。たちまち悠仁の背中に羽根が生えて見えてくる。裁縫といい昔から男の子らしい外見にそぐわず家庭科の得意な悠仁は一緒に暮らしていた頃からこうして俺にご飯を作ってくれていた。悠仁の手料理は正直そんじょそこらで食べる料理よりも美味い。特に空きっ腹で死にかけていた今の俺には救いそのものである。

    「悠仁は俺を生かすのも殺すのも上手いな……」
    「えっ、なにそれ褒めてるの」
    「俺が悠仁を貶すことなどあったか?」
    「ねぇなぁ……。んー? でも肉じゃがって兄ちゃん的にそんなにポイント高かったっけ?」
    「いまこの場で俺の好きな食べ物ランキング一位は肉じゃがになった」
    「ふはっ、兄ちゃんマジで相変わらずだな〜」

     ケラケラと笑いながらキッチンへ向かっていく背中を見ると、先程までの乾いていた心がどうにも落ち着いた。やはり悠仁は俺を生かすのも殺すのも上手い。異論は認めない。

    「うわ兄ちゃん。まじで冷蔵庫なんもねぇじゃん!」

     ウケるわー。なんて冷蔵庫をみた悠仁が笑う。確かにこれは自炊する人間の冷蔵庫ではないだろう。ペットボトルの水が何本か。それから食べられるものといったら、この間寝酒のつまみに買ってきたチーズの残りくらいだった。
     悠仁が持ってきてくれたタッパーを冷蔵庫に入れてくれようとする姿を見て声をかける。

    「そのまま食べるから別に入れなくていいぞ」
    「おっまじ? 腹減ってる?」
    「減ってる」
    「……ホントに? 俺が持ってきたからって無理してねぇ?」
    「最後に食べたのは十二時間前だ」
    「うわ、ホントなにやってんだよ、もー。……じゃああっためるわ」

     勝手知ったる自分の家、食器棚から俺がよく使う皿を取り出すのも手馴れている。悠仁は昨日までこの家にいなかったのが嘘のようにテキパキとキッチンで準備を始める。

    「悠仁は昼飯食べてきたのか」
    「ん? まだだけど」
    「じゃあ二皿出そう。悠仁が食べてくれるならば俺は嬉しい」

     外側からみたタッパーはどう見積もっても大人二人前以上、結構中身が詰まってる。
     今日はたまたま休みが取れて家にいるだけで普通に平日だし、悠仁も俺が遅くまで仕事で帰ってこないと分かっているから元々このタッパーの中身は夕飯用だったのだろう。俺がこの場にいなければ、タッパーを冷蔵庫に詰めて昼食はどこかのラーメンでも食べに行く予定だったんだろうなとすぐにわかってしまった。

    「兄ちゃん、相変わらず優しいなぁ」

     横着して二皿まとめて突っ込んだレンジを覗き込みながら隣から聞こえた言葉に振り向く。目が合うと悠仁がへらりと笑った。弟に優しくしなかったことなどなかったからその評価は自分でも妥当だと思うが、他の人間にはそうではない。それに、それを言うならば、こんな草臥れた兄にご飯を作ってきてくれる悠仁の方がよっぽど出来た人間だろう。

     ピーと音の鳴ったレンジを開けると加熱されてほかほかと湯気を立てる肉じゃがの匂いが部屋中に広がる。白米あればもっと最高だな、なんてぼんやり思っていると俺の肩を軽く叩いた悠仁がにひと笑って紙袋から何かを取りだす。

    「こんなこともあろうかと!」
    「……用意が良いな」

     冷凍ご飯だった。そのままラップで包んだそれをレンジに入れて二分程度。器に入ったほかほかの白米と肉じゃがが二人分。二品だけだが、それだけでテーブルの上が暖かい光で輝いてみえる。コンビニ弁当ばかりのいつもとは大違いだった。

    「……いただきます」
    「いただきまーす!」

     二人で箸を持ち深々と手を合わせる。食材の恵みは勿論目の前に座る悠仁に、心の中で盛大に感謝をしつつ。

    「ん、良い感じ!」
    「……んまい」

     口の中でほろりと崩れる味のよく染みたじゃがいもに、人参の甘み。合わせて白米をかきこめばがつがつと止まらなくなる。

    「……俺は幸せ者だな。こんな出来た弟をもてて……」
    「なーに言ってんの……って、なんで泣いてんだよ……」
    「っぐす……。悠仁のご飯が美味いんだ……」
    「お、おう……」

     昨晩泊まらせてもらった家で振る舞ってきたものの残りらしいが悠仁の作ったものを久々に食べて弟がチャージされてきている気がする。弟が染み渡る……とそのまま口にだせば、さすがに悠仁がドン引きした顔をしていた。そんな顔をするならこんなになるまで弟エネルギーを枯渇させないでほしい。

     それにしても悠仁のご飯はいつ食べても美味い。
     こんなに美味い家庭料理で舌を肥えさせられているのだ。万が一俺に彼女という存在が出来たとして、手料理を作って貰ったとして、悠仁の料理と比べてしまうことはいまからでも簡単に予測できた。いや、まずその彼女が出来る想像すらできないのだが。目の前の弟はいつもの晴れやかな笑顔で美味そうに飯を頬張っている。
     この後、悠仁はどれくらい一緒にいてくれるのだろうか。もういっそのこと、俺が養うから帰ってきてくれと縋りつきたい気持ちだ。そんな風に言ったら嫌われるので言えないが。でも、一緒にいたい。弟と、悠仁と、もっと共にいられたなら俺の渇いた日常がまた潤い出すのに。

    「………………あぁ」

     取り留めのない考えを巡らせて、ふと天啓のように思い至る。


     そうか、俺には悠仁がいる。
     そして、悠仁と共にいるには。



    「悠仁、結婚しよう」


     真昼時。目の前にある桜色の淡い髪の毛をぼんやりと眺めているうちに、ぽつりと、口からこぼれ落ちた。

    「…………」

     ん……? 俺はいま、なんといった。
     何で、俺は。プロポーズ紛いなことを言っているんだろうか。紛いというかそのもの、のような。
     自分でも何が何だか分からなくなり恐る恐る悠仁の顔を見やると、澄んだ瞳を瞬かせよく分からないといった風に大きく首を傾げていた。そりゃそうだろう。俺だって今自分が何を口走ったのかよく分からない。

    「えと……兄ちゃん、バグった?」
    「…………ああ」

     それも盛大に。脳の中で致命的なエラーが発生している。頭を抱えて溜め息を吐く。真面目に考えると発狂してしまいそうだった。これは、どこか病院で診て貰った方がいいかもしれない。その前に誰か俺を穴に埋めて欲しい。

     こうしている間にもじわじわと羞恥心が這い上がってきて、何だか顔が火照ってしまっている気がする。ああ兎に角今すぐにでも消え去りたい。そうだ一先ずトイレに逃げ込もう。
     立ち上がり脱兎の勢いで駆け出そうとした俺の腕が、ぐいとその場に縫い止められる。悠仁の手に掴まれていた。

    「ええーっと……」

     何かを言いたげにしている悠仁だが、珍しく口淀んでいる。なんだろう絶縁の言葉だろうか。そうなったら立ち直れる気がしない。これからの人生、悠仁がいなくなってしまったら俺はもう死ぬしか無い。

    「……ふつつかものですが、よろしくお願いシマス」

     耳に届いた言葉に目を見開く。驚いて悠仁の方を凝視すると、大体いつも向日葵のような眩しい笑顔をしているその顔が、真っ赤に染まりながら柔らかく微笑んでいる。悠仁と過ごした人生で見てきた今までで、一番幸せそうな表情をしていた。

    「…………え? ……は?」
    「わー恥ず! これすっげー恥ずかしい!」
    「えっ、ちょ、ちょっと待ってくれ!? いまなんて言った、悠仁!」

     それから一時間くらい、いい年した兄弟で、互いに顔を真っ赤にしながら大騒ぎで叫び合った。


     俺は相変わらずベランダの灰色サボテンだけれども。隣には桜色の可愛い花が咲いている。


    【終わりっ】
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