世の中案外上手くいくさ「さぁて、今日はどいつに勝負仕掛けてやろうか」
野球拳の相手を探してブラブラしてると公園のベンチに座っているナギリが見えた。ちょっとからかってやろうかと思いナギリに近づいた。
「よおー、元気してっか?」
ナギリが俺に気付いてこちらを見る。その顔はいつもの不機嫌そうな顔ではなく、今にも泣き出しそうなくらい落ちこんだ顔をしていた。
「……どうしたんだ?」
これはただ事ではないと、真面目なトーンで話しかける。
「別に……」
「その顔でなんともないわけないだろ? 俺が話を聞いてやるよ」
「お前に話して何になる?」
「話せば気が楽になることもある。ほら、話してみな?」
俺はナギリの横に座った。ナギリは俯いて少し考えたあとに話しだした。
「あいつの机の引き出しから下書きのようなメモを見つけた」
「あいつって、同居してる漫画家の兄ちゃんのことか?」
「ああ」
ナギリは現在住み込みで漫画家のアシスタントをしている。あの世間を賑わせた辻斬りが真面目に更生するとは誰が予想しただろうか。
「で、それには何が書いてあったんだ?」
「夜景が綺麗な場所がいいか高級なレストランがいいかとか、日にちは大安吉日にしようかとか、それから……君が好き、ずっと一緒にいたい、付き合ってくださいとか。多分誰かに告白したいんだと思う」
それだけ見れば告白の計画を考えた時のメモと思うかもしれない。
「漫画の設定のメモとかじゃないのか?」
一応その可能性も聞いておく。
「漫画には恋愛物の様なシーンはない」
「そうか」
確かに以前にナギリが漫画を読んでいたので覗き見た事があったが、それはバトル漫画のようで恋愛物ではないだろうことは想像がつく。
「あいつには好きな奴がいるんだろうな。好きな相手なら一緒にいたいというのもわかる」
「そうだな」
「いつかあいつが告白して、それでそいつと恋人になったとしたらその内一緒に暮らすんだろうな。そうなれば俺はあの家から出ていくことになる」
「まあ、そうなるな。なんだ次住む場所があるかの心配か? 世話焼きそうな兄ちゃんだからお前の住む場所はちゃんと探してくれると思うぞ?」
漫画家の兄ちゃんとはナギリがVRCにいる時に面会に来ていたので何度か話したことがあった。人の良さそうな奴だという印象はあったので自分の都合で放り出したりはしないだろう。
「そういう心配をしているわけではない」
「なら、どういうことだ?」
「それは……」
ナギリが言い淀む。俺は無理強いはせずにナギリが言い出すのを待つ。しばらくして決心がついたのかナギリは拳をぐっと握った。
「俺だって好きな奴とずっと一緒に暮らしていたい……」
絞り出すような震えた声で言う。そしてとうとう耐えきれなくなったのか目からぼろぼろと涙が零れだした。
「お前は漫画家の兄ちゃんが好きなんだな」
わかりきったことを聞くとナギリはちいさく頷いた。ナギリが漫画家の兄ちゃんのことが好きなのは前々から知っていた。VRCに漫画家の兄ちゃんが来るたびにナギリは口では悪態をついていたが、漫画家の兄ちゃんが来る日は落ち着かずそわそわしていたり時間を気にしてたりと態度は明らかに漫画家の兄ちゃんが来ることを楽しみにしていた。わかりやすいなあと微笑ましく思っていた。
「それなのに漫画家の兄ちゃんには好きな相手がいる。だから落ち込んでこんなとこにいたんだな」
「頭の中がぐちゃぐちゃになって、どういう顔であいつを見ればいいかわからなくて、散歩して来るって言って出てきた」
「そうか」
ナギリが恋愛とは程遠い人生を歩んできたのはなんとなくわかっていた。なのにようやく持つことのできた恋心が打ち砕かれたのだからだいぶ打ちのめされているのだろう。
「その思いを伝える気はないのか?」
「断られるのがわかっているのになんの意味がある? それにもし言ったとしたらあいつは俺に気を使うようになる。そうしたら 気まずくなって余計家に居づらくなる、それはそれで嫌だ……」
波風立てるくらいならば黙っているという選択もありといえばありだ。
「でもよ、お前はずっと泣きたくなるくらいの思いを一人で抱えていくつもりか?」
「……そうするしかない」
「それだとお前一人が辛いままだ。漫画家の兄ちゃんがそれを知ったらきっと悲しいと思うぞ。見るからにお人好しそうだからな」
「知られなければいいだけだ」
「きっと無理だと思うぞ? とぼけてるように見えて察しがいいところあったしな。それは俺よりお前のほうがわかってるんじゃないか?」
「それは……」
ナギリもそれはわかっているようだ。漫画家の兄ちゃんはナギリの機微に敏感に反応していた。こんな俺でもわかるくらい落ち込んでるのに気付かれないわけがない。
「だからよ、黙っててもなにか隠してることは見抜かれると思うぞ。言って気まずくなるの言わないで気まずくなるのとじゃ大違いだ」
「そうなのか?」
「例え漫画家の兄ちゃんに受け入れてもらえないとしても、お前が漫画家の兄ちゃんに対して好意を持ったことはきっと嫌だとは思われないはずだ。でも言わないと何を思ってるかわからず拒絶されて嫌われたかと思うかもしれねえ」
「それは嫌だな……」
「気持ちの整理をつける意味でも言っちまうのは手だぞ。そうすれば吹っ切れるかもしれないし」
「そういうものか」
「そうそう。まあ、強制はしないから言うも言わないも自由だ。お前の覚悟次第さ」
俺は立ち上がって伸びをする。
「じゃ、俺は行くからな」
「ああ」
「朝になる前に帰るんだぞ」
俺はナギリのもとから立ち去ろうと歩きだすが一旦足を止めた。
「どうした?」
「……もしかしたら案外上手くいくことだってあるかもしれないぞ」
「……は?」
振り返ってにっと笑って決め顔で言ってやった。だがナギリは怪訝な顔をした。
「まあ意味は分かんなくてもいいさ。今度こそほんとにじゃあな」
再び歩きだす。今日は予定を変更して弟達に会いに行くかと土産の焼き鳥を買いに店に向かった。
それから数日後、街を歩いていると買い物帰りであろうナギリを見つけた。
「よお」
声をかけるとナギリは足を止めてこちらを見た。
「お前か」
「あれから調子はどうだ?」
そう問えばナギリは少し顔を赤くした。
「どうした?」
「……あの後色々考えて俺の思いを伝えることにした。だから帰ってあいつに言って、そしたらあいつも俺のことが好きだったみたいで、僕も好きって言われて……。あの告白のメモは俺のために色々考えてやつだったらしい」
恥ずかしいのか小さめで声で言う。
「だろうな」
「だろうなって……お前は知っていたのか?」
「そりゃ、ただの世話焼きでVRC通ったり、就職面倒見たり、ましてや家に住まわせてやるなんてするわけないだろ? お前に好意があることくらい予想がつく」
「そうか……」
「ま、これでなんの気兼ねなく一緒に暮らせるな」
「ああ、それからもあいつとずっと一緒にいられる」
その表情は穏やかであった。 きっと幸せなんだろうなというのがわかった。
「それならよかったじゃねえか」
ガシガシと頭を撫でてやるとナギリは嫌そうな顔をするかと思ったが、案外まんざらでもないような表情をした。
「また何かあったら相談に乗ってやるからな。 遠慮はしなくていいからな」
「そうそうお前に頼ることはないと思うがな」
「そっか、まあ気が向いた時にでも話そうや、じゃあな」
「ああ」
俺はナギリと別れて気分よく野球拳をする相手を求めて街を歩き出した。