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    ゆめの

    @x_yumeno_x

    浮唯中心で唯受を書いています。

    カップリングごとにタグを分けていますので、参考にしてください。

    少しでも楽しんでいただければ幸いです。
    よろしくお願いします🙇‍♀️⤵️

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    ゆめの

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    スタオケのもとにひとつの依頼演奏の話が舞い込む。曲はチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」(チャイコン)。

    唯は幼い頃に見た演奏会での音色を思い出す。あのときの曲もチャイコンであった。演奏者はそう、月城慧。
    だけど、そこにはひとつの真実が隠されており……

    ※5月中旬に書いたため、公式と異なる箇所があります
    また予測変換使用によるミスが多いです。申し訳ございません……

    ##あさよふ
    ##仁科さんが朔夜よりも出番多い
    ##糖度低め

    封印された音色プロローグ

    ずっとあの音に憧れていた。
    ずっとあの音を追い求めてきた。

    そう、幼少期に聞いたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の透明感ある音色を。


    1.

    「みんな、喜べよ~ 楽しい楽しい依頼演奏だぞー」

    日差しは強くなってきた3月。
    練習前のミーティングで一ノ瀬銀河が切り出したのはコンサートホールのリニューアルオープンを記念した依頼演奏の話であった。

    「曲は、なんと!チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。先方からの依頼で、朝日奈にソリストとして演奏してほしいとの希望だ」

    依頼演奏と聞いて晴れやかな気持ちになったのも束の間。その場にいるほとんどのメンバーは一気に眉を潜め、明らかに面白くないといった表情となる。

    「またヴァイオリン協奏曲か。せっかくオーケストラに入ったのだから交響曲を演奏したいよな」
    「そうだな。協奏曲ともなれば金管の出番は少なくなる。二楽章で桐ケ谷が眠りにつかないよう見張る必要があるな」
    「しねーよ、そんなこと。それにしても、チャイコン(チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の略)ってことはチューバがないだろ。香坂さんは降り番か?」
    「ええ。でも、協奏曲ではよくあることだから。その分、舞台裏でしっかり働かせていただくわ」

    オーケストラの後方に位置する管楽器のメンバーは小声でそれぞれの思いを口にする。
    しかし、そんな様子を気にする様子もなく銀河は話を続け、篠森は譜面を配り始める。

    いつものようにファーストヴァイオリンの一番前、指揮者に向かって右側の椅子に座っている朝日奈唯は喜ぶとも困惑しているとも取れる表情を浮かべている。
    そして、隣に座っている九条朔夜に話しかける。

    「コンチェルトか…… 朔夜には迷惑掛けるね」

    今、自分が座っているコンサートミストレスの席。
    自分がソリストを務めるとなれば、そこに代わりのものが入らざるを得ない。
    そして、スターライトオーケストラではその役目はいくしか朔夜が担うのが暗黙の了解となっていた。
    たったひとつ変わるだけとはいえ、フォアシュピーラーとして座るのとコンサートマスターとして座るのでは役目はまったく異なる。そして、本番に至るまでの練習であったり、心意気であっても。
    しかし、隣からはいつもと同じトーンの声が返ってくる。

    「いや、ソリストである君の引き立て役となるのが俺たちの役目だ。構わない」

    そう。彼はいつもこんな風に唯を支えてくれる。
    声は淡白でそこから感情を読み取ることはできないが、言葉は心からのものという信頼感がなぜかある。

    「でも、チャイコフスキーか……」

    いつもなら選曲に口出しすることはほぼない。
    だけど、このときばかりは冷静な口ぶりの中からどこかこの選曲を好ましく思っていない様子が伝わってくる。

    しかし、それも一瞬のこと。
    次の瞬間にはその横顔からは何を考えているのかわからないように、いつもの表情を隠していた。

    …何だったのだろう。さっきの苦い表情は。

    唯はそう思ってしまう。
    もう少し知りたいと思う反面、彼からはそれ以上近づいてはいけないという雰囲気を感じることもある。
    それはおそらく寂しいという感情。
    少し前から唯の心の中を占めている気持ち。
    その正体がなんであるか知りたい反面、できる限り遠ざけたいという気持ちもある。

    するとそのとき、

    「先生、コンミスの気がそぞろになっていますよ」

    真っ正面に座っている成宮からそんな突っ込みが飛んでくる。
    唯は遠くなりかかった意識を取り戻し、銀河の声に耳を傾ける。
    唯に配られたソリスト用の譜面に目を通すとやはりヴァイオリン協奏曲の中では比較的難易度が高いと知られているだけに、骨が折れる予感がする。

    …しばらくはこの曲に集中しよう。
    そう思いながら、唯は隣の朔夜を意識から逸らすことにした。



    「チャイコンか……」

    練習が終わり、唯は朔夜とともに菩提樹寮までの道のりをともに歩く。
    スタオケに加入する以前から寮でともに生活をしていたが、このように帰るようになったのはスタオケで活動を始めてから。
    最初は「夜遅いし心配だから一緒に帰ろう」、そんな名目で朔夜が声を掛けてくれた。
    その後、菩提樹寮で生活するものも増えてきたが、どういうわけか自分、そして朔夜とともに帰宅しようとするものはいない。

    時間にするとほんの数分であるため話す内容は限られている。だけど、唯にとっては朔夜と会話することで自分の考えを整理することができる貴重な時間であった。

    「そういえば君はチャイコフスキーを弾くことに憧れていたんだったな」

    隣から響く朔夜の声を心地よく聞きながら唯は頷く。
    そして、暗くなりつつある空を見ながら夢見がちに話す。

    「ずっと憧れていた曲だったから…」
    「ああ、『月城慧』の弾いていた曲なんだろ?」

    何度も何度も話しているせいか、朔夜にとっては聞き飽きた内容なのだろう。
    幼い頃に見たオーケストラをバックに同じ年頃の少年がソリストを務める光景。
    それら今でも忘れることはできない。
    そして、冒頭のヴァイオリンの入りも、終楽章の弾むような音色も。
    あの演奏を見て思ったのだ。
    「あんな風に弾きたい」と。
    そして、「その弾きている人に少しでも近付きたい」と。

    そんな彼ーグランツ交響楽団のコンサートマスターである月城慧には国際コンクールへの出場を掛けたコンクールを通じて知り合い、そしてメンバーの努力と偶然が重なったこともあり、スタオケはグランツを破ることができた。

    …しかし、ひとりのヴァイオリニストとしてはまだまだ月城慧の足元にも及ばないと思う。
    本選も月城のほんの一瞬の崩れがなければ自分たちは勝てたかどうかわからない。
    あの憧れていた音色。
    さすがに当時の「彼」と比べると自分は上かもしれないが、今現在も彼は高みを目指し続けている。そして、自分はそれに遅れまいと努力するしかない。

    「やっと弾けるんだな、と思って…」

    星奏の音楽科を受験したとき、チャイコンを弾くことも考えたが師事している先生には自分の技術では厳しいと告げられた。そして、改めて楽譜を眺めるとその意味がわかる。
    だけど、2年前は弾けなかった曲ではあるが、今回は依頼主から弾いてほしいと頼まれ、そして銀河もそのこと自体は反対しなかった。

    まだまだ求めていた音色には程遠ければだろう。
    だけど、せめてスタオケのメンバーに心配をさせず、そして依頼主に少しでも満足いく演奏をしたい。
    先ほども少し練習してきたが、もっともっとこの曲を追い求めたい気持ちで今はいっぱいだ。

    「君も物好きだな……」

    朔夜が何かボソリと呟く。

    「何か言った?」

    聞き返すがそれについて朔夜が答えることはない。
    そうしているうちに菩提樹寮に着き、ふたりの会話はそこで終了したのであった。




    「しかし、何を考えて朝日奈にソロを依頼したんだ。こういうのはプロのソリストに頼むのが一般的だろ」
    「まあ確かに言われてみればそうですね。でも、スタオケは『あの』月城慧率いるグランツを破った話題のオケですから。そんなオケのコンミスがソリストを務めるとなればより一層注目されるかと思いますよ」
    「でも、それならコンミスにオケの曲とは別途でヴァイオリンソナタを弾いてもらう方法もあるのに」
    「あそこのホールは2000席あるからね。独奏よりもオーケストラ集めて協奏曲弾いてもらった方が箔がつくと思ったのではないのかな」

    菩提樹寮に帰るとロビーに集まっているメンバーの間でも依頼演奏のことが話題となっていた。
    それぞれが思い思いのことを口にしながらパート譜を眺めている。
    BGMは誰が流したのかわからないが、さっそくチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の甘美な音色が響いている。
    朔夜は帰るなり部屋にこもったため、ここにはいない。
    先ほどの様子が気になるが、きっと彼にも知られたくない事情があるのだろう。
    もっとも意識から抜こうとしても、頭の片隅から離れることはできなかったが。

    「チャイコンか…」

    先ほどはひとりで眺めていた譜面を今度は流れてくる音色に合わせて追いかける。
    割と穏やかな演奏をするソリストのため、音符を見失うこともなく譜面を追いかけることができる。
    自分がやはり演奏に感情が出てしまうタイプだから、このような演奏をすることは難しいと思ってしまう。

    そしてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲と聞いて思い出すのは幼少期に聴いた真っ直ぐな音色。
    そのときの音を無意識に求めているためか、どこか違和感を覚えてしまう。


    なぜあの演奏会に足を運ぶことになったのか正直覚えていない。
    ただ、自分と年の変わらぬ少年ー月城慧が小さなヴァイオリンを駆使してオーケストラに負けじと奏でていた。それがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だった。
    チャイコフスキーが作る流れるようなメロディにがむしゃらなヴァイオリンの演奏。
    自分もヴァイオリンを弾いていたが、「なんとなく」弾いていただけで、ステージ上の彼とはレベル的には雲泥の差だった。

    ーあの彼の音色に近づきたい

    小さな唯はそんなことを思ってしまった。
    今よりももっともっとうまく、そして人の心を動かしたい。
    そんなことも思ってしまう。
    自分もヴァイオリンを弾いていれば彼と巡り会えるかもしれない。そんな思いで練習に向かっていた。

    そして、中学3年生のあの日も…

    そこまで思い出していたところ、唯はひとつの影が近づいてきたことに気づく。

    「チャイコンね……」

    そう話しかけてきたのは仁科諒介。
    初めてスタオケに参加するときこそ後ろのプルトで弾いてもらっていたが、現在はセカンドヴァイオリンのトップを務めている。
    安定した音を出すとに加え、ファーストを弾きたがるヴァイオリンが多い中では快くセカンドを引き受けてくれる貴重な存在で、そういう意味でもありがたい。

    「仁科さん……!」

    ロビーからいつの間にか人がいなくなっていたらしい。
    ここにいるのは唯と仁科のふたりのみ。

    「俺も去年練習したよ。チャイコフスキーは古い時代の作曲家に比べて緩急のつけ方がはっきりしているからね。自分が思っている以上に表現しろ、なんて言われたな」

    オーケストラでは弾いているパートが違うとはいえ、弾いている楽器は同じだ。
    そのため、技巧的な面で何かと頼りになることも多い。
    今もこうして話をしているだけで参考になる部分が多い。

    「笹塚さんにですか?」
    「ではなく、札幌で俺がお世話になっている先生」

    ふーんと返しながら唯は相変わらず流れてくるチャイコンに耳を傾ける。
    3楽章に入り、ヴァイオリンの踊るような音色が響き渡る。

    「ずっと追い求めている音色があるのです」

    スタオケのメンバーには何回か話していること。
    幼少期に聴いた月城慧が奏でるチャイコン。
    それに少しでも近づきたいのが夢だと。
    しかし、最近スタオケに加入したばかりの仁科には話すきっかけはなかった。

    「ふうん…」

    意味ありげな表情を見せて仁科は返してくる。
    そし意外とも言うべきことを口にする。

    「俺も知っているかもしれない」
    「え?」

    確かに仁科とは同じ楽器だ。
    そして、彼の落ち着いた様子でつい忘れてしまうが、年齢もひとつしか変わらない。
    だから自分が追い求めている音色に心当たりがあってもおかしくはない。
    だけど、少なくともスタオケでその音色を知っているものは誰一人としていなかった。
    管楽器の者たちは楽器が違うからまだわかる。
    そして、出身がこことは離れている竜崎もわかる。
    だけど、成宮や銀河、そして朔夜も唯がその話をすると流してしまう。
    おそらく何度も話しているからあきれられているのだろう。唯はそう思っていた。
    だから、この話で語る相手がいることに嬉しくなる。

    「その演奏会、テレビ放送されたから見ていたんだ」

    仁科が語り出す演奏会。
    さすがにずっと昔のことだから記憶が曖昧な箇所はあるが、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ということと、ソロを弾いていたのが少年。
    そして、それが西暦何年であるかもあっている。

    「そんなに年が変わらないのにこんなすごい演奏をしている子がいるんだとびっくりしたんだ」

    仁科も唯と同様、その瞬間までは深いことを考えることもなく、親や先生の言いなりで練習をこなしていたらしい。
    だけど、その演奏を見て考えが変わり、自分ができる最高の演奏をしようと思うようになったとのことだった。

    「仁科さんもその音色で人生が変わったんですね」
    「まあね。人生というには大げさかもしれないけど。でも、真面目に練習していたからこそ、笹塚に会えたし、だからこそ今ここでこうしているしね」
    「そっかー。もう一度聴きたいな、あの演奏」
    「そうだね」

    するとそのとき、流れていたヴァイオリン協奏曲の演奏が終わったことに気づく。
    会話はそこで切り上げ、唯は練習することにする。
    まだまだ求めていた音色はずっと先にある。
    少しでも近づきたい。そんな想いを抱えながら唯はヴァイオリンを構えた。




    「出掛けるのか?」

    週末、唯は銀座へ行くことにした。
    スマホで音楽が聴けるとはいえ、音質を求めるならCDの方がいい…気がする。
    スタオケの練習も休みのため、たくさんのCDが取り揃えられている銀座に向かうことにした。

    それで準備を整え、寮から出ようとすると朔夜にばったり会う。
    いつもと違う唯の様子に気づいたのだろう。声を掛けられた。

    うんと頷くと朔夜は少し考え込んでいるようだった。

    「この間、仁科さんと…」
    「仁科さん? ああ、チャイコンの話をしたあのとき!」

    ここ数日、仁科は引っ越し準備のため札幌に戻っている。
    そうなれば仁科と話したというのは数日前にふたりでチャイコンの思い出話で盛り上がったときのことしか思い当たらない。

    その様子を見ているくらいなら朔夜も会話に加わればよかったのに。
    唯はそう思ったが、肝心の朔夜は何か言いたげでありながら話そうとはしない。
    ただ、

    「君も物好きだな……」

    その言葉だけを残す。

    「えっ……」

    気になって朔夜を見つめるが、既に彼は立ち去ろうとしていた。

    「気をつけて」

    その言葉がそれ以上の会話を拒絶しているように感じる。
    そのことが気になりつつも、唯は出掛けることにした。


    幸い電車に乗り間違えることもなく、目的地にたどり着く。

    「やっぱり都会はすごいな……」

    チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だけでもソリストやオーケストラが異なるCDが何枚も並べられている。
    1枚だけでは演奏のイメージに偏りが出そうなため、あえてタイプの違うソリストを選ぶことにする。

    そして、CDを持ち、レジに向かおうとすると、意外とも言うべき人とばったり会う。

    「久しぶりだな」

    服装こそシャツにパンツといたって普通の格好だが、それでも隠しきれないオーラを漂わせている。

    「月城……」

    目を丸くする唯に対し、月城は慌てる様子もなく唯に向かい合う。

    「スタオケに依頼演奏が来たんだってな」

    どこから聞いたのだろう。
    そう思いつつも、唯は隠すことも否定することもせず頷く。

    「ええ。本当はグランツを呼びたかったのかもしれないけど」

    そして、そんな弱気とも嫌みともとれることを口にする。
    そう。もしかすると本当に招待したかったのは自分たちではないのかもしれない。銀河から話を聞いたときから心の中でうずくまっている本音がつい飛び出してしまう。

    「構わない。別にグランツは営利団体ではない。それに本選で敗れはしたものの、巽の話だと仕事を選ばないといけない程度には依頼が来ている」

    その口ぶりは強がりとかではなく、本音だと感じた。
    だとすれば、気にしているのは自分の方だけなのかもしれない。
    すると、月城がくすりと笑いながら話しかけてくる。

    「チャイコン弾くんだな」

    なんでわかったのだろうと思ったが、チャイコンのCDを何枚も持っていればそう解釈するだろう。
    頷きながら唯は瞳に光を込めながら月城の顔を見据える。

    「ええ、昔のあなたに少しでも近づきたくて」

    ずっと追いかけてきた音色。
    久しく聴いていないが、心の中で鳴り響いている音。
    その憧れの音の持ち主が信じられないことに目の前にいる。
    しかし、肝心の月城は心当たりはなかったらしい。

    「昔の? 何のことだ、それ」

    そう返してくる。
    唯にしてみれば人生が変わった音色。そして、そのときからも追い求めてきた音色。
    唯だけではない、仁科もヴァイオリンへの向かい合い方が変わったと言っていた。
    だけど、ありとあらゆる栄光を掴んだ目の前の男にしてみれば、それは些細なことであり、想い出に残すほどでもない些事なのだろうか。
    腑に落ちない唯に対し、月城は手を振りながら去っていく。

    「お前もスターライトオーケストラのコンサートミストレスの名に恥じぬ演奏をしろよ」

    その言葉だけを残して。




    「そういえば月城慧の音をしっかり聴くのって初めてだな」

    菩提樹寮に戻り、自室に戻る。
    出掛ける前の朔夜の様子が気になるが、それと同じくらい月城の態度も気になる。
    そして、銀座で買ってきた何枚かのCDを見つめる。

    月城に会ったあとに探しだして買ったもの。それは月城のCD。
    チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をレコーディングしたもの。ジャケットの片隅に小さく録音は一昨年だと書かれている。

    月城慧のヴァイオリンに関しては、コンサートに行ったことは何度もあるし、CDも聴いたことはある。
    しかしそれはあくまでも鑑賞用としてのものであり、例えるなら同年代の女子がライブ映像を見るのと変わりはなかった。

    だけど、今回はふたつの目的のために聴く。
    ひとつは自分自身の演奏技術向上のための参考資料として。
    そして、もうひとつは、ずっと追い求めている音色を探し出すため。
    もしあのとき聴いた音色が幼少期の月城慧が放ったものであれば、おそらく今でもその音色の片鱗はどこかに残っているはず。
    そう信じながら唯はCDプレーヤーの再生をする。

    しかし、数秒後、どこか違和感を覚える。
    優等生の演奏とでも言うのだろうか。
    確かに音程はしっかり取れている。もちろんプロとして活動している以上、それは当たり前なのだが。
    しかし、感情を剥き出しに弾いているというよりもむしろ、感情をどこか包み隠し上品にコンパクトにまとまっている印象を抱く。教科書的とでも言うのだろうか。
    よくいえば透き通るような音色。
    だけど、完成されすぎていて、どこか無機質のようにすら感じる演奏。

    ライブの音源ではなく、レコーディングということもあるのかもしれないが、それにしても違和感は拭えない。

    どういうこと……?

    釈然としない気持ちを抱えながらいったんそのことを考えるのをやめ、唯は他のCDを聴くことにした。




    「ふう、やっぱり簡単にはいかないか…… コンツェルトだもんね」

    唯は学校から帰るなりチャイコンの練習に取りかかっていた。
    幅広い音域に重音。それだけでも技術力が問われ、聴衆に満足いく仕上がりにするためにはさらにテンポの上げ下げやソリストが弾くカデンツァなど、さまざまな要素が求められる。
    だけど、この一年、スタオケで鍛えられたからであろうか。以前、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いたときよりも精神的には楽なように感じる。

    すると、練習室にノックの音が響く。
    ドアを開けると、そこには数日間見かけなかった仁科の姿があった。

    「朝日奈さん」
    「仁科さん! お引っ越しの準備は終わったのですか?」
    「うん、札幌の実家はね」

    春から大学生となる仁科は菩提樹寮に住むことはできないため、大学にも星奏学院にも通いやすい東京のマンションに暮らすらしい。
    実家の荷物をまとめたため、今度は菩提樹寮の荷物をまとめるために来たとのことだった。
    すると、仁科は1枚のDVDを手にしていた。

    「引っ越し荷物から出てきたんだ」

    そこにあるのは「音楽コンクール」の文字。
    ちょっとつたない感じがする。
    すると、仁科がじっと見つめながら唯を見つめてくる。

    「小学生のときの『月城慧』のヴァイオリン協奏曲の映像だよ」

    !!!!!
    ずっと頭の中で思い描いていた演奏。
    憧れてやまない、「月城慧」のヴァイオリン協奏曲。
    どこか聴くのがこわい気持ちはあるが、それよりも聴いてみたい好奇心があるのも事実。

    「じゃあ今PCあるからここで見ようか」

    そう言って仁科が慣れた手つきでパソコンの操作をしていく。
    やがて画面に映し出されたのは、音楽コンクールの文字と日付。
    そして、テロップに浮かび上がるのは「月城慧」の文字。

    やがてヴァイオリンを抱えた少年が下手から登場し、会釈をする。
    そして、ヴァイオリンの音色を響かせる。

    「これです… ずっと探していた音色……」

    目を閉じてパソコンから漏れてくる音に耳を澄ます。
    小学生のときの自分が衝撃を受け、それどころか遠く離れた地に住んでいる仁科すら人生を変えたメロディ。
    がむしゃらで、一生懸命で、精一杯弾いている、そんな様子が見なくても伝わってくる。
    これだ、ずっと憧れ、追い求めていた音。

    ふと唯は目を開ける。
    音を確かめたあとは弓使いを確認したい。そんな気持ちがどこかにあったから。
    そして、幼い頃の「月城慧」がどんな演奏をするのか知りたかった。
    だけど、唯の目に入ったのは意外とも云うべき姿であった。

    「これは…」

    なんで気づかなかったのだろう。
    画面が小さいからわかりにくいがこれは月城慧ではない。朔夜だ。幼少期の。
    瞳の感じ、髪の毛の質感、ボーイングの仕方。
    どれを取っても朔夜のもので、月城慧の要素はひとつもない。

    そして、映像を見ながら頭の中の記憶と合わせる。
    そうだ。この3楽章で踊るような弾むような音色に惹かれたことは今でも忘れられない。
    でも、違和感もひとつ。

    「だけど、朔夜はもっと淡々とした演奏のはず……」

    スタオケが発足してもう少し1年。
    自分がコンミスになり、彼がフォアシュピーラーとなり、ふたりで一緒に演奏した時間もそれなりになる。
    だけど、彼は見た目のイメージ通り隣から安定した音色を奏で、譜めくりをしてくれる。
    そんな唯の疑問は見透かしていたのだろう。仁科がウインクしながら口を開く。

    「もう少しすれば答えがわかると思うよ。さ、あまりふたりで一緒にいすぎると九条くんに怒られる。そろそろ行こうか」




    仁科はそう言ったものの、それから数日経っても「答え」がわかる日は来ない。
    ヒントになりそうなことすら起こらず、そのまま真実を知ることはないのではないかと思ったくらいだった。
    そんなある日、夕食後に仁科がこっそりと話しかけてきた。

    「コンミス、ちょっとハラショーに買い出しに行かない?」

    仁科の言葉に怪訝な顔をする。
    依頼演奏の練習があるとはいえ、ちょうど年度末。
    単位交換制度を利用しているものも、もともと在籍している学校に戻っているため、菩提樹寮にいるのは限られている。
    でも、仁科の瞳が唯にノーと言わせないような強さで見つめてくる。
    頷いて財布と上着を取りに部屋へ戻る。

    少しずつ春めいてきており、そろそろ桜の開花も近づいてきている。
    だけど、やはり夜は寒いため、仁科が指定してきたもの以外にも思わず肉マンを買ってしまう。
    朔夜は今日、集中して練習したいと話していた。どうしても弾きたい曲があり、それを詰めたいと。
    そんな彼のためにもう1個肉マンを買っておく。

    「月が綺麗…と言いたいところですが、春だから霞んでいますね」
    「そうだね、朧月夜けど、これはこれで悪くないね」

    そんなことを話しているとだんだん菩提樹寮が近づいてくる。
    すると唯は月夜にヴァイオリンの音が響いていることに気がつく。

    「これは……」

    曲は紛れもなくチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
    そして、音色も自分がずっと追い求め、そしてこの間見たDVDによく似たもの。
    いつも隣の席から聞こえてくる音とは全然違う。
    感情的で魂のすべてをぶつける。そんな音色。
    菩提樹寮にいるものでヴァイオリンが演奏できるものは限られている。
    そして、今日、練習室にいるのはひとりしかいない。

    「そう、わかったよね。これが誰が弾いているかということが」

    仁科がすべてを話し終える前に唯は走り出していた。
    こんな近くにあったなんて。
    そして、それなのに自分は気づけなかった。
    気になることはたくさんある。だけど、今はこの音の主を確かめたかった。

    菩提樹寮に着き、焦る気持ちを抱きながらもヴァイオリンの音を遮られたくないため足音を消して練習室の前までいく。
    防音が施されているとはいえ、わずかに漏れてくる音を唯は聞き逃すまいと耳を傾ける。

    確かにこの音だ。
    幼い頃から追い求め、憧れ、そしておそれ多くも追いつこうとさえしていた音色。

    …こんな近くにあったんだ。
    …こんな近くにあったのに、気づかなかった

    憧れが思いの外近くに存在していたことにも驚くがそれよりもそのことに気がつかない自分の鈍感さにあきれ果てる。
    だけど、ドアから漏れてくるのはずっとずっと探していた音。
    今はこのチャイコフスキーが生み出した甘美なメロディに浸りたかった。

    やがてヴァイオリンの激しく優しい演奏は止み、足音が近づいてくるのがわかる。
    唯はドアから離れるが、カチャっと音を立てて開くのがほぼ同時だった。

    「朝日奈……」

    朔夜の驚く顔が唯の瞳に映る。
    そして、その顔にしまったと書かれていることにも気がつく。
    今なら真実に近づけるかもしれない。

    「やっぱり朔夜だったのね」
    「聞こえたんだな……」

    唯は何のこと言わず、朔夜も何のことか問わない。
    それにも関わらず朔夜が否定も肯定もしなかったことがすべてを意味していたのかもしれない。

    「ええ」
    「そうか……」

    そう呟くと朔夜は小さく溜め息を吐く。
    そして、観念したように伏し目がちになる。

    「君には話す必要があるかもしれないな」

    そう言いながら唯に部屋に入るように促す。
    約十年もの間、知ることのなかったこと。
    すべてを聞き終えるとき、自分はどんな気持ちになるのだろう。
    そう思いながら唯は練習室の中に足を踏み入れた。




    唯が買ってきた肉マンと、そして買い込んできたものの中にあるコーラ。
    それらを手にしながら朔夜は口を開く。
    ヴァイオリンは肩当てをつけたままケースの中にそっと置かれている。
    そして、譜面台にあるのは紛れもなくチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のソリスト様の譜面。

    「君も知っているだろ。慧は爆弾を抱えながら演奏活動をしていることに」

    唯は頷く。
    詳しくはわからない。
    ただ、本選のときに月城の演奏がわずかに崩れた。
    それは幸い大崩壊にはつながらなかったが、そのわずかな乱れが減点となり、グランツはスタオケに敗退した。
    そう周りの者からは聞かされた。
    そして、月城の崩れの理由が体調によるものではないかと言うことも。

    「さすがに今はどれくらい無理をすれば倒れるか本人もわかっているから、練習時間や本番での必要以上のパフォーマンスは避けている。グランツには巽さんもいるし、実力者揃いだから慧が必要以上に負担が掛かることもない」

    朔夜が話す言葉を聞いて唯は先日抱いた違和感の正体に気がつく。
    月城慧のCDが思ったよりも淡々としていたことに。
    おそらく感情を込めすぎると体調に影響するのだろう。
    それは場合によっては倒れたり、下手すると命の危険が伴う行為。
    そのため、本人はギリギリのパフォーマンスで留めているのだろう。
    だけど、おそらくそれは経験による積み重ねで学んだこと。まだコントロールできない時期にどのようなことがあったのか正直想像したくはない。

    「あのとき、慧は初めてプロのオーケストラのバックで弾くことになったんだ」

    コンクールの優勝者に与えられるオーケストラとの共演の権利。
    チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾くことを夢見て練習に明け暮れ、その一方空いている時間に当日の演奏会服も用意する。
    屋敷中が彼の演奏会のために奔走していた。

    一方で朔夜は慧の練習につき合うと同時に、慧に知られないようにこっそりと譜面を渡されていた。
    『万が一に備えて練習するように』。その言葉とともに。
    その言葉の意味はわからなかったが、もともと朔夜自身もコンクールに向けて練習していたため、さらうこと自体は難しくはなかった。
    そして、オーケストラとの合奏で指摘されがちな箇所は慧に付き添っていたため把握していた。

    だけど、本番1時間前。

    「大変です! 月城くんが……」

    練習の無理がたたったのだろう。
    慧が体調不良を訴えた。
    直前練習でも異変は見られなかったが、そのときの慧は顔面蒼白で、明らかにステージに立つのは無理だった。

    「どうしよう…… チケットは完売している。それにマスコミも多数駆けつけているのに」

    あわてふためくスタッフを見ながら朔夜は他人事のように大変そうだなと気にしていた。
    一方で病院に運ばれた慧の様子や、はたまた自分が帰る方法があるのかも気になっていた。
    すると、突然腕を引っ張られるのを感じた。

    「チャイコンならこの子も弾けます。もしかすると月城慧と同じくらい、あるいはそれ以上の実力かもしれない」

    周りからはどよめきが聞こえてきた。
    そして、信じられないといったたくさん眼差しが降り注いでくる。
    そこで朔夜は急いで背負っているヴァイオリンケースから楽器を取り出し、チューニングする。
    そして、チャイコンの冒頭を弾き出した。

    「おお……」

    疑心暗鬼の眼差しは一気に驚愕と信頼の眼差しへと変わる。

    「確かにこれなら月城慧以上の逸材かもしれない!」

    ステージに穴が空くことによる損失を計算していた大人たちであったが、それ以上に得るものがあり、興奮気味であった。
    その後のことは正直よく覚えていない。

    急いで指揮者とコンサートマスターに挨拶し、演奏のすり合わせをする。

    「君らしくのびのび弾けばいいから。何かあっても、僕たちがソリストである君に合わせるから」

    そうにこやかに微笑み握手してくれたのが嬉しかった。
    衣装も慧とサイズがほとんど変わらなかったため、それを借りることになった。

    時間がなかったことも却ってよかったのだろう。
    ほとんど緊張することなく本番を迎えた。

    「そのあとのことは君の方がよく覚えているだろう」

    そこまで話し、朔夜はいったん言葉を切る。

    「でも、あのとき、月城慧って……」
    「時間がなかったからなのか、わざとなのかわからないが、アナウンスでは確かに『月城慧』と呼ばれた」

    そう、この間、仁科が見せてくれたDVDでも、月城慧くんとアナウンスが流れていた。

    「俺自身、慧の代わりでいい。そんな気持ちもどこかにあったし、何よりも一度も合わせたことないオケとうまく合わせられるか、それが一番の気がかりだった。だから気にも止めなかった」

    だけど、クラシック音楽に詳しい記者の目をごまかすことはできなかった。
    ステージでソロを弾いていたのが月城慧でないことは一目で見破られ、代役を務めたのが誰であるかあっさりと突き止められた。

    「それからは正直、大変だった」

    朔夜はそれ以上何も語ろうとはしなかった。
    今でもグランツのコンサートマスターに居続けられる月城のことだ。
    自分の身体のことが原因とはいえ、朔夜が自分以上に目立つことを広い心で見守ることは難しかったに違いない。
    年齢的なものもあるが、おそらく彼が朔夜に求めていたのは、ライバルであり、同志。なんとなくであるがそんな気がしていたから。

    「マスコミには持ち上げられ、リーガルには搾取…なんだろうな。子どもだからよくわからなかったが、大人たちの望むように曲を弾かされ、次から次へとステージに立たされ、だんだん心が乾くのを感じた。慧も日々苛立ちが酷くなるのがわかったしな」

    言葉は少ないものの、だからこそその時期の朔夜の苦悩が透けて見えるような気がした。
    だけど、自分も中学時代にコンクールに出場していたからこそわかるが、朔夜の名前を耳にすることはなかった。
    あの演奏会から高校入学までの空白にも思える時間、彼が何をしているのか知りたかった。

    「その後、何があったの?」

    すると、朔夜は唯の瞳を見つめながら話す。

    「ある日、暗譜を忘れて演奏を止めたんだ」
    「え……」

    ストレスだったのかもしれない。
    朔夜はそう話す。
    何度も弾いているはずのチャイコン。
    2楽章でソリストは休み、オーケストラのテュッティ(合奏)があったあと、再びソリストが入ってくる箇所の楽譜が頭からすっぽり抜けていたらしい。

    その後、ソロはなく2楽章は終わり、3楽章の冒頭から入り直すことができたが、曲が終わったときの観客のまばらな拍手、指揮者やコンマスの微妙な表情で居たたまれない気持ちになった。

    月城に世界を目指そうと話されたこともありヴァイオリンこそ続けていたが、完全に演奏家として歩む未来は失った。
    ただ、まわりは諦めていなかったのだろう。星奏を勧められたときに、そのことを察した。ただ、朔夜はそれでも普通科を選び、楽器とは無縁の生活を送っていたつもりだった。
    あの日、唯と下校し、銀河が目ざとくヴァイオリンを弾いていたからこその指や腕の特徴を見抜くまでは。

    「でも、何で今頃になってチャイコンを…」

    朔夜にしてみれば望まない形で自分が有名になり、そして自分をつぶした楽曲なのに。

    「自分を取り戻したかったんだ」

    それだけを朔夜は呟く。

    「でも、正直、君には知られたくなかった。慧の代わりとして弾いていたことを。あの頃の輝きと現状。それを知ったら君は失望するだろ」

    違うと思った。
    確かにあの演奏会のときの音色や雰囲気と今スタオケで弾いている朔夜が同じ人物と言われると信じられない気持ちはどこかにある。
    だけど、先ほど聞こえてきたチャイコン、それは紛れもなく唯が求めていたもの。それどころかあの頃よりも洗練され、覚醒しているのがわかる。

    「朔夜の音、好きだよ」

    自然と出た言葉。
    そして、気がつく。好きなのは音だけではないことに。
    幼い頃に自分を導き、高校合格発表時からずっと隣で支えてくれた彼がいつしか当たり前となり、失いたくない存在となっていたことに。

    …だけど、今は大切な演奏会前。
    そんな時期に考えることではない。
    そう思い、唯は気づいたばかりの恋心を封印する。

    そのとき、唯はひとつの考えに気がつく。

    「朔夜、今度の依頼演奏、朔夜がソリストを務めればいいじゃない」

    唯の言葉に朔夜は驚きを隠さず目を見開く。

    「君は… そんな簡単に……」
    「でも、スタオケはコンミスだけでなく、他にも立派な演奏家がいますよ、とアピールするには絶好の機会だと思うの」

    こう言い出した唯に何を言っても無駄だとわかっているのだろう。朔夜は首をすくめている。

    「じゃあ、銀河先生と篠森先生に交渉してみるね」




    「成宮! 弓が当たっている。もう少し周りに気を遣え」
    「すいません、俺の腕が長いため、竜崎先輩に当たってしまいまして」

    練習後の後片付けの時間、成宮を注意する竜崎の姿があった。
    合奏時、弦楽器ではたまに弓と弓がぶつかり合う。
    よくあることなので奏者同士はその場で謝って終わることが多いが!よほど数が多かったのだろう。
    ただ、竜崎も本気で怒っているようには思えないため、唯はそれを横目で見つつ、自分の弓についた松ヤニを拭いている。
    朔夜は打楽器の片付けを手伝っており、その場にはいなかった。

    「そういえば朔夜と弓がぶつかったことなかったな」

    ヴィオラよりもヴァイオリンの方が弓は長く、また動きも激しい。
    それにも関わらず、朔夜が弓を動かすときに唯にぶつかったことは一度もない。
    その小さなボヤキは朔夜の隣の席にいる仁科にも伝わったのだろう。

    「そう言えば、俺もぶつかったことはないな」
    「仁科さんもですか」

    同意者がいたことに驚きとなるほどという気持ちを持っていると、仁科があることに気がつく。

    「ああ、月城慧の隣で弾くことが多かったからじゃないかな」

    そのことに妙に納得する。
    ソリストとして弾かせたらあんなにのびやかに弾いていたけど、オケで弾くときはコンマスを引き立たせるために役目に徹する。
    それが彼らしくもあり、なぜか悲しくもなる。

    「そういえば、演奏会のことだけど」
    「仁科さんにもソリストを務めてもらうことになって申し訳ございません」
    「いや、いいよ。ネオンフィッシュが本州でも有名になるいいきっかけになるから」
    「そう言っていただかると助かります」

    銀河たちに話を持ちかけ依頼主に相談した結果、ヴァイオリン協奏曲は楽章ごとにソリストを変えるという異例とも言うべき手段を用いることにした。

    1楽章は唯、3楽章に朔夜、そして2楽章は仁科。

    仁科の甘美な音色は女性の観客をさぞかし魅了させるであろう。
    そして、3楽章の軽快な音色はおそらくオーケストラで見てきた朔夜とは違う顔を見ることになるだろう。
    そんなふたりの演奏に負けられないようにするために唯も練習に打ち込んでいる。

    「ところで、君と九条くんの間の空気だけど、なんだか変わった気がするけど…」

    仁科から放たれた言葉に唯は一瞬ドキリとする。

    「そう見えますか?」

    それだけを答える。
    聡い仁科にはそれ以上話す必要はないだろう。
    まだすべてを話す時期ではない。
    すべては演奏会が終わったら始まることなのだから。


    10

    「先輩のソロ、カッコよかったな」
    「成宮、お前は相変わらず。それに俺ですらコンミスが九条とつき合っているのではないかと噂になっているのは知っているぞ」
    「まだ九条先輩からは何も言っていないじゃないですか。それに恋愛感情はさておき、先輩のソリストが素敵だったのは事実ですよ」
    「まあな、確かに」

    スタオケへの依頼演奏会は無事成功することができた。
    協奏曲が終わったあとの鳴り止まない拍手がそれを物語っていた。

    そして、スタオケのメンバーは依頼主が用意したレセプション会場で思い思いに食事を楽しんでいた。
    ただ、本日の主役とも言うべき朝日奈唯と九条朔夜の姿はそこにはない。
    ふたりのことが気になりつつも、話題にするのも野暮だと思っているのか、誰一人としてふたりの不在を口にすることはなかった。


    「朔夜、ソリスト、お疲れ様」
    「ああ、君が1楽章をのびのびと弾いていたから俺も俺らしく弾けた。それから仁科さんの2楽章も甘美な感じがしてよかった」
    「そうだね」

    示し合わせたわけではないが、まだコンサートの余韻に浸っていたい気持ちは同じだったのだろう。
    ふたりはそれぞれコンサート会場とレセプション会場の間にある公園で佇んでいた。
    考えることは他にもあるはずなのに、太陽が沈み、夕方から夜へと変化していく様子が美しいとかそんなことを唯は思っていた。

    「君には感謝している」

    近くはないけど、遠くもない位置にいる朔夜からそんな言葉が聞こえてくる。

    「それは私のセリフだよ。朔夜がいたから、私は今こうしていられる」
    「そうか……」

    それだけを話すと沈黙がふたりを覆う。
    そろそろみんなのところに行かないと心配されるだろうと思いつつも、ふたりでいられる空間は沈黙でも心地よい。
    できれば時が止まってほしい。
    そんなことを思っていた唯に対し、朔夜が沈黙を破ってくる。

    「伝えたいことがあるんだ」

    チャイコンに関する真実はこの間聞いた。
    感謝の言葉は先ほどもらった。
    他にもまだ言いたいことがあるのだろうか。
    つい期待してしまう気持ちがどこかにある。
    だけど、それが違った場合に反動として返ってくることを考えると、あえて何も期待しないようにする。

    「君の音が好きだ」

    朔夜の言葉は真っ直ぐ耳に入ってくる。
    音が好き。
    憧れの音の持ち主である朔夜にそう言ってもらえ、唯はそれだけで充分だった。
    だけど、朔夜の唇から漏れる言葉はまだ続いている。

    「いや、音だけではないな」

    照れが混ざりながらそう言う。
    ただ、その照れも一瞬で引っ込み、真剣な眼差しで見つめてくる。

    「その諦めない姿とひたむきな姿勢。俺がずっと前に失っていたものを持ち続けている」

    朔夜……
    たくさんの賛辞を受け、本当に自分に向けられたものか信じられない気持ちでいっぱいになる。
    すると朔夜の方もすっと息を吸い、改めて唯に視線を向ける。

    「俺が君に与えられるものは少ないけど、こんな俺でよければ一緒にいてくれないか?」

    唯は首を横に振りながら朔夜に近づく。
    隣にいるのが当たり前すぎて自然となりすぎていた感情。
    だけど、こうしてみると改めて実感する。
    自分は朔夜のことが好きだと。
    同じ楽器を弾くものとしてはもちろん、男性としても。
    そして、そんな彼から想いを告げられ、喜びで胸がはち切れそつになる。

    「朔夜はたくさんのものを私にくれたよ」

    涙声になりながらも唯はそう話す。

    「朔夜がいなければヴァイオリンをこんなに真剣に向き合おうと思えなかったし、朔夜のあのときの音色は今でも私の憧れ。それに高校に入ってからも、スタオケで一緒にいるときも、ずっとずっと私を導いてくれた」

    そして朔夜を真っ直ぐ見据える。
    しっかりと想いを伝えるために。

    「私こそ、こんな私でよければ」

    言い終わるか終わらないかのうちに何か衝撃を感じる。
    気がつくと唯は朔夜の体躯にしっかりと抱き締められていた。
    見た目に反し、その身体は筋肉質で、そして温もりと心臓の鼓動が伝わってくる。

    そして、顎を持ち上げられ、青い瞳が間近に入ったそのとき。

    「先輩、ここにいたんですかー! みんな探していましたよ」

    ふたりの耳に成宮の声が響き渡る。
    ふたりは反射的に離れ、何事もなかったかのように振る舞う。
    もっともその顔は真っ赤もいいところであったが。

    「成宮くんもほんと、いい性格しているよね」

    成宮の後ろにいる仁科がそう呟く。
    もっとも彼もどこか楽しんでいる様子であったが。

    「ところで仁科さんは、『例の』演奏会で九条先輩が代役を務めていたって、いつ知ったんですか?」
    「ん? 結構前だよ。当日こそ、『月城慧』くんと紹介されていたけど、そのあとすぐに『天才少年現れる』みたいに騒がれたからね。朝日奈さんはそのこと知らなかったみたいだけど。
    それでスタオケに入って個人練習している様子を見てすぐに思い出したよ」
    「なるほど。耳と記憶力がいいのですね」


    残された朔夜と唯は相変わらず顔を真っ赤にしながらレセプション会場に向かっている。

    「スタオケの連中はおせっかいだな」
    「ほんと…」

    そう言いながらも顔がにやけているのは演奏会がうまくいったことと、そして想いが通じたことにあるのだろう。

    そのとき、唯は手に温かいものを感じる。見れば朔夜の手が握りしめられていた。
    そして朔夜の顔を見たが、彼は照れているのか、視線を合わせようとしなかった。

    今までずっと自分を導いてくれた音色。
    今度はもっともっと近くで導き、そして時には守り守られるだろう。
    そんなことを思いながら唯は握られている手に力を込める。
    すると、先ほど重なることのなかった唇が近づくのを感じる。

    太陽が沈みきった夜に月が光っているのが印象的だった。
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    ゆめの

    PROGRESSフェリクスオンリー合わせのフェリアン小説です。

    テーマは「アンジュに告白して振られたフェリクスと振ってしまったアンジュのその後」です。
    フェリクスの、そしてふたりの行方をお楽しみ(?)ください。

    ネタは主催のまるのさまに提供していただきました。お忙しい中、ありがとうございます😌
    ※ゲーム内よりもフェリクス様が女々しいので、ご注意ください
    ※後日微修正する可能性があります
    天使が振り向いたその日「フェリクス、私たちはこれ以上仲を深めてはいけないと思うの。ごめんなさい」

    女王試験が始まり50日目。
    自分たちの仲はすっかり深まり、そしてそれはこれからも変わらない。
    そう信じて想いを告げた矢先にアンジュから向けられた言葉。それをフェリクスは信じられない想いで聴いていた。

    「なぜ……」

    なんとか声を振り絞りそれだけを聞くが、目の前のアンジュは悲しそうな顔をする。

    「言えない。でも、私たちは結ばれてはいけないと思うの」
    「そう、わかったよ。君の気持ちは」

    何とかそれだけを伝えてフェリクスは森の湖から離れることにする。
    なんとか歩を進めるものの、本当は今すぐにでもうずくまりたい。だけど、それは美しくない。そう思い、自分を奮い立たせて館へと向かう。
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