今日はダメな日だ。
早々に自分に見切りをつけた俺はすべてを放棄するべく屋上へと向かった。ダメになってもバスケだけはちゃんとしなければならないし、したいと思っているので。その為の体力温存だった。
たまに俺はこうなる。多分知らず知らずのうちに溜め込んでいる諸々が許容量を超えた時に訪れる。あまり限界という言葉は好きではないのだが、バスケ以外に関しては己にメンタルの限界値があるということは自覚せざるを得ない。
IH前の赤点以来、授業は真面目に受けるようになっているのだが、こうなってしまった俺にはもう何も頭に入ってこない。頭に入ってこないだけならいつもと同じじゃないかと思われそうだが、英語の授業でもないのに言葉が理解できなくなるのだ。言っている言葉は音として分かるのにスッと理解はできなくて、やろうと思えば無理矢理できなくもないのだが普段の何倍もの脳の労力を使うことになり疲労が増して溜まるという負のループになる。何を言っているのか理解できねーかもしれないが俺も解らねえ。
自分の席で寝られればいいのかもしれないが、授業や教師という問題以外にも教室という場所は居るだけで何かとコミュニケーションが発生する。こうなった俺はもう会話すら億劫になるレベルの体たらくだった。インプットアウトプット機能が停止している。
不本意だがめちゃくちゃ端的に言ってしまえば今の俺の頭は使い物にならない。今バスケをやらせたら酷いプレイしかできない自信がある。つまりさっさと割り切って休む方へシフトしてしまったほうが得策ということだ。それがサボりにつながるのが悲しいところだが背に腹は代えられない。
メンタルは体調にも影響するのか、普段ならなんてことない屋上までの階段を昇る身体が重く感じる。やっとの思いで踊り場まで辿り着き一つ溜息を吐く。誰かいたらダリイなと思いながら開けた扉の先は無人でほっと小さくもう一度息を吐いた。
しかし部活開始のぎりぎりまで寝るつもりでいるので途中で乱入者に邪魔されたらたまらない。給水タンクの裏まで回り込む。ここは意外と穴場で、このスペースの存在を知る者は少ないらしく滅多に人が近寄らない。
物音がしないので誰もいないだろうという俺の予想に反してそこには先客がいた。コンクリの床に胡坐をかいて座り込み、タンクに背を預けて煙草を吸っている人影がある。多分自分のいるほうが風上だったせいで煙の匂いに気付けなかった。
「あれ」
踵を返そうとしたが上履きの立てた微かな音に振り向いた顔は水戸洋平で、無意識に強張っていた身体が一気に脱力した。
「宮城さんもサボり?」
出来ればいて欲しいと思っていた相手がいたときの安心感ったらない。さっき誰もいないといいと思ったばかりだがこいつだけは例外だった。首だけで頷いて見せると水戸は片眉だけ僅かに上げてみせた。
「…その顔はダメな日だ?」
「ん」
「どーぞ」
微笑いながら吸っていた煙草をアスファルトでもみ消すと、少しだけ座っている位置をズレてスペースを空けてくれる。躊躇わずにそこに滑り込んで隣に同じように座ると遠慮なく肩に頭を預けた。
「そこでいいの?結構ひどい顔してるけど。横になったほうがいいんじゃない」
上から覗き込んでくる水戸の雄弁な目にほんの一瞬逡巡して、でもろくに頭が動いていない俺はすぐに考えることをやめて横になった。こいつが言うならそうなんだろう。
心得ているとばかりに伸ばされた片脚にいつものように頭を乗せて目を閉じる。もう片足のほうに乗せているのであろう雑誌を静かに捲る音がする。
紙の乾いた音をBGMに俺の意識はすぐにとぷりと沈んでいった。