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    pieesuke_kun

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    pieesuke_kun

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    絵本風味のお話です
    名前は出てこないです
    でもモクチェズです……

    #モクチェズ
    moctez

    モクチェズ絵本 あるところに、それはそれは美しいお姫さまがいました。
     お姫さまは左目に紫色の美しい花を咲かせていました。その花からは甘く珍しい蜜が取れるので、お姫さまの周りにはその蜜を求める人達であふれかえっていました。
     しかしその花はお姫さまが最初から持っていたものではありません。
     お姫さまがはじめて恋をして、そして想いが通じなかった相手から送られたものでした。
     お姫さまはそれがどうしても許せませんでした。自分を手酷く振っておいて、なのにこのような花を送るなんて!と、どういうつもりなのかと、会って一言二言いってやらないと、気がすまなくなったのです。
     お姫さまは左目に花を咲かせてから丁度一年経った日に、お城の離れにある塔へ閉じこもりました。
     どうすればにっくきあの者ともう一度会うことが出来るか。どんな言葉ならあの者に傷をつけることができるか。
     お姫さまは沢山の書物を読んで、沢山の事を学びました。
     全ては自分の傷の深さを思い知らせるため。そう思いながら長い時間を塔の中で過ごしていると、いつの間にかお姫さまは塔のいちばん上の階にいました。
     なぜだろう、と下の階へ降りようとして階段を覗き込んだお姫さまは、自分がいちばん上の階へ来た原因が分かると同時に、ほとほと困り果ててしまいました。
     なぜなら、今まで読んできた本や、あまりにも強い恨みや辛みが積もりに積もって階段や下の階を埋めてしまい、塔の下へ降りられなくなってしまったからです。
     こうなっては仕方がないので、お姫さまは更に深い思考の海へと沈んでいくことにしました。
     塔のてっぺんはやけに静かでがらんとしていて、考え事をするのにはぴったりです。
     塔のてっぺんは日当たりが良く、ぴかぴかの日差しによって元気になった左目の花から涙のように落ちる蜜が邪魔でしたが、それ以外はお姫さまにとってはなんの不便のない、とても快適な場所でした。
     あるとき、いつものようにお姫さまが本を読んでいると、その高い塔に客人が来ました。不思議な客人は、器用にも塔の窓の縁に立っています。まるで平らな地面に立っているように振る舞いながら、不思議な客人は本を読んだままのお姫さまに声をかけました。
     「やぁ、綺麗なお姫さま。こんなとこで一体、なにしてるの?」
     その客人は全身真っ黒い装束に身を包んでいて、何だかとても怪しく見えました。それに、窓の縁に立ち続けていながら、さらに隙のない佇まいをしていましたから、訪れた客人がただものでは無いことをお姫さまはすぐに理解しました。
    「見て分かりませんか。勉強をしているのです」
     しかしお姫さまは少しだけ客人を見たあと、すぐに読書に戻ってしまいました。
     客人はそんなつれないお姫さまをまったく気にする様子はなく、言葉を続けました。
    「こんなところにずっとひとりでいて寂しかったり、しない?」
    「まさか。こんなに素敵な場所は他にありません。どうして寂しく思う必要が?」
     お姫さまは本を読みながら、そう答えます。
    「そっかぁ。そうだ。それ、なんの本?」
    「感情の、心についての本です」
    「おもしろそうだね」
    「えぇ、面白いですよ。とても」
     そんなお話しをしている最中も、客人は窓の縁に立ったままです。
     塔の窓にはガラスがはまっていないので、中に入ることなど簡単なはずなのに、客人はそこから動こうとはしません。
    「なぜそんなところに立っているのですか」
    「お前さんから入室許可を貰ってないからね」
    「そうですか。ではおかえりください」
    「わかった、わかった。また来るね」
     そう言うと、妙に律儀な客人は窓の縁から足を離して、空中へと消えてしまいます。
     本に夢中なお姫さまの視界の端で、鳥が飛び去るように軽やかに飛んだ客人。命綱なんて、もちろん付けていませんでした。
     この塔の高さは相当なものです。真っ逆さまに落ちたりしたら、まず助からないでしょう。お姫さまは客人の安否はあまり気になりませんでしたが、塔の真下で人が潰れていたとしたら、そのまま放っておくのは気持ちが悪かったので、一応確認することにしました。
     お姫さまが塔の窓から顔を覗かせると、その下には怪我ひとつしていない客人がいました。客人はお姫さまに気が付くと、とても嬉しそうに大声で叫びました。 
    「もしかして、心配してくれたのー?!」
    「まさか!この下で死なれていては気分が悪くなるので確認したまでです!」
    「それでもありがとね!あぁ、そうだ!言い忘れてたけど、おじさんの名前は忍者さんっていうの!また来るねー!」
     そう言って、忍者さんと名乗った客人は、飛び降りた時のように、とても軽やかな足取りで塔から去っていきました。
     塔のいちばん下から、塔のいちばん上に。塔のいちばん上から、塔のいちばん下に。ふつうの声では到底届かない距離です。だから、忍者さんとお話しをするために、お姫さまはずいぶん久しぶりに大声を出しました。それがなんだかとても大変だったので、これまたずいぶん久しぶりに疲れてしまいました。
     疲れて眠りにつく事も久しぶりです。そのせいか、普段は見ないような夢を見てしまいました。
     それはお姫さまを手酷く振った、あの者の夢でした。夢の中であの者は、お姫さまに甘い言葉ばかりをかけます。お姫さまの左目から落ちる蜜よりも甘い言葉ばかりを。それなのに、夢の中のお姫さまは曇った顔のまま。
     夢の中のお姫さまがぽつりと、とても苦しそうに言います。
    「酷い夢だ」
     お姫さまがその言葉を発した瞬間、あの者の顔がバラバラに砕け散って、その欠片の一片がお姫さまの左目に向かって飛んできました。
     飛んできた欠片はお姫さまの左まぶたに突き刺さり、濁りのない真っ赤な飛沫を上げて、痛々しく花を咲かせました。
     飛沫の勢いが弱まるにつれ、赤い飛沫の花は段々紫色を帯びはじめ、やがて固体となって左目を覆いました。
     お姫さまはもう一度呟きます。
    「ひどい、ゆめだ」
     その言葉には先程のような苦しさはなく、そこにはただ燃え上がるような憎悪の念があるだけでした。
     今度こそ全てが粉々になって、夢の終わりが訪れました。ようやく終わるとお姫さまは安堵して、しかし心を焼く憎悪に心臓は暴れるように脈打っています。
     うるさく吼える拍動に耐えきれずお姫さまが目を覚ました時、まだ空はまあるいお月様が優しく空を照らしていました。
     夢の中でとても不快な思いをしたと言うのに、お姫さまは汗ひとつかいていません。
     お月様の光に照らされるのは、心底うんざりした様子のお姫さまのほかには、左目からつう、と流れる金色の蜜だけでした。
     そのまま眠れずに日が登るのを待っていると、日が登りきった頃、忍者さんが来ました。
    「また来ちゃった」
    「そうですか」
    「元気ないね」
    「あなたのせいです」
    「そっか、ごめんね」
    「理由も聞かずに謝るのですか」
    「ここでひとりで過ごしてるお前さんが元気を無くす理由なんて、昨日突然現れた俺くらいなもんだろう。だから謝るよ」
    「そうですか」
    「なぁ、ここ。入ってもいいかい」
    「ダメだと言ったらどうしますか」
    「このままいるよ」
    「何故そこまで」
    「お前の顔色が悪いから、心配なんだ」
     忍者さんがそういった途端、どろり、と、お姫さまの中で何かが蠢きました。川辺をまるごと飲み込んで、土が混ざって薄汚く濁った濁流のようなうねりが、お姫さまの喉元まで迫り上がります。
     お姫さまは、このセリフを聞いたことがあったのです。それは昨夜の夢の中。あの者が砕け散る寸前、忍者さんと全く同じことを言って、お姫さまの頬を撫でたのです。
     なんの温度もない手でした。優しさも、愛情も、怒りも悲しみも恨みも軽蔑も何もない、息が詰まりそうなほど何も無い手でした。
     夢の記憶が悪さをして、目の前の忍者さんとあの者を重ねて見てしまい、お姫さまは目の前が真っ赤になりました。思わず忍者さんにひどいことを言いそうになって、すんでのところでハッとします。今度は青ざめるように冷静になって、自分が今何を考えているのかもよくわからないまま、お姫さまは小さく言いました。
    「いいでしょう。中へどうぞ」
     そう言ったあと、忍者さんから背を向けたお姫さまの顔は、ひどく醜いものでした。忍者さんはあの者とは全くの無関係であると分かっていましたが、しかし八つ当たりのようにズタズタに傷付けてやりたくなりました。衝動を抑えれば抑えるほど、どす黒い感情が右目の奥でぐるぐる混ざって、涙のように溢れた黒が頬を伝います。
     頬を伝った黒が滲むように顔中に広がると、お姫さまの美しい面影は、やがて失われてしまいました。
     光を吸い込むほどの黒に染まったお姫さまに残されたのは、それでもなお左目に美しく咲き誇る、紫色の花だけでした。
     塔の中へ踏み込むことを許したっきり、後ろを向いて何も話さなくなったお姫さまを心配して、忍者さんが遠慮がちに声をかけてきました。
    「どうして元気がないのか、きいてもいい?」
     忍者さんはお姫さまの顔を見ようとはしませんでした。ただお姫さまの背中にほんのりと暖かい言葉をかけると、忍者さんはお姫さまの返答をじっと待ちました。
     少しだけ沈黙が続いた後、お姫さまは顔を失ったまま、抑揚のない声で答えました。
    「夢を見たのです」
    「夢?」
    「私が、ここにいる理由の夢です」
     お姫さまは、どうして自分が会って間もない見ず知らずの人にこんな話をしているのか分かりませんでした。
     お姫さまの腹の底は、グツグツ音を立てて煮立っています。会って間もないはずの忍者さんに向ける言葉には、「あなたならわかるでしょう」という恨みのような気持ちが込められていました。
    「私は、濁流なのです。全て飲み込んで真っ新にしなければ。思い知らせてやらなければ、私は、私の濁りは清められない」
     地を這うような怨嗟の声に、忍者さんは少しだけ驚きました。昨日はじめて会った時と様子が違いすぎるからです。
     余程酷い夢を見たのだろうと察すると同時に、忍者さんはお姫さまがとても心配になりました。
     先程からお姫さまは、ずっと壁とお話しています。忍者さんはお姫さまとお話ししていると思っていましたが、忍者さんにはお姫さまが言っていることの半分も理解できませんでした。
    「そんなにひどい夢だったの?」
    「えぇ、それはもう。化け物に成り果ててしまいそうなほど、酷い夢でした」
     ようやくお話ができたと思ったのに、お姫さまは忍者さんの方を向いてくれません。それでも忍者さんは気にしませんでした。忍者さんにとっては、大したことではなかったからです。それどころか、忍者さんはお互いの目を見ないでお話をするのが好きでした。表情も、瞳の奥に潜む心も分からないような、浅い会話が好きだったのです。
    「お前さんは化け物になっても、きっと美しいだろうね」
    「ヘェ。どうしてそう思うのです?」
    「なんでだろうねぇ。ビビッ!ときたのよ」
    「直感という事ですか。フフ、面白い事を言いますね」
    「面白い?おじさん、褒め言葉のつもりだったんだけど……」
    「そうですねェ……」
     お姫さまはしばらく考え込んで、では試してやろうじゃないかと、まるで物語の魔王や怪物のような気持ちになりました。
    「では、この顔を見ても同じ事が言えますか?」
     透明な水の上に薄く揺れる感情が乗っているような、不思議な声でお姫さまがそういいます。とても楽しそうではあるのに、こちらもつられてうきうきしたりしない、そんな声でした。
     そう言って振り向いたお姫さまの顔は真っ黒に染まっていて、お世辞にもきれいだとは言えませんでした。忍者さんは何か思うより先に、そりゃあ、こんな顔をしていればあんな声にもなると納得しました。怯えや恐れはしませんでした。
     忍者さんがその次に思ったのは、左目の花についてのことです。昨日見た時にはこれは綺麗な花だと感心したはずが、今はどうしてかそれほどに綺麗に見えません。それどころか、忍者さんには左目の花がお姫さまが持っている全ての色を飲み込んでいるように見えて、なんて醜く咲く花だろうとさえ思いました。
    「言葉も出ませんか」
    「あぁ、いや……」
     忍者さんはうんうん考えます。忍者さんは言葉にして気持ちを伝えることが苦手でした。だから、恐くなんてないよ、と伝えるために、そっと頬に触れることにしました。恐る恐る触れたお姫さまの真っ黒な顔は、あたたかくも冷たくもありませんでした。
     お姫さまの頬にそっと触れて、そのまま顎先まで撫でると、真っ黒になってわからなくなっていたお姫さまの顔の形がよくわかりました。目の下にある、ほっぺたのわずかな膨らみに、ふにふにしたくちびる。きっともっと触れたら、触れた分だけお姫さまのことがわかるのでしょう。忍者さんはそう思いながら、名残り惜しそうに手を離しました。
     頬を撫でられたお姫さまは、たまったものではありません。順番こそ前後しましたが、昨日の夢であの者にされたことをなぞるように繰り返されたからです。
     一つ違うことは、忍者さんの手には温度があったことです。触れて初めてわかった頬の膨らみに可愛いと指先がはねて、離れる直前の顎先に、忍者さんの親指はもっとお前を知りたいと熱がこもった気持ちをお姫さまにおくりました。
     忍者さんをほとんどあの者と重ねていたお姫さまは大混乱です。忍者さんがどうして頬を撫でたのかはわからないのに、真っ黒なはずのお姫さまに何を思っているのかはわかってしまったので、余計に混乱は増すばかりでした。
     お姫さまが混乱して何も言えなくなっていると、忍者さんは照れ臭そうに頭をかきながら言いました。
    「伝わったかな」
    「何がです」
    「俺がお前さんのことをどう思ってるか」
    「……えェ。火傷しそうなほど」
    「化け物なんかじゃないよ、お前さんは」
     適当な口説き文句のように聞こえるそのセリフが、忍者さんの本心から発されていることを、お姫さまは理解してしまいます。
     適当に口説くならばこんな醜い顔のお姫さまに言ったりしないでしょうし、何よりも先程の親指の熱が、その熱さを忘れることを許さないように、やけどのようにお姫さまの顎先に残り続けていたのです。この熱が、お姫さまを適当に元気づけるための嘘であるという疑いすら溶かしてしまったのです。
    「……なぜ昨日出会った私にこのような感情を?惚れっぽいのですか」
    「言ったでしょ、ビビッと来ちゃったのよ」
    「一目惚れという事ですか」
    「なにも全部言わんでも……。恥ずかしいじゃない」
    「フフ……。あなたの熱い想いのおかげで、少し冷静になりました」
     お姫さまはこの日、ようやく初めて笑いました。光を吸い込むような真っ黒な顔であるはずなのに、忍者さんはお姫さまの笑顔を感じて、心の変なところがきゅう、と痛くなるのを感じます。いよいよ本格的に恋をしてしまったと、忍者さんはもうどうしようもないような気持になりました。
     忍者さんは好きになった相手にはどこまでも尽くしたくなる性分です。だから、お姫さまの困っていること、辛く思っていること、その全てを解決してやりたいと思ってしまいました。なんでもいいから、お姫さまの力になりたかったのです。
    「なぁ、その花を摘んでもいいかい」
    「何を、言うのですか」
     忍者さんには、左目の花がとても醜いものに見えます。お姫さまから奪った美しさを、まるで自分が元来持つ美しさだと言わんばかりに咲き誇る傲慢さに苛立ちを募らせていました。
    「もうそれは、お前さんには必要ないものだろう」
     分かったような口をきいて、おまえなんぞに何がわかる、と思ったお姫さまは、その言葉が無性に許せませんでした。
     忍者さんとしっかりと目を合わせて、お互いの瞳の奥の心を覗きあって、ようやくお姫さまは気が付きました。忍者さんの瞳の奥の色は、お姫さまの左目の奥から流れていた涙の色と同じだったのです。
    「お前さんに相応しいのは、誰かから与えられた花なんかじゃないと思うよ」
     お姫さまは、何も言えませんでした。
    「摘んでも、いいかい」
     やっぱりお姫さまは何も言えませんでした。何も言えない代わりに、忍者さんが恐る恐る伸ばす手を払う事もしませんでした。
     忍者さんの手が左目の花に触れた時、まるで口付けでもするようにお姫さまは目を閉じました。忍者さんは優しく微笑んで、お姫さまの左目から花を摘み取りました。
     目を閉じてしばらく待っても、お姫さまには予想していた痛みも、それから降るであろう温もりも、どちらも訪れることはありませんでした。それにすこしだけ驚いたので、お姫さまは恐る恐る両目を開きました。
     お姫さまの目に映ったのは、摘み取った紫の花をじぃっと見つめる忍者さんの姿でした。そのまなざしは慈愛でも怒りでもない、いろんな感情がまじりあった不思議な色をしていました。
     忍者さんは優しく摘んだ紫の花をしばらくじっと見つめたり、優しく撫でたりしたあと、突然大きく口を開けて、そのまま飲み込んでしまいました。
    「あ、甘い!あ、でも後味はさっぱりしてるね」
     お姫さまは突然の行動に驚きを隠せません。お姫さまにとっては花を飲み込むというだけでも考えられない行動でした。だというのに忍者さんはそれを全く意に介さないどころか、よく知らない相手の人体に咲く花という常人ならば気味悪がるような花を飲み込んだので、お姫さまはあまりに驚いて、少しだけ後ずさりをしました。
    「なぜ、こんなことを」
    「えへへ。ナイショって言ったら、どうする?」
     忍者さんが、お姫さまが後ずさった分だけ距離を詰めます。お姫さまは反射的に忍者さんと距離を取ろうとしましたが、視界がぼやけて、上手く身体のバランスを取ることが出来ません。足元がぐらついて、そのうちに転んでしまいました。
    「大丈夫かい」
    「えぇ、転んだだけですので」
     差し出された忍者さんの手すらぼやけて見えます。これはどうしたことかとお姫さまは少し思考をめぐらせて、直ぐに原因を突き止めました。お姫さまはとても頭が良かったのです。
     原因は左目でした。もう何年も光を感じていなかった左目は、もう役目を終えたのだと勘違いして、その機能を徐々に失いつつあったのです。あと数年左目に花が咲いたままだったら、きっと完全に左目は眠りについていたに違いありません。
     しかしまだ光を感じるとはいえ、右目との視力の違いは相当なものです。これは慣れるまで時間がかかりそうだとお姫さまが小さくため息を吐くと、忍者さんはびっくりしたように言いました。
    「ど、どしたの。手、汚かったかな……」
     お姫さまが忍者さんの手を見つめたままじっとしているので、どうやらなにか勘違いしてしまったようです。その声にお姫さまはハッとして、思考の海から浮上します。
    「いえ、考え事をしていました」
     お姫さまはそう短く返事して、忍者さんの手を取ります。忍者さんの手はとても温かいので、ずっと触れているとお姫さまの冷たい手は融けてしまいそうに思えて、お姫さまは立ち上がると、直ぐに手を離してしまいました。
     つれないお姫さまに、忍者さんは少し残念そうなそぶりを見せた後、お姫さまの顔を見て優しく笑いました。
    「左目、さっきよりもずっと綺麗になってるよ」
     何のことかと左目のあたりに触れてみると、そこには知らない凹凸がありました。
     塔には鏡が無かったので詳しくはよくわかりませんでしたが、花びらのような凹凸が左目を囲うようにあり、それはきっと額縁のように左目を彩っているのだろうということは想像に難くありませんでした。
    「あなたが食べてしまった花が残した……根のようなものでしょうか」
     お姫さまが冗談めかして言いました。
    「さぁ、どうだろうねぇ」
     忍者さんが曖昧にそう答えます。
    「フフ、これは摘めそうにない花ですね、忍者さん?」
     曖昧に答えた忍者さんの心を見透かすようにお姫さまがそういうと、忍者さんは大げさに肩をすくめて、少し恥ずかしそうにそっぽを向いてしまいました。忍者さんはそっぽを向いた後、意地を張ったような声で言います。
    「おじさん、それはお前さんが生んだ花だと思うけどな!」
     忍者さんがあまりに譲らないので、お姫さまも妥協してあげることにしました。
    「では、そうですね。これは私の左目から逃げ出した視力たちの輝き、という事にでもしておきましょうか」
     明らかにお姫さまが譲歩したことがよくわかる返答でした。しかし、忍者さんはそれで満足したようです。すっかり機嫌を直して、お姫さまの顔を嬉しそうに見ています。
     くすぐったい視線でした。塔に閉じこもって長い時間が経っていたので、お姫さまはもう長い間人の視線から離れていましたから、くすぐったく思うのもありますが、そもそも忍者さんが送ってくるような、生ぬるい熱視線など、お姫さまは一心に受けたことがありませんでした。
     お姫さまが受け取る視線は、基本的には美貌に対して向けられる欲望でした。あの者に花を贈られるまではお姫さま自身の美貌に向けられた、ネバついていてギラギラした欲望の視線を。花を贈られてから向けられる視線は花の蜜を求めるだけで、お姫さまには目もくれませんでした。
     だから、お姫さまにとって凝視される、ということは不快感を伴うものでした。なのに、忍者さんはそのどれとも違う視線をお姫さまに送ります。初めての経験になんだかお姫さまはいたたまれなくなって、そわそわしてしまいました。
    「……なんでしょう」
    「きれいだなぁ、って」
    「……そうですか」
     なんとも歯がゆい答えでした。これでは会話を続けることが出来ません。
     生ぬるい視線を浴び続けて、先程までは真っ黒だったお姫さまの顔は真っ赤っかになってしまいそうになります。お姫さまは何でもないような顔をしながら、与えられる熱をいなすのに必死でした。
    「あァ……!それほど熱心に見つめられると、流石の私でも照れてしまいます!」
     我慢比べに負けたお姫さまが、茶化すように言いました。
    「ごめん、ごめん!お前さん、本当にきれいだからさ。ずっと見てられるよ」
    「美人は三日で飽きると言いますが?」
    「まさか!昨日今日と会っただけであんなに色んな顔見せてくれたじゃない。明日で飽きるとは到底思えんよ」
    「フフ……奇特な方だ」
    「それは、多分お前さんもだよ」
     それから二人は、どちらから言い出すでもなく見つめあって、お互いが惹かれていることを確信しました。言葉に出せば、泡沫に消えてしまいそうな感情でした。お姫さまは初めて想った人に想われて、恋というのはなんと儚い感情なのかと苦しく思いました。この視線を外した刹那、忍者さんの心が離れてしまうかもしれない。もしくは、自分の心が。
     きっと、忍者さんも同じ気持ちでいることでしょう。だから二人は見つめあって、なにも言わずにいるのです。ただ純粋に想いあう二人が同じ気持ちを持って時間を過ごすことは、どんな蜜よりも甘いものでした。
    「……ねェ、忍者さん」
     乞うような声でした。祈るような声でした。なによりも、甘い声でした。お姫さまは忍者さんの目を見つめたまま、お話を続けます。
    「私を、連れ出してはくれませんか」
     この塔には積み重ねた愛憎が満ちているから、それに足をとられてしまって、私は身動きが取れないでいたのです。だから。お姫さまはそう付け加えて、忍者さんの手を握りました。
     忍者さんには、それが嘘だと分かっていましたが、その嘘に見ないフリをすることにしました。忍者さんも、お姫さまも、きっとわるいひとだったのです。
     忍者さんは、自ら生んだ愛憎に囚われているフリをしているお姫さまの手を握り返しました。きっと本当は出ようと思えばいつだって出られたに違いありません。なのに、忍者さんに救い出してほしいから、こんな嘘を吐いたのだと忍者さんは理解していました。だから、その嘘に見ないフリをしたのです。無用な言葉を重ねようとするほど、忍者さんは無粋ではありませんでした。
    「本当に、いいんだね」
     最後の確認でした。これに了承したら、戻れないよ。そういう気持ちをこめて、握った手に力をこめます。忍者さんの熱がとろけて、お姫さまの手に移りました。
    「もちろんです」
     そう返したお姫さまは蕩けるように笑って、忍者さんと同じ温度で手を握り返しました。
     お姫さまが忍者さんの手を握り返した瞬間、忍者さんはお姫さまを強く引き寄せて、そのまま腰を抱きました。突然バランスが取れなくなったので、お姫さまは反射的に抵抗しようと身を捩りましたが、まるで宝物を見るかのような忍者さんと目が合って、すぐに抵抗をやめて忍者さんの腕の中に収まりました。
     忍者さんの手はどんどん下に下がって、お姫さまの膝のあたりまで来たかと思うと、お姫さまの足がふわっと浮きました。
    「お姫さまを抱っこするんだったら、この抱き方しかないよね……!」
     忍者さんはそういいましたが、地に足を付けていないことに対する不安感に、相手の二本の腕に自分の身体全てを預ける不安感。なんて不安な抱き方でしょうとお姫さまは思いました。その内心とは裏腹にその顔は穏やかでした。
    「高いところは平気かい?」
    「えェ。こんな場所にずっといましたからね」
    「遊覧飛行でもしちゃう?」
    「あなた、人ですよね?」
    「なんと、忍者だよ」
    「知っていま、ッ」
     いうが早いか、忍者さんはお姫さまを抱えて塔の外へ飛び出しました。肌を切る空気、心臓が浮いて宙ぶらりんになったかのような浮遊感。高い木の樹頭を川辺の飛び石を跳ねるように渡って、忍者さんは、空を飛んでいました。
    「なぁ、これからどこへ行く?」
    「まずは、東の国へ行ってみませんか?知り合いに挨拶しておきたくて」
    「了解!」
     東の国へ向かいながら、忍者さんに連れられて空を散歩するお姫さまの瞳は、まるで蝶の翅が羽ばたくようにきらきら光って、それはそれは美しいものでした。
     それから二人はどこまでも遠く、一緒に旅をして、最後は小さな国を作って、いつまでもいつまでもその国でしあわせに暮らしたそうです。
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    3501