年末年始 正月は嫌いだ。
名前も知らない、顔も見たことあるようなないような、ようするに悟にとって興味がない他人が、代わる代わる下手くそな笑顔を貼り付けて挨拶にくるからだ。親よりもずっとずっと年上の人間が、年端もいかない悟に媚びへつらう姿は滑稽でしかなく、居心地が悪いったらない。それが息苦しくて小さい頃は逃げ出したりしていたが、年を多少重ねれば自分の立場というものも理解してくる。
五条家相伝の術式を持つ跡取り、今後この世界の中心に立つことが確定しているのだから、いまのうちに悟に顔でも媚びでも売っておこうと考えるのは自然な流れだろう。
ただ、理解したからといって受け入れられるかどうかは別問題だった。大人しく座っていることだけは了承したが、嫌味を返したり、あからさまに不機嫌になったりしては生意気だと陰で言われたりしていた。
そんなことを気にする悟ではないので自由にしていたが、苦痛な時間であることに変わりはない。
だから、悟は正月が嫌いだ。
高専に入ったのも、家にいたくないという理由も大いに含まれていた。高専には寮がある。悟が五条であることは変わらない事実だが、それでも、寮にいるあいだはそれを忘れることができた。
だから、悟は冬休みだろうが実家に帰るつもりがなかった。今年こそあのクソ面倒な正月から逃げられる。そう思っていたのに。
「なぁんで、傑は帰るんだよ!」
「なんでって、寮が閉まるんだから仕方ないだろう。それに、こんな機会でもないとなかなか帰れないし」
寮が閉まるといっても、食事が出ないだけで完全に締め出されるわけではない。居座ろうと思えばできる。食事は外食だってコンビニだってどうとでもなるだろう。
だから悟は、任務に追われるばかりであまりなかった休暇をここぞとばかりに謳歌するつもりだったのに、そこに傑がいないのでは意味が無い。ひとりで寮で迎える正月なんて、実家で過ごすよりも虚しい気がする。
「いいじゃん傑も帰るなよ〜!ゲームしよ、耐久桃鉄」
「帰ってきたらな」
「それじゃあ意味ねーんだよ!」
時間もなにも気にしないでコタツに入ったままゲームしたり映画を見たりして、腹が減ったら食べて、眠くなったら寝る。なんて素晴らしい休暇の過ごし方だろう。
それには傑の存在が必要不可欠だというのに、当の本人はひとりで実家に帰ると言う。これを薄情と言わずになんと言うのだろうか。
「悟だって正月くらい実家に顔出したらどうだ。全然帰ってないんだろう?」
「その実家に帰りたくねーんだって」
「……とは言っても、私ももう帰るって言ってしまったし」
だから帰省の取り止めはできないと苦い顔をしながら傑は言う。
「ちなみに、硝子は?」
「硝子も帰るっつってた」
傑と悟の唯一の同級生も、休みになったらすぐに帰ると言っていた。まったく、正月は帰省するものだなんて、いったい誰が決めたのか。
「すぐる〜〜いいじゃん〜〜」
もはやお願いや提案ではなく、懇願だった。縋り付く勢いで傑に言えば、深い深い溜息が頭上から落ちてきた。仕方ないと言いたげなそれに、悟はパッと表情を明るくさせた。
「いや帰省はやめないよ」
「えっ!」
完全に肩透かしである。いまのは帰省やめるよの流れではなかっただろうか。上げて落とすのはあまりにもひどい。
「悟は実家帰らなくていいんだよね?」
「だからそう言ってんじゃん」
「じゃあ、ウチくる?」
「え、傑んち!?」
「そう。もちろん、悟がいやじゃなかったら、だけど」
傑の実家など、もちろん行ったことがない。あまりにも魅力的すぎる提案のまえに、突然行っても大丈夫だろうかなんて心配は思い浮かびもしなかった。
傑の実家で年末年始を過ごすなんて、寮でふたりで過ごすよりもっともっと楽しくて、特別だ。さっきまで沈んでいた気持ちがあっという間に浮かび上がって、ふわりふわりと飛んでいるような気さえしてくる。
やじゃない、と言葉の代わりにブンブンと首を左右に振ると、傑は目を細めて笑っていた。
「じゃあ決まり。準備しよう。寒いから防寒対策もして」
「わ、わかった!……すぐるぅ」
「なに?」
「俺、友達と年越しとか、初めて」
どうしよう、憂鬱なはずの正月が、あっという間に待ち遠しくて堪らない行事になってしまった。そわそわして落ち着かなくて、楽しみで仕方なくて、どうしていいのかわからなくて、口元がむにゅむにゅと不自然に動いてしまう。
来年はきっといい年になる。始まりがこんなにも楽しいのだから、そうに決まってる。始まってもいない来年に思いを馳せ、悟は表情を緩ませた。
嫌いだったはずの正月が、特別好きになりそうだった。