だから待てって言ってるだろ 隣に座ってゲームに熱中していたはずの悟が、不意に真剣な顔をした。傑は何事かと視線だけを悟に向けて、先を促す。
いつもへらへらと笑っている悟だが、真面目な顔をするとまるで別人のようだった。悟の真顔はまるで触れがたい刀のような鋭さを持つが、表情が乗ると途端に温度を持ったあたたかいものに変わることを、傑はよく知っている。
視線が絡んだので、なに、と笑ってやると、悟は表情をそのままにやおら口を開いた。
「ずっと言いたかったんだけど」
「うん?」
「傑が好き」
言葉が鼓膜を震わせた瞬間、傑はゲームのコントローラを放り出し、ダッシュで悟の部屋から逃げ出した。そのまま隣の自室に逃げ込む。
ドアを閉め鍵を掛けた瞬間、悟の「傑!」と言う鋭い声と、ガチャガチャとドアノブを容赦なく回す音がした。間一髪だ。
電気を点ける余裕もなかったので、真っ暗な部屋のなか、傑はドアの前でしゃがみこむ。
「傑!おいッ!傑!!開けろって!」
薄っぺらい木板一枚挟んだ向こうで、悟が傑のことを呼んでいる。いや、もはや呼ぶ声ではなく叫んでいると言ってもいい。そのくらい硬く、大きな声だ。
防音なんてあってないような寮中に響いていてもおかしくないし、そもそも、いま告白したばかりの相手に向ける声ではないだろう。恐喝か恫喝か。どっちにしろ、喧嘩を売っていると思われる荒らげた声で、悟は傑のことを呼んでいた。
なにを考えるよりも自室に逃げてきたが、果たして選択肢として正解だったと傑は思う。
え、なに。なにが起きたのか。傑は自分に起こった状況をいまさらながら確認した。
今日はたまたまふたりともフリーで、悟の部屋でゲームしながら任務がどうだの、この前食べた期間限定のお菓子がどうだの、どこにでもあるようなありきたりな会話をしていた。と思ったら急に悟が真顔になって、さっきの爆弾発言へと戻るわけだ。
うん、わけがわからない。予兆だとか一切なかったし、悟がそんなこと思ってるなんて傑はまったく知らなかった。
なんでいま言った?え、なに?どういうこと?なんで?なにが?
冷静に現状を把握しようと思ったのに、傑は余計に混乱していた。心臓はばくばくとうるさいくらい響いている。だって、あまりにも意味がわからない。
「オイ傑開けろって」
「いやいやいやいや無理だって」
「なんで?」
なんでってなんで?混乱を極める傑に対し、あまりにも悟は普通だった。まるで、当たり前のことを言ったような。
傑はもう一度さきほどの会話を思い返す。思わず悟から逃げ出してしまったが、もしかしたら普通の会話だったのかもしれない。
家の事情もあるし本人の資質の問題もあって、悟はあまり親しい友人がいなかったようだ。きっと、一緒にゲームするような友人は傑が初めてだろう。だから、もしかしてこれはごく普通の、友人に対する「好き」だったのではないだろうか。
なんだ、傑が自意識過剰なだけだったのか。悟が真剣な顔をしたからうっかり勘違いしてしまったが、悟がそういう意味で傑の事を好きなんて有り得ないだろう。
そう結論付けると、途端に冷静になって落ち着いてきた。勘違いしたことに羞恥心が沸くが、いまさら仕方がない。ふぅ、と小さく息を吐き出した。
「悟があんなこと言うからびっくりしたじゃないか。私も悟のこと友人として……」
「傑、抱きたい。ヤラせて」
鍵を解錠しようとしていた指が止まり、再び傑は頭を抱えた。完全にそういう意味だった。
「……悟、なにを言っているのかわかってるのか?」
「わかってるよ。つか開けろって」
この状況で何故開けると思っているのか。座り込んでいる傑の頭の横らへん、具体的に言うとドアノブのあたりからガンガンと断続的に音がする。早く開けろという催促だ。たぶん、本気でキレている。
「悟、ちょっと待て。冷静になれ。悟のそれは勘違いだ」
「はぁ?なに勘違いって」
「ほら、悟にはあまり友人がいなかったんだろう。だから友情を拗らせてるだけで、悟はべつに私のことが好きなわけではない」
「話聞いてる?傑のこと抱きたいっつってんだけど」
「そうだった……」
「だから勘違いじゃない」
ガンガンという不穏な音とともに悟が言い放つ。
何故いまなのかはさっぱりわからないが、悟の言いたいことはわかった。わかりたくないけど、わかってしまった。だから、ちょっと待て。
「だから早く開けろって!傑!」
「……ちょっと待って」
「なんで。早く顔見せろ」
「無理」
「だから、なにが無理?」
無理なものは無理だ。絶対に開けたくなどない。返事をしたくないわけではないのだから、本当に少し待って欲しい。
そう思って傑は頑なにドアの前で籠城していたが、ドアを挟んでの問答は意外なかたちで決着が着いた。バキン、と一際大きな音がしたと思ったら、傑の体がぐらりと傾く。金属音は鍵が壊された音だろう。やばい、と思ったときにはもう遅かった。
暗かった室内に光が差す。悟がガチャガチャと動かしていたドアノブは、哀れな姿になってその役目を放棄していた。なんて可哀想なドアノブ。修理代は悟に払わせよう。
「傑」
光を背負った悟が、座る傑をじっと上から見下ろす。慌てて表情を隠すように手で覆うが、その程度でどうにもならないし、そもそもいまさらだった。ばっちり見られたことは、悟のやわらかい声が物語っている。
「なにその顔」
だから待ってって言ったのに。数分でいいから、せめて、顔の熱が下がるまで少し待って欲しかった。それなのにこの貧弱なドアノブのせいで、ばっちり見られてしまった。
顔の熱は下がるどころか、さらに熱が集まってくる。耳の先まで赤い気がする。くそ、と内心悪態をついたところで、どうにもならなかった。
「……うるさいな、片思いの相手にそんなこと言われたら誰だってこうなるだろ」
ヤケになって睨みながら傑がそう言えば、悟はぽかんとした表情を浮かべた。そうして意味を理解した悟が、じわじわと顔を赤らめていく。
ほら、悟だってそうだろ。