鏡花水月を掴む(後編)「ゴコク様の嘘つき…」
大木が絡み合い、社まで飲み込んだ岩場にある竜の巣に座り込みながら呟いた。
あの雷狼竜に会いたい一心で並べた生肉は今日も持って帰ることになりそう。これまで、渓流にいたガーグァを一箇所に追い込んで見張ってみたりもしたけれど彼は現れずじまい。あちこち駆けずり回って集めた雷光虫も効果なし。今日はゴコク様が〈大社跡に雷狼竜が出たでゲコ〉と言っていたから期待してたのに。
それと毎回、私が大社跡に行くと言うと妙に絡んでくる教官もなんなんだろう。あのとき、告白もさせてくれなかったくせに。私が雷狼竜に夢中になればなるほど、引き止めるようなことを言うなんて。
「私は愛弟子でしかないくせに」
風とモンスターの鳴き声、遠くから滝の音だけがするこの場所で一人でいると余計なことまで考えそうで…。夜の大社跡は冷えるしもう帰ろうかな、なんて夜空を見上げたときだった。
宵闇の中、気配もなく、知らず出ていた碧い月が鳴き声もあげずに爆ぜた。
「ジンオウガ……」
岩場と岩場の間を流れるような光が尾を引いて、跳ねるモンスターは私の真上の社で止まるとこちらを見下ろす。
碧白く大きな体、しっかりとした四肢は不安定な足場に難なく降りて、その姿に見とれていたら金色の太い尻尾がゆっくりと揺れた。
そして、言葉もなく見つめ合う私達の上に暖かな朧月が浮かぶ。まばたきを忘れていた私が小さく吐息をこぼす前で、彼の体にまとった虫たちはその月に向かい立ち伸びていく。
「…いた」
『嫁ぐ』なんて半分冗談、半分あの人への当てつけのつもりで言った言葉は神々しい姿を見て恐れ多いとすら思った。
それほどに心奪われる美しい獣が今、私の目の前にいる。
感動の再会のシチュエーションは最高。次第に彼の周りに集まる雷光虫も祝福してくれている。
「お覚悟!」
そうして武器を抜いた私が愛しい獣に向かって駆け出すと彼も足場にしていた社を蹴り上げ、こちらへと降り立った。
―○●○―
「ジンオウガさん、お会いしたかったです」
「どこに隠れてたんですか?ずっと探してたんですよ!」
「この前のお礼にたくさんお肉を狩ってきました。どうぞ食べてください!」
さあ、困った。
目の前に山として積まれた生肉とキノコも、俺のそばから離れない愛弟子も。
「綺麗な鱗…」
うっとりとこちらを見上げる愛弟子が恐る恐る鼻筋を撫でてきた。くすぐるようなその手付きに二度、三度、首を振ると〈ガルクは喜ぶのに、〉と不満げに呟く。
あの日から、目に見えてジンオウガに執着し、熱まで出していたらしい愛弟子が本業で怪我をする前に一目姿を見せてやれ、とゴコク様から言われたものの。
いざ、山から姿を現し目の前に降り立った俺に、愛弟子は出会い頭に斬りかかり鉄蟲糸技を繰り出して、落とし穴まで仕掛ける始末。その容赦ない追撃に狩られる!と本能的に恐怖し愛弟子を傷つけることも避けたいため、それはもう低姿勢で彼女の前にひれ伏した。
すると彼女は武器をかなぐり捨てて抱き着いてきたんだからいっそう恐怖が増した。
「先日はありがとうございました」
「今夜の貴方を見て決めたことがあります。聞いてもらえますか?」
この状況でそれは一体、どんなことだい?とたずねたくても、今の俺の声帯から発せられるのは〈グゥ〉と控えめな唸り声だけだ。
そして、それを肯定ととったらしい愛弟子がパァッと表情を明るくして言った。
「私と番になってください!貴方に相応しい女になってみせます!」
その愛弟子らしい素直で直球な口説き文句に、どこかでまた、里長の笑い声が聞こえた気がした。
❀❀❀
ジンオウガさんとの楽しいでーとの後。
里へと上機嫌で朝帰りした私を待っていたのは珍しく元気のない教官だった。
ギルドの受付にはもうミノトさんがいたので帰還の報告を済ませると、一足遅れて教官が茶屋の奥に屋根から降ってきた。お面を外し、朝日に眩しそうに目を細める様子は…元気がないというよりも、疲れてる?
「やあ、愛弟子…おはよう。昨日も遅くまで大社跡にいたそうだね」
「はい! やっとあのジンオウガさんに会えたんです! 本当にいたんですよ! あの時と同じ、頬に傷のあるジンオウガ! お礼のお肉も食べてもらえました!」
駆け寄り、命の恩人のことを報告すると教官は疲れた顔を隠して笑顔を浮かべた。
「それで? もう満足かな?」
「…満足?」
「また会えたなら気は済んだよね? なら、もうそのジンオウガに会うのはやめなさい。もちろん探すこともだ」
「どうしてですか?」
「モンスターだって色々と忙しいだろうし、」
「モンスターが忙しい?」
「ほら、その…縄張り争いとか」
そこで教官が不自然に頬の傷を掻いた。
「そんなふうには見えませんでした」
「人間の目にはそう見えるかもしれないけど…なにより危険だからね」
「危険じゃありません。それに私はあのジンオウガの番になるって決めたんです」
「本気で? なにを馬鹿なことを…」
「バカじゃないです」
「おバカさんだよ。モンスターの番になろうなんてモノ好きは…」
「なるって決めたんです!」
大きな声を出した私に教官は困った顔をする。
言い出したらきかないと昔からよく言われた。でも自分を貫いたその選択に後悔をしたことはない。どれも自分で決めたことだから最後までやり通す。だからか唯一、口を噤むことを選択した教官とのことはいつまでも自分の中でわだかまっている。
あの選択が間違っていたのか、あれで良かったのか。答えは出ないままだ。
今だってあの頃と気持ちは変わらない。
でもあの雷狼竜に何か不思議な縁を感じるのも事実で…。
「愛弟子、よく聞きなさい。モンスターと番うハンターなんて、」
「今日はもう帰って寝ます」
「あっ、ちょっ…待ちなさい、愛弟子!」
二足歩行の雷狼竜が追いかけてくる気配を背中に感じながら前だけを見て歩いた。
なのに「愛弟子、まだ話は…! 教官の言うことを聞きなさい!」背後でギャンギャンと吠える声は水車小屋まで着いてくる。
「もう私のことは放っておいてください!」
「放っておくなんて出来るわけないだろう!」
埒が明かず、水車小屋の前で掴まえると愛弟子は驚いた顔で振り向く。引き止めた腕を見下ろして唇を尖らせた彼女は振り払うわけでもなくそのまま視線を下げた。
「いいじゃないですか、私が誰と…ジンオウガさんと仲良くしても」
「よくない」
「なにがだめなんですか? モンスターだから? でもジンオウガさんは私の命の恩人なのに」
――なにがだめ? 全部だ。そのジンオウガは俺で、俺はジンオウガで。いい事なんて一つもない。キミにはもっと似合いの相手が…
それを口に出せず押し黙る俺を見てか、彼女はさらに言葉を続けた。
「それに狼は一途だそうなんです。ゴコク様が言ってました」
「雷狼竜と狼は違うよ」
「でもあの人は」
「人じゃない、獣だ」
「人みたいな反応するんですよ、ジンオウガさん」
「でも獣は獣だよ、電撃で貫かれる前にキミは手を引くべきだ」
「ジンオウガさんはそんなことしない」
「するよ。キミがそいつの何を知ってる? 他のモンスターと同じでキミのことを傷付けて引きずっていって、逃げられないように急所を噛むかも…」
「そんなこと、しない」
硬い声とともに向けられた強い視線を見つめ返しながら息を詰める。それでも固まる舌を叱咤して出した声は動揺に掠れていた。
「何を根拠に、キミは人間だろう? 俺の……」
そこで慌てて口を噤んだ。『俺の気持ちなんてわかってたまるか』なんて言えるわけがない。
「俺の、大事な愛弟子なんだから危険なことはやめてくれ」
「っ、教官はいつもそう!」
そこで怒って背を向けた彼女は俺の手を振り払うと一度も振り向かずに水車小屋へと入り、ぴしゃんっ! と派手な音を立てて戸を閉める。
「ニャッ?!」
するとそばのお風呂からカジカさんの驚いた声がした。
同時に水車小屋の茅葺きから視線を感じ、見上げるとこちらを見下ろすアイルーが一匹。
「里の英雄がご立腹でござるニャ」
「コガラシさん…俺はもう愛弟子心がわからないよ」
固く閉じた玄関の前で頭を抱えてうずくまる俺のそばに降りてきたコガラシさんが柔らかい肉球で肩を叩く。
「お主がわかってないのは…いや、あとでちゃんと仲直りするでござるニャ」
「あとでって…?」
「今日も夜警は休みでござるニャ?」暗に大社跡に行けと頭領は囁いた。
昨日はゴコク様の命で今夜はコガラシさん。どうやら英雄贔屓の里の面々はこの状況を余計にややこしくしたいらしい。頭が痛い。ウチケシの実は持ってたっけ…。
するとそのとき、
「バカっていうほうがバカです、教官のばか!」
「ニャニャッ?! これじゃおちおち風呂にも入ってられんニャ…」
水車小屋から聞こえた彼女の叫びにまたカジカさんが悲鳴を上げ、こちらに迷惑そうな顔を覗かせた。
❀❀❀
そのおかしな逢瀬は山の奥でひっそりと行われる。
大社跡に向かうとゴコク様に告げた愛弟子はそばに居合わせ、視線が合った俺に頬を膨らませてそっぽを向いた。そしてガルクに乗り里を出た彼女の後を翔蟲で追うこと一山、二山。
麓まで見守り先回りした大社跡の奥地で面を外し巻物を放り投げ、太い爪を見て逃げた翔蟲の代わりに寄ってきた雷光虫を纏う。そして木々が絡まる社から下を覗くとキョロキョロと辺りを見回していた彼女はふいに月を見上げてこちらに気付き、満面の笑みで手を振った。
「ジンオウガさん、今日のお肉はファンゴです。ジンオウガさんは生のほうがいいですか?」
肉焼き機を設置しながら言う彼女のそばに寝そべりながら様子を見ていると小さな彼女はぽすん、と俺の腹のそばに座る。それから胴体に背を預け、辺りを漂う雷光虫を視線で追いながら夜空を見上げると独りでに喋りだした。
「私ね、もしジンオウガさんの番になっても狩りは自分で出来ます!それから料理も出来ます。…狩り場のご飯だけど。どっちも教官が教えてくれて。あ、教官っていうのは私の恩師で」
「元気で、過保護で、うるさくて。よく知らない人には格好いいなんて言われてるけど、ちょっと抜けてるからあんまりモテないんです」
ふふ、と雷光虫の碧に染められ笑っていた愛弟子が急に寂しげな表情を見せた。
「でも今日は喧嘩というか、少し言い合いになって…」
初めてあそこまで意見をぶつけ合った…というよりも、俺の意見をああも押し付けたのは二度目だ。一度目は彼女のハンターデビュー目前。今回は食ってかかった愛弟子もやはり困惑していたんだろう。昼間のような怒りよりもまず今夜は戸惑いを表情に浮かべた。
「ここに来る前も意地張って教官に嫌なことしちゃった…教官は私の大事な人なのに」
「怒ってるかな…嫌われちゃったかも…」
言葉を重ねるごとに足を引き寄せ、膝に顔を埋め、体を小さく折りたたむいじらしい彼女の背を撫でたくても今の俺の爪ではその薄い皮膚を引き裂いてしまう。そもそもが俺のせいでそんな顔をさせているのかと思うと金の角もぺたりと寝てしまった。
さあ、どうしたものかと思案していると、
「すん、」
その微かな音を聞いて顔を上げる。たった一度、鼻を鳴らした彼女に慣らされたガルクのように俺の耳は反応した。小さな頃はその音を合図にわんわんと泣いていた子の涙はもう久しく見ていない。今も我慢しているのか、伏せた顔はそのままだ。今の姿では声をかけられずもどかしい、かと言ってウツシの姿では彼女は本音を話してくれない気がする。そこで、
「ぐぅ」思わず唸ると黙っていた愛弟子が「あっ」と短くつぶやき、顔を上げた。
「教官とはなにもないですよ!なにもないから愛弟子なんです。だから私も、なんとも思ってないです…」
愛弟子が俺の目の奥を潤んだ瞳で見つめる。瞬きさえ控えめに。涙を堪えるとも違うその仕草に覚えがあった。
――キミのそばに何年いると思ってるんだ。嘘をつくときの仕草くらい俺にはすぐわかる。でも今回ばかりはあまり気付きたくなかった。
「ぐるる…」
目尻に鼻先で触れると彼女は目を閉じて首をすくめ、俺の周囲を飛ぶ雷光虫が何を勘違いしたのか人間である彼女の肩にもとまる。すると柔く光る虫に彼女の表情が和らいだ。
「…ふふ、ジンオウガさんとおそろいですね」
そしてしばらく雷光虫とじゃれ合い気持ちを切り替えたのか、笑顔を浮かべ腰を上げると肉焼き機へと手を伸ばす。まるでさっきまでの話はなかったかのように。
「ご飯にしましょうか、今日のファンゴは丸々してて美味しそうでしたよ!」
モンスターの襲撃もなく、食事と散歩、すこしの採取に付き合って自前の灯りも心許なくなってきた夜半。
「ありがとうございます。送ってくれるなんて優しいんですね」
彼女を鼻先で促しキャンプまで送っていると愛弟子はまた寂しげな横顔で呟いた。
「今日はジンオウガさんに関係ない話をしちゃってごめんなさい」
「がう」
関係ないどころか当事者だと伝える口も持っていない。言えもしない。代わりに祠にあった風車を口に咥え、引き抜いて彼女に渡すと驚いた顔をしてその手に取る。高台から吹く夜風を受けてその風車はくるくると回った。
「もしかして慰めてくれてるんですか?」
その問いに「ぐるる」と喉を鳴らすと嬉しそうに彼女ははにかむ。
でも慰めではなく詫びだった。意志を変えられなくとも、頭ごなしに言い過ぎたのは事実だ。“あの時”だってもっときちんと彼女の気持ちに終止符を打っておけばきっと今頃、愛弟子には恋人の一人や二人…。俺がその男を食い殺さずにいられればだけれど。
「不思議ですね、貴方といるとあの人といる時みたいにここがあったかい」
風を受けるたび回る風車を手に胸を押さえ、嘘のない目で言った彼女の横顔が普段よりも大人びて見えて胸が締めつけられる。堪え性がなく、衝動に耐えかねて擦り寄せた頭は彼女の小さな手で撫で付けられた。
俺がキミを巣穴に引きずり込む前に帰りなさい、そう願いながら。
❀❀❀
カムラの里には賢い獣が何頭もいる。
オトモ広場はもちろん。里の中はイヌカイさんが手塩に掛けたガルクたちが行儀よく歩き、西の屋根の上にはフクズク公認のジンオウガ。
そのジンオウガの様子が最近おかしかった。いつもは陽気に話す彼が元気がないどころか、心なしかそわそわとしていて落ち着かない様子をしている。
「どう?最近。鳴き真似の方は?」
「え?あ…ハナモリさん!絶好調だよ、聞く?」
集会所の互いの定位置で茶屋の厨房を挟んで声をかけると、目に見えて本調子でない顔色で彼は言う。寝不足なのか肌の艶もここのところはすこし衰えて見えた。
「いや、遠慮しとくよ。近くで聞いてて俺までジンオウガの仲間だと思われたらフクズクのいるところで作業出来なくなるしね」
「そう…。じゃあやめておくね」
そこで途切れた会話も違和感を覚える。いつもなら隙あらばなんの脈略もなく誰彼構わず自分の弟子の話を語り始める彼が、黙って桜の花を見上げているのだ。静かなウツシ教官はウツシ教官らしくない。そうは思いつつ、アヤメさんの言う通り黙っていれば本当にいい男なのになぁ、と散る花びら越しの彼を見つめた。
そうだ、桜といえば。
「知ってる?遅咲きの桜は狂い咲きするんだ」
「うん?」
ちょうどウツシ教官の見上げていた桜は今、まさにそう。時期外れの満開に知らず目を細める人は多いけれど、今年は開花の時期を逃して生き急ぐように花びらを散らしていた。
「桜も生きているから気候や食害で影響を受ける。その桜は今年は開花から満開まで早かっただろう?これはこれで綺麗だって里のみんなは言うけど、本来の姿ではないんだ」
「へぇ、全然気付かなかった。毎年のことなのに…」
「この里は桜があちこちにあるからどの桜がいつ咲くかなんて覚えているのは一握りの人だろうね」もしかしたら長老すら知らず、自分くらいのものかもしれないと思っていると彼は感心した声で笑いかけてきた。
「さすがはハナモリさんだ!この里の桜はすべて把握してるのかい?」
「まぁ、それが仕事だから。ウツシ教官が里の英雄のことをすべて把握してるのと同じだよ」
そう言って笑い返すと彼は途端に目元を強ばらせた…気がした。でもすぐにいつものように目尻を下げたウツシ教官に話を止めるのも変かと思い、言葉を続ける。
「花は好きだしね。手をかければかけただけ応えてくれるし、たまに思ったとおりにいかないのも楽しい。それはウツシ教官もよくわかるだろう?」
「…そうだね。見ていて飽きないよ」
それが一体、誰のことを言っているのか聞くまでもなく彼の声は甘い。ここのところは喧嘩ばかりだと噂される師弟の事情は知らないけれど、
「もうあの子も一人前だから、いつまで見守らせてもらえるかわからないけどね」
さみしげに呟いた横顔は甘い顔に不釣り合いな傷がある。いつ出来たのか、何故できたのか知らない傷だ。でも小さな頃から見慣れた傷。
…そういえば、この人はもう何歳になるだろう。
竜人や訳アリの多いこの里でわざわざ彼の素性をきいたことはない。
気がつけば里にいて里長が面倒を見ているのだとだけ聞いていた。俺が子供の頃からもうすでに青年の姿で、いやにゆっくりと時を刻んでいた彼が歳を重ね始めたのはいつだったか。
十年、いいやもっと前。
ああ、そうだ。あの子をそばに置いてからだ。
そして今も年々、彼女と一緒に歳を重ねる彼はやっぱり不可解な存在だけれど悪い人間ではない。いや、…人間かどうかはかなり怪しい。化けガルクか、はたまた狐狸の類か。ただ彼が何者であれ、懸命にあの子を育てて里を救うハンターにまで鍛え上げたのは事実だった。
「そういえばこの桜と同じで気候のせいかな?今、見頃の花なんだけど増えすぎた株が余っててね。ウツシ教官なら最後まで面倒を見てくれそうだし、鉢植えにして一つどうだい?」
❀❀❀
昔は狩りをし、山を散策し、たまにやってくるハンターと遊んでいれば満足だった。里に拾われ、人の狩りまで真似るようになって、その遊びにのめり込んでいるうちに盛りはとっくに過ぎたというのに。
歳を増すごとに想いは増えて、複雑な感情を自分でも持て余し、安住の地としたここは彼女との思い出ばかりで気が滅入ることが増えた。
「日当たりは悪くないね」
ハナモリさんのくれた花は鏡の前にある花結の花瓶の隣に並べる。
鉢植えの中で咲く花は可愛らしく可憐で、鏡にうつる花も彼がしっかりと手入れしていただけあって見事。男やもめの部屋には不釣り合いなほどだ。
そして、鏡をなぞる無骨な指の先でも花は変わらずに咲いている。
「遅咲きは狂い咲きする、か…」
ハナモリさんの言葉に思い当たる節しかなかった。あのときの自分は不自然な表情を浮かべてなかっただろうか。
でも花は鏡の中にあれば手折ることもない。たとえ目の前にあっても見ているだけで手にとってはいけない。触れられなくても、いつだってあの子は俺の中にいる。そう自分に言い聞かせて鏡の中の花を爪先で愛でていると、
「ウツシさん、本日も英雄さんのクエストが発注されましたよ。大社跡です。里長が早く向かうように、と…」
外からのんびりと声をかけるヒノエさんとは対称に花を狙う獣は大きく口を開けた。
続