悪魔、あるいはゴーント その転入生は奇妙な娘であった。
スリザリンでありながら勇猛果敢、知的好奇心に溢れており、困った人間を助けて回る。組分け帽子はグリフィンドールかスリザリンかでウンウン唸ったというのが噂だが、あながち間違いではないのかもしれないな、とオミニスは思う。彼女はいつもどこかしらから血の匂いがしていたし、ある時はウィゲンウェルド薬の匂いをこれでもかとばかりにさせていたので、あまり危険な事に首を突っ込むなよと口を出してしまった事もある。──まあ、聞き入れられた事はないが。
レイヴィニアの名前を、オミニスは彼女が転入するずっと前から知っていた。何しろ彼女は己の従姉妹に当たる存在だからだ。ゴーント家にあってマグルと交わったが為に異端とされた魔女、その忘れ形見だと言うのは記憶に新しい。当然の如く家系図からは消され、ほんの半年前にようやっと夫婦諸共殺されたが、娘のレイヴィニアが魔女としての才を開花させた事で面倒な事になっていることもオミニスは知っている──レイヴィニアは知らないことだが。
彼女が紛れもなくゴーントの人間だという事を、生徒の中ではオミニスだけが知っている。レイヴィニア・ファウストと名乗ってこそいるが、生徒名簿にはゴーントと記されている事をブラックが父に溢していたからだ。
レイヴィニアが、レイヴィニアは、と最近妙にうるさい自分の一番古い友人にも絶対に言ってやるつもりはなかった。俺抜きで随分と楽しそうじゃないか、なんて思って。
別にオミニスは彼女が嫌いな訳ではない。そう、嫌いな訳ではないのだがちょっとムッとする、一番古い友人と仲が良いので。本当にそれだけである。
今日も今日とてちょっとムッとしているが、一番古い友人と彼女の間に挟まれているので、そんな事はありませんよとばかりに澄まし顔で魔法史の教科書を開いた。
「おいおいオミニス、どうしたんだ? 魔法史の教科書なんて開いた瞬間に寝てる君がまともに勉強するなんて」
「セバスチャン、そんな事言っちゃだめだよ。だってO.W.L試験もあるし、単位を落としたらまたあのつまらない授業の繰り返しだって聞いたわ」
ころころと笑う声は随分と楽しげで、セバスチャンもセバスチャンで楽しそうな声だ。あの一連の事件があってから浮かない声の方が多いが、それでもレイヴィニアといる瞬間だけはかつてと変わらない陽気さを見せている。
オミニスはからかってくる二人を適当にあしらいながら、ぼんやりと彼女がいて良かったと思う。ただまあ、少し気になるのは最近彼女の方が浮かない声をしがちなところだろうか。
「あ、そうだ、二人共、明日ホグズミードに行かないか? 明日は休みだし、バタービールが飲みたい気分なんだ」
「それってとっても魅力的なお誘いだけど……私、ちょっと外せない用事があるの、だから二人で行ってきて」
「用事? また何か厄介事でも引き受けたのか? それともセバスチャンみたいに罰則か? まあ罰則だとしたら、スリザリン一の優等生にしては珍しいどころじゃないな」
「オミニス、いくら僕でもそこまで罰則まみれには──あー……いや、なってるな、うん」
レイヴィニアは曖昧に微笑んで、教科書のページを捲った。こういう時の彼女はだいたいオミニスとセバスチャンに知られるとまずい状況になっている事くらい二人は分かっていた。まだ三ヶ月程度の関わりしかなくとも、彼女はいつだって波乱万丈な学生生活を送っているのだから。
オミニスは何かを言おうとして、でもどう言えばいいのか分からなくて口を噤んだ。これがアンだったらするりと言葉が出てきたし、セバスチャンにだってそうだったはずだ。けれど彼女はいつだって一線を引いている、セバスチャンにも、オミニスにも。
「お迎えに上がりました、ミス・ゴーント」
凛と透き通る声が、ざわつく談話室に響く。それまで賑やかだった談話室は一気に静まり返り、ゴーントの名を呼ばれた事でひそひそと声がし始める。
通常、寮の談話室は寮生と寮監以外は入れない。それは合言葉を言わなくてはならないからであり、プライベートな場所になるからだ。
そんな場所に、見ず知らずの──それも外部の──人間がいる。聖職者のような格好をした男は、穏やかな笑みを浮かべていた。そして彼は彼女をファウストではなく、ゴーントと呼んだ。しかしオミニスには見覚えがない。ゴーントと呼ぶからにはゴーント家の関係者のはずだが。
「──あ、ごめん、時間だから行かなきゃ」
レイヴィニアは困ったように眉を下げ、教科書とレポートを鞄に仕舞った。杖を軽く振って、制服から見た事のない衣服へ変わる。
険しい顔をして男に近付き、吐き捨てるように言った。
「ここへの立ち入りは禁じられているはずだけど?」
「賢聖がお呼びです」
男は笑みを崩すことなく告げる。
「どうやって入ったのかを答えなさい」
「ゴーントの名を出したところ、すんなりと入れてくださいましたよ──ここの校長の命令で」
「あのクソ野郎!」
話は当然静まり返った談話室では聞こえるので、ただでさえ耳のいいオミニスには会話が物凄くよく聞こえる。
(確かにブラックなら純血となればすんなり聞き入れるからな……)
人望なんてものが存在しない校長を思い浮かべて、クソ野郎と罵りたくもなるなと思った。
「ミス・ゴーント、あなたは──」
「ここではそう呼ぶなと言われたのを忘れた?」
「おっと失礼、ゴーントの名は魔法族にとっては有名なのでしたね」
慇懃無礼という言葉が似合う男は、相変わらず表情を崩すことがない。例えレイヴィニアが顔を歪めても。
自分にとってゴーントの名も血も呪いであるように、きっとレイヴィニアにとっても呪いなのだろう。そう思うとオミニスは居た堪れない心地になる。境遇は違えど、あの悍ましい家に名を連ねているというのはそういうことだ。
「何度も言うけど、私は賢者庁には入らないし、だからといって騎士団や人類を裏切るなんてしない。その証拠に上一級祓魔師として任務だってこなしてるでしょう」
その場にいる誰も彼女の発言内容は分からない。マグルの事なぞ魔法族には分かるべくもないのだ。
「ですが、万が一があってはいけませんから」
「へえ? 手が滑ってあなたを殺す方が先になりそう」
何もない手で何かをくるくると回す仕草をしたかと思えば、黒い何かが握られていた。ぎらりと獲物を仕留めるようなその色に、一部の生徒は怯えるような声を出す。
「今ここで撃ち殺されたくなかったら、とっとと出ていって」
彼女の手に握られているのはボーチャード・ピストルと呼ばれる世界初の実用的自動拳銃である。とはいえ魔法族が大半の寮生は当然それが何かが分からない、しかし男が初めてそこで顔をひきつらせたので生徒達は不思議に思った。しかしそんな様子もオミニスには見えないので、今何が起こっているのかなんてさっぱり分からない。
ズガン! と派手な音を立てて空の瓶が割れる。拳銃は白煙を吐いていた。からからと破片の落ちる音がする。
「脅しじゃあないわよ」
うっそりと微笑んで、歌うように囁く。
「次はその眉間を撃ち抜いてあげましょうか」
ああ、と思う。
オミニスは彼女からゴーントの血をさほど感じていなかった。スリザリンに選ばれたのだって、血筋のせいだろうと思っていた。けれど、彼女は確かにゴーントなのだ。あの笑みは叔母によく似ていて、ああした脅し方は父によく似ている。オミニスもそれをする事があるから分かる。
彼女はどんな姿なのだろう、とオミニスはなぜかこの時ぼんやりと思った。