お前は知らないかもだけど「今日どうする?」
「ごめん。行けない」
「ああ、そう……わかったわ……」
最近ランガが変だ。
「どうしてだと思う?」
「僕に聞くな」
機嫌の悪さをもろに出して愛抱夢が問いかけを一蹴した。呼び出し先がファーストフードだったのにめちゃくちゃ怒っているらしい。
仕方ねえだろ緊急だし。金もないし。
結局半個室のある喫茶店に変えられて、今度はこっちが微妙にソワソワしている。痛み分けってことにしてほしい。
「はあ? お前も知らねえの? 付き合ってるのに?」
「……僕だってさあ」
それだけで割れそうなほど力強くグラスを握る男は、しかし派手に怒る元気も無いらしい。本当に何も知らないうえその事をすごく気にしているようだ。普段のこいつならテーブルに伏せてうめくなんて絶対にしないだろう。
「……いっそ調べてやろうかとも思ったけど」
「……盗撮、やめたんじゃなかったのかよ」
「やめたよ。付き合った日に全部やめた。条件だったからね」
盗撮盗聴周辺の情報奪取をやめてから告白してくれとランガに正論で断られた男はその日の内に「ほとんどすべてやめたから付き合ってほしい」と言いに来た。それで「わかった。付き合う」となるのだから、ランガも不思議なやつだ。
「もし、もし仮にだが。僕が条件を破ったことがランガくんにバレたなら……プライドがもたない」
ランガが悲しむとかじゃないのがこの男らしい。
「あーじゃあやっばお前にもわかんねぇんだな」
これで事情を知ってそうなやつは全滅だ。
「本当に何やってんだろ、最近のアイツ。新しいバイトとか?」
「ふん。そしたらまず君とランガくんのバイト先に話がいってるだろ。もう少し考えて話してくれないか」
そっちだって知らない側の癖に何を威張ってるんだ、この男は。
「……浮気」
「!」
愛抱夢が跳ねるように立ち上がった。店員が近づいてきたので手だけで問題ないと示す。再び座り、地獄のような目でこっちを睨んだ。
「貴様ァ……!」
「悪い」
まさかここまで反応いいとは思ってなかった。普通に申し訳ない。
「ランガくんが不貞行為なんてするはずないだろう」
「不貞って……」
まあ愛抱夢的にはあながち間違ってもいないのか。一時はランガのことを魂の伴侶ってやつだと思ってたらしいので。
「彼は二心を抱けるような子じゃない。一人の男を愛す清らかな少年……そう、僕のような美しい男をね……」
言ってることはよくわからないが、言いたいことはわかる。
「まあ確かになあ」
ランガはとにかくまっさらだ。感情はあまり外に出さないだけで豊かだし、どれもが純粋。だから器用な真似もできない。例えば浮気なんかしたらすぐに自分から言ってしまうだろう、「浮気したから別れてください」なんて、真面目な顔で。
そう。真っ直ぐなのだ。だからここで恐れるべきは。
「……犯罪」
同じ結論にたどり着いたらしい。男が淡々と言葉を乗せていく。
「恐喝。脅迫。詐欺。運び屋。恋泥棒……」
最後のはおかしくないか。
「こうしてはいられない!」
テーブルを叩いて勢いよく愛抱夢が立ち上がった。
「やはり僕が直接行って彼の身も心も救わなくては!」
「おう、行ってこい」
もう少し俺は休んでくからと言う前に手首が異常な力に捕まる。
「君も来るに決まってるだろ」
「はぁ!?」
「何かあったとき僕一人では間違いなく破局の危機だからね。いざとなればすべて君になすりつける」
「ふざけんな、誰が……!」
激昂しようとしたがさっきのテーブル叩きのせいで店員がまた来てしまった。黙る他ない。
「いえ、大丈夫です。すみません……いえ、はい。会計お願いします」
変な格好に似合わない感じのよさで対応しながら男はこちらが逃げないように手首を容赦なくねじり回してくる。
「……ッ! ……!!」
「お気遣いなく。彼は少し体調が悪いんです」
クソ……いざとなったらこっちだって道連れにしてやるからな……!
「よし、この辺りだな」
「なんで着替えたんだよ」
「何言ってる。目立ったらまずいじゃないか」
その格好も大概目立ってんだよと言うのをを呑み込む。もう一度着替えられたらたまらない。
愛抱夢はあの目立つ赤い衣装から目立つ真っ黒なスーツになった。SP風というか、サングラスまで着けてこんな場所以外だったらおーかっけーくらい思うかもしれない程度には様になっている。ただここは。
「商店街なんだよな……」
夕方の、人の温かさが染みる風景にかっちりした黒スーツの男。どうしたってミスマッチだ。
「そもそもなんでランガがいる場所の狙いがついてんだよ。全部やめたんだろ」
「僕はやめたさ」
あまりに言い方に含みが多い。さてはコイツ。
すたすた歩く男に着いていくと、こっちも商店街に似合うとは言いがたいスーツの男が電柱の横に立っていた。
「お待ちしておりました」
「スネーク!」
「S以外でそう呼ぶんじゃない」
「お前らまさか……!」
「おい、どうなってる?」
「あちらの方角へ。行き止まりです」
「聞、け、よ!」
スーツ二人が嫌そうにこちらを向く。
「愛抱夢お前……やめたってのは自分がやらないってだけで……コイツに全部やらせてたのか!?」
「そうだけど」
「そうだけど、じゃねえ!」
さも当たり前ですが、みたいな顔をしているスネークもスネークだ。
「ランガはお前のこと信じて付き合ってんだぞ!」
「ああ。信じてくれただろうね。彼の言う条件とやらは僕は確かにクリアしたんだから」
小馬鹿にするように愛抱夢が首をかしげる。
「まあ高校生の考えられる条件付けなんてその程度ってことだよ」
「汚ぇぞ! 大人の癖に!」
「これが大人の恋の戦い方だ! 次汚いと言うか今後ランガくんにバラすかしたら、彼のついでに手に入った君の恥ずかしい秘密がご町内にばらまかれるからそのつもりで口を開くんだな!」
「……ぐっ……!」
なんでコイツと付き合ってんだ、俺の親友!
「さて行くとしようか。早く来るんだ、置いてくよ」
汚い大人が勝ち誇って通りに消えていく。
「……あの方に口で挑もうとしない方がいい。痛い目を見る」
「今見たばっかだよ……」
とぼとぼと歩きだせば「もっと急げ」と背中を叩かれた。今日は厄日だ。
「愛抱夢、ランガいたか?……愛抱夢?」
行き止まりの手前で愛抱夢が突っ立っている。
「おい、どうしたんだよ」
「……そうだったのか」
愛抱夢は斜め上を見たまま動かない。倣って顔を上げてみたが目の前の雑居ビルの看板群があるだけだ。解らないのも癪なので、とりあえず読み上げてみる。
「えーと、一階スナック、二階バー、三階……ダンス教室? へーこんなとこにもあるんだな……」
タイミングよく三階のドアが開いた。教室が終わったらしい、おじさんとおばさんがぞろぞろ出てくる。
その中に一人まったく混じれていない背の高い若者がいた。
「ランガ!」
「えっ、あ、暦!? ……と、誰?」
「ランガくん。僕だ」
「ああ、愛抱夢か。ちょっと待って、すぐ行く」
内階段から降りてきたランガはSで一戦交えた後みたいにうっすら顔が赤い。
「なんでここに?」
「彼が君の後を追おうと――」
「それはこっちが聞きてえよ!」
速攻で人のせいにしようとした男の声に大声で被せる。ランガ悪い、後で謝るから今だけ誤魔化されてくれ。
「お前、ダンスやってんのか!?」
「うん……まいったな、当日まで秘密にしようと思ってたんだけど」
「……わかったよ、ランガくん!」
愛抱夢が髪をかきあげるなり声を張り上げた。
「そういえばそうだ。簡単なことだった、日付は完全に一致していた! 気づけなかった僕を許しておくれ!」
ランガの両手を握って、すっかりご機嫌だ。
「あのフラメンコ教室……覚えているよ。君を激しく抱いた日のこと……」
「変な言い方してんなよ」
「しかし……それにしても君は下手だった。ああいいんだよ、少しの欠点も愛らしいから。でも本当にあの日の君の踊り……機械人形もかくやという感じだったね……」
「ああ……」
それは少しわかる。ランガはとにかく音楽にノれない。
「だから君はここで秘密の特訓をしていたんだ。再び手を取り合ったとき、美しいステップで僕を魅了するために……! そうだろう? ねえ、そうだと言っておくれ……」
「違う」
「えっ!?」
思わず驚いてしまった。この流れで違うことってあるのか。
ランガが愛抱夢のほうを向く。その瞳が――なぜか燃えている。
「確かにあの日、俺は全然踊れなかった。でも散々振り回されたあと何度も「情けなくて可愛い」「そんなんじゃパートナーにできない」「無様で可愛い」って言われて……悔しかった」
お前そんなこと言ったのかよと愛抱夢を見れば完全に呆けていた。無理もない。どんな切れ者だってこんな展開読めないだろう。
「だから俺、決めたんだ。愛抱夢に負けないくらいフラメンコだってうまくなってやるって」
ランガは真っ直ぐに言葉を使う。それは相手の言葉を受け止める時も変わらない。そんなやつをこの男は意図こそ違えど挑発してしまったのだ。「可愛いけど早くうまくなってね」ってそのまま言えばよかったのに。
「一週間後の教室交流会――勝負の場所はそこ。絶対に来て。じゃあね」
「馳河くんお友達?」「親友と付き合ってる人」おじさんとおばさんに囲まれてランガが去っていく。
愛抱夢は動かない。近寄って肩を抱いた。流石にここで追い討ちをかけるほど、自分はガキではない。
「ああいうヤツなんだよ」
さっさと覚えた方がいい。お前が恋した子供は確かに清くて純粋だけど、とんでもなく頑固で変わってるんだ。