大衆向け幸福「愛抱夢ってさ」
俺とどうなりたいの。元少年はそう言ってグラスの中身を飲み干した。
「……君の声はいいね。雑踏の中だろうが君のなら聞き分けられる気がするよ、僕は」
「そう――すみません」
コールがざわつく店内にあっさり飲み込まれる。
「あなただけみたい」
「なに、丁度手が空いてないだけだよ」
ここに来てから彼へ視線を向けた店員は片手を下らない。今は本当に全員出払っていたようだがその内競うように向こうから来ることだろう。
「答えて」
囲むように積み上げた皿の中、ランガがじっとこちらの出方をうかがっている。これは答えを言うまで帰してもらえなさそうだ。それもいいけど。
「どうなりたいって、何度も言ってるけど君の恋人になりたい」
「もっと」
「……えぇ?」
酔っても変わらない無表情に少しシワが寄る。
「もっと」
「……具体的にってこと?」
頷いた。この元少年の言葉を汲み取るのも随分慣れたな。
「……そうだな」
高校生だったランガを見初めて早数年。数度の告白もなあなあに終わり、もう勝ち筋の見えそうにないこの関係をずるずると続けていくのだとぼんやり思っていただけに、改めてこういうことを考えるのはそれなりに心がざわつく。彼からこういった話を振られるのが初めてだというのもぐらつきに拍車をかけた。
「……同棲とかしたいな」
「どんな?」
「君ねえ……」
好きな子との理想の生活を本人に向けて言えと。ここまでそれなりの量飲んでいるとはいえ、今日は求め方がやけに大胆すぎる。
「ダメならいい」
「……はあ」
彼のこの顔が心から残念がっていると解る程度には自分達は一緒に居た。居すぎた。
残っていた酒を全て身体へ入れる。心臓を無理に動かすような熱さに後押しされるまま口を開いた。
「朝目を開けると君がまだ横で寝てるから起こしてあげて……」
完全に目が覚めるまで付き添って最初の「おはよう」をもらう。一日の始めも終わりも自分の物にしたい。
「朝食を食べたら君の服を選んで」
髪も服も自分好みに整えて。時には彼に選んでもらうのもいいだろう。
「ああそうだ。靴も履かせたい」
「……ちょっと待って」
「何?もう終わりでいいの?」
「うん……」
「……まだ言えるよ。食事は手ずから食べさせたいしシャワーの後髪を乾かすのもしたいし」
「いい。ごめん」
ようやく来た店員に飲み物の追加を頼んだランガが、不安そうに尋ねてくる。
「……俺、そんなに何もできなそうな感じかな」
「いや。僕がしたいだけ」
「でもそれじゃ赤ん坊と同じだ」
「赤ん坊でもいいよ」
彼の表情が更に歪んだ。言ってる意味がわからない、と暗に告げてくる。
「いいんだよ、僕はもう君となら何でも」
彼もかもしれないだが、自分は多数派としての性愛を持てない人間らしいと薄々気づいてきた。恋人になりたいと言うのも言葉のあやだ。単純に彼と互いを優先する関係になりたい。例えば赤ん坊と親とかでも全く問題はない。
「一緒に居られれば、何でもいい」
笑えるだろ。こんな馬鹿みたいにうるさいところでも君が居ないより何億倍もいいんだ。
「……愛抱夢ってさ、俺となら何でもいいんだね」
「ようやく気づいたの?」
「うん」
「ならもっと近くに来て」
「テーブルある」
「……手を」
彼のそれに自分のものをそっと重ねた。これで息が出来る。