あなたの良き日、凡庸な奇跡 手応えを感じる。二十数年まだ彼が公的には己の主人で無かった頃からその誕生をささやかにであったり豪勢にであったり様々祝ってきたが今日この日こそこれは喜ばれると確信したことはない。
大きな理由としてはやはり見付かったことだろう。
主人は清浄で美しいものを好む。同時に破滅へ誘うような刺激を求めている。そのどちらもを以て祝えたならば確実に彼は喜ぶ筈、しかしそれを可能とする方法が今までどうしても思い浮かばなかった。正解を知りながら絵空事と諦める他無かったのだ、以前は。
そう。相反する要素二つを内包する――少なくとも話を聞いたところでは主人はそのように感じているらしい――一人を主人が見付けたことで、加えてその一人を主人がいたく気に入ったことで道は開けた。
絵空事では無くなった。ならば現実にするしかあるまい。
そう密かに燃やしていた意欲が伝わってしまったか、主人も今年の趣向について早くから察していたらしい。提案は声に出すより先に受け入れられるどころか待ちかねていたとばかりに事細かな要望達に飛び掛かられ姿を変えていた。今より数か月以上前の出来事である。呆然としながらも思ったものだ。来年もそれ以降も個人的な誕生祝いの大筋は決まったな、と。
そしていよいよ当日である。“準備”は全て運び込み配置済み。説得も無事済ませた。後は今朝から既に弾むような足取りを見せていた主人を迎え入れるのみ。多少のアクシデントは発生するかもしれないが必要以上に怯えることも無いだろう。何故ならこの場には例の主人のお気に入りが居る。彼と主人を積極的に関わらせていれば途中何があろうとこれから起こることは全て良き日良き記憶として主人の心に残るに違いない。結構なことだ――。
「……あのー、おーい。聞こえてる?」
力の抜けた声のする方へ向けば、準備その二が苦い顔でこちらを手招いていた。
「聞こえている。何だ?」
「いやこれ、まずいんじゃね?」
言いたくないが言う他無い、とでも言いたげにその二は指を立てる。それは幾つもの飾りを挟んだ向こう側を指していた。そこに居るのはその二と同じく飾りに埋もれ主人を待っている準備その一の筈、だが。
「待て。何故彼は寝ている?」
「眠くなったからだろうな……睨むなって、そういう奴なんだよ」
「睨んではいない。理解出来ないだけだ」
「安心しろ、そのうち慣れる。で、どうする?」
「起こすに決まっているだろう。今――」
その一の肩に手が触れるまであと数歩のところで耳が物音を捉えた。思わず全身を固くする。
「何だ。もう出来上がっているじゃないか」
物音は扉付近から聞こえていたからだ。
扉が閉まる音がしたなら続けて大半を吸収された靴音がこちらに近付き瞬く間に横を抜けて行った。当然止める間もなかった自分とその二は色の悪い顔をただ見合わせる。そうすることでこれから悲しい事件が起こるだろう現場から目を逸らしつつ、その時を待った。
「待たせたねランガくん。それじゃあ記念すべき日、僕の誕生日を君にたっぷり祝ってもらおうか、な……」
言葉尻は不自然に区切られ、続けてぽつりと「寝ている?」と呟きが落ちれば広がる静寂。突如としてあまりにも重くなった空気を誰も取り払わないまま数分は経過していただろうか。真っ先に耐えきれなくなったのは自分だった。だがしかし自分が何を言うよりも早く部屋内の空気は再び一変し元の通りに戻っていた。
「始めろ」
こちらへそう告げながら『お気に入り』の前髪を整えていた主人によって。
命令に従う以外の選択を自分は持たない。それこそ一度捨て迷いの果て取り戻した己の誇りである。だとしても急ぎ用意を進めるなかこれで良いのだろうかと僅かに悩んだが、しかし中心に座する主人の様子を眺める内にあっさりそんなことは忘れていた。
「ほら君、もっと笑いなよ」
「楽しくも無いのに笑えるかっての……あー、俺も寝とけば良かった」
「今からでも寝れば?起こし方は少々手荒になる予定だが、受ける覚悟があるなら」
「隣見えてるか?」
「勿論」
「手荒な起こし方は?」
「する訳無い。そもそも眠っているのに起こしたら可哀そうだろう。君は鬼か?こんなにラブリーな寝顔を見て何も思わないのか?」
「寝顔関係無いし見ようとしても見えねえんだよお前の置いたハートが邪魔で。見せたいならそれどかせ」
「断る。後で印刷した物を送るからそちらを存分に見ると良い。本物は僕のだ」
一層機嫌よく主人は笑い『お気に入り』へと身を寄せた。大事に抱え込むように、傍に置き見せびらかすように。『お気に入り』はすやすやと眠りこけていて美しさも刺激も主人が求める基準には遠く及ばないだろうに関係無いと言わんばかりにいつも通り。そしてまた大きく口を開け主人が笑ったなら、瞬間心の中にふっと言葉が浮かんでいた。目を向けながら思う。誰であろうとも今の彼へこれ以外の言葉を贈ることは出来ないだろう。
「愛抱夢」
思わず呼び掛け、楽しそうですね、と言ってから自らの過ちに気付き慌てふためく自分へ、ただ彼は「ああ」と。そこにはあらゆる負の感情は含まれておらず受容だけがあった。
水を差さず済んだ事実に文字通り胸を撫で下ろし、それから数度、内のあたたかいものを溢さないようそうっとさする。
複雑で底知れない選ばれた人。彼をたったひとことで言い表せる日が、それを彼自身が受け入れられるときが訪れた。いいや。おそらくとうに訪れていた。
先程の返答。あれは自然だった。初めてではああ上手くはいかない。誰かが居たのだ。その内を見つめ、ありのままの彼へ声を掛けた誰かが。それはきっと。
まだ主人は笑っている。
見付けた一人の横で楽しそうに笑っている。
「楽しい。だってなあ、愛おしいだろ」
頷くだけの返事はおざなりに見えたかもしれないが指摘されることは無かった。それを良いことに何も言わないまま、また胸をさすった。
「確かに楽しそうだけどさあ……本当にいいのか?悪者になりたくないっつうなら俺が代わりにランガ起こしてやってもいいけど。誕生日だし、それくらいは受けてやるよ」
「いや、いい。むしろ声は抑えて。彼が起きかねない」
「起きた方がいいだろ。お祝いくらいは言う気だったっぽいぞ、聞きたくねえの?」
「聞きたいさ。だが彼を目覚めさせるのは声では無い。真実の愛だ」
「あ、愛?」
「聞いたことくらいあるだろう?もしくは読んだこと」
「……ランガー……早く起きろー……」
「まだ起きなくていいよランガくん。けど僕が君を愛したならその時は目を開いて一番に僕へおはようを言って欲しいな。だって今日は――」
さする手が止まらない。何としても溢さないようにしなければ。主役が笑っているのだ、自分が泣いてどうする。
↓載せ忘れたsss
置いたと思ったら間敷き詰めて、ついでに抱かせて、そのうえそこにセットすると。はいはい。
「何?欲しいなら君にもあげようか?どうぞ」
「要らね」
「ただし位置は自分で決めるように。撮影中も君が気にするんだ。僕はこちらに守らなければいけないものがあるからね」
こちらって真ん中のハートとランガどっちだよとも守るって何からだよとも訊きはしない。どうせ「どちらも、僕らを阻むものから」なんて真顔で言われて疲れるだけだ。