獅子に花束『気になる人にある花をプレゼントするとあら不思議 想いが届くって言う都市伝説がある
一輪だけ渡すと自分のツライ想いを押しつけられる 花束で渡せば相手のツライ想いを自分が奪うんだとよ』
刺青が目立つ胡散臭い男が口にするにはどうにも不似合いな、あまりにロマンティックな伝説。ナギはそういった都市伝説を信じる方ではなかった。否、ない筈だった。
「宣伝、すぐ終わったな」
「時間かからなくて良かった、O-EASTに急ごう」
勢い良く、駆け出す少年たちを後ろから見送りつつ、売れ残ったハナショウブが妙に気になってその場を動けずにいた。何の役にも立たない花にどうしてこうも惹かれるのだろう、自分でも理解が困難だ。
「お嬢ちゃんも買ってくか?」
「……いえ、」
葛藤した。そして前向きに考えている自分に愕然とした。買って何になりましょう?渡す相手もいないというのに?正直誰とも考えていなかった。ダイブする際に何らかの策で心の主にうまく渡し、気休め程度に和らげて時間を稼げれば……と思った程度だ。
「ナギ、気に入ったのか?」
「……買うかどうかはともかく、このように花を見たのは久しぶりでござる」
「そか、好きなら買ってけばいいんじゃないか」
確かに、花を愛でる程度の余裕はあってもいいと思ったのかもしれない。ビイトの言葉に背中を押されたのもあり、手持ちのバッジをいくつか売却し、交換するように3輪のハナショウブを手に入れた。凛と咲く菫色の花を丁寧に押し広げ、リュックの中に常に持ち歩いている大判のレガスト・ガイドブック(注:初回限定版)の表紙裏に挟み込み、シワにならないよう少し手で圧力を加えた。
花というのは大概日持ちしない。花弁の薄いハナショウブもすぐに褪せてしまうだろう。その点、押し花というのは良い。きちんと乾かしてしまえば、多少色落ちはするもののそれ以上悪くなることはない。
ガイドブックを多少振ってもショウブの花が落ちないことを確認し、ナギはそれを元通りにリュックの中に仕舞い込んだ。
それから何日かの日が過ぎ去った。
彼女は何故か、想い人……と良く似た人と再会を果たした。推して止まない「トモナミ」と酷似した眉目秀麗な黒服の男を再び目にしたときは胸が踊ったが、その目に宿る炎に愕然とさせられた。以前の、孤高でありながら余計な敵意を感じさせない澄んだ瞳とは全く違う。ノイズに取り憑かれた一般人に良く似た……堕ちた目とでも言うのだろうか。そして彼は - - - 実際にノイズを吸収し、まるで巨大な黒獅子のような化物へと変貌した。
「アアアァァッ!」
「み、ミナミモトさん……っ!?」
少年たちの縋るような問いかけに答える間もあればこそ、彼は爪を大きく開いて掴みかかってきた。
熱波の攻撃を間一髪で交わし、手にしたバッジから水流を出して獅子を閉じ込める。
ラジアンがッ、と忌々しげに漏らすその口調には隠しきれない苦しみが滲んでいる。強い敵意を持った瞳に射抜かれるたび、心に鈍い痛みが走った。
ああミナミモト様、貴方は何に焦がれ、何に苦しんでいるのでしょう。貴方の苦しみを分かち合うことができればいいのに。
そんな関係ではないとは痛いほど理解していても、彼のために何かできたらという苦しい希望を捨てきることができなかった。
「……」
やがて戦いは終わった。辛くもツイスターズは獅子の猛攻を凌ぎ切り、装甲を砕いてミナミモトに一勝をつけた。再び襲い掛かったところを強力な助力者に打ち破られ、ミナミモトはそのまま地面に倒れ伏す。
「ネク」と仲間たちが状況確認に必死になっている隙を見て、こっそりと後ろ手でリュックのジッパーを開け、ガイドブックの内側を手探りで調べる。表紙の裏の部分、3輪のハナショウブはどうやら無傷で残っていた。後ろ手のままそれを握り取り出そうとして、しかしどうしても手を引き上げることができなかった。倒れ伏す彼にハナショウブを渡してあげたかったが、それではまるで - - - 弔い花になってしまいそうで怖かった。
彼の辛い想いを引き取ってあげられれば、と思った。想いが届かなくてもいい。ただその心を少しだけ、少しだけでも分かち合ってくれればと願ってしまっていた。しかし結局きっとその願いすらも烏滸がましいものだったのだろう。
何よりの障害が、理由を見つけて想いを伝えられない自分自身にあることはわかっていた。それでも一歩踏み出すことができなかった。
ナギはそっとハナショウブをリュックにしまい直し、貴方の願いが叶いますように、と心の中で祈りを捧げた。