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    限界羊小屋

    @sheeple_hut


    略して界羊です

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    限界羊小屋

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    ヨシュ->ネクシキ
    新後とずっとずっと後、死ネタ有

    memorabilia 外光の差さない黒い部屋だった。
     床に刻まれた紋章や設えられた白いモニュメントがぼんやりと発光するため中の様子が見通せないわけではない。しかし壁や天井を単調に彩る黒は光を吸い込むように深く、高さや奥行きがどこまであるのかは分からない。そのせいか、渋谷川暗渠奥から繋がった地下空間であるはずのそこは、まるで遮るもののない暗夜のようにがらんと広がっているようにも見えた。
     白いモニュメントのうちの一つ — うねる蛇が描かれた塔の下に背の高い椅子が一つだけ置かれ、灰の髪をした青年が憂鬱げに腰掛けている。傍らには人二人分ほどの本棚が設えられている。ぎっしりと並んでいるのは硬質な背表紙。“Shibuya” をはじめとして、“New York” “Paris ““Moscow” など世界中の街の名前がタイトルになっている。
     青年は自ら治める街の名を持つ一冊を手に取り、パラパラと捲った。渋谷川、スペイン坂、キャットストリート。かつて在った風景の上の一瞬が写真として切り取られ、時に取り残されたかのように鮮やかに焼きつけられている。取り留めなく紙面を捲っていた手がそのページで止まった。
     色とりどりのグラフィティに彩られたウォールが、写されている。

    * * * *
    「ネクくん、暇なの?」
     壁の上から降ってきた声にネクは顔を上げる。ガードレールの外側、ウォールの際に腰掛けたヨシュアが紫色の眼差しを投げかけていた。少し呆れたようにも見える陰の差した顔に、ネクは心底から嬉しそうな表情を向けた。
    「ここなら会えるかと思ってたけど……遅かったな」
    「さすがに可哀想になってきたからね。この寒い中3日間もご苦労様」
    「気づいてたんならもっと早く声かけてくれよ」
     はぁ、とヨシュアは溜息をついた。そのままコンクリートから腰を浮かせ、壁を蹴って空中に身体を投げ出す。ふわりと外套の裾をひらめかせながら、ネクの目の前にすとんと静かに着地した。
    「余計に干渉したらネクくんに負担がかかるでしょ」
    「それくらい上手いことできるだろ」
    「できるけどさ。……僕の気も知らないで」
     あの時僕のことフったくせにね、と未練がましい様子を作るヨシュアに、ネクは詫びるように眉尻を下げた。
    「ごめんごめん。でもたまに会うくらいいいだろ? 友達、なんだから」
    「友達、ねえ。それで今日は何の用?」
    「あぁ、今日っていうか一昨日になっちゃうけど」
     そう言いながらネクは背負っていたリュックを探り、中からひと抱えほどの袋を取り出した。「誕生日おめでとう。これ、プレゼントだ」
     押し付けられるままに受け取った茶色い紙袋はずしりと重い。硬く感触と大きさから判断するに、おそらくは大判の書籍だろう。
    「誕生日なんて僕言ったっけ?」
    「言った。ってか3年前に無理やり押し付けてきただろ」
    「……そうだっけか」
     そうだよ、とネクが苦笑する。2週目のミッションには空き時間が多かったこと。気が逸る様子のパートナーを他所に、ヨシュアが服飾店や飲食店での寄り道に時間を潰したがったこと。4日目の昼下がり、「ラパン・アンジェリーク」のシルクハット風アクセサリーを弄びながらヨシュアがふと口に出した言葉。
    — これくらいならネクくんのお小遣いでも手が出るかな?
    — ……何のつもりだ
     不機嫌なネクの目線にもヨシュアは全く怯まない。
    — 僕の誕生日、11月1日だから。プレゼントしてよ……まぁ、ネクくんが好きなジュピターとかでもいいけど
    — は?勝手に決めるな
    — 覚えておいてね
     そんなやり取りがあったきり、次の週のゲームでネクとヨシュアは袂を分つことになってしまった。それから3年間、とある事情によりネクはヨシュアどころか現実世界の誰とも交流がないままに時間を過ごす羽目になった。
    「……結局3年越しになっちゃったし、ラパンアンジェリークは潰れちゃってたけど。代わりに俺のチョイスで選んだ」
    「開けてみても?」
    「もちろん」
     ごわつく紙袋を開けると、そこに入っていたのはやはり大きな書籍だった。表紙には見覚えのある街の写真が何枚もプリントされている。まだ手垢のついていないその1ページを捲ると、そこには自らが今立っている場所と同じ光景が広がっていた。視界を遮る灰色のウォールとその上の白いガードレール、住宅街。
    「……宇田川町?」
    「そうだ」
     二つの光景の差異はただ一点だが、それだけに際立っていた。
     写真の中にある色鮮やかなグラフィティは既に目の前にない。渋谷インバージョンの一件の後に治安/景観維持のための区の取り組みにより、すっかり消されてしまっていた。写真の中にだけ、踊るような文字とイラストがそのまま残されている。
    「あの頃から結構渋谷も変わっただろ?だからおまえもあの頃のこと思い出したりするかなって思って」
    「ふぅん……3年前の写真集なんて、よく見つけたね」
     ヨシュアは次々とページを捲る。スペイン坂にあるホットドッグ店は閉店し、裏びれた流れに過ぎなかった渋谷川は今や真新しいセメントで真っ白に舗装されている。 — 二人で訪れたラパンアンジェリークやワイルドキャットも、今はもう無くなってしまっていた。
    「ヨシュアも覚えててくれると良いなって思ってさ。受け取ってくれるか?」
     ネクはいじらしく両手を合わせた。3年前なら決して見れなかったような戯けた仕草。それをヨシュアは眺め、しばらく眺めてからフッと観念したような吐息を漏らす。
    「仕方ないから貰ってあげるよ」
    「そうしてくれ」
     贈った側のはずのネクの方がなんだかずっと嬉しげにしている。そんな元パートナーの様子を見ていると、胸の奥に抱いていた複雑な感情が滞りなく溶かされていくような気がした。かつて彼に執着し、勝手な期待をかけて振り回し、あまつさえヒトの生を捨てて高次元の世界に誘おうとすらした。その願いが断られてからは強いて会う機会を設けなかった。— 再び彼を自分の我儘に絡めとってしまわないように。
     そんな縺れた感情も、目の前の素直な笑顔を見ているとさらりと流してしまえるような気がした。
    「……ありがとう、ネクくん」
    「どういたしまして」
     彼からの最初のプレゼントは、当時より3年分若い渋谷の写真集だった。


     * * * *
    「……ヨシュアは読書が好きなのか」
     暗い空間を唐突に裂いた声に、ヨシュアは顔を上げる。片側の髪だけを長く垂らした端正な青年が、貼り付けたような笑みを浮かべながら自分を見下ろしていた。
    「やあハヅキ。入ってくる時は声くらいかけた方がいいよ」
    「ヨシュアなら分かるかと思ったんだ」
    「僕はいいけど、その振る舞いはRGでは失礼に当たる。どうせ僕だからってのは後付け、いつもそうしてるんでしょ?」
    「下位次元を訪ねるということもそうないからね」
     ヨシュアは一旦ページをぱたりと閉じ、黒衣の青年 — ハヅキに向き直る。彼の目線はヨシュアが手にしていた本から、椅子の脇にある大きな本棚へと移っていく。
    「すごい数だ。それも全部読んだのか」
    「読んだというか……写真集だし、”見た” かな?」
    「写真を見るのが好きなんだね」
    「僕が好きで集めた訳じゃない。全部貰い物だよ」
     そう言ってしまってから、ヨシュアは「でも」と言い足す。
    「もう何度も見たし、……うん、好きだな」
    「そうなのか」
     感情が籠らない返答に、そうだよ、とヨシュアも淡々と応えた。
     * * * *

     渋谷の写真集を受け取って1年後の同じ場所に、再びネクは現れた。芸もなく前回と同じようにウォールの前で待ち続ける彼の姿は、スクランブル交差点に据え付けられた忠犬の像を思わせるところがある。また何日も居留守を使ったところで彼はお百度参りよろしく宇田川町を訪れるのだろう、ヨシュアは早々に諦めてネクの次元に位相を合わせた。ちょうど目の前で紙袋を抱えていた青年が破顔する。
    「今年は遅れずに来てくれたんだな。誕生日おめでとう、ヨシュア」
    「ネクくんも飽きないね」
    「友達の誕生日に飽きるも何もないだろ……で、これ。プレゼント」
    「今度は何だい?」
     促されるに従って紙袋を開けると、そこには前回と同じような大きさの大判の本が収まっていた。色調が違う。前回は渋谷の雑踏の灰色がベースになっていたが今回は爽やかな緑色と青空が全面に押し出されていた。それからその背景、遠くで灰色の摩天楼が空を切っている。
    「ここは……ニューヨーク?」
    「ああ。この前の7月、シキがガトネのイベントとデザインの勉強で1ヶ月NYに行ってたんだ。……で、俺も1週間だけ遊びに行った」
     渋谷発のファッションブランド「ガット・ネーロ」は今や海外の若者たちの心をも捉え始めていた。流行に敏感なNYやパリの街角には早くも第一号店が出店され、それ以外の街でも複合店の一角でイベント出品されたり、現地の若手俳優が紹介したりとその名を知らせ始めている。ヨシュアもその動向を追っていた。渋谷のコンポーザーとして、それからデザイナーのシキに縁がある者として。
    「知っているよ、向こうでも人気のようだね。楽しかったかい?」
     ネクが首肯する。
    「1週間しかいられなかったしシキは毎日忙しそうにしてたけど……空き時間で一緒にディナー食べたり公園を散歩したりしたよ。……アメリカのレストランって高いんだな、パスタとサラダだけであんなにかかると思わなかった」
     げんなりとした表情のネクを見ながら、ヨシュアは思い浮かべる。慣れないディナーの場で、恋人と向き合いながらぎこちなくフォークを動かす桜庭音操。想像の中の彼は物欲しげなウェイターの視線を受け、慌ててチップとなる硬貨を探し始める。向かいに座ったシキが控えめに口を抑えて笑っている。容易に想像できる一幕に口角が勝手に持ち上がり、何だよ、とネクの不満げな声が上がった。
    「……それから、一日だけ郊外に出かけた」
     丘みたいな広場がずっと続いてて、彫刻がいくつも置いてあるんだ。現代アートの作品を集めてて、シキは結構そういうの好きみたいで色々教えてもらったよ。 — ほら、このページ。そう言ってネクはヨシュアの手元の写真集から1ページを開く。特別に撮影したのだろう、人気のない広々とした秋の公園が移っていた。吹き抜ける風が感じられそうなほどに、爽やかな草色が隆々と続いている。
     目を輝かせるシキと、諾々と連れ回されるネクの姿がまたも脳裏に浮かんだ。クス、とヨシュアが笑みを漏らす。
    「確かに、デートには良さそうなところだね。それで、これはそのお土産?」
    「ああ。ヨシュア、忙しいとあまり渋谷の外に出られなさそうだから……せめて写真だけでもって思って」
    「流石にどこも行けない訳じゃないよ。それに画像だってスマホで見られる」
    「そうか……邪魔になるかな」
     しゅんと頭を下げたネクはいよいよ大人しい忠犬めいて見えた。
    「まぁでも、そんなに遠出はしないね。東京を出ることは滅多にないし、生きてた時以来海外なんて行ってない」
     残念な思いをさせたか、とヨシュアは早々にフォローする。幾つかの次元を跨ぐ長い生を経たコンポーザーとして、管轄エリア外、それも海外の土地への憧れなどとうに消え失せている。それでも、街に縛り付けられた (ように見えているのであろう) 自分の運命を慮ってくれたネクの好意を無駄にはしたくなかった。
    「……だからこれも、貰っておくよ」
    「良かった。これからも贈りたいんだけど、いいかな」
     ぱっと表情を明るくしたネクが問いかける。
    「ヨシュアにも、渋谷だけじゃなくて色んな世界を見てて欲しいんだ。それが、色んな考えに触れるってことにも繋がると思うから」
     ネクは真っ直ぐな言葉を衒うこともなく口にした。他人の考えに耳を塞ぎ、自らの殻に閉じこもっていた3年前の淀みはそこにはない。それどころかこうしてヨシュアの世界をも拡げようと手を差し伸べてくれている。
     あの時渋谷を残す選択をして良かった、とヨシュアは思う。高位次元から時折彼の姿を探し、その濁りない瞳を雑踏の中に見出すたび、いつもそのことを思い出すのだ。
    「……贈っていいかなんて、貰い主に訊くことじゃないでしょ。ネクくんの好きにすればいいじゃない」
    「いや、その、場所とか取るだろうし……あの部屋、モノ置ける雰囲気じゃないし」
     妙に的を外した遠慮の言葉に、今度こそヨシュアは吹き出してしまった。
    「そんなこと気にしてたんだ……変なネクくん」
    「何だよ、笑うなよ」
     拗ねたように口を尖らせる姿は、かつての不機嫌そうな少年の面影を少し残していた。咳払いを一つして笑いを抑えてから、ヨシュアは顔を上げてネクに向き直った。
    「勿論、ネクくんからのプレゼントならありがたく頂戴するよ」
    「良かった。来年、また来る」
    「フフ、楽しみにしているね」

     それが二つ目のプレゼント。
     ガット・ネーロのブランドが広まり、シキとネクの海外遠征が増えるに従ってプレゼントの写真集も増えていく。2つ3つ纏めて贈ってくれる年もあった。背負ったリュックの中から、ネクは分厚い袋を重そうに取り出してはヨシュアに手渡した。


     * * * *
     本棚に並べられた背表紙のタイトルを、ハヅキはつまらなさそうに右から左に読み進める。どれも世界中のどこかの国や街の写真集だった。しばらくは各国の主要都市の名が並んでいたが、やがて上海やペテルブルグなどの中枢都市、それから京都や大阪などの国内のものも混ざるようになった。
     ハヅキの目線がふと、止まる。本棚の最上段の途中からは、タイトルのない赤い背表紙の本がずらりと並んでいた。
    「……これは?」
    「ああ、それはアルバムだよ」
     ヨシュアはハヅキの隣に歩み寄り、赤い背表紙から一冊を選び丁寧に引き出した。真ん中の辺りに指が差し込まれ、そっと開かれる。透明なセロファン紙の下には3人が映った写真 — ネクとシキの面影を残す男女、それからピースサインをした幼い男の子が写っていた。
    「それはネクか?」
    「そう。ネクくんと昔のパートナーと、それからその子供」
     愛おしそうに眺めるヨシュアにハヅキが不審げな目を向ける。
    「不思議なものを持っているんだね」
    「……これはね、僕が彼に頼んで譲ってもらったんだ」
     ヨシュアはそっと目を閉じて、追想する。
     * * * *

     ネクがRGに戻ってきてから、それは7年後のことだった。再び訪れた11月1日、彼は重たげなリュックを背負って宇田川町に現れた。白を基調としたアウターはシキの特製によるもので、彼の年齢に相応しい落ち着きのあるデザインに纏められている。外見だけは今やヨシュアより一回り歳上の世代に見えた。
     いつものように彼の目の前に姿を現し、先回りして声を掛ける。
    「ネクくん、結婚おめでとう」
    「ヨシュア……知ってたんだな」
     先手を打たれたネクは目を見開いた。こともなげにヨシュアは続ける。
    「勿論。渋谷の住人のことで僕が知り得ないことはないよ、特にネクくんならね」
    「相変わらずだな。プライバシーの侵害だぞ」
    「管理者特権みたいなものだよ」
     ネクは気まずそうに頭を掻いた。
    「一応、今日それも報告しようと思ってたんだけどな……まぁ、ありがとう」
    「どういたしまして。それにしても、一度死んだ二人が結ばれるなんて前代未聞だね」
    「おまえのせ……いや、ヨシュアのおかげでもあるのかな」
     ネクは言い直し、二人は揃って少しだけ笑う。それから再びリュックから紙袋を取り出し、慣れた手つきでヨシュアに差し出しながら言った。
    「死神のゲームが縁になるなんてな。……はい、誕生日おめでとう」
    「ありがとう、ネクくん。……ねぇ、」
     ヨシュアは息を一つ吸った。何だよ、と問いかけるネクに、真っ直ぐ紫の視線を向ける。
    「来年から……一つリクエストがあるんだけど、聞いてくれるかな」
    「内容によるけど」
    「写真を残して欲しいんだ」
     予測していなかったのだろう、ネクは不思議そうな表情のまま黙っていた。それから、写真、と一言繰り返す。
    「そう、写真。シキ君と二人ででも、それから未来の家族とでも、何でもいい」
    「それがリクエスト?」
    「うん。それで、ずっと後でいいから僕に譲って欲しい」
    「……それって、俺とシキが死んだ後ってことか」
    「そうなるね」
     死、というものをネクもシキも一度経験している。若くしてRGを離れるソウルは十分なイマジネーションを持っているため、UGでの審査を通過すればもう一度そのままRGに戻れる可能性がある。しかし老齢のソウルが生者として蘇ったり、死神として第二の生を受けることは殆どなかった。歳を重ねて自らの抱える価値を十分に放出したソウルは、それだけ自らの中のイマジネーションをすり減らしてしまう。そのまま還元されてしまうことが多い。
     元々のイマジネーションが異様に強かったネクであっても、円熟のもたらす宿命には抗えないだろう。 “ネク” のRGでの幸福な人生と高位次元での第二の生命は、決して両立できない。
    「ネクくんが死んだ後でも、僕はネクくんのことを覚えているだろうから。その時に見れるように、残しておいてほしいんだ」
     努めて平静な声色でヨシュアは言い、それきりネクに答えを委ねるように押し黙った。少しだけ沈黙が流れ、それをネクの落ち着いた声が破った。
    「いいよ。……ごめんなヨシュア、それからありがとう」
    「何が?」
    「あの時のこと」
     その言葉を受けてヨシュアは少し考え込んだ。感謝されるようなことをしたとすれば、渋谷インバージョン未遂の一件の時だろうか。「……オールリマインドの時のことかい?」
    「違う違う、その後だよ。UGに誘ってくれた時のことと、それからRGに返してくれたことだ」
    「あぁ、コンポーザー候補の席を蹴っちゃった時のことかな」
    「そうだ。……ごめん、ヨシュア」
     蒼い瞳が真っ直ぐにヨシュアを捉えた。今や、大人の姿をとったヨシュアより少し目線が上になっている。その眼差しは諭すようにも詫びるようにも見える優しいものだった。
    「あの時……誘ってもらえて、本当は嬉しかったんだ。RGでやることがあったから断ったけど、ヨシュアのことずっと気になってた。UGで寂しいかもなって」
    「勝手な物言いだなぁ。死神も他のコンポーザーもいるし、別にひとりじゃないんだよ」
    「そっか。俺は寂しかった。おまえのこと友達だと思ってたからもう少し会いたかったのに、おまえ年一でしか来てくれないもんな」
     あんまり関わってるとまた恋しくなっちゃうからね。 — そんな本音を言うわけにはいかなかったからヨシュアは黙って聞いていた。年に一度の逢瀬の合間、彼からもらった外の世界の写真に何度も目を落としては、その地を訪れたネクの旅の様子を心に想像していた。そんなことも思い浮かべたが、口に出すことはできなかった。
     ネクが続ける。
    「だから……代わりになるかは分からないけど、写真で良かったらいくらでも残すよ。俺のこと覚えておいてくれたら嬉しい」
     そう言ってヨシュアを見つめる瞳の色は、共に渋谷を駆け回った頃から全く変わっていなかった。夏空のように爽やかな澄んだ蒼。いつまでも見つめていたくなるような、透明なのに深い空色。彼をRGに戻す選択をした時、ヨシュアの心を最も鋭く掻いたのは、この色がいつか永遠に喪われるという事実だった。コンポーザーとして高位次元に留めておくことが叶えば、少しでも長く手元に留めてその色を愛でることが出来たかもしれない。
     しかし彼はRGに戻ることを選択した。その意思を無下にしてまで彼を高位次元に閉じ込め、眩しい空色を汚すことだけはしたくなかった。 — だからヨシュアは大人しく、ネクをRGに戻すことに同意したのだ。
     あの時と違う形ではあるが、彼は自らの一部をヨシュアに差し出すことに同意してくれている。満足とも寂寥とも決めきれない気持ちに蓋をして、ヨシュアは礼を告げる。
    「……ありがとう。じゃ、合言葉を決めておこうか。僕がアルバムを引き取れるように、大切な人に伝えておいてよ」
    「分かった、」
     何にする、と楽しげに問いかけるネクに、ヨシュアもどこか悪戯っぽい笑みを向けた。
    「それじゃあ — 」

     長い年月が流れた。人間の年月にして70年ほどだろうか。
     その日、ネクは長い人生の幕を閉じた。それから3年後、著名なデザイナーとして名を刻んだシキもひっそりと息を引き取った。
     葬儀が終わり、桜庭家がようやく平穏を取り戻した頃を見計らってヨシュアはそっと家族の元を訪れ、合言葉を口にした。 “スパイシーツナロール” — その場の雰囲気にそぐわない単語を受けた遺族の男性は、しかし訝しげな顔をするでもなく黙って頷いた。そして、「重たいもので恐縮ですが」という言葉とともに赤い背表紙のアルバムのひと抱えを差し出す。
     ありがとう、とだけ告げてそれを両手で受け取った。RGに実体を留めている間、それは過ぎ去った時間の長さを物語るような厚い重みをヨシュアに示した。

     * * * *
    「今時写真なんて残さなくても、データで十分じゃないのか」
     ハヅキが不思議そうに尋ねる。この頃はわざわざ写真を撮ることの方が遥かに難しい。何しろデジタルデータの方が複製も保存も遥かに容易で、保管場所も取らないし風化の恐れもないのだから。実際、ネクが残した写真集とアルバム、そしてそれを収めるための本棚は殺風景な「審判の部屋」と全く調和していなかった。白い椅子の脇、本棚が置かれた一角だけが奇妙な生活感を放っている。
     無遠慮な言葉を受けたヨシュアは呆れたように返した。
    「……おまえはやっぱり、ヒトに対する理解が浅いね」
     そうして仕方なさげにハヅキに目線を合わせた。瞬間、ハヅキは一瞬身動きが取れなくなる。懐かしい表情だった。それは遥か昔、ハヅキが高位次元でコンポーザーの地位に上がったばかりの頃に向けられたものと変わりないものだった。
     答えを探すように何も言わずにいた彼だったが、結局諦めて答えを求める。
    「分からない。教えて欲しい、何故そんなモノに愛着を寄せるのか」
     問いかけられたヨシュアはフッと息を溢す。今一度、愛おしそうに写真に視線を落とす。
    「……彼がくれたものだからだよ」
     ネクの人生の輝く一瞬がいくつも閉じ込められたアルバムを、ヨシュアは自らの手でぱたりと閉じた。
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    限界羊小屋

    DONE用語
    <キルドレ>
    思春期で成長が止まり決して大人にならない種族。一般人からは異端視されている。
    ほとんどが宗教法人か戦争企業に所属して生活する。
    <戦争>
    各国に平和維持の重要性を訴えかけるために続けられている政治上のパフォーマンス。
    暴力が必要となる国家間対立は大方解決されたため実質上の意味はない。
    <シブヤ/シンジュク>
    戦争請負企業。
    フレリン航空士パロ 鼻腔に馴染んだガソリンの匂いとともに、この頃は風に埃と土の粉塵が混じっていた。緯度が高いこの地域で若草が旺盛に輝くのはまだもう少し先の話。代わりのように基地の周りは黒い杉林に取り囲まれている。花粉をたっぷりと含んだ黄色い風が鼻先を擽り、フレットは一つくしゃみをした。
     ここ二ヶ月ほど戦況は膠着していた。小競り合い程度の睨み合いもない。小型機たちは行儀よく翼を揃えて出発しては、傷一つ付けずに帰り着き、新品の砂と飲み干されたオイルを差分として残した。だから整備工の仕事も、偵察機の点検と掃除、オイルの入れ直し程度で、まだ日が高いうちにフレットは既に工具を置いて格納庫を出てしまっていた。
     無聊を追い払うように両手を空に掲げ、気持ちの良い欠伸を吐き出した。ついでに見上げた青の中には虫も鳥も攻撃機もおらず、ただ羊雲の群れが長閑な旅を続けていた。
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