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    ナンナル

    @nannru122

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    POIPOI 146

    ナンナル

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    番 5 🎈☆
    ここで終わってもいいし、続いてもいいし、と思いながらぽちぽちしてたので、微妙にまとまり悪いけど終わった感ある終わり方になった( 'ㅅ')
    納得いかなかったら後で書き直すかもしれないし、続きを書いて誤魔化すかもしれない。

    番 5(司side)

    「今から皆でご飯食べに行こう」
    「……随分と急な話だな…」

    類と別れて一ヶ月が経った。
    荷物はまだ少し残っているが、類と顔を合わせるのが気まづくて中々取りに行けていない。あの家の鍵も、返さねばならんのだが…。オレから切り出した事ではあるが、未だに未練が残っているらしい。
    そんな風に一人もだもだしていた時、寧々に会った。劇団の前でオレの帰りを待っていた寧々と少し挨拶を交わして、すぐにこの誘いとなった。

    「明日は休みでしょ。少しくらい付き合いなさいよ」
    「何故寧々がオレの予定を把握しているんだ…? いや、それよりも、オレに拒否権はないのか?!」
    「ない。予約しちゃってるからさっさとついてきて」
    「ぉわ、寧々っ…!」

    オレの手を掴んでずんずんと進んでいく寧々に、溜息を吐く。まだ誰が参加するのかも聞いていない。どこへ行くかも、何故急にそんな話になったのかも知らない。“皆”の中に、類は含まれているのだろうか。それなら、参加したくない。まだ、顔を合わせたくない。

    「寧々、やはり今日は……」
    「早く帰りたいなら途中で抜けていいから、少しくらい参加して」
    「…ぅ……」

    有無を言わせない寧々に、渋々従う他なくなった。四人で食事となるとかなり気まづいのだが、大丈夫だろうか。いや、えむには類と別れた事も話したのだから、その辺も配慮されているかもしれん。もしかしたら、類はメンバーに入っていなくて、ただ話を聞きたいだけの食事会の可能性もある。参加して、誰がいるかだけでも確認してから抜けても遅くはないだろう。ゆっくりと息を吐いて、『大丈夫』と自分に言い聞かせる。
    暫く歩くと、寧々がぴたりと足を止めた。顔を上げれば、見覚えのある看板が目に入る。

    「ここ、は……」
    「結構美味しかったって聞いたから」
    「………」
    「もう皆いると思うから、入るよ」

    からん、と入口の扉を開くと音がする。その音に、ほんの少し眉を寄せて唇を引き結んだ。確かに、美味しかった、と思う。味はもうほとんど覚えていないが。

    (……大学生の時だったか…、類とここに来たのは…)

    あれはなんの日だったか。類がいきなり食べに行こうと言い出して、二人で来たのがこの店だった。大学二年目の終わりだったが、まだあの頃は高校生の時のような感覚で話も出来ていた、と思う。ぎこちなくはあったが、まだ、笑えていたと思う。
    ぼんやりと記憶を辿っていれば、奥のテーブル席に通される。大きなテーブルを囲むように座っていたのは、えむだけではなく、彰人や冬弥、暁山と白石だ。奥の席に類も居て、思わず足が止まった。
    こちらを見た類が、慌てて顔を逸らす。緊張しているようなその横顔から、オレも顔を逸らした。いるとは思ったが、本当にいるとどうしたって意識してしまう。
    類から一番離れた席だけが空席で、そこへ自然と座ることになった。誰も何も言わないが、オレと類のことは知っているのかもしれん。近い席ではなかった事に安堵して、鞄を椅子の背もたれにかける。
    メンバーが揃ったからと始まった食事会は、暁山やえむが盛り上げてくれるので、気まづさが不思議と薄れていった。類と目が合うことはあれど、お互いに顔を逸らすので、会話もない。何より席が離れているので、声もそこまで聞こえてこない。
    それが少し寂しいと感じつつも、どこか安心している自分がいた。

    「すまんが、少し席を外すぞ」
    「はーい!」

    食事会のスタートから一時間程が経過した辺りで、席を立った。店内にある御手洗まで真っ直ぐ向かって用を足し、手を洗う。鏡に映る自分は、来る時よりはすっきりとした顔をして見えた。

    「…やはり、久しぶりに会うのは緊張するが、元気そうにしているのを見られるのは、安心するものなのだな…」

    ふぅ、と一つ息を吐いて、頬を指で摘む。
    好きだった気持ちが一ヶ月やそこらで消えるはずもない。まして、類は番だったのだ。項の噛み跡だって消えてはくれないのに、何事も無かった様に類と接することは出来ない。別れたばかりで、気持ちの切り替えだって出来ていないんだ。このまま、類とは話すことも無く解散して、家に帰ればいい。
    御手洗の扉をそっと開いて、席の場所をなんとなく頭の中で思い浮かべていれば、「司くん」と名前を呼ばれた。反射的にびくっ、と肩を跳ねさせると、一歩、足音が近付いてくる。
    心臓がバク、バク、バク、と大きく音を鳴らしていて、足が床に縫いつけられた様に動かなくなってしまう。もう一歩足音が近付いてくるのが聞こえて、恐る恐る振り返った。

    「………類…」

    扉の側で、類が困った様な顔でオレを見ていた。

    ―――
    (類side)

    「なんでそこで引き止めないわけ?!」
    「ゔ……」
    「司がそういう不誠実なのを許せないって知っていて、謝罪しきれず別れました、って、馬鹿じゃないの?!」
    「………返す言葉もないね…」

    机を思いっきり叩く寧々に、思わず縮こまってしまう。
    司くんが実家に帰ってから一週間が経った。自己管理があまり出来ていなかったのは自覚しているけれど、司くんが出ていったショックも相まって部屋で倒れていたのを寧々に見つかってしまった。尋問のように問い詰められ白状すれば、鬼の様な形相で睨まれている。
    僕が悪いので、何も言えないのだけれど…。

    「で、その後司に謝りにいったわけ?」
    「……いってません…」
    「はぁ…、まさか司に押し付けられた離婚届に、自分の名前を書いた、なんて言わないわよね?」
    「……………………書きました…」
    「馬鹿」

    直球で返ってくる寧々の言葉に、ぐさりと胸に鋭いものが刺さった様な痛みを覚える。
    司くんに渡された封筒の中身は、白紙の離婚届だった。封筒がくしゃくしゃになっていたからか、中の離婚届も所々くしゃくしゃで、書きづらかったのを覚えている。何故素直に名前を書いたかと言うと、司くんの希望は、極力叶えたかったからだ。
    それが、僕と別れるという願いでも。

    「類は司と別れたいわけ?」
    「……そんな事ないよ。でも、司くんには…」

    僕以外に、好きな人がいる。
    それを、寧々は知らない。言ったらきっと、寧々は分かってくれるだろう。でも、その事実を口にはしたくなくて、言葉を飲み込んだ。彼の為に身を引いた、なんて言えばかっこいいのだけれど、本心では納得出来ていない。
    番関係の解消なんて、出来ない。司くんは、僕以外とは二度と番にはなれないんだ。他のαを愛そうと、僕以外のフェロモンを感じることは出来ないし、僕以外とは子を孕む事だってままならない。恋人ごっこの延長戦と何ら変わらないはずだ。
    それでも、解消を望んだ司くんを引き止めなかったのは、彼が『僕と夫婦らしい事をしたくない』と言ったからだ。

    (…僕とは、夫婦になりたくなかった、という事だよね……)

    何年も一緒に暮らしてきて、初めて突き付けられた彼の本心に、もう何も言えなかった。最初から最後まで、僕は彼に愛されなかったのだ。高校の時のあの勘違いは、きっと、僕の願望だったのだろう。司くんが、僕と同じ気持ちかもしれない、なんてあるはずがなかった。
    黙ってしまった僕の顔を、寧々が眉を顰めて心配そうに覗き込んでくる。それに無理矢理笑って返せば、溜息を吐かれた。

    「なんで仲の良いあんた達がそこまで拗れたのか知らないけど、司を怒らせたのは類なんだから、ちゃんと謝りなさいよ」
    「……うん。そう、だね…」
    「謝らない、なんて言わせないからね。このまま別れるって言ったら怒るから」
    「………けれど、司くんも、もう僕の顔なんて、見たくないと思うし…」

    心配してくれる寧々には悪いけど、司くんを引き止める方が彼の負担になりそうで嫌だ。あんなにも泣く司くんを見るのは、初めてだった。泣かせたのは僕で、彼を傷付けたのも僕だ。なのに、今更謝って彼を繋ぎ止めようとするなんて、したくない。司くんが笑って過ごせるなら、このまま顔を合わせない方が…。
    視線を下げた僕の胸に、寧々が ぴっ、と伸ばした人差し指を押し当てる。慌てて顔を上げると、睨むように僕を見る寧々が、珍しく大きな声を出した。

    「類、司に『好きだ』って、ここ数日のうちで言った?!」
    「……そ、れは…」

    今まで、一度も言ったことがない。彼の負担になるからと、一度も言わなかった。番になったあの日、彼が一人で泣いているのを見て、言えなくなった。
    僕と司くんは、“間違って夫婦になった”のだから。

    「言わなきゃ伝わんないでしょ?! 気持ちなんて変わるんだから、言い続けなかったら誰だって不安になるの!」
    「……けれど寧々、それは…」
    「言い訳はいいから、司に謝罪して、類が今も“司が特別なんだ”ってのを言葉にしなさいっ!」
    「ゔ……」

    あまりの気迫に、言葉を飲み込んだ。
    相当お怒りの寧々に、ぐうの音も出ない。高校の頃から、司くんは“僕の特別な人”だ。大好きで、誰よりも大切な人。だからこそ、彼が他の人を好きだと知って傷付いたし、そんな彼の想いを、踏みにじりたくはなかった。僕ではない別の人を選ぶなら、それも仕方ないと受け入れるつもりだったあった。それが、彼の幸せなら、と。

    (……彼が僕以外を伴侶に選べないと、心のどこかで安心していたのにね…)

    彼の生涯の番は僕だけだ。だから、身を引くなんて潔いことを思っていた。実際は、そんなつもりは微塵もなかったのに。
    僕以外を選べなくても、僕の気持ちを受け入れて貰えるとは限らない。だから、『好き』だなんて言えなかった。司くんに、僕ではない他の人を好きなのだと、口にされるのが怖かったから。
    だから、『僕達は仲間』だと言って、彼を安心させたかった。

    「………僕は、…あまり彼に、…よく思われていないから…」
    「…わたし、小さい頃から類とは幼馴染だし、それなりに家族みたいな情もあるけど、例え類と間違って番になったとしても、類と結婚なんてしたくないから」
    「…」

    直球で言い切られ、胸にぐさりと言葉が刺さる。僕が生活能力が無いのも知っている。番になった司くんに、沢山迷惑をかけたことも。家事の殆どをしてくれた司くんには、本当に助けられたと思う。
    それを知っていての寧々の言葉に、自分がどれだけ情けないかを再確認させられた。

    「どんなに仲が良くても、何か理由があったとしても、何年も一緒に暮らすって、普通は出来ないと思う、
    まして、家事も掃除も出来ない類と一緒に暮らすのって負担が大きいし」
    「……仰る通りだね…」
    「それでも、司は六年以上も類と一緒に居た。類の為に、ずっと頑張ってたんでしょ。それだけ一緒に居れる程司にだって情があったんだから、簡単に嫌いになんてならないと思う」
    「………寧々…」

    幼馴染の優しい言葉に、じん、と胸の奥が熱くなる。
    慰めでも、そう言ってもらえるのは有難い。ふん、と胸を張って、言いたい事を言って満足そうな寧々に、僕は「ありがとう」と素直にお礼を言った。少し照れくさそうに顔を逸らした寧々は、スマホをポケットから出して、画面を見始める。指があまり動いていないのを見ると、どうやら照れ隠しのようだ。それが可愛らしくて、つい小さく笑ってしまった。
    むす、とした寧々が、スマホから顔を上げて僕を じとりとした目で見てくる。

    「…………で、類、いつから司に『好き』って言ってないの?」
    「………」
    「前に司に会った時様子が変だったし、ここ暫くはお互いに忙しくて言えてなかった、とか?」
    「……………………ぁー……」

    不思議そうに首を傾げた寧々から、視線が逸れる。
    『ここ暫く』なんてものではない。僕と司くんは、そもそも付き合ってすらなかったのだから。
    彼の様子が変だった、というのだって、僕は知らない。寧々の言葉で、今知った。それ程、僕と司くんは一緒に暮らしていながら、お互いの事を知らずに過ごしていてんだ。
    じ、と僕の返答を待つ寧々に、言葉が詰まる。けれど、言わなければ終わらないだろう この空気に耐えきれず、僕はおずおずと口を開いた。

    「……っ、たことが、…ない…」
    「…ぇ?」
    「…………一度も、司くんに『好き』って、…言ったことが、ない、です…」
    「…………………」

    僕の言葉を聞いて、寧々が ぴしっ、と音がする程固まった。呆然とする幼馴染に、情けなくて逃げ出したくなる。けれど、僕には僕なりの理由があったんだ。彼に好きだと言えない、僕なりの理由が。
    はぁあ、と目の前で深い溜息が吐かれ、寧々が頭を手で押さえるのが見えた。気まづさで顔を逸らす僕に、寧々が呆れたような声音で言葉を発した。

    「司の為にも、早く別れた方がいいと思う」
    「………ゔ…」

    この後、幼馴染のお説教がまた始まったのは言うまでもない。

    ―――

    寧々の提案で、食事会を開くことになった。
    理由は単純で、司くんと連絡が取れないから。会いに行きたいけれど、一人ではどうしても気まづくて、しり込みしてしまった。
    その結果、知人だけの食事会を開いて、途中で抜け出すという作戦となったのだ。

    「類、今だよ、行っておいで」
    「っ……、う、うん…」

    トイレへ行くために席を立った司くんの背を見送ったところで、瑞希が僕の肩を押した。
    司くんを誘って抜け出すには、絶好の機会だ。えむくんがぶんぶんと両手を振るのを見て、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた気がしたけれど、まだ彼と二人で顔を合わせるのは怖い。けれど、この機会を逃せば、司くんと会うことも難しくなるかもしれない。ちら、と寧々を見れば、彼女も僕を見てひらひらと手を振った。「頑張れ」と言外に言われた気がして、ゆっくりと息を吸い込む。
    椅子を立ち、協力してくれた皆に一言御礼を言って、司くんが向かったトイレの方へ駆け出した。
    男性用のトイレの扉の横で立ち止まり、大きく息を吸い込む。

    「…大丈夫……、司くんが出てきたら、話がしたいと、正直に言おう…」

    頭の中で、何度も言葉を思い浮かべて心の中で練習する。こんなにも緊張するのは、相手が司くんだからだ。
    嫌われたくないからと、彼と距離を保とうとして失敗した。だから寧々の言う通り、僕の言葉で、司くんに伝えなければならない。
    ジャー、と水を流す音が聞こえた気がして、びく、と肩が跳ねた。心臓の鼓動が一気に早くなり、息苦しさを覚える。きゅ、と唇を引き結ぶと、トイレのドアが開いた。キラキラとした金色の髪が視界に映って、思わず息を飲む。

    「……司くん…」

    小さな声が自分の口から、こぼれ出た。本当に小さな声だったのに、目の前の司くんが足を止めた。一歩、彼の方へ踏み出せば、ゆっくりと彼が振り返る。

    「…類」

    久しぶりに、彼の声で名前を呼ばれた気がした。たったそれだけで、胸が強く掴まれたかのように苦しくなって、泣きたくなった。今すぐ手を伸ばしたい衝動に駆られ、けれど、その衝動をぐっと抑え込む。
    ゆっくりと息を吸えば、司くんが僕から顔を逸らした。

    「……っ、久しぶりだね、司くん…」
    「………………そう、だな…」

    素っ気ない返事は、最後に会った時と変わらない。顔を逸らして、自身の腕を押さえるように手を組む司くんは、僕を警戒しているように見えた。それがなんだか寂しくて、もう一歩彼の方へ踏み込む。

    「…元気に、していたかい?」
    「…………まぁ、…」
    「……良かった。僕は、この間部屋で倒れて、寧々に怒られてしまったよ」
    「ぇ、大丈夫なのか…?」

    何を話していいかわからなくて、笑い話の様に寧々に怒られた話をしたら、司くんがパッと顔を上げて僕を心配そうに見てくれた。怒って出ていったはずなのに、“倒れた”と聞いて心配してくれる司くんは、やっぱり優しい人だ。息苦しさがほんの少しだけ和らいで、自然と口元が緩んでいく。「大丈夫だよ」と、へらりと笑ってそう返せば、司くんが眉を寄せて顔を顰めた。

    「………お前は一人にするとすぐ無茶をするから……、…早く、…誰かと、一緒になった方が、いい…」

    一歩、司くんが後ろへ後退る。顔を逸らして、どこか弱々しい声でそう言った彼の表情は、とても暗く見えた。ぎゅ、と自身の腕を強く掴むその手に、息を詰める。
    “誰か”という言葉を、司くんからは聞きたくない。僕はこの先も、司くん以外を愛するつもりは無い。司くんが好きだから、他の人なんていらない。君がいい。だから、司くんが“他の誰か”を僕に強要しないでくれ。
    ぐ、と握り締めた拳に力を入れて、ゆっくりと詰めていた息を吐き出した。「司くん」ともう一度名前を呼ぶと、彼の体が大袈裟な程跳ね上がる。

    「…少し、君と話がしたいんだ」
    「………お、れは…」
    「お願い。もし君が嫌だと言うなら、今後近付かないと約束するから、もう一度僕に、君の時間をくれないかい…?」
    「……………」

    困ったように顔を逸らして口篭る司くんに、僕は頭を下げた。「類っ…?!」と慌てる司くんに、出来るだけ優しく笑って見せる。

    「お願い」

    もう一度彼に頼むと、優しい司くんは困ったように眉を下げて視線を彷徨わせた。そうして、ゆっくりと頷いてくれる。それが嬉しくて、彼の手を掴んだ。

    「…っ……」
    「ぁ、…すまない…」

    びく、と肩を跳ねさせた司くんから、慌てて手を離す。
    掴んだ手を押さえて一歩下がってしまった司くんに、すぐに謝罪した。
    一瞬ではあったけれど、触れた細い手首の感触は変わらない。変わらないのに、今は、気軽に触れる事も許されないのだと、実感してしまった。そわそわと視線を彷徨わせ、司くんが落ち着きなく辺りを見回している。そんな彼に、今度はそっと手を差し出した。
    一瞬後退った司くんは僕の手を見て、次いでその顔を僕へ向ける。伺うような表情に、出来るだけ優しく笑って見せた。

    「……君が嫌でなければ、はぐれないように…」
    「…………」

    道が混んでいるわけではない。入り組んだ路地に行くわけでもない。ただ、少しでいいから司くんと繋がっていたい、という僕の我儘だ。断られることを承知で、震える手を彼の方へ向けて差し出したまま返事を待つ。
    じっ、と僕の手を見ていた司くんは、数秒迷った後、ゆっくりと頷いて、僕の手を取ってくれた。

    ―――
    (司side)

    「……類、どこへ行くんだ…?」
    「安心しておくれ。人が来ないようなところでも、あの家でもないから。もう少し先に、落ち着ける公園があるんだ」
    「……………そう、か…」

    繋ぐ手に伝わる熱が、やけに熱い。手汗が滲んでいる気がして、すぐにでも離れたいのに、離したくなかった。本当なら、断るべきだったんだ。断って、二度と会わないと言わなければいけなかった。でなければ、いつまで経っても類への想いを断ち切れない。
    楽しそうに笑い合う人達の隣を通り過ぎて、類が真っ直ぐそこへ向かっていく。勝手に抜け出してきてしまったが、寧々達は心配していないだろうか。すぐに戻るのかと思って、荷物も置いてきてしまった。スマホは辛うじてポケットに入っているので、いざと言う時は連絡が出来るが、なんだか申し訳ない。

    (……類と手を繋ぐのも、久しぶりだな…)

    ドキドキするのは、オレがまだ類を好きだからだろう。心臓の鼓動が煩く鳴っていて、落ち着かない。ちら、と視線を上げれば、風で類の藤色の髪が揺れるのが目に入る。照明できらきらしていて、綺麗だ。オレとは全く違うその色が、昔から好きだった。
    漸く着いた公園は、確かに数人の人がいる。だが、木々に囲まれていて静かな空間は、不思議と落ち着けて心地いい。空いているベンチの方へ手が引かれ、類に促されるままそこへ座った。隣に座る類に、体に力が入って固くなる。
    無意識に ぐっ、と繋ぐ手を強く握れば、類が隣で苦笑した。「緊張しなくても、何もしないよ」と、優しい声が返ってくる。その言葉に、一瞬でも期待した気持ちがバレた気恥しさと、類に“なんとも思われていない”という寂しさで、胸にぐさりと衝撃を受けた。泣きたくなるのを必死に堪える為、大きく息を吸い込む。そんなオレに気付かず、類が足元を見つめたまま口を開いた。

    「ずっと、君に謝りたかったんだ…」
    「……類が謝る必要は、ないだろ…」
    「あるよ。君に隠したままあの家で過ごしていた事も、……君を、傷付けた事も…」
    「………」

    静かに話し始めた類に、言葉を飲み込む。類だけが、謝ることでは無い。類が浮気をしているのを知っていて、オレも何も言わなかった。類がそんな事はしないと、心のどこかで勝手に信じて、勝手に裏切られた気になっていただけだ。初めから、オレと類は“夫婦”ではなかったのだから。
    今更謝られたところで、もうどうにもならないのだろう。類は、類が好きになった人と一緒になればいい。オレの事など気にせず。謝罪されても、『お幸せに』と心にもないことを言う事しかオレには出来ない。邪魔をするつもりは始めから無いというのに、謝罪をされても困る。
    いまだに繋いだままの手が、何だか気になってしまって、そっと力を抜いた。気付かれないよう手を離そうとすれば、一回り大きな手がオレの手をしっかりと掴んでくる。

    「………類、オレは、……本当に気にしていないんだ、だから、…」
    「君が僕ではない誰かを好きだって知っているけれど、僕はずっと君が好きなんだっ…!」
    「……んぇ…?」

    早くこの会話を終わらせてしまいたくて、無理矢理笑顔を貼り付けた。そんなオレの隣で、珍しく類が大きな声を発した。周りが驚いてこちらを見る程の大きな声。聞こえたその言葉があまりに衝撃的で、呆気としてしまう。呆然と隣に座る類を見上げれば、真剣な顔がこちらへ向けられた。

    「君と籍を入れる前から、僕は君をただの友人だとは思えなかった…! それでも、司くんに気を遣わせたくなくて、君への想いを隠して君と結婚したんだっ…!」
    「…る、ぃ……、なに、いって…」

    頭の中が、ごちゃごちゃとしてまとまらない。
    類の言葉全てが、オレの妄想なのではないかと思うほど、オレに都合がいい。“オレへの想い”とは、どういう事だろうか。あの時 類は、オレの事を“仲間”だと言ったではないか。
    類の言葉の意味がよく分からなくて、声が上手く出てこない。真剣な顔でオレを見詰めてくる類に、心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。

    「誓って、浮気なんてしてないよ。でも、信じてほしいとも言わない。君を傷付けた事は何度だって謝るから、だから、もう一度僕に機会をくれないかい?」
    「……だが、…、…」
    「幸せにするなんて大層な事は言えないけれど、せめて、君が笑えるように頑張るからっ…! 君とやり直すための時間が欲しいんだ…!」

    両手でオレの手を掴む類が、頭を下げた。
    からかわれているのだろうか。それとも、一生他の誰かと番になれないオレを哀れんでこんな提案をしているのか。どちらにしても、類がオレともう一度やり直す必要なんてないはずだ。オレに構わず、類は、類が選んだ人と一緒になればいい。その人と、笑っていればいい。オレを気にする必要は、無いのに…。
    そこで、はた、と気付いた。オレの手を掴む類の手が、微かに震えていると。縋るように強く手が握り締められていて、少し痛い。それがなんだか無性に気になってしまって、唇を引き結んだ。

    「…………類…」

    震えそうになるのをなんとか耐えて、類の名を呼んだ。恐る恐る上げられたその顔は、どこか不安そうに見えて、胸の奥が ぎゅぅ、と掴まれたかのように苦しくなる。何故、類がそんな顔をするのだろうか。
    本当に、類の言葉を信じてもいいのか。そう心のどこかで問い掛けられた気がして、言葉を一度飲み込んだ。あと一回、と類を信じて、あの日 類に裏切られた。だから、離婚しようと言ったんだ。
    それなのに、どうしても類を信じたいと、思ってしまう自分がいる。

    「…まだ、あの家に荷物が残っているんだ」
    「………う、ん…、知ってる…」
    「……預けた書類も、受け取ってない。だから、荷物を運び出すまでは、…まだ、…類の、番なのだと、…おもぅ、が…」

    今度は、類がオレの言葉に呆気としていた。
    言葉にするのが怖くて、声が何度も裏返りそうになる。震えているのは、気付かないでほしい。まだ類と番関係なのだと思いたいのは、オレの願望だ。本当なら、あの夜でこの関係はおしまいだったのだ。類もその気だったのなら、オレのこの言葉は馬鹿にされてしまうだろうか。
    それでも、“もう一度”と、類が言ってくれた事が、どうしようもなく嬉しいんだ。

    「………そ、れって…」
    「…勿論、あの家には帰らないが…、…それでも、良ければ…」
    「……十分だよ。ありがとう、司くん」

    ふわりと笑った類の顔は、高校生の頃の表情とよく似ていた。それにつられて、オレも自然と口元が緩んでしまう。表向きは変わりないのかもしれんが、随分と気持ちが楽になったような気がする。
    段々と今度は気恥しさで落ち着かなくなってきたオレに、類がにこにこと笑顔を向けてくる。掴まれた手はそのままに、「司くん」と名が呼ばれた。びく、と肩を跳ねさせ裏返った声で返事を返せば、類に手を引かれる。

    「とりあえず、お店に戻ろうか」
    「…あ、あぁ……! そうだな…!」

    類の提案を有難く思いながら頷いて、手を引かれるままに立ち上がる。このままでは、さすがにいたたまれないからな。なんだか類に沢山何かを言われた気がするが、混乱し過ぎて殆ど覚えてない。衝撃的だったはずだが、なんと言われたのだったか…。
    歩き出す類の後ろを着いて歩きながら、ふむ、と口元に片手を当てる。顔を赤くさせた類を思い返せば、くるりと類がこちらを振り返った。

    「愛しているよ、司くん」
    「…んぇ……?!」
    「精一杯頑張るから、君もそのつもりでいておくれ」
    「…………ぇ…」

    何を?
    そんな疑問は声にならず、嬉しそうに笑う類に見惚れてしまい、結局そのまま近くまで迎えに来てくれていた皆と合流することとなった。
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