Je te veux(ジュ・トゥ・ヴー)reminiscence1—ヒッチ・ドリス(854年)
「ここは私が検分するから、貴方達は帰っていいよ」
まだあどけなさの残る男性兵士2人を下がらせて、ヒッチは重厚な扉を開いた。
—第14代調査兵団団長室
リヴァイ兵士長の部屋の検分をした兵士の話だと、1ヵ月のジーク勾留前に片づけられた部屋は整然としており、機密に関わるような資料もなく私物もごく僅かだったと聞く。
ただハンジ・ゾエ団長はまさかこの部屋に帰れなくなるとは思わずに部屋を後にしたはずだ。
その部屋を歳若い男性兵士が面白半分に検分するのだけは、女性幹部としては阻止したかった。
予想に反して、まるで二度と帰って来ないことを予測していたように、ハンジ団長の部屋には私的なものはほとんどなかった。
兵団や武器開発の資料、多めの蔵書。そして最低限の服や生活用品。
手紙や日記などの個人的な資料は何も見当たらなかった。
自分が新兵時代、王政クーデターに加担した際に会った彼女の印象は、明るくて雑然としていた印象だったけれど。
—いや、違う。
彼女は覚悟を決めたんだ。調査兵団団長になった時点で。
いろいろな想いを切り捨てて前に進んだんだ。
私もその道を歩くのだろうか……
冷たい塊を、胸に飲み込む。
一年前のマーレ潜入時の資料の袋から、小さな箱が転げ落ちた。
見たことのない、小さなハンドルのような取っ手がついた箱。
回してみると可愛い音がしてビクっとした。
周りを見渡して、もう一度恐る恐る、ハンドルを回す。
どうも何かの旋律のようだ。
大衆っぽい三拍子の曲。ワルツのような。
箱を開けてみると、凹凸のついた金属の筒が回るたびに鍵盤のようなものを引っかけ、音が出ているらしい。
ハンジ団長がマーレの技術研究のために持ち帰ったのだろうか…
箱には「Je te veux」と書かれているが、エルディア語でもマーレ語でもなく、ヒッチには分からなかった。
でも一つだけ直感で分かる。
これは、唯一の彼女の個人的な私物だ。
ヒッチは資料の袋からこの小さな箱を分けて、そっと自身のコートのポケットに入れた。
reminiscence2—ヒストリア&アルミン(857年)
「アルミン。貴方だけをマーレに返すことになるなんて…」
ヒストリアは深いため息をついた。
「貴女のせいではないです。ヒストリア女王。どうぞお顔を上げてください」
やはりというか、イェーガー派が仕切る軍政権は和平交渉に頑なだった。
彼らが要求する内容を連合国側に伝えるために、アルミンだけをマーレに戻すという。
もちろんエルディア国に残る大使すべてが人質ということなのだろう。
でもやるしかない。今日がダメでも、明日は、と。自分はまだ調査兵団団長なのだから。
「そう、アルミン。兵長は今、どうしているの?」
実は兵長に渡して欲しいものがある、と言って、ヒストリアが取り出したのは小さな取っ手のついた小箱。
「…これは?」
「ハンジさんの部屋を憲兵が検分した時に、ヒッチがこっそり渡してくれたの。唯一彼女の個人的な物のような気がしてって。ねえ、アルミン。私はハンジさんが亡くなったところを見ていない。だからまだ彼女の遺品っていうのは気が引けるのだけど。これはきっと背中を預けていた兵長に渡すのがいいんじゃないかって」
アルミンは、ハンドルを回してみた。陽気なワルツのような三拍子の可愛い旋律。
ハンジさんは、一体これをどこで手に入れたんだろう?
箱には「Je te veux」と書かれているが、エルディア語でもマーレ語でもなく、アルミンには分からなかった。
でもこれで、どこか空っぽなリヴァイ兵長の心が少しでも和らぐかもしれない。
アルミンは、そっと自身のコートのポケットに入れた。
reminiscence3—リヴァイ&オニャンコポン(853年)
たまには大人組もマーレの夜を楽しみましょうと、オニャンコポンに案内された店は、彼の祖国の料理と歌が自慢の店だった。
「ねえ、オニャンコポン!あの歌手が歌っているのは何ていう曲なの?ワルツみたいだけど陽気な曲だね」
店では客が思い思いに歌い、踊り始める。
「ハンジさん。あれはシャンソンっていう、故郷の大衆歌なんですよ」
「そうなんだ。パラディの収穫祭を思い出すよ!ねえ、リヴァイ踊ろう」
「おい、ハンジあまり目立つな!」
「大丈夫大丈夫!みんな酔っ払ってて、誰も私たちに注意を払う人なんていないよ」
ハンジに手を引かれて渋々といった体で、踊りの輪に入っていくリヴァイを目を細めてオニャンコポンは見送った。
たまには幹部の2人だってハメを外す夜があったっていいだろう。
いつになく幸せな気持ちで、故郷の発泡酒をあおった。
その日は3人ともどうかしてしまったように陽気な夜だった。
店を出ても名残惜しくて、夜店を覗きながら帰路に着く。
「よう、ダンナ。彼女にプレゼント買っていってくれよ」
夜店の主人に呼び止められる。そこはオルゴールを売る店だった。
「ええー!これすごいね。どうなってるんだろう。回すと音が出るんだ」
感心するハンジの横でリヴァイがオニャンコポンに尋ねる。
「オニャンコポン。さっきの店で歌っていたのは何ていう名前だ」
「Je te veux…」
「あるよ!今一番人気の曲だ」
「それを一つくれ」
ハンジの手に小さい箱を落とす。
「…やる」
「え…、リヴァイいいの?もらっちゃって。ありがとう!」
中を開けて仕組みを調べるんだとか、聴くたびにマーレの夜を思い出すよとか、いつになくはしゃぐハンジを眺めながら、オニャンコポンはボソっと呟いた。
「兵長って優しいんですね」
「バカ言え。俺は元々誰にでも優しい」
誰にでも、は余計ですけどね、とオニャンコポンはやれやれと肩をすくめた。
「兵長。Je te veuxの意味を教えましょうか?」
そっぽを向いた男が、片眉を上げた。
—「あなたが欲しい」—